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第9話 合わさる流れ

 フィイは、顔をなめられて目を覚ました。

 白い子狼がフィイを見上げていた。

「あ、」

 顔を上げると窓から朝日が差し込んでいた。

 ギルバートは戻っていない。

「置いていかれちゃったね。」

『どうするの?』

 子狼も不安がる。

 フィイは、部屋を見回した。

 荷物は殆どない。

 なのに…

「旦那様、一番大事なものを忘れてる。」

 フィイは、苦笑いを浮かべて、ラナの水筒を肩にかけた。


 ◇◇◇


 朝一番の渡し船でロシュはコルトに着いた。

 船着き場界隈は店が開き、人々が行きかっている。

 昨日の水魔の騒ぎで、渡し船が半日欠航してしまい、到着が遅れた。

 ギルバートとフィイが心配だった。

 水魔はギルバートを狙っていたはずだ。

「王家の人間は河に殺される」のだから。

 ジョージズ公爵家は、王家に次ぐ高位貴族で、傍系だが『勇者の末裔』でもある。

(俺がついていけばよかったか…)

 ロシュは、雑踏の中で、栗色のしっぽを見つけた。

 思わず駆け出す。

 フィイは、道具屋の前で困った顔をしていた。

 道具屋の店先では、剣が売られていた。

 ラナの剣。

 背中に装備していたものだ。

「フィイ!」

 ロシュが弟子を背中から抱きしめた。

「こんなところで何やってる?

 ギルバート様は?」

「お師匠さま、く、苦しいです。」

「あ、ああ。」

 フィイを離す。

「旦那様は、行ってしまって。

 置いてきぼりにされました。」

 フィイがラナの水筒を担ぎ直した。

「でも、ラナ様の水筒を忘れて行かれて…」

「だめな奴だ。」

「はい。」

 フィイは店先の剣から目を離さない。

「お師匠さま、」

「ん?」

「ラナ様の剣が売られています。」

「え?」

 フィイが指をさした。小ぶりのストータの剣。

「そのなまくら、買うのかい?」

 店主が二人に声をかけた。

「見てくれがいいから買い取ったんだけどな、何も切れやしない。

 お飾りだよ。」

 ラナの剣には、銅貨五枚の札がついていた。

「嘘ですよね。」

 フィイが困った顔をする。

「旦那様が『道具屋』で買われたんですよ。」

 ロシュが笑った。

「剣もね、主を選ぶんだよ。」

 ロシュは自分の懐を探った。銅貨を六枚、手にしていた。

「お師匠さま?」

「親父、これで買う。」

 ロシュが親父の手に銅貨を六枚乗せた。

「売値は五枚だよ。」

「おまけは、これの売主を教えてもらう分。」

「銅貨一枚ぽっちで?」

「良心的な値段だと思うけどな。これでも俺は優しいんだよ。」

 ロシュが親父に顔を寄せた。

「盗品を売ってるって、王立騎士団に知られたらどうする?」

 親父の顔が青くなった。


 ◇◇◇


「お師匠さまは、時々、悪い人に見えます。」

 ロシュの鞍の前に乗せられたフィイが口を尖らせた。

「今は、余裕がないからね。」

 目の前に馬車が止まっていた。

 船着き場から少し離れた場所の宿屋の前だった。

「邪魔するよ。」

 ロシュは乱暴に宿屋の扉を開けた。

 フィイも小走りに後に続く。

 帳場の前の酒場のテーブルに昨日の男たちがいた。

「おや、」

「ああ、どうも。

 おかげで、いい商売ができたよ。」

「そりゃ、良かった。」

「で、一つ教えてもらいたいんだが、」

 ロシュは男のテーブルにラナの剣を突き立てた。

「この剣の持ち主をどこに連れてった?」

「…。」

「早く答えろ。」

 周りの男たちが立ち上がる。

「言うとでも?」

「ああ、しゃべりたくなるさ。」

 ロシュを襲おうと背後の男が剣を抜いた。

 フィイがその男の膝裏を蹴った。

 男が姿勢を崩されて転ぶ。

「この~!」

 一斉に男たちがロシュとフィイに襲いかかった。

 フィイはラナの水筒を振り回して男たちを遠ざけた。

 その連中も後から入ってきた男に、簡単に殴られ蹴られて倒れこむ。

「ロシュ、早くしてくれ。」

 ジェイドが上着の裾を直し、手袋を着け直しながら、面倒くさそうに言った。

 ロシュはラナの剣を引き抜くと、男に突き付けた。

「俺は優しいんだ。

 王立騎士団みたいに、しゃべるまで、鼻をそいだり、耳を切り取ったり、そんなことして待つ気はない。

 言え。」

 ロシュの凄味に男が震えあがる。

「コ、コルトレイの城だ。南斜面の不浄門からいつも入る。

 あ、『青の娘』を連れて行けば、中へ通してもらえる。」

「ち、」ロシュが舌打ちする。

「『青の娘』って、どうします?」

 フィイが尋ねた。

「フィイ、化けてもらうぞ。」

 フィイが苦笑いする。

 フィイの懐から子狼が飛び降りた。

「ダメだよ!」

『あおのむすめって、おねえさんみたいになればいい?』

「え、」フィイが子狼を見た。

 子狼は数回しっぽを振ると、キラキラ光って形を変えた。

 ラナの姿だ。

「え、そんなことできるの?」フィイが目を丸くする。

「化けるのは、狐の仕事だと思ってた。狼がやるのか!?」

 ロシュもあんぐりする。

 ジェイドが大きくため息をついて、言った。

「下手くそ。しっぽが見えてる。」

 ラナに化けた子狼が口を尖らせた。

 元の姿に戻って、フィイの懐に潜り込む。

 ジェイドはこみ上げてきた笑いを我慢できなくなっていた。

「ロシュ、言っておくが、王立騎士団は、鼻をそいだり、耳を切り取ったり、そんな目立つことはしない。

 小指の骨を砕いたり、口の中に焼きゴテを当てたりするんだ。」

 ジェイドは笑いながら、自慢げに訂正してくれた。

「それじゃ、しゃべれないだろう。」

 ロシュが呟く。

「急げ。」

 ジェイドが真顔で命じる。

 ロシュが頷く。

「フィイ、行くぞ。」

「はい!」


 ◇◇◇


 ラナは、身体をゆすられて目を覚ました。

 思わず、飛び起きる。

 長椅子の上だった。

 押さえつけられていた喉が痛い。

「お姉さん、大丈夫?」

 ラナをゆすっていたのは、五、六歳ぐらいの女の子だった。

「お姉さん、どこから来たの?」

 辺りを見回してみる。立派な調度品がおかれている。

 ダーナクレア辺境伯の家より、はるかに立派な貴族の部屋だ。

 女の子が不思議そうにラナの顔を見上げた。

 赤毛で青い瞳の女の子。

 着ているのはフリルのたくさんついたピンクのドレス。

「お姉さん、水色の人?」

 子供の手がラナの髪を触った。

 ラナは、しゃべろうとしたがせき込んでしまった。

「慌てないで。」

 静かな男の声だった。

 ラナのせき込みが収まらず、俯いてしまう。

 彼女の顔のところに細かい飾りの入っているグラスが差し出された。

「水です。お飲みなさい。」

 優しい声だった。

 グラスを受け取り、顔を上げる。

 女の子と同じ赤毛の男だった。少し白髪がある。

 丈の長いジャケットを羽織っていて、中の白のシャツにクラバットもきちんと締められている。

 黒一色の彼とは大違いだ。

 男は微笑んでいた。優しい印象。

 ラナはゆっくりグラスの水を飲んだ。

 やっと、落ち着けそうだ。

 一度、グラスを離し、大きく深呼吸をした。

 泉に落ちてから、初めて、ほっとした。

 そして、グラスの水を飲みほした。

 赤毛の男が笑みを浮かべた。

「おかわりがいるかね?」

「い、いえ、ありがとうございました!」

 やっと、声が出た。話せるようだ。

「も、申し訳ありません。私、なにか失礼を!」

「気が付いてよかった。」

 二人が微笑んでラナを見ていた。

(そうだ、首を絞められて!)

「えっと、ここは?」

 ラナが訊ねた。

「私がどうしてここにいるのか、わかっていないのです。」

 ラナが男を見上げた。

 彼女のとても、澄んだ水色の瞳。

 その瞳を見て、赤毛の男が言った。

「連れてこられたのだね。

 君は、『水色の娘』さんだ。」

 男が黙った。

 それから俯いて言った。

「すまない…」

 さっきの女の子が男に抱きついた。

「お名前をお聞きしてよろしいですか?

 私は、ラナ=クレアといいます。」

「バードン・コルト。この子は娘のコニー。」

「コルトさま? コルトレイ伯爵様ですか!」

 バードンが頷いた。

「私達は、ここに軟禁されています。」

「貴女も先ほど、連れてこられたのですよ。」

「誰が、あなた方を軟禁したのです?」

「『ダーナの娘』と名乗っています。」

(あら、あのおばさんに娘がいたかしら。)

 バードンは、コニーを抱いて、椅子に座った。

 ラナも長椅子に座りなおす。

「話を聞かせてください。」

「え、」

「ダーナ・アビスに関することなら、お力になれるかもしれません。」

 バードンが怪訝な顔をしたが、ラナの瞳に話し始めた。

「始まりは、三か月ほど前。

 河のそばで彼女が倒れているのを見つけたのです。

 コルトには船着き場がありますから、見回りも欠かせません。

 珍しい青い髪の女性でした。

 どこの人かわからず、当家に預かりとなったのです。」

「スエレンのこと?」

 コニーが父親に尋ねた。

「そうだよ。」

 バードンは娘に答えると再びラナの方を向いた。

「思い出した名前は、スエレンだと教えてくれました。

 そのころ、コルトの対岸で、人の肌が黒くなってしまう奇病が流行りはじめたのです。」

「疫病の…」

 バードンが頷いて続ける。

「コルトと対岸のダリスは、頻繁な行き来があります。

 コルトで発症者が出るのもじきでした。

 当家も使用人たちが街に出るので、彼らの中にも感染者が出ました。

 そして、そこからコニーも。」

 ラナが不思議そうにコニーを見る。

 コニーは色白で、とても肌の黒くなる病にかかったとは見えない。

「スエレンは、一生懸命、コニーの看護をしてくれました。

 とても彼女に感謝しました。

 でも、コニーの病状はなかなか良くならず、医者にも覚悟をするようにと言われたのです。」

「でも、コニーは…」

 ラナが元気そうなコニーを見る。

「手の尽くしようがないと言われたときにスエレンに言われたのです。

『私はダーナ・アビスの娘です。

 娘さんを助けたら、女主人にしてくれますか。』と。」

「伯爵様…」

「妻を亡くして時間が経っていましたので、この城に『女主人』はいませんでした。」

「コニーが助かるなら、良かったのです。」

 その一言はとても力強く聞こえた。

「申し出を受けました。

 スエレンは、自分の青い髪から薬を作り、コニーに与えてくれました。」

「わたし、治ったの。」

 コニーがにっこり笑った。

「医者たちも驚きました。」

(でしょうね…)

「私は、領民たちのためにも薬を作ってほしいとスエレンに頼みました。

 すると、彼女は薬を作るのに、『青い娘』の力が必要だと言ったのです。」

「そのために、急遽、身体に青いものを持つ娘を領内から集めました。

 青い瞳や痣ある娘たちです。

 皆、スエレンの侍女になったのですが、いつの間にか、侍女の数が減って…。

 領内だけでは足りず、隣領からも来てもらいました。

 それでも、足りなくなって、スエレンは街道を行く馬車から『青い娘』をさらってくるようになってしまったのです。」

「…。」

「止めようとしたときには遅く、城の大半が彼女の手のものになり、私たちはこのように軟禁されているのです。」

 バードンは、コニーを抱きしめた。

「…それで、国王陛下へ知らせることも出来なかったのですか?」

 ラナが訊ねた。

「え? 陛下?」

「はい。

 国王陛下はご心配され、公爵様を伯爵様のもとに行かせるとおっしゃっていました。」

「公爵…」バードンは口のなかで唱えた。

「公爵様は近くまで来ています。

 もうコルトに入っていると思います。」

「なぜ、貴女がそれを?」

「陛下の命で、公爵様とここにくるはずだったんです。」

「…。」

「いろいろあって、私だけ先に来てしまいました。」

 ラナは、少し情けなく笑った。

 そして、コルトレイ伯爵とコニーの顔を見た。

「ここを出ましょう!」


 ◇◇◇


「『青い娘』を連れてきた。」

 深くフードをかぶったロシュは低い声で門番に言った。

 門番の一人が荷馬車の幌をまくって中を見た。

 青い髪の娘が二人、座っていた。

 顔までマントを引き上げて、青い髪しか見えない。

「通れ。左の入り口だ。」

 ロシュは、頭を下げると荷馬車を左の建物へ向けた。

 入り口に停めると、扉が開いて中から使用人の男が出てきた。

「娘を受け取ろう。」

 ロシュは馬車から降りると後ろの幌を上げた。

 使用人の男が中の二人に手を伸ばす。

 そのみぞおちに一発、拳を入れる。

 男が地面に落ちる前に抱え、荷馬車に乗せた。

「降りてこい。」

 フィイは、青い布を取った。

 もう一人は、子狼が化けたラナだ。しっぽが残っていたが。

 二人と一匹が建物に入る。

 薄暗い厩舎のような建物だった。

『いやなにおい!』

 子狼がむくれて言った。

「たしかにいい感じじゃないな。」

 奥に行くにつれて、暗くなる。

 獣の匂いがしてきた。

(この奥は、穢れている…?)

 ロシュが立ち止まった。

 彼は手にしていたラナの剣をフィイの胴のベルトに差し込んだ。

「お師匠さま?」

「フィイ、そのちっちゃいのとラナ嬢を探せ。

 別の建物にいるだろう。この先はだめだ。」

 ロシュの表情が曇る。

「ちっちゃいの、ラナ嬢の匂いがたどれるか?」

「ラナ様の匂い、わかる?」

 フィイが子狼に尋ねる。

『わかる。

 おねえさん、きれいなおみずのにおいがするの。』

「わかるそうです。」

「じゃ、ラナ嬢を探せ。」

 ロシュは、フィイの担いでいるラナの水筒を一つ叩いた。

「きっと、これも見つけてくれる。」

「はい!」

 フィイは、子狼と別の廊下へ走り出した。

「さて、この奥には何がいるのかな?」

 ロシュは自分の剣を抜いた。

 両手で握ると剣に念を込める。

 剣に薄紫の光が灯る。

 奥の暗闇から、赤い双眸が複数現れた。

 元の獣の姿もない、異形の物だ。

 突進してきた魔獣をロシュは二つに切り裂いた。

「相変わらず、お見事な太刀さばきでございます。」

 ロシュが声の主に笑った。

 暗がりの中で灰色のアマクは魔獣の首を落としてロシュに会釈した。

「お前に褒めてもらえると、嬉しいかな。」

 アマクは背後に立った魔獣の眉間をひと突きにした。魔獣が倒れる。

「この数は…、

 伯爵は、何をやっていたんだ?」

「獣に魔毒を与え、人を食べさせて、魔獣を作っていたようです。

 調教もされています。」

 アマクは、魔獣の首を持ち上げた。

 その口に青い瞳の目玉が入っていた。

 ロシュが目を背ける。

「お前がいるということは、ギルバート様も城に?」

「そろそろ、伯爵とお会いになる頃です。」

 会話をしながらも二人は魔獣を切り捨てていく。

「王宮に出たという魔獣と同じものなのか。」

「おそらく。これはまだ使えませんが。」

「切り捨てるのも、嫌になってきたな。」

「燃やしますか?」

「…まだダメだ。

 ギルバート様もラナ嬢もどこにいるのかわからないからな。」

「では、もう少し、頑張ってくださいませ。」

 アマクは涼しげにロシュに笑いかけた。


 ◇◇◇


 ギルバートは、コルトレイ城の門番に王家の紋章の入った書簡筒を見せた。

 この書簡筒は無条件で通行を命じるものだ。

 拒めば、「謀反」を起こしたとして、王国騎士団のいずれかを相手にしなければならない。

 ランバートの即位以来、最も厳しく守られている命令の一つだ。

 門番は、馬車もなく供もない、この黒い騎士に困惑しつつ、城へ通した。

 コルトレイ城は、ダーナ河のそばに建ち、河側に高い尖塔を持っていた。

 ギルバートは、尖塔を見上げた。

 かつては、この塔から索敵していたこともある。

 数少ない味方でランバートの信頼も厚かったのに、今はそれを疑わなければならない。

『魔物だったら、斬ってしまって。』

 そうならないことを願いたい。

 召使いが彼を促した。

 中央の大きな階段を上る。

 左の腕輪が震えた。

 以前とは比べ物にならないくらい城が暗い。

 召使いたちの姿もほとんど見ない。

 腕輪がくるくるとまわり始める。

 手で押さえるが、おさまらない。

 前を行く召使いも顔色が悪く、俯いたままだ。

「伯爵はどちらに?」

 ギルバートが声をかけてみる。

 案内の召使いは、黙って長い廊下を歩き、突き当りの扉を押し開けた。

 確かここは、応接間だ。大きなテーブルがあったはず。

 前と同じ部屋のままだが、伯爵の姿はない。

「中へどうぞ。」

「伯爵がいないが?」

「じき、おいでになります。

 中でお待ちください。」

「それはできない。」

 ギルバートが振り返った。

 召使いは赤い目をしていた。

 人の姿はしているが、違うものだ。

 左の腕輪が激しく回る。

 腕を振って黒剣に変えた。

 魔物が黒剣を見てギルバートに飛びかかる。

 その胸をめがけて、黒剣を突き上げる。

 魔物の姿が四散した。

 ギルバートは、見知った城の中を走り出した。


 ◇◇◇


 ラナは、扉から顔を出して左右を見た。

 見張りがたっている様子はない。

「見張りは、いないようです。」

 ラナは伯爵に尋ねた。

「これだけのお城なら、隠し通路とかないのですか?」

「ここはダーナ河沿いの尖塔の中です。

 尖塔の中には隠し通路はありません。

 外に出る通路までは、塔を降りる必要があります。」

 バードンが首を振った。

「見張りはいませんが、私たちが部屋を出ると魔獣をけしかけてくるのです。」

「…。」

 武器になるようなものが何かないかと、ラナは部屋を見渡した。

 飾りの武器や防具もない部屋だ。

(仕方ないわね。)

「伯爵様、この壺はお高いのですか?」

 ラナは、床に置かれた大きな壺を指さした。中は空だ。

「わからないな。」

 バードンが困惑顔で答えた。

「価値あるものでしたら、申し訳ありません。

 弁償は、公爵に言ってください。」

 ラナは、二人に背を向けると壺を少し持ち上げて、床に落とした。

 鈍い音がして壺にひびが入る。

 それを何度か繰り返すと、壺がいくつかの破片に分かれた。

 一番大きな破片を拾い上げる。

 別の破片とこすり合わせて、鋭い先を作った。

「どうするのです?」

 心配そうにバードンが言う。

「下におりましょう。

 公爵様が来てくれるはずです。

 助けてもらえます!」

 バードンはラナの勢いに押されて頷いてしまった。

(公爵が私たちを助ける?)

 ラナが先に立ち、三人が外に出た。


 ◇◇◇


 ギルバートは尖塔の階下に来ていた。

 尖塔の中腹辺りが伯爵の私室のはずだった。

 表の執務室にいないなら、私室へ行くしかない。

 階上で何かの割れる音がした。

 尖塔の吹き抜けに音が響く。

「誰かいるのか。」

 彼が尖塔を駆けあがり始めた。

 階下から響く足音に、ラナは壺の破片を構えた。

(魔獣がくる?)

 下りの階段の広い踊り場で、足をとめた。

 ちょうど隣の棟との渡り廊下の広見だ。

「どこへ行くというの?」

 青い髪の女が立っていた。

 ダーナと同じ姿の女。

「おばさんには関係ないでしょ!」

 ラナが陶器の破片を構える。

「お前は私のものだと言ったじゃない!」

 女の目が吊り上がった。

 女の手が伸びる。

「二度目はないのよ!」

 そう言うとラナは陶器の破片で女の腕を斬った。

 切り口から水が滴る。

(この女も私と一緒!?)

 それでも女の腕が伸びて、ラナの首にかかる。

 また締め上げられる。

「二度目はないんじゃなかったの。」

 女が笑いながら言う。

(水筒があれば!)

 右手が宙に伸ばされる。

(私の『熔水剣(ようすいけん)』!)

 ラナは、虹の道が自分に伸びてきたのが見えた。

 その先に、期待の物がある。

「ラナ様!」

 遠くにフィイの声が聞こえる。

 フィイの声の方から虹の道が伸びている。

熔水剣(ようすいけん)』は虹の先端から主の手に着地した。

 ラナはそれを握ると女の脇腹を薙いだ。

「ぎゃーっ!」

 女が悲鳴を上げて床に転がった。

 脇腹が溶けだしている。

 息を整えるのにラナが膝をついた。

「伯爵、その娘を捕まえて!」

 女が叫んだ。

「え、」

 ラナは、背後からバードンに羽交い絞めにされた。

熔水剣(ようすいけん)』が床に落ちる。

「伯爵様!」ラナが叫ぶ。

「スエレンの言うことに逆らえない。」

「ラナ様!」

 ラナの剣を構えて走ってきたフィイが立ち止まる。

「フィイ、来ちゃダメ!」

 脇腹を溶かしながら立ち上がった女がコニーを掴むとフィイに投げつけた。

「コニー!

 フィイ!」

 コニーを抱きとめてフィイが転ぶ。

 懐から白い子狼が転がりだす。

 スエレンはフィイの襟をつかむと顔を引きあげた。

 フィイの口に手を突っ込む。

「んぐっ!」

 フィイの顔が蒼白になり、目が大きく開いた。

「『みかわ糸』を脱ぎなさい!

 でないと、この子が溺れ死ぬわ!」

「フィイ!」

 フィイが気絶している。水が身体を埋めていく。

 子狼も女の足に噛みつくが役に立たない。

 足で蹴り飛ばされてしまう。

「もう死ぬわよ。」

「フィイ!」

 ラナがうな垂れた。

 と同時に、薄青のドレスが『みかわ糸』の布に戻り、ラナの足元に落ちた。

 彼女は、白の肌着姿だ。

 スエレンは、フィイを床に投げ捨てた。

 フィイの口から水が流れ出た。

 ラナの胸に女の腕が伸びる。

「お前の身体だけが、なぜ河から遠く離れても崩れない?

 ダーナの泡は、河から離れると形が無くなる!

 同じダーナの泡から生まれているのに!

 何故、お前だけが!

 その身体をよこせ!」

 スエレンの手がラナの胸に触れる瞬間、彼女の顔面を銀色の刀身が貫いた。

 そのまま壁に串刺しになる。

 その銀色の剣は…

 伯爵の羽交い絞めが緩み、ラナは床に落ちた。

 彼女が振り返る。

 自身の剣を投げつけたギルバートが立っていた。

「来るのが遅い!」

 ラナがギルバートに叫ぶと、黒の騎士は酷く困惑した表情を浮かべた。


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