6.世間の評価
ハロルドにエスコートをされながら、ローゼリアが連れられたのは王城内の中庭にある四阿だった。
そこにはすでに椅子とテーブル、そしてティーセットが準備されており、二人の侍女と一人の護衛が空気のように控えている。
その状態に少しだけローゼリアは、戸惑う様子を見せた。
「ハロルド殿下……」
「ただ釣り書を眺めるだけよりもこの方が、あなたも色々と聞きづらい質問がしやすいかと思ったのだが……。余計な配慮だっただろうか?」
「い、いえ。お気遣い、大変痛み入ります」
ハロルドを不安にさせるような反応をしてしまったと感じたローゼリアは、慌てて笑みを浮かべ直した。
しかし、表情の乏しいローゼリアの笑みは、冷笑と誤解されやすい。
どうして先程のシャーリーのような柔らかく温か味のある笑みを浮かべられないのだろうかと、自身の表情筋の乏しさが悔やまれた。
だがそんなローゼリアの様子に気付かないハロルドは、ふわりと笑みを返しながらスッと片手をあげる。すると側に控えている侍女二人が、静かにお茶の準備をし始めた。
「今回あなたに紹介する縁談候補は、かなり自信を持ってお勧め出来る貴公子達なのだが……ご検討頂けるだろうか?」
まるで悪戯を企む子供のような笑みを浮かべてきたハロルドの表情に一瞬だけローゼリアの心が跳ね上がる。何故かここ最近、ハロルドがふとした瞬間に新たに見せる表情に動揺してしまう事が多いのだ。
だが、幸いな事にローゼリアは対王族用の教育を受ける以前から、あまり表情が豊かな方ではなかったので、その動揺はハロルドに気付かれていないようだ。この時ばかりは、自分の表情が乏しい事に安堵した。
「ハロルド殿下、お手数をお掛けしてしまい、申し訳ございません。是非、拝見させて頂きます」
感謝の気持ちを伝えると共にローゼリアは、ハロルドがテーブルの上に並べた三つの黒革のファイルの一つを手に取って、ゆっくりと開いた。
すると釣り書と共に気品ある容姿の貴公子風な男性の姿絵が現れる。
姿絵から察するに見た目の年齢は20代半ばくらいだろうと推測したローゼリアだが、ファイルに挟んであった釣り書を取り出し、詳細を確認してみると、そこにはローゼリアよりも一回り以上離れた年齢が記載されていた。
思わずハロルドに視線を向けると、何とも言えない苦笑を返される。
「彼は身持ちも良く、領民から絶大な支持を得ている素晴らしい人柄の伯爵だ。領地も王都から近い上に陛下からの信頼も厚い。だが、その……年齢的にはローゼリア嬢より、かなり年が上なのだが……」
何ともバツが悪そうに口ごもるハロルドの様子から、ローゼリアがある事を推測した。
「後妻……という事でしょうか」
「いや、そういう訳ではない。ただ、その……こちらの伯爵は……」
「ルーゼント伯爵のお噂は、当時まだ幼かったわたくしも伺った事がございます。確か……ご婚約者様が、使用人と駆け落ちをされ、その後伯爵はずっと独身を貫いていると……」
「その、隠すつもりはなかったのだが……。だ、だが、彼は本当に非の打ちどころがない程、素晴らしい貴公子であり、年上故の包容力もあるので、ローゼリア嬢も安心して嫁ぐ事が出来るかと……」
必死で言い繕うハロルドの様子から、更にローゼリアはある事に気付いてしまった。今回、ハロルドが用意しくれた婚約者候補達は、彼自身が選定した相手ではないという事に……。
恐らく今回は国王が選定し、それをローゼリアに勧めるようハロルドに託したのだろう。
その結論に至ってしまったローゼリアの様子に気付いたハロルドが、何故か盛大に息を吐いた。
「本当に申し訳ない……。今回紹介させて頂く婚約者候補は、全て王家の思惑……主に父の意向が強い有力貴族達ばかりだ……」
「陛下のご意向……ですか」
表情は崩さず、声音のみ落胆の色合いを少しだけ乗せてしまったローゼリアの反応にハロルドが慌て出す。
「た、確かに父の意向が濃厚に入ってしまってはいるが、あなたはしっかりと断って頂いて構わない! そもそも今回の候補者達を紹介する事は、私は全く乗り気ではなかった! だが、父からは断られる事を前提とし、可能性の一つとして一度だけ打診して欲しいと押し切られてしまって……」
「ハロルド殿下、もしやこちらの候補者の方々は、わたくしのような曰く付きの令嬢を快く妻にと望んでくださった方々ではございませんか?」
「………………」
ローゼリアの言葉に何故かハロルドが、唇を軽く噛みしめ俯いてしまった。
今回ハロルドが持ち込んで来た婚約者候補の男性達は、確かに年齢的にはローゼリアよりも一回りも上の人物ばかりで、一見曰く付きのように感じてしまう人物ばかりだ。
しかし、実際は領地管理を真剣に取り組み過ぎて、婚期を逃してしまった国王お気に入りの人物ばかりで、かなり有力な貴族男性達なのだ。
爵位は伯爵以上で、しかも一人は現侯爵までいる。
それに加え、内面だけでなく外見面でも社交界では美丈夫と囁かれている男性ばかりだ。彼らに狙いを定めている令嬢達は、かなり存在している。
だが、社交界では彼らの事を婚期を逃した貴族と言う者がいるのも事実だ。
いくら彼らが世間的に評価が高く、地位や名誉があり、女性から人気が高い有力貴族と言っても、自身の息子の失態にかなり腹を立てている国王が、売れ残り気味な貴族男性を謝罪対象であるローゼリアに嬉々として、婚約者に勧めてくるとは思えない。
そう考えると、今回婚約者候補と紹介された男性達は、彼らの方からローゼリアとの縁談を希望し、国王に打診を依頼した可能性が高い。
その事に気付いたローゼリアは、内心驚いてしまう。
「わたくしのような令嬢が、世間的に素晴らしい評価を受けられている殿方から望まれる等、光栄な事でございます」
ローゼリアのその呟きを聞いたハロルドは、ガタンを椅子を後ろに倒しそうな勢いで立ち上がった。
「そのようにご自身を卑下するような物言いをなさるのは、控えらえた方がいい! あなたはそれだけ、世間的に有能と囁かれている男性達が自ら望む程、評価の高いご令嬢だ!」
「ですが、わたくしは自身の婚約者であったフィオルド殿下を支えるどころか、追いつめる様な接し方をしてしまいました……」
「あれはあなたではなく、愚弟の方に大いに問題がある! 世間もその事をよく理解しているからこそ、あなたを望む声が後を絶たな――っ!」
急に声を張り上げたハロルドだが、何故か最後の方は口ごもるように急に口を閉ざしてしまった。
まるで思わず失言しかけた事に気付き、押し黙ってしまったような状態だ。
その中途半端なハロルドのフォロー的な言葉に対して、ローゼリアは怪訝な表情を浮かべながら、抱いてしまった疑問を口にする。
「後を絶たない……? それは一体、どういう事でしょうか?」
ローゼリアの質問にハロルドはガクリと肩を落とし、ゆっくりと力なく椅子に腰を下ろした。
「あなた自身は、今回私の愚弟のしでかした失態により、世間的に評価を落してしまったと感じているようだが……実際は逆なのだ。その証拠に愚弟があのような事を起こした事で、その婚約が解消された今、あなたとの婚約を望む声が、私と父の元に多く寄せられている」
そのハロルドの返答にローゼリアが大きく瞳を見開く。
「で、ですが! わたくしはあのように公然の場で、王家より婚約破棄をされかけた身なのですが」
「遅かれ早かれフィオのバカがそういう愚行に走る事は、周りも容易に予測していたのだろう……。そして実際にその状況が訪れたと同時に皆、一斉にあなたを射止めようと動き出したという感じだ」
「動き出したなど! わたくしのような冷たい印象しか持たない表情のない人間を求める奇特な殿方が、そうそういるとは思えないのですが……」
心底驚いている様子のローゼリアをチラリと一瞥したハロルドは、今日一番の盛大なため息をつく。
「あなたは、とても自己評価が低いのだな……」
「自己評価が低いのではなく、わたくしの世間的評価が低い事が事実なのです!」
今度はローゼリアが思わず腰を僅かに浮かせ、席を立つ。
だがすぐにその行動が、はしたない事だと気付き、俯きながらゆっくりと再び椅子に腰を下ろした。
「大変、失礼いたしました……」
「構わない。だが、もう少しあたなは世間から受ける自身の評価を自覚された方がいい」
「そう言われましても……。わたくしの社交界での評価は、冷たい印象の氷のような令嬢と言う認識では……」
「確かにあなたに冷たい印象を抱いている人間は多いとは思うが……。それならば何故、皆あなたの事を『氷の青薔薇姫』と称えるように呼ぶのだ?」
「こ、氷の青薔薇姫!? わ、わたくしは陰でそのような恥ずかしい呼び名を付けられているのですか!?」
「まさか……ご存知なかったのか?」
今度はハロルドが盛大に目を見開き驚く。
その反応に急にローゼリアは恥ずかしくなり、コクリと頷いた後、そのまま俯いてしまった。厳しい王族教育に必死で取り組んでいたローゼリアは、一部の年の近い令息令嬢の評価は感じ取れても、社交界全体から自身がどのように見られているか、自覚する余裕などなかったのだ。
周りの様子を気にする余裕がない程、必死に王族教育を受けていた自分自身を認識したローゼリアは、周りの視線に無頓着になり過ぎていた事を今更ながら自覚した。そんなローゼリアの反応に何故かハロルドが目を細めながら、労わるように視線を向け、苦笑する。
「どうやらあなたは世間の評価とは違い、かなり箱入りのご令嬢のようだな。これではますます私が、あなたの新たな婚約者候補を厳選した方が良さそうだ」
「え……?」
「ご自身の魅力をあまり自覚されていないあなたでは、変な輩に引っ掛かりそうで危うい。流石にマイスハント伯爵と、ご長男であるクライツ殿がそのような輩をあなたに近づけさせないとは思うが……。あなたの場合、政略的な意味合いだけでなく、あなた自身の人間性部分で多くの人を惹きつけてしまう魅力をお持ちだ。その場合、爵位が上の相手から強引に婚約話を持ち掛けられる可能性も高い。そうなれば条件がそぐわない場合でも容易に断る事が難しい状況になるだろう。ならばこのまま私が、あなたの婚約者選びに関与している事をアピールしておいた方が得策ではある」
そう言って、ハロルドは目の前にある紅茶を一口に含む。
相変わらず優雅に紅茶を嗜む姿に一瞬見惚れてしまったローゼリアだが、今の言葉でかなりハロルドに気遣われている事に気付き、慌てて我に返る。
「帰国したばかりの殿下のお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ございません。そしてそのようなお気遣いを頂き、何とお礼を申し上げたら……」
「気にされなくいい。私が勝手にあなたの力になりたいと動いているだけだ」
柔らかい笑みを浮かべながら、そう答えたハロルドは、先程自身が並べたテーブルの上の婚約者候補の資料が入ったファイルをサッとまとめ、空気のように気配を消して控えていた護衛に手渡した。
「あの、ハロルド殿下?」
「申し訳ないが、今回の紹介は無かった事にして頂こう。もちろん、あなたがこの三名で気になる人物がいたというのであれば別だが……。本日紹介しようとした相手は全員素晴らしい候補者ばかりだが、全て父の政略的な意向が強い人物ばかりなので、私としてはあまりお勧めはしたくはない。あなたをお呼びだてする前に私から父にしっかりと、釘を刺しておくべきだったが………。こちらの候補者の方々より、かなり熱心にあなたとの婚約を打診して欲しいとの話を受けた父にどうしてもと言われ、私も断れなかった……」
ハロルドが両眉をやや下げながら、申し訳なさそうに苦笑していると、二週間前にハロルドと一緒にマイスハント家にやって来た側近らしき青年が、護衛から釣り書の入った黒革のファイルを受け取り、素早く下がって行った。
その様子を茫然として見つめていたローゼリアだが、その事で今回登城した目的が無くなってしまった事に気付く。
「殿下、その……」
「良き婚約者候補を紹介したいとお呼びだてしたが、とんだ無駄足で終わらせてしまって非常に申し訳ない……。ならばせめて本日は、王家自慢のパティシエが手がけたスイーツを堪能して頂きたい。茶の相手が無骨で気の利いた言葉が、なかなか言い出せない私というのは申し訳ないが……」
「そ、そのような事は! むしろ第二王子殿下におもてなし頂くなど、身に余る事でございます」
「では本日は、是非私との茶を楽しんで行ってくれ。後日、本当の意味で私が自信を持ってお勧め出来る婚約者候補を紹介させて頂こう」
「はい……。どうぞ宜しくお願い致します」
急遽、第二王子に接待して貰う状況で過ごす事になったローゼリアだが……。ハロルドが最後に口にした言葉に何故か、胸の奥がギュッと詰まる感覚を覚える。ハロルドにとってローゼリアに良縁となる婚約者候補を紹介する事は、弟の失態を償う為の謝罪的行為という認識なのだ。
それが何故かローゼリアの心をざわつかせる。
その理由に薄々気付き始めた自分に対して、ローゼリアは心の中で落胆するようにため息をついた。
この時、自分がハロルドに対して、どういう感情を抱いているのか……。
それを敢えて自覚しないようにローゼリアは、貴重な第二王子とのお茶の時間を楽しむ事で、必死に自分自身の気持ちを誤魔化す事に徹した。