25.四色のファイル
釣り書等が入った4色の革製ファイルをローゼリアが順番に目を通し始めると、ハロルドは気付かれぬよう小さく息を吐く。
この4色のファイルの内3人は、新規で紹介する婚約候補者達だ。
だが、最後にテーブルに並べた黒革のファイルに関しては、すでにローゼリアに紹介済みであるルシアンの情報が入っている。それを敢えて一番最後に並べてしまったのは、ハロルド自身も無意識での行動だった。
今回、ハロルドの中で一番ローゼリアが婚約者として選ぶ可能性が高いと踏んでいたのが、ルシアンなのだ。その為、かなりの好条件である新規の婚約者候補三名を先にローゼリアに見せる事で、少しでもルシアンで決まる可能性を軽減させようという思いが、無意識にこのような行動をさせたらしい。
そんな卑怯でもある自身の行動に嫌悪感を抱いたハロルドは、思わず眉間に皺を刻んだ。その目の前ではローゼリアが、最初に手に取った赤色のファイルに入っている資料内容を真剣に確認している。
「こちらの方のご領地は東国寄りではなく、王都に近い場所ですね」
急に話しかけられたせいか、ハロルドの反応が一瞬遅れる。
「確かにノエイン家は王都寄りの領地なので一見、交易活性化とは無縁のように思えるが、実は酒造関係でかなり実績がある。あなたの希望であるマイスハント産の果実酒を広めるという目的では、有益な候補者になるかと思い、今回紹介させていただいた」
「ご年齢は……随分とお若いですね」
「だが彼は東国への留学歴がある。その部分でも候補者としてあなたに勧めたいと感じた」
ハロルドは質問に丁寧に答えれば応える程、ローゼリアと一緒に過ごせる時間が減っていくような感覚に襲われる。もしローゼリアにとって条件の良い相手が見つかれば、このように話し合う事は必要がなくなるからだ。
だからと言って、このままズルズルとローゼリアの婚約者候補探しを続ける事もハロルドにとっては、苦痛でしかない。それはハロルドがローゼリアへのある気持ちに気付いてしまった事が、大きく影響している。
何故もっと早くその事に気付けなかったのか……。
後悔しかないハロルドは、次の青色のファイルに手を伸ばし始めたローゼリアに気付かれぬよう軽く唇を噛んだ。そんなハロルドの様子に気付かないローゼリアは、新たに取ったそのファイルの中身を静かに確認し始める。
「こちらの方は、東国と近い領地をお持ちな上に交易関係に非常に力を注いでいらっしゃるようですね。ですが、一度離縁されたという過去があるようですが……」
「クレセリフ侯爵殿は、若かりし頃に政略的な意味合いでの婚姻を先々代侯爵に強要された上、結局は手く行かず、僅か半年足らずで離縁に至ったそうだ。何でもお相手の女性は、かなり自由奔放だったらしく、真面目な性格の彼とは、どうしても相容れぬ状況だったらしい。そういう意味では真面目なあなたと相性が良いのではと思い、紹介にいたった。先方もあなたの才女ぶりをご存知なので、今回の話を持ち掛けた際、とても前向きなご様子だった」
「確かに領地の場所や力を注がれている経営部分では、我がマイスハント家が求めている条件と完全に一致致しますね。年齢も五歳差なので、わたくしにとっても魅力的な条件をお持ちの方となります」
そう言って、ふわりと微笑むローゼリアの様子にハロルドが一瞬だけ肩を震わせた。だがローゼリアには、その動揺には気付かれなかったので上手く誤魔化せたようだ。ハロルドが何事もなかったかのように笑みを返すと、再びローゼリアがテーブルに手を伸ばし、今度は緑色のファイルを手にした。
この段階になってようやくハロルドは、本日自身にとって苦行とも言える時間を過ごさなければならない事に気付く。ローゼリアが、紹介する婚約者候補達に利点を見出す度にその心は嵐の日の海のように荒ぶり始めた。
「こちらの方は、東国の北側窓口に近い大国寄りの領地をお持ちなのですね。条件的には北側窓口寄りの領地をお持ちのルシアン様と非常に似通った部分がメリットという事になるようですが……」
「レイレクス家は大国との取り引きが盛んな為、東国だけでなく大国との交易を視野に入れ、紹介させていただいた。だが、それ以上にこちらの現伯爵が、かなりあなたの事を熱望されている。年齢的には先程のクレセリフ侯爵殿よりもさらに上になるが……。今まで未婚でもあった分、仕事に実直で誠実なお人柄だ。あなたは年上の男性の方が話しやすい印象を受けた為、敢えて年が離れている彼も好条件の婚約者候補として紹介にいたった」
ハロルドのその言い分にローゼリアが苦笑する。
「確かに兄がいる関係で、わたくしは年上の男性の方が話しやすいと感じる事が多いですね。それにしてもお三方とも、お家柄だけでなく領地経営での実績も素晴らしい方達ばかりですね……」
「初めの方で紹介したノエイン家の令息は、まだ爵位を継がれていないので、まだ未知数なところはあるが……。周囲の評価では、とても優秀な人物として認識されている人物だ」
「確かにこの釣り書内容からですと、東国の留学期間中はかなり優秀な学業成績を修め、その間に福祉関係での社会貢献も多くなさっていた方のようですね。きっと心根の優しい性格の方なのでしょうね」
そう言いながら、ローゼリアが緑色のファイルをテーブルの上に置いた。そして一番最初に手に取った赤いファイルを再び手に取り、優しく撫でる。その行動から、再びハロルドの心がざわめき始めた。
「ノエイン家のご子息をお気に召されたか?」
思わず口に出してしまったハロルドだが、すぐに後悔する。そんなハロルドの気持ちなど、一切気付かないローゼリアは苦笑気味な表情を返してきた。
「どうでしょうか。実際にお会いしてみないと何とも……」
そう答えながら、いよいよ最後の黒革のファイルに手を伸ばす。その動きが何故かハロルドの目には、ゆっくりと時間が流れるように見えた。その所為なのかローゼリアがファイルを手に取る瞬間、それを邪魔する様なタイミングで声を掛けてしまう。
「そちらの男性だが、実はすでにあなたとの交流を何度かされている人物だ」
ファイルを手にしようとした瞬間で勢いよく声を掛けられた所為か、ローゼリアがピタリと動きを止める。その様子を確認したハロルドは、何故か安堵した。
「先程紹介した三名と比べると、条件的にはやや弱い部分はある……。しかし、私の判断ではあなたへの想いが強い。そしてあなたにとっても安心して人生を任せられる相手になるのではないかと感じている。もし可能であれば、是非彼も婚約者として検討していただきたい」
諦めの気持ちを見透かされない様に真っ直ぐにローゼリアを見つめながらハロルドが告げると、ローゼリアが視線を泳がせながら俯く。その瞳からは何故か不安の色が窺えた。その様子に気付いたハロルドは、少しでもローゼリアの不安を解消しようと、優しく言いかせるように弁明を試みる。
「申し訳ない。不安を与えるつもりではなかった……。あくまでも私の個人的な意見として、勧めたい相手というだけだ。もちろん、条件に合わないのであれば遠慮なく断っていただいて構わない」
「お気遣いありがとうございます。では是非こちらのファイルも再度確認させて頂きますね……」
ハロルドの申し出に対し、何故か困った様な笑みを返してきたローゼリアが再び黒革のファイルへと手を伸ばす。そしてゆっくりとそのファイルを開いた。
だが次の瞬間、ローゼリアがピタリと動きを止め、勢いよくハロルドに視線を向けた。だが、ハロルドの方はその反応に苦笑でしか返せない。
すると何故かローゼリアが遠慮がちに確認をしてきた。
「あの……殿下。こちらの方は、本当にわたくしが婚約者候補として検討させて頂いてもよろしい方なのでしょうか……」
「もちろん。むしろ今回紹介した中では、私が一番勧めたい人物だ」
諦める事を覚悟しきれないハロルドは、どうにかしてその思いを押し殺しながらも寂し気な笑みを浮かべて誤魔化そうとした。しかしそれは、すぐに驚きの表情へと変わる。何故なら、目の前のローゼリアが今まで見た事も無い程、顔を赤らめていたからだ。
「ローゼリア嬢? どうされた?」
不思議そうにハロルドが問うと、何故かローゼリアはそのまま深く俯いてしまった。その反応から更にハロルドが不思議そうに首を捻る。
するとローゼリアが俯いた状態のまま、手にしていた黒革のファイルをハロルドに差し出した。
「その……もし許されるのであれば、こちらの男性とのお話を進めて頂きたいです」
蚊の鳴くような小さな声ではあったが、即決とも言える返答にハロルドはローゼリアを諦める事へ決意を固める。そしてその差し出された黒革のファイルを少し震える手で受け取り、ゆっくりと慎重に開く。
しかし――――。
ファイルの中身を確認した瞬間、今度はハロルドの方が石像のようにビシリと固まった。