第16話 浄める水
イゼーロの療治院は、領主館から少し離れた丘の上にあった。
そこからは湖沼群が見下ろせて、景色のいいところだ。
初冬の風は冷たいが吹き抜ける空気はきれいで、平屋建ての療治院は、日当たりのいい中庭がある。
晴れた日は患者たちがそこでひなたぼっこしている。
マチュアは、その中庭を見渡せるテラスに椅子を置くとチェロを取り出した。
カエルの鳴き声のような音を立てて、弦の調子を合わせる。
中庭にいた小さい子供たちがマチュアの前に集まってきた。
「カエルのおじさん、またひいてくれるの?」
子供の言う「カエルのおじさん」にマチュアが苦笑いする。
マチュアは左手をチェロの首に構えると右手の弓をゆっくり引いた。
左指で弦を抑え、右手の弓を左右に動かして、曲を奏でている。
優しい曲調が人々の顔を穏やかにしていく。
ゆっくりと時間が流れている、とユージン・レートは療治院の廊下を歩きながら感じていた。
彼の前を療治院の薬師が歩いている。
ジェイドの命で先に療治院に案内されていた。
「お父さん、」
横にいたマリアンがユージンの袖を引っ張った。
「ん?」
「あの方、何をしてるの?」
中庭に向かったチェロを弾いているマチュアをマリアンが見ていた。
二人が足を止める。
案内役の薬師も足を止めた。
「ああ、マチュア様ですよ。
チェロを弾いてくださっています。」
「チェロ?」
マリアンが大きく瞳を見開いた。
「楽師さまですか?」
「マチュア様は、ご領主様のご夫君さまです。
こうして時々、療治院の人々を慰問に来てくださっています。
マチュア様のチェロは、とてもお優しい音がするので心が暖かくなります。
皆、楽しみにしているんですよ。」
チェロの音は低いのに足元から暖かくなってくる。
「お父さん、ここで聞いていてもいい?」
ユージンが案内役を見る。
「構いませんよ。
でも、どこかに行ったりしないでくださいね。」
案内役が微笑んだ。
「マリアン、でも、迷子にならないように。
ここにいるんだよ。」
マリアンが父親の言葉に頷くと中庭に降りる階段の隅に腰かけた。
濃い茶色の三つ編みの髪がチェロの音に合わせて揺れる。
「では、こちらへ。」
薬師に促されてユージンは療治院の離れの建物に入った。
静かな部屋に病人が寝かされている。
顔や手足が黒く痣になっている。
熱もあるのかうなされている者もいる。
看護人が数人、病人の間で世話をしていた。
「できることといえば、黒い部分を水で拭って、のどが渇ききらないように少し水を飲ませ、熱さましの薬湯を与えるぐらいなのです。」
ユージンは頷くと病人の一人の手首を取った。
脈が速い。
手が熱く、熱があるのだろう。
このままだと水も飲めず体力を消耗してしまう。
外見ばかりが目につくが、本当は喉や胃の腑に至る管が腫れあがり、身体の中をふさいでしまう。
そちらのほうが早く死に至る。
ハシェの村でも最初は手の施しようがなかったが、かの少女が現れてから変わった。
ラナという名の『水色の娘』は、青い血を流して小川のほとりに倒れていた。
マリアンが彼女を見つけ、彼が村の家に運び込んだ。
ラナは右肩右腕がかみちぎられた痕を持っていたが、不思議とその右腕は綺麗に形を持っていた。
だが、人の姿でも『青い血』など、魔物の類でしかない。
それでも彼女を助けたのは、マリアンが彼女の血に触れたとき、マリアンに出始めた黒い痣が消えてしまったからだ。
それだけでなく、彼女の怪我の手当をしている最中、『青い血』で汚れた布を水桶に落としてしまった。
桶の水は汚れるものだが、彼女の『青い血』は逆に桶の中を透き通るほどに青く透明なものにした。
その水にぬれた手で病人に触れるとそこから黒い痣が薄くなって消えていった。
幾度もそんなことがあって、ラナがこの病を治せるのかとすがる思いを持ったのも事実だ。
彼はラナの血で青く透きとおった水を薬剤とした。
そのことは、『王立』のジェイド卿にも話している。
しかし、ラナ嬢の血を抜き取るわけにはいかない。
使えるのは手当で得た分だけだ。
それを薄く薄く伸ばし、村々の井戸を浄化し、その水をまた治療に使う。
薬効は徐々になくなり、それでも病人が発生しなくなったため、治療を終了していた。
残った少量の薬は『王立』に渡している。
この病の原因となったものは、『魔毒』。
魔物の血肉に含まれる毒素ではないかという仮説をジェイド卿から聞かされていた。
『王立』の中では調査が始まっているがまだ結論は出ていない。
ハシェの村でも実験をしていたが仮説を立証するには至っていなかった。
「いかがでしょうか。」
案内人の薬師は、おそるおそるユージンに尋ねた。
病人の手を置いて、ユージンが案内人を見た。
「恐らく、同じではないかと思います。」
「では、どのような治療を?」
「熱があがらないように、水で身体を冷やしていました。」
「はぁ。」
「ここの病人の方への水は?」
「はい、井戸から汲んできた水を甕に溜めて準備しています。
それを水差しで各自に。」
「甕の水を見せてください。」
案内人は部屋の隅にある水甕にユージンを案内した。
甕の蓋を外して中を見る。
柄杓ですくってみるが、甕の中も柄杓の水も十分にきれいな状態だ。
ユージンは、柄杓ですくった水をそばにあった椀に入れた。
彼は肩から掛けた鞄の中から小さな薄い水色の液体の瓶を取り出した。
慎重に中の液体を一滴、椀に落とした。
「これを、一番熱の高い病人に飲ませてあげてください。」
「は、はい。」
薬師が患者の中で一番荒い息をした男のもとに向かった。
熱で顔が赤く、首から胸にかけて黒い痣がある。
呼吸も浅くかなり辛そうだ。
他の看護人たちも手伝って、病人の半身を起こし、その口に匙で椀の水を飲ませた。
ひと匙、ふた匙とゆっくり口に運び、飲み込むのを待つ。
始めはこぼれたりもしたが、徐々に口に入り、喉が動いて飲み込むのがわかった。
何度か繰り返すうちに、病人の呼吸が穏やかになり、苦しそうな表情がほぐれていく。
薬師たちが顔を見合わせ、ユージンを見た。
「これは…?
あれがお薬ですか?」
病人を横にすると、穏やかな表情で眠りに入った。
「薬…というか。」
「?」
「正確には、『浄化した水』というか…。」
「浄化?」
「ハシェ村の始まりは、村に戻ってきた者がこの病を発症して、その家族、近所の住民に病が拡がりました。
でも、そばで看病していても皆が感染するわけでなく、原因はわからずじまいでした。
関連があるとすれば、病人たちに共通しているのは同じ井戸を使っていたぐらいで。
だからと言って井戸水が汚れている風にも見えなかったのです。」
「井戸水?」
「村の外に森があったのですが、その森にいる狼たちにも同じように黒くなって、魔獣のようでした。」
ユージンは言葉を続けた。
「人と森の狼で共通するのは、『水』です。
飲み水にしている水脈は同じでした。」
「水…。」
「水に魔毒が混じったのが原因でないかと『王立』の方々は仮説を立てているようです。」
「魔毒…」
ユージンが困った顔をした。
彼は少し考えて話し始めた。
「王国には、魔物を退治する方がいらっしゃいます。
その方々が集められた魔物の毒素を試してみて、先程の薬になりました。
『毒で毒を制する』です。」
薬師は怪訝な顔をした。
ユージンが続ける。
「私も試すように言われているだけなので、何の魔毒かは存じません。」
「はあ。」
薬師が溜息をついた。
ユージンが椀を取り上げた。
中にまだ水が残っている。
「村での経験でいえば、この残っている水を甕に戻すと甕の水が同じような浄化された水になります。」
「え?」
「水で薄まることになりますので、薬効は落ちますが、根気強く続ければ快方に向かいます。」
薬師の顔に希望が浮かぶ。
「熱さましの煎じ薬のように日に三度、これぐらいの椀に半分を飲ませ、黒い痣を拭い、食事がとれるようになれば食べさせ、体力をつけさせます。
自力で治るしかないのです。」
薬師が頷く。
「その繰り返しです。」
ユージンが噛み締めるように言った。
◇◇◇
ジェイドの鼻先はまだ赤いままだったが、彼は嬉しそうにマリーの横にピタリと座っていた。
マリーの表情がうっとうしいと言っているにも関わらず。
「許可を得るのが後になってすまないね、アイン殿。」
ジェイドが頭を下げる。
「先に療治院に薬師を行かせてもらった。」
「こちらがお願いしたことですから。」
「流行り病、おさまったんじゃないのか。」
マリーがジェイドに言った。
「コルトレイではね。」
マリーがジェイドから少し離れる。
ジェイドは知らん顔でマリーに身体を寄せる。
あまりにおかしい関係にアインも笑ってしまう。
「原因はどう見ていらっしゃるんです?」
「『魔毒』。」
「え?」
「バードンは、城で魔獣を作っていたんだ。
『魔毒』はその過程で出来ていたらしい。
それをハシェの近隣の水脈に流した。
その水を飲んだ者が病になったんだ。
国内の不安を煽りたかったんだろう。」
「水…」アインが呟く。
「イゼーロも、水をやられたかもしれない。」
「どうすれば!」
「で、その時の薬師を連れてきた。
療治院で患者を診ているだろうと思う。」
「治療法は?」
「『浄化した水』。」
「え?」
「魔毒を浄化するには、『ダーナの姫君』の『青い血』がいる。」
ジェイドが苦笑を浮かべる。
「ラナ嬢の血だよ。
彼女の血が、水を浄化し、毒素を消す。」
マリーとアインが目を見張った。
「…。」
三人が沈黙する。
暫くしてマリーが小声で訊く。
「魔獣なんて、人が作れるのか?」
「バードン一人では無理だ。
彼には、魔物がついていた。
水魔さえ、そこにいた。」
「!?」
「魔物に取りつかれていた?」
「いいや、彼の意思だったそうだ。」
「そんなこと…」
「王城に出た魔獣は、バードンの城にいたものと同類だったそうだ。」
マリーとアインに言葉がない。
「それで、ギルバートが?」
「ラナ嬢も手を貸してくれたよ。」
「彼女が… 若いお嬢さんなのに。」アインが心配そうにつぶやく。
「俺はすべて終わってから城内に入ったけど、ロシュはいつものごとく全部見た。」
「…辛いな。」マリーが小声になる。
「かわっては、やれない…」ジェイドも小声で応じる。
「でも、バードンがそんなことをして、何の意味があるのだ?」
マリーが眉間に皺を寄せる。
「ないよ。
バードンは利用された。
利用したのが誰だかはわからない。
今のところ、国内では目立った動きはない。
そうだな、陛下を亡き者にしたいのは、国内にいるだけじゃないってことも言える。」
ジェイドが軽く言う。
「ヴィーデルフェンとは和睦交渉中だろ?」
「その反対側とは?」逆にジェイドが二人に問いかける。
「フィアールント!?」アインが声をあげる。
「火の神が何を考えているか、」ジェイドが言葉を濁す。
「出てくるのか! あの国が!
ずっと鎖国しているのに!」
思わずマリーが声を荒げる。
「陛下の施策が影響している。
大陸の均衡と平定がね、かの国は好かない。
昔から、火の神は、大陸の一番になりたがっていたからね。」
「?」
「ダーナ・アビス様が『姫』を『勇者の末裔』にけしかけた。
火の神が『勇者の末裔』を蹴落とそうとしてもおかしくない。」
「リュート大平原で、火の神がはじき飛ばされたのをマリーも知っているだろう?
仕返ししたいんだよ。」
ジェイドはひとつ、溜息をついて続けた。
「ギルバートにも、彼の中のものにもね。」
◇◇◇
二つ月は、離れた場所にあった。
今の時期は、重なることが少ない。
その分、明るい。
今夜の歩哨第二番はラナとクロルだった。
深夜から明け方までが警戒の時間で、天測機の目盛二つ分、夜空の星が左から右へ動くごとに巡回を行う。
今はクロルが第一番の最後の巡回に付き添っている。
次の目盛になったらラナが巡回だ。
クロルが戻るまで、歩哨詰所幕で火の番をしている。
火は得意じゃない。
ラナは自分の水筒を担ぐと火桶から少し離れた。
熱すぎると自分が溶けそうなのだ。
夏は大変で、河のそばから離れられない。
花屋は水に囲まれるので、まだ過ごしやすかったが。
ラナは幕の外に出た。
薄青の服には外套がないので、夜風で肩をそびやかせた。
「なんだ、小娘が見張り番か。」
グレンが槍を担いで前を通りかかった。
詰所の火が灯りになり、グレンの大きな影を作る。。
「相方は?」
「クロルは、引継ぎ巡回です。」
グレンが笑みを見せた。
「慣れたか?」
「まあ。」
「ふーん。
なんか不満そうだな。」
「毎日、お芋の皮むきと洗濯と走っているばっかりです。」
「…。」
「嫌じゃないけど、これでいいんですか?」
「ん?」
「剣術を教えてくださるんじゃなかったのですか?」
「小娘、基礎が大事なんだよ。
小刀を使いこなすのは、剣の小技使いに役立つ。
洗濯は身体を鍛える。
走り込みは体力作りだ。」
「体よく、雑用係にされている気がします。」
グレンがくすくす笑った。
「まあ、外れでもないな。」
ラナがグレンを睨む。その顔にグレンがもっと笑った。
「笑わないでください!」
ラナがむきになる。
グレンは笑いながら、詰所前の丸太に腰掛けた。槍を抱えたまま。
「いずれ、わかるさ。」
グレンの呟きはラナには聞こえなかった。
「で、小娘はイゼーロに何しに来た?」
「え?」
「水魔退治か。
公爵が水魔を退治できないから、かわりだとマリーが言ってたな。
誰に雇われた? 公爵か?」
「えっと、」ラナが口ごもる。
「公爵でなければ、その上か。」
ラナが黙った。
「…なるほどな。
でも、噂じゃ、その相手に三度、剣を向けてしくじったそうじゃないか。」
「どうしてそれを…。
知られていないはずです。」
グレンが鼻で笑う。
「人の噂じゃない。
魔道具同士の噂だ。」
「…。」
「『道具屋』の魔道具には、道具同士の繋がりみたいなのがあってな、そこで魔道具どもが噂話をする。
魔道具の主は、自分の道具からその噂話を聞くんだよ。
マリーも魔剣持ちだ。
噂を知っていただろう?」
またグレンが笑う。
「公爵の『お手付き』だって?」
ラナが固まった。
「あれの好みだったかな?」
「…。」
グレンが笑うのをやめてラナを見ていた。
ラナの肩の水筒に目をやる。
その文様に目を凝らした。
「ダーナクレアの出か。」
「どうして…」
「小娘がいつも担いでいる水筒な、それについてる模様を昔、見たことがある。」
ラナが水筒に手をやる。
「悪い!
水筒じゃなかったな。」
グレンがニヤリと笑った。
「…。」
「ダーナクレアから来た騎士見習がそれと同じ模様の剣の鞘を持っていたんだ。」
「奴は、ダーナクレア領の辺境伯家に伝わる模様だと言っていた。
お前、ゆかりの者か?」
「私は、…ダーナクレアの出身です。
この水筒はダーナクレアを出るときに両親に渡されました。」
「それは『熔水剣』なんだろう。
この前、湖沼の水魔をそれで斬っていた。」
「…。」ラナが唇を噛む。
「それを使いこなせるのは、辺境伯家の人間だけなんだよ。」
ラナが水筒を抱え込んだ。
「今のダーナクレア伯は養子で、先代で血脈は絶えたはずだ。」
「…。」
「何者だ? 水魔か?
その『みかわ糸』は魔物の正体を封じるためのものか!」
語尾が険しくなる。
「私は…」
ラナの声が震える。
グレンが睨みつけている。
「チッ!」
ふいにグレンが弾かれたように槍を手放した。
グレンの槍は彼を突き飛ばすようにして、彼とラナの間に立った。
「え?」ラナが驚く。
「怒るなよ。」
グレンは槍に頭を下げた。
「悪かった。
あの子を虐めたわけじゃないんだ。」
「ええっと、」ラナが困惑する。
グレンが立ち上がって槍に歩み寄った。
槍の柄に触れて、少し振った。
穂先のかぶせが緩む。
グレンはそれを外した。
仄かな青い光がラナを照らした。
あたたかな光。
「間違いないんだな。」
穂先が頷くように瞬いた。
「こいつが、小娘を探していた。」
「…。」
ラナは槍の穂先を見上げた。
柔らかな青い光。
ほっとする温かさ。
「ダーナ河の泡が封じられてある。」
「!」
「たぶん、お前さんに近いものだ。」
「探していたって…」
「『セイレンの娘』に、無茶はさせたくないそうだ。」
「『セイレンの娘』?
私には何のことだか、」
声が震える。
湖沼群が言っていた『セイレンの娘』。
「その話をしなきゃって、探し回っていたんだ。
この『シーラ』が。」
「『シーラ』…」ラナが槍を見つめた。
「『シーラ』が人型になるにはちょっとばかし、面倒な手続きがあってな。
それはまた今度だ。
だから、ここにいろ。」
「…。」
「お前さんは、知るべきことが山ほどあるんだよ。」
グレンが手を伸ばし、ラナの頭に触れようとした。
ラナが少し身体を固くする。
グレンの手が止まった。槍が強い光を放つ。
「うわぁ!」
二人の前に、クロルと第一番の歩哨の男が転がり出た。
そばの森から狼の群れが現れる。
黒い狼たち。
一頭だけ、赤い目をした大きなのがいる。
同じ光景を以前にも見た。
ラナは水筒を背中に回すと、スカートの襞から剣を取り出した。
「なんてとこに、隠してやがる?」
思わず、グレンが笑う。
「魔獣です。
コルトレイで見たことがあります。」
「クロル! こっちだ!」
二人がグレンの背中に逃げ込む。
「怪我はないか!?」
「転んだ擦り傷だけ!」
クロルが叫ぶ。
「じゃ、待ってろ!
ラナ、行けるか?」
「はい!」
「左半分、行け!
俺は右半分のと森の中をする。」
「はい!」
ラナは、剣を両手持ちにし、飛びかかってきた先頭の狼の首を一刀に切り落とした。
返す剣先で首のない狼の胸を貫き、心臓を止める。
水色の髪が大きく揺れる。
狼たちの叫び声で、あちこちの天幕に灯りがつく。
「天幕を出るな! 火のそばにいろ!」
グレンが大声で叫びながら、槍で狼の心臓を突き刺した。
槍を抜くと、どす黒いねっとりとした血が地面に流れる。
穂先が形を変える。
半円の刃になると狼の首を薙ぎ払う。
グレンが槍の柄を反転させるとそこからまっすぐな針が伸び、狼の心臓を貫く。
グレンは森の中へと狼を追い込んでいく。
ラナは、三頭目を倒したが、その次には少し遅れた。
魔狼が宿舎の方に向かい、ラナが後を追う。
井戸の前で魔狼がラナに向き直った。
牙をむいてラナに唸る。
ラナが剣を握り直した。
魔狼の跳躍とラナの走り出しが同時に始まった。
◇◇◇
辺りが白んできた。
その明るさで月が隠される。
「どうだ?」
マリーがランタンを掲げて、ジェイドの肩越しに血だまりを見ている。
「心配するな、ラナ嬢のじゃない。」
屈んで地面を見ていたジェイドが答えた。
その手には、ラナの水筒がある。
「役に立たんな、師匠も。」
マリーに切り捨てられたシェリーが苦笑いを浮かべた。
「奴には『水神教』の見張りをさせてた。」
グレンが頭を下げた。
「大丈夫だと、あの娘に甘えた。」
「彼女だけならね。
一緒にいなくなったのは?」
「サラだ。」
クロルが答えた。
「俺が歩哨当番だったから、サラが朝飯のために泊まってくれてた。」
クロルが顔を上げたが、長い前髪で目元は見えない。
「泊りは、給金が高いんだ。
サラはそれ目当てで、時々、泊り仕事もしてた。昨日も。」
「…人質、目の前にしたらな、」
ジェイドが立ち上がった。
「世間慣れしてないご令嬢だからなぁ。」
ジェイドが宙を仰いだ。
「ついてっちゃうだろう。」
ジェイドは水筒の汚れを拭うとマリーに手渡した。
「知られるとまずいな。」
マリーが溜息をついて言った。
「え?」ジェイドが聞き返す。
「『公爵』に…殺されかねない。」
マリーが低い声で言った。
クロル以外の大人たちが表情を暗くした。