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第1話 ギルバートとラナ

「ダーナ川だ。」

 見晴らしのいい崖の上から王都の大河を見下ろす。

 騎馬の手綱を少し緩め、ギルバート・ジョージズは、左手首の黒の鉱石で出来た腕輪に触れた。

 崖を吹き上がる風がギルバートの黒髪をたなびかせた。

 黒髪と黒のマント、『喪』を現す姿は晴れた空に似合わない。

「お急ぎにならないと。」

 後を追ってきた従者のアマクが主人を促した。

 主従は馬の腹に蹴りを入れると山道を駆け下りた。


 ◇◇◇


 ラナ=クレアは、宿屋の姿見でドレスの丈を確かめた。王都に来るのは十年ぶりで、緊張している。前はまだ子供で両親の服にしがみついていただけの記憶しかない。

 その子供も、もう十六になろうかというのに王都の夜会には出たことがない。

 鏡の中の令嬢に微笑んでみたが、頬がこわばって引きつっている。化粧っ気もなく美しさなどと縁がないのは自分が十二分にわかっている。

 これでもダーナクレア辺境伯の令嬢であるが、辺境伯家は既に王都の屋敷を手放し、領地経営のために私財をつぎ込んだ。領地の窮状を訴えるため、国王陛下への謁見を願い、やってきたが、王城に向かうには侍女どころか従者も馬車も持たなかった。

 ラナは、ドレスに不釣り合いな矢立のような筒を肩にかけると部屋を出た。


 ◇◇◇


 この世界がどのような姿なのか記したものはまだない。

 大地が生まれた太古より、神と魔物と人間が混在している世界。互いに対立し、平穏とは言い難い多くの時間を経て、人間の『勇者』は、『神』を味方に世界を平定した。

 最後まで抗った魔物の王を地下深くの鉱道の奥に封印し、『勇者』はひとつの王国を建国した。

 その後、『勇者』の盟友たちがそれぞれの理想をもって、王国から分離独立した。

 しかし、魔物という共通の敵を失った人間たちは、その力を持て余したあげく、それを自らの内側に向け始めた。国の内、外と争いが拡がり、気が付けば戦乱の世界に戻っていた。

『神』は人間を見限り、世界は人間の「勝手」に汚されていった。

 争いの血で汚れた大地が、封印された魔物の王を開放するのも造作ないことだった。

 魔王の復活は、地下に封じられた魔物の復活でもあった。

 再び、世界は魔物と人間の争いの場となった。


 ◇◇◇


 アミエリウス王国に新王が即位して二年になる。

 先王の時代、隣国との争いに明け暮れ、国土は戦争で踏み荒らされ、人か魔物か区別つかない血で汚れていた。隣国だけでなく、湧いて出る魔物をも先陣で切り捨てていた王太子ランバートは、隣国と和議を結び、狂い始めた父王を幽閉した。「簒奪」と陰口をたたかれたが、彼は最善の方法だと自負した。程なく、先王は亡くなり、その後、1年の喪のあと、正式に即位した。

 簒奪から3年、やっと新王としての披露の夜会を開くに至ったのだった。

 王都アミエは、騎士団の働きで大きな損害は受けていなかった。

 アミエは、『神』である女神ダーナ・アビスが守護する「母なるダール川」の恩恵で水利に恵まれ、石畳みの道だけでなく、はりめぐらされた小運河が交通に利用されている。被害の少ない領地から運ばれる農作物や工芸品が街にあふれて豊かであった。ここでは、国境や辺境の戦いは想像できない。

 国王ランバートは、窓に写った金髪の先を指で摘まんだ。

 侍女が整えたのに一筋落ちてきたのだ。

 即位と同時に結婚したので、長かった髪を短くしていた。

「陛下、お時間ですわ。」

 支度を終えた王妃アマリアがランバートを促した。

 血まみれのランバートの姿を見てもひるまず、井戸端で汚れた彼に水をぶっかけた令嬢だ。

「今夜は、頼みます。王妃殿。」

 王は妻の腕をとった。結婚して二年、子供はいない。

 大広間に向かいながら、アマリアが嬉しそうに言う。

「今日は素敵なお客様が来てるのよ。」

「え。」

「大広間で待ってくださってるの。」

「誰かな。」

 ふふ、とアマリアが笑った。笑顔を返そうとしたランバートが眉間に皺を寄せた。

「アマリア!」

 ランバートが妻に覆いかぶさった。中庭から何かが飛び込んできたのだ。

 襲われると感じた瞬間、何かに覆われた。黒いマントだ。

 マントは二人の気配を消し、飛び込んできたものは彼らの上を素通りした。

 それを追うように足音が響く。ランバートは、マントを取ると顔を上げた。

「!」

 月明かりの中、黒い人影が疾風のように遠ざかっていった。


 ◇◇◇


 大広間に不似合いな二人がいた。

 一人は外の闇と同じような黒衣の青年だった。

 黒髪を長くしているので未婚だとわかる。

 この国の男は髪の長さで未婚か既婚かを示さなければならない。結婚相手を探している女性が声をかけやすいように。

 他国との戦争、魔物との戦いで著しく男女の人口比が崩れてしまった時代、この国の先人の王たちが命じた慣例がいまだに尾を引きずっている。

 夜会でもその慣例をもとに年頃の男女が自分の相手を探している。

 だが、彼には誰も近づかない。

 彼を遠めに見つけた者たちは『死神』と小声でつぶやいた。

 ギルバートはそっとバルコニーに出た。

 王妃から今夜だけは出席してくれと懇願されていたが、自分には似合わないことはよくわかっている。

 盟友ランバートのお披露目でなければ断っていた。

 彼の左手首の腕輪がクルクル回り始めた。

 魔物の気配だ!

 彼はバルコニーから回廊の屋根に飛び降りた。

 そして、もう一人の大広間に不似合いな娘ラナは、ドレスの裾に隠した筒がカタカタと震えるのを感じた。

(来る!?)

 彼女も夜会の会場には不似合いな人物だった。

 身分的は下位の伯爵家、それも辺境伯では誰にも知られていない。

 大広間の中を行くほかの令嬢たちはふわりとした流行の絹のドレスを身にまとい、歩くたびに花の香りがする。

 それに比べ、ラナの姿は流行とは関係ない古びたデザインのドレス、会場の召使よりも貧相な姿だ。

 そして、場違いな筒を隠し持っている。彼女は、大広間の隅に立っていた。

 ラナは筒を抱えあげるとバルコニーへ走り出た。彼女の前を黒い姿が横切った。月を横切るように宙を舞った姿は、回廊の屋根をひと蹴りして、次の建物を目指していた。

(違う! そっちじゃない!)

 ラナは、黒い姿とは逆の庭園側に飛び降りた。

 長いドレスの裾が邪魔だ。

 彼女は持っていた筒の蓋を外し、中身を宙にぶちまけた。

 弧を描いた水滴が月明かりに銀の刀身に変化し、ラナの手に収まった。

 その切っ先でドレスの裾を切り裂き、走り始めた。


 ◇◇◇


 ギルバートは、建物を足場に宙を飛んで、中庭を回り込み、庭園の入り口で魔獣と対峙した。

 狼が魔力を吸収しすぎて膨張し、魔獣と化したものだ。

 だが、これは自然と生まれたのではなく、誰かに作られたものだ。

 無差別に襲うのではなく、目的をもって王城を動いている。

 それに普段から結界に守られている場所に手引きなしで魔獣が入れるわけがない。誰かが差し向けた国王ランバートへの刺客だ。

 ギルバートが左手を振り出すと手首の腕輪がまっすぐに伸びて剣に変わった。

 赤色に縁どられた黒い刀身、右手にも銀に輝く両刃の剣が握られている。

 魔獣はギルバートを誘うように庭園の垣根を飛び越えた。

 ギルバートも後を追うように飛んだ。

 庭園の東屋の柱を足場に魔獣の上に飛び上がると彼を見上げた魔獣の眉間に黒剣を突き立てた。

 そして、右手の剣で前足を地面に串刺しにし、動きを封じた。突き立てられた黒剣はその先端から吹き上がった魔獣の黒い血を吸い込み始めた。

 ギルバートは左腕に感じる重い痛みに耐えながら、魔獣の死を待った。魔獣の血はドクドクと黒剣に飲まれていき、低い断末の唸りが地を這っていた。

 魔獣の最期を感じ始めていたギルバートの足元が揺れた。真横にさらわれる感覚がある。

 黒剣を抜き、後ろに飛びづさった。

 彼の目の前を巨大な蛇様のものが魔獣をひと飲みにして鎌首をもたげた。

「ちっ!」舌打ちをして、両手の剣を構え直す。

 胴体の奥を見やる。胴体から尾は庭園の噴水の池に浸かっている。

(地の魔獣ではないな。水のモノか!?

 この噴水はダーナ河の水を引いていたはずだ。

 水魔は厄介だな…。)

 蛇姿の水魔は、太い胴体をくねらせながら、ギルバートに向かってきた。

 庭園を破壊しながら、水魔はギルバートを次の獲物として捕らえたようだ。

 黒剣をかざし、ギルバートは水魔に切りつけた。黒剣は水魔を切り裂くが、裂かれた後から胴体はくっつき、再生を果たす。

 どこか、急所を突かなければ!

 水魔が大口をあげて辺りのものを吸い込み始めた。

 庭園の植木が根ごと持っていかれている。

 ギルバートは両足に力を込めて立っていたが、ずるずると飲み込まれそうになっていた。

 黒髪が顔を覆い前が見えない。右手の剣を地面に突き刺して支えにしたが、手が離れてしまった。左腕の剣も元の腕輪に戻っている。

「それは、私の獲物だっ!」頭上から少女の声がした。

 彼の目の前に、水色の髪を逆立てた少女が弓のように反った銀色の剣を上段に構えて飛び降りてきた。少女が水魔の大口に突進していく。

「!」

 大口の中に飛び込んだ少女は、自身の剣で水魔を中心からねじる様に切り裂いた。

 水魔の身体は四散し、雫となって辺りに降り注いだ。

 水魔の実体が液状と化し、地面に拡がる。

 飛び散った雫はギルバートにも降ってきた。ギルバートにあたった雫は、ジュッと音を立てて蒸気になる。

(痛ぅ!)

 雫にもかかわらず、それはギルバートに痛みを与えた。雫から逃れるようにして後ろに下がる。痛みの残る腕を誰かが掴んだ。

「お下がりください。貴方様には毒ですから。」

 従者のアマクがギルバートを雫の当たらない木の陰に連れ込んだ。

「ダーナ・アビスの水魔の一つでしょう。貴方の剣では倒せない。」

 ギルバートは、水魔を倒した少女を見ていた。

 少女は全身ずぶぬれだった。

 彼女は、地面の液体を一滴すくうと持っていた筒の中に入れた。その筒は二、三度輝くとまた何の変哲もない筒に戻った。

「ダーナ・アビスの水魔を倒せるのは、『熔水剣(ようすいけん)』だけです。」

 アマクがギルバートに言った。


 ◇◇◇


 ギルバートは、雫が降りやんだのを見て、木の陰から出た。

 月明かりと水魔の残滓が、濡れた少女をキラキラと映していた。少女は筒を支えにして膝をついていた。肩で大きく息をしている。まだ水魔を倒した疲労が残っているのだろうか。さっきまで振り回していた剣の姿はない。

 ギルバートは左手の腕輪に触れた。腕輪は動いていない。

 この少女は、魔物ではないらしい。

 彼は落としていた自分の剣を拾い、鞘に戻した。ゆっくりと少女に近づく。

 その足音に少女が顔をあげた。だいぶ、呼吸が穏やかになっていた。

 ラナ=クレアは、目の前にいる男を見上げた。

 月に照らされた姿は、長い黒髪に面長で鼻筋の整った色白の肌。瞳は赤く、唇は薄い。黒い服を着ているのか、顔以外は闇と同じ黒色にしか見えない。腰に下げられた剣の持ち手が月明かりを反射して鏡のように光っていた。男はラナに手を差し出した。手首に腕輪がある。

「立てるか?」

 ラナは、その手を無視して立ち上がった。

「君は何者だ?」咎めるようにギルバートが言った。

 ラナは筒を肩にかけた。「にひゃくじゅうしち」と呟く。

 少女はギルバートを睨みつけた。

「ダーナの水魔を倒せるのは、私だけだ。」

 少女の瞳は向こう側が見えるのかと思うぐらい透きとおった水色をしていた。

「…。」

 再び、ギルバートが口を開こうとしたとき、黒マントが彼に押し付けられた。

「ダメだよ、ギルバート。水魔を退治してくれた勇敢なご令嬢を詰問しちゃ。」

 ランバート王が松明を掲げた近衛を伴って現れた。

「陛下。」ギルバートが一歩退いて、王に頭を垂れる。

「陛下?」ラナが目を大きくした。

「さて、君は? 今夜の招待客?」

 ランバートが人懐っこい笑顔を浮かべた。

「…ダ、ダーナクレア辺境伯の一女、ラナ=クレアと申します。」

 棒立ちのまま、ラナが名乗った。

「陛下の御前だ。礼をわきまえよ。」

 ギルバートが咎めた。普通なら、優雅にドレスの裾を持ち、令嬢としての挨拶をするだろう。しかし、この少女のドレスの裾は切り裂けて、足さえ見え隠れしている。そもそも辺境伯令嬢程度では礼儀も習っていないのか。

 ラナは肩の筒に手をやると宙に放り投げた。こぼれた水滴がラナの手に剣となって握られた。

「『勇者の末裔』! 覚悟!」ラナがランバートに剣を向けた。

「え?」ランバートが怯む。

 ギルバートは黒マントをラナに投げつけた。マントがラナの視界を奪う。マントからはみ出たラナの手首をギルバートが掴んだ。

「!」

 ラナが叫び声をあげた。まるで断末魔のような。

 闇を切り裂くかのような悲鳴!

「!?」

 ギルバートの方がその悲鳴に固まった。彼が掴んだラナの手首が溶け落ちた。彼女の握っていた剣が地面に落ち、水泡に帰す。黒マントも地面に落ち、その上にラナが崩れ落ちた。


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