5.諦めの悪い第三王子
王妃の言葉にローゼリアは思わずシャーリーの方にバッと視線を向けた。
するとシャーリーが暗い表情で控え目に俯く。
「アフェンドラ王妃殿下……。その、どういう事でしょうか……?」
やや茫然とした口調でローゼリアが問うと、王妃が盛大に息を吐く。
「フィオが今、王弟でもあるエレムルス侯爵の元で精神面を鍛える為に再教育を受けている事はご存知かしら?」
「はい。兄がそのような事を申していたので……」
「フィオに関しては陛下がかなりご立腹で……。成人するまでの二年間は、エレムルス侯爵の元で徹底的に精神の未熟さを克服させるおつもりなの。でも、あの子は無駄に変な方向へと努力する事が得意と言うか、打たれ強いというか……」
王妃が落胆しながら言葉を濁す様子にローゼリアは、何となく察してしまう。幼い頃からフィオルドが優秀な兄二人の存在で、かなりコンプレックスを抱えている事は有名だ。
だが、そんな状況でもフィオルドが、王子教育を投げ出す事はなかった。
その事で不貞腐れたりする事はあっても、少しでも優秀な兄二人に近づけるように陰ながら努力する事には貪欲だったからだ。
長兄でもある王太子リカルドのように一つの事から十をも理解する先見の目や頭の回転の早さ、次兄ハロルドのようにずば抜けた戦闘センスと状況分析力等は、一般的な基準と比較すれば『天賦の才』と呼ばれる素質なので、いくら凡人が努力を重ねてもそう簡単に習得出来るものではない。
だがフィオルドは、そんな特別な兄達の才能も努力を重ねれば、自分も習得出来ると幼い事から信じて疑わなかった。
しかし現実はそこまで甘くはない……。
どんなにフィオルドが努力しても二人の兄が持つその才能は、フィオルドの中には存在していなかった。
だが、そんなフィオルドにも兄達に引けを取らない『天賦の才』があったのだ。
それが『諦めの悪さ』と『執着にも近い努力家』という部分だ。
そんなフィオルドの才能の存在を幼少期から共に対王族用の教育を受けてきたローゼリアは、よく知っていた。
だが、先程の王妃の口ぶりからでは、どうやらそのフィオルドの『天賦の才』は現在あまりよろしくない方向に作用している様子だ。
その事に薄々勘づいてしまったローゼリアに王妃が目ざとく気付く。
そして心底困ったような笑みを送って来た。
「本来エレムルス侯爵家で行われている騎士達の鍛錬は、どんなに体力に自信がある騎士でも、その過酷さ故に鍛錬以外の時間は死んだように眠る日々を過ごすといわれているわ。でもフィオの場合は……」
そこで言葉を一度切った王妃が、チラリとシャーリーへと視線を送る。
それを合図にシャーリーが、ゆっくりと顔を上げて口を開く。
「必ず毎週末にフィオルド殿下より分厚いお手紙が届くのです……」
そのシャーリーの告白にローゼリアは「やはり……」と思ってしまった。
フィオルドの才能は、『努力する事が苦にならない』と言う部分だ。
それが自身の能力を磨くという目的ならば、とても素晴らしい才能となる。
しかしその努力する目的が『他人との関係醸成』となった場合、フィオルドはかなり厄介な存在となる。
その場合、相手に受け入れて貰えるまでフィオルドは努力をし続けるので、その関係醸成の相手に選ばれた人間は、フィオルドに深く執着される事になるのだ。
その状況になりつつあるのが、今のシャーリーだ……。
先程のシャーリーがこぼした言葉から、すでにフィオルドの過剰なアピールがシャーリーの負担になっている事が容易に想像出来てしまう。
そんなシャーリーについ同情と労いの視線を送ってしまったローゼリア。
するとシャーリーが力なく笑みを返してきた。
「シャーリー様……。その、心的疲労などは大丈夫でございますか……?」
「一介の男爵令嬢のわたくしが、そのように感じる等あまりにも贅沢で恐れ多い事でございます……」
「で、ですが……」
思わずローゼリアが王妃に救いを求めるように視線を投げかけると、王妃までもが諦めからなのか、深いため息をつく。だがそのため息の意味は、何もシャーリーの精神的負担を心配しているだけではなかった。
「それでね……。あの子、ローゼリア嬢に対しても変な事を言い出して……」
「わたくしに対して……ですか?」
「ええ。実はあの騒動の後、ハロルドが4時間にも及ぶ説教をフィオにしたの。そこでやっとあなたがシャーリー嬢に酷い事をしていたという話が、事実無根だった事に気付いたのだけれど……」
そこでまたしても王妃は言葉を濁す。
「そうしたらあの子、その事を自分に吹聴したご令嬢方の身元調査を始め出したの。それが判明すると、今度はそのご令嬢方全員と共にあなたの醜聞になるような発言をした事を謝罪したいと言い出して……」
「そ、それは……」
「そんな大事にしてしまえば、マイスハント家にもご迷惑が掛かるし。何より陛下があのような酷い行いをしたフィオには、あなたに面会する資格などないと激怒して……。でも、ほら、あの子、一度言い出したらなかなか引っ込みがつかなくなる性格でしょう? 今は月二回の貴重な休日にエレムルス侯爵家から抜け出しては、あなたへの謝罪に向かおうとするフィオと、それを阻止しようとする王家の影との攻防が繰り広げられているわ……」
その話を聞かされたローゼリアは思わず片手で額を押さえ、軽く俯いた。
フィオルドの長所である『努力を惜しまない不屈の精神』は一歩間違えると、『諦めの悪いしつこい人間』になり下がる。
現状、今まさにフィオルドはそういう人間に成り下がっているのだ……。
それにしてもそこまで体力をこそげ落とされている日々を送っているのに何故そんなに元気なのかがローゼリアには理解出来ない……。
そしてそれは王妃とシャーリーも同じ事を感じている様子だ。
「王妃殿下……」
不敬に値する可能性も忘れ、つい王妃にも同情めいた視線をローゼリアが向けると、王妃は静かに首を振った。
「あの子は……どうしてあのように極端な性格をしているのかしら……」
思い込みが激しい部分は、幼少期の頃から垣間見えてはいたフィオルド。
先月行おうとしていた婚約破棄に関しても、シャーリーと心を通わせていると一方的に思い込んでしまった事で決行しようとしたのだろう。
その勢いだけで突っ走る行動力は、どことなくハロルドにも感じる部分だ。
そこは流石、血のつながった兄弟という事なのだろう。
だが周囲の状況を冷静に考察し咄嗟に動いたハロルドと、勢いだけで突っ走ったフィオルドでは、恐らく物事に対する観察力や考察力の差は否めない。
王妃も自身の息子達の特徴を理解しているのか、どうしてもフィオルドに対しては厳しめな評価になるのだろう。
「だからね、もしあの子がマイスハント家に突撃する様な事があれば、遠慮なく追い返して構わないわ! そして可能ならば、その場で捕縛して王家に突き出して欲しいの!」
もはや第三王子に対する扱いではなくなっているフィオルドの現状にローゼリアが、引きつる口元を必死で抑え込む。
だがローゼリアは、フィオルドのその謝罪大作戦よりもシャーリーの今の状況の方が気になった。そもそもシャーリーの方は、フィオルドに恋愛感情等は抱いていない様子だが、嫌っているという印象も感じられなかったのだ。
もしかしたら本当はフィオルドに好意を抱いていても、身分を理由にその気持ちを受け入れる事を諦めてしまっているのではないか……。
その事を懸念し始めたローゼリアの様子に王妃が気付く。
「ちなみに今回の婚約破棄未遂騒動でシャーリー嬢には、王家から謝罪の意味も込めて、兼ねてから彼女が希望していた女性文官という役職の道を用意しているの」
その言葉に表情筋があまり豊かでないローゼリアの瞳がうっすらと輝き出す。
「ではシャーリー様は、ついに念願の女性文官に!」
薄っすらと頬を紅潮させ、珍しく興奮気味な様子を僅かに感じさせるローゼリアの様子に今度は、シャーリーの方が大きく目を見開く。
そのシャーリーの反応に気付いたローゼリアが、慌てて扇子で口元を隠した。
「ローゼリア様? 何故、その事を……」
「その……シャーリー様が、ずっと女性文官を目指し努力されている事を王妃殿下より伺っていたので。つい……」
そのローゼリアの言葉にシャーリーが、まるで花が咲き誇るような眩い笑みを浮かべた。そのあまりにも愛らしい様子にローゼリアは釘付けになる。
表情が乏しく冷たい印象を抱かれやすい自分では、けして出来ない純粋で素直さ溢れる何とも愛らしい微笑みだ。
恐らくフィオルドもこの含みの一切ない純粋で清らかな印象を感じさせる彼女の微笑みに魅了されてしまったのだろう。同性でもあるローゼリアでさえ、シャーリーの微笑みは心が癒され、穏やかな気持ちになってしまう。
「ローゼリア様、男爵令嬢ごときのわたくしの事をずっと気にかけてくださって、本当にありがとうございます」
シャーリーの本心から出たその言葉にローゼリアも嬉しい気持ちになる。
本心を隠し、相手を探りながら交流する事が多い社交界では、その状況に疲弊してしまう事が多いのだが、シャーリーのような裏表なく接してくれる存在はこの社交界では特に貴重だ。
その貴重な存在でもあるシャーリーとの交流をもっと深めたいとローゼリアが思い始めていたら、かなり力強いノック音が部屋に響き渡る。
その状況にアフェンドラが何故か苦笑した。
「ローゼリア嬢をここへ招く為、わたくしに仕事を増やされた事をハロルドが気付いてしまったようね……」
アフェンドラが侍女に扉を開けるよう指示を出すと、扉が開くと同時に勢いよくハロルドが入室してくる。
「母上、どういう事です? 本日ローゼリア嬢に登城して頂いたのは、私が婚約者候補の件で彼女に足を運んで頂くようお願いしたからなのですが?」
珍しく眉間に皺を刻んでいる次男にアフェンドラが困った様な笑みで返す。
「ごめんなさいね。フィオの暴走をどうしてもローゼリア嬢にもお伝えしておきたかったの」
「あのようなバカ者の事は放っておけばよいのです。それよりもこれ以上、ローゼリア嬢に不快な思いをさせぬよう母上にもご協力を頂きたいのですが?」
「でもね、フィオもあなたのお説教のお陰で自身が誤解していた事に気付き、猛反省をしているのよ?」
「母上……。ああいうバカは死んでも直りませんよ?」
「あなた、お兄様なのだから、もう少し弟を労ってあげられないの?」
「無理ですね……。あのバカはもう16です。今後は母上も陛下もあのバカをもっと分別ある大人として扱われるべきだと思いますが?」
「そのつもりでいるのだけれど……。でもね、フィオの行動があまりにも突飛過ぎて、なかなか上手く行かないのは、あなただって知っているでしょう?」
「やはり一度、私が奴の根性を叩き直さないとダメなようですね……」
「ハロルド、あまり余計な事をしないで頂戴。またフィオが変な方向に解釈し出したら、それはそれで更なる暴走を引き起こす可能性があるのだから……」
「全く……。我が弟とは言え、なんて面倒な性格をしているのだ!」
吐き捨てるように悪態をついたハロルドだが、ローゼリアとシャーリーが室内にいた事を思い出し、二人の方へと体を向け、慌てて姿勢を正した。
「お二人には見苦しいところを見せしてしまい、大変失礼致した。母上、そろそろローゼリア嬢を私にお返し頂けますか?」
「そう言えば……今、あなたは彼女の良き縁談候補を紹介している最中だったわね。ローゼリア嬢、どなたか良縁と感じられる殿方はいらしたかしら?」
「いえ、その……」
急に話を振られたローゼリアは、やや反応に遅れてしまい、そっと俯く。だがその瞬間、思わずハロルドの方に視線を向けてしまった。
自身でも理由の分からない無意識でしてしまったその行動に周囲が、違和感を抱いていないかと一瞬だけ焦る。
だが幸いな事にハロルドには、気付かれなかったようだ。
「母上、そう簡単に良縁に出会えるのであれば、世のご令嬢方は苦労しませんよ? ましてやローゼリア嬢のような素晴らしい令嬢ともなると、ありきたりな能力しかない男性では、つり合いがとれません」
「ふふっ! 確かにその通りだわ! でもわたくし、一人だけ最有力候補になる人物を知っているのだけれど?」
王妃の含みのある言い回しにドキリとしつつも、ローゼリアは必死に平常心を保つ事に力を注いだ。王妃には何故かローゼリアが、ハロルドに興味を抱いてしまっているこの状況に気付いているような素振りをされてしまっている……。
しかし、その心配はハロルドの言葉によって、一瞬で吹き飛んだ。
「申し訳ないのですが、まず私の方で厳選した人物を優先的に紹介させて頂けませんか? それでも万策尽き果てた際に是非母上のお知恵をお貸しください」
「まぁ……。わたくしの提案は最後まで後回しという事?」
「本当に申し訳ございません……。ですが、この件の責任を自ら申し出たのは私です。言い出した私が最後まで責任を持って、紹介する事が筋かと」
「分かったわ。でもお勧めできる男性が全く見当もつかない状態になった際は、すぐにわたくしに頼りなさいね?」
「もちろん。その時は是非、母上のお知恵をお借り致します」
するとハロルドは、テーブル席に着いているローゼリアの元へとみを進め、距離を詰めてきた。そしてローゼリアの目の前まで来ると、スッと手を差し出し、エスココートに応じるようにやんわりと促してくる。
「ローゼリア嬢、急に仕事が入ってしまい、本当に申し訳ない」
丁寧に謝罪の言葉を述べてきたハロルドだが、その後にチラリと自身の母親へ抗議するような視線を送る。だが母であるアフェンドラは、フイっと目を逸らし、全く関係ない話題をシャーリーに振り始めた。その母の行動にハロルドが苦笑する。
「この室内は最早、母上の独壇場だな……。ローゼリア嬢、申し訳ないのだが、少々話し合いの場所を変更しても?」
「え、ええ。もちろん」
「では、お手を」
更にズイっと差し出されたハロルドの手にローゼリアは、やや遠慮がちに自分の手を添えた。その様子を王妃とシャーリーがジッと視線を注いでいた事にこの時のローゼリアは、全く気付かなかった。