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第10話 心のかたち

「来るのが遅い!」

 ラナに叱責されて、ギルバートは酷く困惑した。

 ラナを助けたはずが、何故、責められる?

 それに彼女の姿は、肌着1枚だ。

『みかわ糸』の服はどうした?

 こんな時に目のやり場に困る。

 壁に串刺しにされたスエレンは両手でギルバートの剣を引き抜き投げ捨てた。

 顔に穴をあけたまま、ゆらゆらとラナに迫る。

 ラナが床の『熔水剣(ようすいけん)』を拾い上げる。

 そのまま、右膝を立てて構えた。

 彼女の背後で、剣のぶつかる音がする。

 視界の端にギルバートとバードンが剣をぶつけ合う姿がある。

 強いはずのギルバートと伯爵が互角に斬り合っている。

「ラナ、よそ見をするな!

 その水魔を何とかしろ!」

 ギルバートの叱責が跳ぶ。

「わかってるわよ!」

 揺れるスエレンの核をうかがう。

 この急所を突けば倒せる。

 波打つ身体のなかで唯一動かない黒いもの。

「見つけた!」

 ラナは右足で踏み切って、スエレンの核を一刀に切り裂いた。

 声も上げず、スエレンの身体が大きく弾けた。

 同時にラナも飛ばされる。

熔水剣(ようすいけん)』もラナの手から落ちてしまった。

 スエレンの正体がなくなって、床が水びだしになった。

 その水をまともにかぶって、ラナがずぶ濡れになる。

 肌着が身体に張り付き、透けてしまう。

 そんなことは構わず、ラナはフィイに駆け寄った。

 弾けたスエレンの雫はギルバートにもかかった。

 じゅっと音を立てて蒸気が上がる。

 ギルバートが顔を歪める。

 バードンの剣をよけたギルバートの頬に赤い筋が付く。

 ギルバートは奥歯を噛み締めて、バードンをはじき返した。

 バードンが背中を壁にぶつけ、はずみで口元を斬った。

 そこから流れたのは、ねっとりとした赤黒い粘液だった。

「バードン!」思わずギルバートが叫ぶ。

「どいつも使えんな。」

 低く唸るような声がいった。

「え?」

 ラナが声のした方を見た。

 コニーが赤い目を輝かせて立っていた。

「コニー?」

 ラナが驚いた。

「まだ、現われんのか。

 さっさと出て来い、冥主!」

「お前が、元凶か。」

 ギルバートがコニーを見た。

「お前を喰らうて、冥主の座に就くのだ!」

「コニー?

 何を言ってるの?」

 バードンの打込みをかわしてギルバートがラナに叫んだ。

「それはコニーじゃない!

 コニーが本物なら、今は十一歳の娘だ!」

「え?」

「お前を引き裂けば、冥主が覚醒するやもしれんな。」

 コニーの手から長い爪が出た。

 ラナの身体を引き裂こうと伸びる。

「ラナ! よけろ!」

 ギルバートが叫ぶ。

 長い爪が速く、フィイを連れては避けられない。

 ラナはフィイに覆いかぶさった。

「ラナ!」ギルバートが叫ぶ。

 俯いたラナの視線の下に血だまりが出来た。

 そっと顔を上げる。

 赤目の魔狼の脇腹にコニーの爪が刺さっていた。

『おとうさん!』

 蹴り飛ばされていた子狼が叫んだ。

『リル様、遅くなって申し訳ありませんでした。』

『ラナ様もお守りできず、』

 コニーが爪を引き抜くと、魔狼が口から血を吐いて倒れた。

「アルフ!」ラナが叫ぶ。

『おとうさん!』

 子狼が駆け寄ろうとした。

『いけません! リル様!

 私に触れては、貴女様が黒くなってしまう!』

 ラナがリルを抱きかかえて止めた。

「お前も喰ろうてやろう。」

 コニーの姿の魔物が魔狼に近づいた。

 ラナがストータの剣を拾い構えた。

 だが、幼いコニーの姿に突き刺すことが出来ない。

「『情け』で、手を止めるな!」

 再び、ギルバートの叱責がとぶ。

 ラナは剣を握り直すと、コニーに投げた。

 切っ先が右胸に刺さる。

「コニー!」

 バードンが剣を投げ出し、コニーに駆け寄った。

 胸の剣を引き抜く。

 コニーを抱いたバードンがその血で赤く染まる。

「放せ、人間。」

 コニーが言う。

「コニー!」

 バードンが叫ぶ。

「バードン! 

 それは貴方のコニーではない! 

 離しなさい!」

 ギルバートが叫ぶ。

「バードン、私はそれを葬る!」

 ギルバートが黒剣を握り直した。

「もうたくさんだ!」

 バードンが叫んだ。

「穏やかな国を作ると国王陛下も、公爵、あなたも言ったではないか!

 なのに、どうして妻も子も殺されなくてはいけなかったのですか!」

「あなた方に味方したばかりに二人が殺された!」

「私は一番大事なものを失ったんだ!」

「でも、そのコニーは…」

 ラナの言葉が続かない。

「『冥主』と名乗る者が、コニーを生き返らせてくれた。」

「ばかな…」

 ギルバートが困惑する。

「コニーが戻ってくるなら、どうなってもよかったんだ!」

 バードンに抱えられたコニーがバードンの首筋に噛みついた。

 肉を噛み切る。

「お前を食わせろ。」

「バードン!」

「伯爵様!」

 コニーがバードンの肉を咀嚼した。


 ◇◇◇


 フィイの後を追ってきたロシュは、子供に噛みつかれているコルトレイ伯爵と手をとめてしまったギルバートとずぶ濡れのラナに足が止まった。

「は、伯爵を助けないと!」

 ラナの声が震えた。

 バードンがコニーの身体を、力を込めて抱きしめた。

「何をする?人間。」

 コニーが言った。

「離せ!」

 コニーの声が廊下に響く。

「公爵、貴方が来たということは、陛下は私を粛清することを決めたのですね。」

 バードンが息を乱しながら言った。

「…。」ギルバートは答えない。

「そんなこと!」ラナが声を震わせる。

「『魔物だったら』と、

 条件付きだ。」

 ギルバートが答える。

 バードンが笑いだした。

 彼はコニーに食われた反対側の上着を引き裂いた。

 人の皮膚ではない、黒くただれた塊。

 ラナも息を飲む。

「早く、仕留めなさい、公爵!

 陛下の代わりに、邪魔者を粛清する、それが『公爵家』の本当の役目だ!」

 バードンが叫んで笑った。

「だ、」ラナが言いかけた言葉をロシュが手をかざして遮った。

「ロシュ様…」

「フィイを。」

 気を失っているフィイをロシュが抱いた。

「伯爵様は…」

「決めるのは、ギルバートだよ。」

 ギルバートが黒剣を構えたまま動かない。

「バードンはギルバートの友人だった…」

 ロシュが小声で言った。

「だけど、今は、ただの魔物だ…」

「友達でも斬るの?」

「『王命』を果たすのが『公爵家』の役目だよ。

 相手のことは問わない。

『王命』なら私でも君でもね。

 彼は殺す。

 だから、彼は『死神』と陰口をたたかれる。」

「ギルバート、私がまだ人の姿であるうちに殺してくれ。

 今ならこの魔物を道連れにできる。」

 バードンがコニーの姿を抱きしめた。

 魔物のコニーは、バードンの肩も噛みちぎった。

 だが、ギルバートは動かない。

「『「情け」で、手を止めるな!』、貴方がそう言ったのよ!」

 ラナの言葉にギルバートは彼女を見た。

 水色の瞳にいっぱい涙をためている。

 だが、こぼさない。

「そうだな。」

 ギルバートは黒剣をバードンに振り下ろした。

 返す刃でコニーの眉間を一突きにした。魔物は黒剣に吸い込まれていく。

 赤毛の首は、ラナの近くまで床を転がってきた。

 首が泣いていた。

 ロシュは、これ以上見せないようにラナの頭を自分の胸に抱きかかえた。

 ギルバートが彼らの方に歩いてくる。

 バードンの首に一瞥もせず。

 彼はラナの『みかわ糸』布を拾い上げると彼女の肩にかけた。

 ラナはそれを自分の身に引き寄せる。

「陛下の『目と耳』、見ていたか。」

 ギルバートが言った。

「しかと。」

 ロシュが応じる。

 ギルバートは、魔狼のそばに膝をついた。

「よくやった。」

 ギルバートが左手を魔狼の額に当てた。

 魔狼は細かい霧に代わり、ギルバートの腕輪に吸い込まれた。

 ギルバートは、自分とラナの剣を拾いあげた。

 一瞬躊躇したが、ラナの水筒も拾い上げて、彼女の膝の上に置いた。

 ラナがロシュの胸から顔を離す

 俯いたままだ。

「終わった?」

 ラナが言った。

「ああ。」

 ギルバートが答える。

 ラナが水筒を抱きしめた。

「…痛かったわ。

 すごく痛かったのよ!」

 ラナの声が震えていた。

「…。」

 ギルバートに答える言葉がない。

 ラナの『みかわ糸』布が薄青のドレスに変わる。

「帰ろう…」

 ラナが続けた。

「皆で。」

 そして、ギルバートを見上げた。

「貴方もいっしょに。」

 水色の瞳から涙がこぼれた。


 ◇◇◇


 王都アミエの空は、突き抜けて青く広がっていた。

 ランバートは、報告書を一読し、丸めた。

「コルトレイ領はどうしている?」

「王立騎士団が治安維持と行政代行を行っております。」

 ヴェズレイ宰相がランバートの質問に答えた。

「ジェイドには迷惑かけるね、ローラン。」

「役目ですから。」

 ランバートは、正面に座る二人を見た。

 穏やかな笑みを浮かべる。

「ギルバートもラナ嬢も。」

 二人とも黙っている。

 ギルバートはいつもの黒、ラナは『みかわ糸』の薄青のドレス。

 ドレスの丈は床につくほど長くしている。

 水色の髪を高い所で一つに結び、青のリボンで留めている。

 エバンズ夫人が結いあげてくれた。

「バードンは残念だった。」

 ランバートが窓の外を見た。

「陛下、公式には『病いで亡くなった』となります。」

 ヴェズレイが言った。

 しばらくしてランバートは、また、正面の二人を見た。

「で、君たちの仲は?」

「…。」

 ギルバートが答えないので、ラナも答えない。

「ロシュの話じゃ、随分と仲良くなったって。」

「…。」

 また、ギルバートが答えないので、ラナも答えない。

「何か言ってくれてもいいのに。」

 ランバートが笑う。

「ラナ嬢、」

「はい?」

 ラナが返事する。

「私に仕える気はない?」

「は?」

 微笑みながらランバートが言った。

「部屋も用意してあげるよ。」

 宰相がぎょっとして王を見た。

 ギルバートも驚いてランバートを見た。

 王が部屋を用意するって…。

「部屋は大きいのですか?」

 ラナの方が質問を返す。

 ギルバートがラナを見た。

 意味が分かっているのか、この娘は。

「好きなだけ広い部屋を用意してあげるよ。」

 ラナが考える顔をした。

 ギルバートの方が焦ってきた。

「ご遠慮いたします。」

 ギルバートは、ラナの返事に、ほっとした。

「なぜ?」

「広い部屋は落ち着きませんので。

 狭い部屋の、騒々しい所の方が慣れています。」

 ラナが微笑んだ。

 ランバート王も微笑み返した。

「それは仕方ないね。

 でも、ラナ嬢、ギルバートのように役目は果たしてもらうよ。

 我が国の『水魔』を倒せるのは君だけだから。

 王都にとどまって、私の呼び出しに応じること。」

 ランバートが続けた。

「君が私の『王命』に従ってくれる代価に、ダーナクレア領への支援は続けてあげる。」

「…承知いたしました。

 陛下、」

「ん?」

「以前、陛下に『王様に対する無礼を帳消しにしてあげる』とお言葉をいただきました。

 それもまた、続けていただけますか?」

 ラナがランバートに言う。

「どうしようかなぁ…」

「陛下、子供の戯言につきあわないでください。」

 ギルバートが口をはさんだ。

「ふふ、叱られた。」

「陛下、」

 宰相がたしなめるように言う。

「今回は、痛い思いもさせたしね。

 じゃ、ラナにだけは許してあげようかな。」

「ありがとうございます!」

 と同時に『熔水剣(ようすいけん)』の切っ先がランバートに伸びた。

 間髪を入れずにギルバートの黒剣がラナの喉元に突き付けられる。

 二本の剣がそれぞれの紙一重のところで止まった。

 ランバートが溜息をつく。

「気を付けて。

 おでこに傷をつけると、アマリアに叱られるんだ。」

「何のつもりだ。」

 ギルバートがラナを詰問する。

「『勇者の血』、あきらめたわけではありません。

 私には、ダーナ・アビスとの約束もありますから。」

「ラナ!」ギルバートが責める。

 ラナの剣が水筒に戻った。

 ギルバートの黒剣も納められる。

「陛下、失礼いたしました。私の不覚です。」

 ギルバートが頭を下げる。

「ラナ、前にも言ったよね。

『君に私の血を流させることは許されない』。

 忘れないでね。

 まあ、ギルバートが全力で阻止してくれるけどね。」

 ランバートの声は楽しそうだった。


 ◇◇◇


 アミエの夜空に二つ月が浮かんでいる。

 昨日より、少し月同士が近くなっている。

 公爵家の庭園では、フィイが這いつくばって探し物をしている。

「フィイ?」

 彼を見つけてラナが声をかけた。

「ラナ様、

 あの子がいなくなってしまって。」

「あの子?」

「白い狼の。」

「あ、リルね。」

「リル?」

「リルって名前だって、あの子と一緒にいた狼が教えてくれたわ。」

「名前、あったんだ…」

「聞いてなかったの?」

 フィイが残念な顔をした。

「教えてもらっていませんでした。」

「はじめは、警戒するものだから。」

「でも、どこ行ったんでしょうね。」

 二人で庭園の奥へ進む。

 東屋の屋根が見えた。

 その下に、黒い長衣のギルバートが石造りの長椅子に右腕で片膝を抱え込んで座っていた。

だらりと垂らしている左手の周りを白い子狼が嗅ぎまわっていた。

「旦那様…、

 こら、旦那様の邪魔をしちゃだめだ。」

 フィイがリルを抱き上げた。

『おとうさんのにおいがする。』

『くろいのにおとうさんをかえしてもらうの!』

「リル、お父さんは帰ってこないの。」

 ラナがリルの頭を撫でた。

『おねえさん、わたしのなまえ…』

「アルフに教えてもらったの。」

『アルフ?』

「あなたのお父さんの名前。私がつけたのだけど。」

『おとうさん、アルフ…、

 かえってこないの?

 どこいったの?』

「生まれる前の場所だ…」

 ギルバートが答えた。

 彼が続ける。

「いつか、また会える…」

 ギルバートはフィイに顔をあげた。

「フィイ、夜も遅くなっている、お前も部屋に戻りなさい。」

 フィイは、一礼すると、リルを抱えて母屋に戻っていった。

「ラナ、君も、戻りなさい。」

 ラナがギルバートの前に立った。

「まだ、何かあるのか?」

 ラナは、顔を上に向けて二つ月を見た。

「もっと、叱られるかと思った。」

 ラナの言葉にギルバートはまた俯いた。

「陛下に剣を向けたから。」

「君とダーナ・アビス様との約束は私には関係ないことだ。」

「でも、ランバート様を害するなら、君でも斬る。」

 ラナに苦笑が浮かぶ。

「友達でも斬るものね。」

「…。」

「…嫌じゃないの?」

「…。」

「…辛くない?」

 ラナの問いにギルバートは答えない。

「…公爵様も大変ね。」

「…役目だ。」

 そしてまた、沈黙が続いた。

 ラナの方が口を開いた。

「あのね、明日、お屋敷を出ていきます。」

 ギルバートが顔を上げた。

「王都からは出るなと言われたけど、公爵様のところにいなさい、とは言われなかったし。

 街でね、働き口を探して、下宿も探そうと思っている。

 貴方に、薬材売りのお給金、いただいたし。」

「そんなにここが嫌なのか。」

「そんなことない。

 お屋敷は居心地いいわよ。」

「…。」

「言ったでしょ、狭い部屋の騒々しいのがいいって。」

「私は、ほとんど屋敷にいない。

 だったら、」

 ギルバートが言葉を止めた。

「失ってばかりだ…」小声だった。

「そんなことない。」ラナも小声で返す。

「…。」

「手を出して。」

「え?」

「早く!」

 ギルバートが左手を上げた。

「手のひら、見せて!」

 ラナに言われたように手のひらを上にする。

 ラナはスカートの襞の間から小さな包みを取り出した。

 新しい包み。

 包みの口を少し開ける。

 ラナはコンフェイトの粒を一つ取り出した。

 ギルバートの手に乗せる。

「これは、フィイの『あなたが大好き』の分。」

 二粒目を乗せる。

「これは、ロシュ様の『あなたを心配している』の分。」

 三粒目を乗せる。

「これは、私から。

『自分を好きになるための勇気』の分。」

「勇気?」

「そう。

 どんな『自分』でも自分が好きにならないとかわいそうよ。

 でもね、それには勇気がいるの。」

 ギルバートがコンフェイトを見つめた。

「食べて。」

「え?」

「私は食べられないんだから、かわりに食べて。」

 ギルバートは、言われるままコンフェイトを口に入れた。

 コリっと噛むと甘さがひろがる。

「甘いな。」

「そう、元気の出る、『甘い』の!」

「…」

 コンフェイトが口の中で溶けてなくなった。

「…落ち着いたら、フィイやエバンズ夫人に居場所を知らせてほしい。

 君のことを心配しているから。」

「もちろんよ。

 公爵様はお金持ちだから、いいお客さんになってもらわないと!」

 ラナが笑った。

 ギルバートもつられて少し笑みが浮かぶ。

「ラナ、一つだけ教えてくれないか。」

「はい?」

「君はどうして、私の名前を、呼んでくれないんだろうか?」

「え?」

「そんなに嫌われているのかな。

 酷い目にばかり合わせた…。」

 ギルバートが目を伏せる。

「え、ええとね。」

 ラナが困った顔をした。

 ギルバートが首を振った。

「変なことを言ってすまなかった、忘れてくれ。」

「それはね!

 昔、ダーナ河で鯉を捕まえたの。

 太らせて、食べるためにだけど。

 その中で、すごく細っこいのがいてね、太らせるためにいけすで飼っていたわ。

 その鯉にみんなで名前を付けたの。

『ギルバート』って。」

 ギルバートが驚いた顔をした。

「『ギルバート』っていうたびに鯉を思い出したら、公爵様に失礼でしょ。

 で、呼べなかった。」

「…その鯉は、どうなった? 

 食べたのか?」

 ラナがフフと笑った。

「情が移っちゃって、食べられなかったわ。

 それでダーナ河に返した。

 今頃、水魔になったかもよ。」

「食べられなくてよかったな。」呟く。

「ギルバート様、」

 ラナが彼の名前を呼んだ。

 ギルバートが顔を上げてラナを見る。

「いつも失ってばかりじゃないし。

 得るものもあるの。」

 ラナがギルバートにまた微笑みかけた。

「私は、こんな化け物になったとき、自分が怖かった。

 人じゃないもの。

 どうしていいのかわからないし、誰にもいえないし、独りぼっちで…。

 でも、貴方は…、

 ギルバート様に私は『人』だって言ってもらえました。

 化け物じゃなくて、『人』だって認めていただけました!」

「私は…」

「ギルバート様には、いっぱい助けていただきました。

 ありがとうございました。」

 ラナが頭を下げた。

「…おやすみなさい。」

 顔を上げないまま、ラナがドレスの裾を翻して走る様に母屋へ向かった。

 ギルバートはその姿を黙って見送った。

(助けられたのは、私だ…)

 そして、二つ月を見上げる。

「フィイと、ロシュと。

 そして、ラナ…。」

 ギルバートに微笑みが浮かんだ。


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