4.戸惑う男爵令嬢
ハロルドがマイスハント家を訪れてから2週間後。
新たな婚約者候補を紹介したいと打診があり、ローゼリアは父ではなく、何故か兄クライツに付き添われながら登城した。
そのまま城内の来賓接待用の部屋に通された二人は、同じ淡い水色の頭を並べながら、同じ長椅子に腰掛ける。そんな人形のように透き通った美しさを感じさせるこの兄妹達を部屋に案内してくれたメイド二人が、見惚れるようにほぅと小さく息を吐きながら深々と頭を下げ、退室して行く。
そのメイド達の反応に二人は思わず顔を見合わせ苦笑した。
そんな少し気の抜けた雰囲気だったからか、いたずら心を刺激されたローゼリアは、兄クライツについ意地の悪い質問を投げかけた。
「何故、今回お兄様が付き添いを?」
「父上だとお前の希望を聞き入れすぎてしまい、いつまで経ってもお前の婚約が決まらないだろう? 私ならば私情を挟まず、公平な意見でお前にアドバイスしてやれるからな。どうだ? 兄の存在が心強いだろう?」
「お兄様のご要望に特化した扱いをされそうで、不安しかございません……」
「お前は……。本当に可愛げのない妹だな」
呆れたような声音でそう言いつつも、兄クライツの眼差しは優しい。
それだけ妹であるローゼリアが、この10年間王族用の教育を受けさせられた事で、貴重な青春時代を無駄にしてしまったという事に対して、同情の念を抱かずにはいられなかったのだろう。
そもそもクライツも妹のローゼリアに甘い。
今回も父の代理というのは建て前で、妹の事が心配だった為、自分から付き添いを言い出していた。
そんな過保護な兄の行動に思わずローゼリアが口元を緩める。
その事に気付いたクライツが、何ともバツの悪そうに顔を歪めた。
「お前のその察しの良さは、場合によっては相手を不快にさせるぞ?」
「このような分かりやすい過保護ぶりを妹に対してなさったお兄様の行動にも原因があるかと思いますが?」
「お前は本当に可愛げがない……」
今度は本当に呆れた様子で小さく息を吐いた兄にローゼリアは、更に苦笑した。すると、ローゼリアにとっては見慣れた侍女がノックと共に入室してきた。
王妃アフェンドラ付きの侍女だ。
「失礼致します。只今王妃殿下よりローゼリア様を是非お茶席にお誘いしたいとの事で、お連れするよう言付かってまいりました」
「王妃殿下が?」
「はい。その間、クライツ様は王太子であるリカルド殿下とのお話し合いをして頂きたいとの事で……」
するとクライツが、意地の悪い笑みを浮かべる。
「なるほど。今度はもう一人の兄君であらせられる王太子殿下より、謝罪のお言葉が頂けるようだな」
「お兄様、そのような言い方をなさっては不敬ですわよ?」
「いいではないか。そもそも今回王家側は、かなり不躾な態度を我々マイスハント家になさったのだぞ? これぐらいの不敬、許されてもいいだろう?」
「お兄様は……」
呆れるようにため息をつく妹にクライツがニヤリとした笑みを向けた。
するとローゼリアがスッとクライツから視線を逸らし、侍女に向き合う。
「分かりました。王妃殿下のお誘いをお受けいたします」
「恐れ入ります。ではご案内させていただきます」
ローゼリアの返答に侍女が、少しだけ安堵するような反応を見せる。
恐らくクライツに断れられる可能性も考慮していたのだろう。
だが兄クライツは、これからここを訪れてくる王太子との会話の方に興味を惹かれている様子だ。ローゼリアが立ち上がり侍女の後に続くと笑顔で送り出してきた。
「ローゼ、あまり王妃殿下を責めるなよ?」
「わたくし、お兄様と違って人の弱みにつけ入る事は致しません」
「全く、お前は本当に一言多いな」
そう言ってクライツが追い払うようにローゼリアの退出を促す。
その態度にローゼリアが思わず小さく笑みをこぼしてしまった。
そのまま侍女と共に退室すると、王妃の待つ部屋まで案内される。
だが、急に何故ハロルドが姿を現わさなかったのかと疑問を感じた。
「ところでハロルド殿下は……」
侍女に尋ねると、やや困惑した笑みを返されたしまった。
「本日ハロルド殿下は、将来的に治められる領地の手続き書類が大量に来てしまい、そちらの確認作業でお時間が掛かってしまっているようで……。その事を王妃殿下がお気づきになり、ハロルド殿下に代わってローゼリア様の接待を申し出てくださったと伺っております」
「まぁ……。王妃殿下より、そのようなお気遣いを頂けるなんて……」
そう口にしたローゼリアだが、恐らくハロルドが現在立て込んでいるのは、王妃が仕組んだ事であると察していた。
王妃アフェンドラは、ローゼリアが未来の第三王子妃として指導を受けていた対王族教育の行儀作法部分を指導してくれる事があったのだ。
しかしその指導内容は、向上心のある令嬢達を集め、楽しくお茶会を堪能しながら、基本的なマナー作法を再確認するという形だけのものだった。
行儀作法の指導と称して息子と年の近い令嬢達との交流を率先して行っていた王妃のその行動目的は、どうみても娘が欲しかった名残しか感じられない。
三人の王子の母であるアフェンドラだが、姫は得られなかったからだ。
その未練から自身のお気に入りの令嬢達を行儀作法の指導と称して、簡易なお茶会に招いていたのだろう。
そして招かれるメンバーの中にはローゼリアだけでなく、今回の婚約破棄未遂に巻き込まれかけた男爵令嬢のシャーリーも入っていた。
普段は互いの能力を高め合うように競い合っていたローゼリアとシャーリーだが、不仲にならずに好敵手という関係でいられたのは、この王妃が気まぐれに開くマナー教室的なお茶会の効果が大きい。
そんな事を考えながら侍女の後に続いていると、城内でも特に豪華な扉の前でその侍女がピタリと足を止める。ローゼリアにとってはすでに見慣れたその豪華な扉の部屋は、王妃アフェンドラの私室の一つだ。
侍女がノックし入室許可を得ると、扉を開きローゼリアに入室を恭しく促す。
そのまま入室したローゼリアは、王妃ともう一人の女性の姿に目を見開いた。
「ローゼリア様!!」
珍しくガタンと無作法に椅子を引く音を立てたのは、婚約破棄未遂に巻き込まれ掛け、ローゼリア同様王妃のお気に入りでもあるシャーリーだった。
「シャーリー様……?」
予想もしていなかった人物の存在にローゼリアが驚いていると、目の前のシャーリーが俯きながらグッと自身のドレスの裾を掴んだ。
「ローゼリア様……。先月の第二位王子殿下帰還の祝賀パーティーの際、フィオルド殿下の独断だったとはいえ、わたくしの存在の所為で不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした……」
ローゼリアを敬うようにドレスの両端を摘まみ、深々と美しく頭を下げるシャーリー行動にローゼリアが慌てだす。
「そ、そのように頭を下げられる必要はございません! あの状況ではシャーリー様も被害者同然でございます……。むしろ穏便にあの場を収める事が出来なかったわたくしの方こそ、謝罪をしなければなりませんのに……」
「いいえ! わたくしはあの時、フィオルド殿下より早々に離れなければならなかったのです! ですが驚きのあまり体が強張ってしまって……」
「当然です。男爵令嬢であるシャーリー様では第三王子であらせられるフィオルド殿下のお手を振り払う等、さぞ難しい状況だった事でしょう……。あの状況にシャーリー様が甘んじるしかなかった事は重々承知しております」
「ですが……あの時、瞬時にわたくしがフィオルド殿下と適度に距離を取れていれば、あのような事は起こらなかったのではと……」
互いに責任を感じ、謝罪し合う二人の様子に王妃アフェンドラが苦笑しながら間に入る。
「お二人共、そのようにご自身を責められないで? この度の件で一番問題行動を起こしたのは、わたくしの愚息フィオルドです。お二人が責任を感じる必要などないのですよ?」
「「ですが……」」
まるで示し合わせた様に二人が申し訳無さそうに声を揃えた。
その二人の態度から、王妃アフェンドラは責任感の強さを感じてしまう。
「シャーリー嬢、愚息フィオルドの所為でさぞ恐ろしい思いをさせてしまいましたね……。本当にごめんなさい……」
「お、王妃殿下! わたくしのような身分が低い者にそのように頭を下げるなど、あってはならない事でございます!」
「ローゼリア嬢も長年第三王子妃としての教育で、あなたの貴重なお時間を無駄にさせてしまって……。本当に何とお詫びを申し上げたらよいか……」
「この件に関しては、わたくしにもフィオルド殿下に寄り添えなかったという落ち度がございます。どうかお気になさらないでくださいませ……」
二人に対して深々と頭を下げだした王妃アフェンドラに対し、シャーリーは慌て、ローゼリアは冷静ではあるが王妃を敬う姿勢を崩さない。
そんな二人の反応にアフェンドラが落胆を入り交ぜながら盛大に息を吐く。
「あなた方お二人は、本当に素晴らしい淑女ね……。それに比べ、フィオは……」
王妃の口から零れた愚痴の様な言葉を聞いたローゼリアは、思わず苦笑してしまう。しかし、シャーリーの方は何故か深刻な表情を浮かべていた。
その事にローゼリアが気付くと同時に再び王妃が口を開く。
「ローゼリア嬢、実は今日あなたをこのお茶席にお呼びしたのは、そのフィオルドの事でご相談したい事があったからなの……」
何故か王妃までも深刻そうな表情を浮かべ出したので、ローゼリアの警戒心がやや強まる。まさか、急にフィオルドが婚約解消に不満を言い出したのではないかと不安が襲って来たのだ。
一カ月前、次兄である第二王子の帰還祝賀パーティーで、盛大な婚約破棄を行おうとして失敗し、その第二王子に吹っ飛ばされて意識を失ったまま拘束されたフィオルドだが……。
その次兄ハロルドが寸前のところで吹っ飛ばすと言う力技に出たおかげで、婚約破棄は未遂という扱いになり、フィオルドが王族の籍から抜かれるという処罰は何とか回避された。
しかし国王の怒りは深く、現在は臣籍に下り国境付近の領土を治めている王弟でもある叔父のエレムルス侯爵の元で騎士達に混じり、過酷で厳しい鍛錬を受けているらしい。
国王曰く、「その腐った根性を叩き直してこい!」との事だが、ローゼリアにしてみれば幼少期のフィオルドを甘やかしていた国王にも多少なりとも責任があるのでは……と思ってしまう。
そもそもフィオルドは、もともと王族として能力が低い訳ではない。
たまたま長兄である王太子と次兄である第二王子の出来が良すぎた所為で比べられてしまい、低い評価をされてしまう事が多かっただけだ。
その分、諦めずに努力する事に関しては貪欲ではあった。
だが、今回の婚約破棄未遂騒動に関しては、確実にフィオルドは努力する方向を誤ったのだが……。
そんな三男の性格を熟知している王妃アフェンドラは、夫である国王とは違い、フィオルドだけでなく親である自分達にも今回の騒動の責任があると感じている様子だ。だがそんな王妃が次に口にした内容は、ローゼリアが全く予想出来なかったものだった。
「実はね、フィオが未だにシャーリー嬢の事を諦めきれずにいるの……」
その事を聞かされたローゼリアは、思わずポカンと開けてしまった口元を慌てて扇子で覆い隠した。