22.すれ違う想い
「ローゼは、殿下より何か聞いていないのか?」
その日、伯爵クラスの貴公子達の集いに参加してきた兄クライツは、帰宅後の開口一番にハロルドの噂に関しての真偽をローゼリアに確認してきた。
何でも王室お抱えの絵師三名が城に呼び出され、公務中のハロルドをスケッチしていたという話題で盛り上がっていたらしい。その絵師達は、まだ未婚だった頃の王太子リカルドの釣り書に付ける姿絵を用意する際に声を掛けられた絵師達だったそうだ。
だがその話は、ローゼリア自身も初めて耳にする内容だった。
「いいえ。そもそもわたくしは、ここ最近は登城しておりませんので……」
「そういえばそうだったな。だが、そうなるとハロルド殿下の婚約者候補探しは、両陛下が動いている可能性が高いという事か……」
「陛下は分かるのですが、王妃殿下も動かれたという事でしょうか?」
「最近は、王太子妃のマリアローズ様がご懐妊された事でリカルド殿下が過保護になり、王妃殿下が義理の娘との交流に飢えてしまっているらしいからな。現に王妃殿下のお気に入りのお前とエマルジョン男爵家のシャーリー嬢には、お茶の誘いが頻繁に来ていたのだろう? 王妃殿下にとっては、もう一人の義理の娘欲しさに早くハロルド殿下には、お相手を得て欲しのでは?」
「確かに……」
兄の推察に何故か歯切れの悪い相槌を打ってしまったローゼリアは、そのまま口を閉ざしてしまう。そんな妹の反応にクライツが小さく息を吐いた。
「王家には息子の婚約者候補探しよりも、お前の婚約者候補探しを優先して欲しいのだが」
「お兄様……」
相変わらず王家に対しては辛口の兄を窘めるようにローゼリアが鋭い視線を送る。だがクライツは特に気にする様子もなく受け流した。
「ところで……お前自身は今までハロルド殿下がご紹介してくださった令息達と、何か進展はあったのか? あれからハロルド殿下からの動きも無いのだろう?」
「わたくし自身の方では進展は特に……。殿下の方でも現状はご公務でお忙しい為、動くに動けない状態になってしまわれているかと思われます」
「なるほど。ちなみにお前はルシアンとの婚約に関して、どのように考えているのだ? 殿下には話を進めるのか断るのかの返答はしていないのか?」
「特には……。殿下からは、まだご紹介して頂ける候補者の方がいる為、ルシアン様に対しての返答は急がなくても良いとのお言葉を頂いております」
ローゼリアのその返答を聞いたクライツが、自身の顎に左手を添えながら考え込む様子を見せる。
「だが、今のハロルド殿下は多忙な為、まだ隠し持っている婚約者候補の紹介をお前に出来ていないのだろう? 厳しい言い方をすれば殿下は、お前の婚約者候補探しに少々時間を掛け過ぎではないか?」
「そうでしょうか……。わたくしには責任を感じてくださって、慎重にご対応頂けているように感じるのですが」
「それを差し引いても時間が掛かり過ぎだ。大体、お前はルシアンの事をどう思っている? 本日サロンの集いにルシアンも参加していたのだが、お前の反応がどうなのか軽く探りを入れられたぞ?」
やや呆れ気味な様子のクライツからの質問を今のローゼリアでは、即答する事が出来ない。何故ならローゼリア自身にもルシアンと、どう向き合って良いのか判断が付かないからだ。政略的な意味合いで婚約を考えるのであれば、ルシアンはまさに理想的な条件が揃っている婚約者候補となるだろう。
だが、その判断を鈍らせているのが、以前ルシアンを交えて会話した際のハロルドの反応だ。途中退席した経緯から、ハロルドはローゼリアの婚約者候補としては、あまり前向きに捉えていない反応を示した。それがまだ隠し持っている好条件の婚約者候補の存在が関係しているのかは分からないが、何故かその後もルシアンを交えての交流では、ハロルドの様子がおかしくなっている。
そんな事を思い出していたら、放置されたクライツから抗議の声をあがる。
「ローゼ……。一人で考え込む前にまずは私の質問に答えて欲しいのだが? お前は結局ルシアンに対して悪い印象は、特に抱いていないという認識で良いのか?」
兄の言葉に我に返ったローゼリアが、慌てて返答する。
「悪い印象だなんて、とんでもございません! ルシアン様はとても素晴らしい貴公子だと感じております!」
「ならば、私の方でお前とルシアンの交流を深めるように動いても構わないのだな?」
「それは……」
「何だ。その煮え切らない返答は」
呆れ気味の様子で放たれた兄の言葉にローゼリアは押し黙ってしまう。
だがクライツにとって、ルシアンは友人でもある。自身の妹が友人から好意を抱かれているこの状況では、どうしても世話焼き役を買って出たくなるのも当然だ。それはローゼリアにも理解は出来る。
「とにかく! ルシアンの方からは、もっとお前と交流を深める機会が欲しいと相談を受けている。その為、お前も曖昧な態度をこのまま取り続ける事は、出来れば控えて欲しい。もし他に気になる婚約者候補がいるのであれば、ルシアンには早めにその事を伝えた方が傷は浅いままで済むからな」
友人を思いやっての兄の言葉にまたしてもローゼリアは黙り込む。
ルシアンに不満など一切ない。だが、ルシアン以上に自分の頭の中を占める存在がいる事をローゼリアは、自覚してしまった。その状態でルシアンに対し期待を持たせるような状態を続けるのは、相手に対して酷だ。
だからと言って、その気になる人物は簡単に求める事が出来ない存在だ。
相手は王族であり、今や社交界では一番人気と言っても過言ではない将来有望な第二王子であり、しかもローゼリアにとっては、元婚約者の兄でもある。もし婚約者候補にハロルドを望めば、世間は第三王子の非礼の代償として、第二王子を被害者であるローゼリアに王家が差し出したと思われても仕方のない状況となる。
その考えに至ったローゼリアは、無意識で兄クライツに縋る様な視線を向けてしまった。そんな妹の反応にクライツが小さく息を吐く。
「お前は子供の頃から変わらないな……。困り果てると、すぐにそうやって無意識に上目遣いで私に助けを求めてくる。その小動物的に庇護欲をそそるような態度は兄にではなく、落したい男にするべきだろう……」
「お兄様……。その物言いは、少々品位を疑う発言かと思いますが?」
「見慣れた私では、その上目使いは一切効果を発揮しないぞ? 『自分で考えて行動しろ』と突き放す助言しかしないからな」
そう言ってクライツは、ローゼリアの頭を少し乱暴に撫でる。その所為でローゼリアの前髪が、くしゃくしゃになってしまった。
「お兄様は物凄く意地悪です……」
「何を言う。こんなにも妹思いの私のような兄は、そうそういないぞ?」
「いいえ。時々ですが、今のように物凄く意地悪になります……」
乱れてしまった前髪を手櫛で整えながら、ローゼリアが兄を睨みつける。
その妹の反応にクライツが満足げな笑みを浮かべた。
「お前の気持ちが迷走しているのが分かるからな。だが、どうしたいかを決めるのはお前にしか出来ない。私が妹に優しい兄になるのは、お前が自身の答えを導き出した後だ。その時は、どんな選択をしたとしても全力で手助けしてやる。だがその前にお前は……」
そう言いかけたクライツは、折角ローゼリア直した前髪辺りをポンポンと子供をあやす様に軽く撫でる。
「まずは自分が何を望み、この先どうなりたいのか、その答えを導き出せ」
見守る様な優しい笑みを浮かべた兄にローゼリアが、少しはにかむ。
「前言撤回です。お兄様は妹のわたくしに対して甘過ぎです」
「だから言っただろう? こんなにも妹想いの兄はいないと」
「そういう事にしておきます」
そう言って兄弟は、お互いに苦笑し合った。
一方、ハロルドの方でも出回ってしまった自身の婚約者候補探しの噂の件で、頭を痛めていた。
「全く……。何故父上と母上は、このタイミングで私の姿絵をお抱え絵師達に依頼をしたのだ……」
「何でも婚約者志願のご令嬢方が後を絶たない状態で、その対応で一部の文官の通常業務の妨げになっているそうです。ならばさっさと殿下の婚約者を見繕ってしまった方が良いと、両陛下はご判断されたようですよ?」
「さっさと……。人を厄介者のように言うな!」
「殿下が無駄に独り身を貫こうとされたしわ寄せが、現状に至ったという感じでしょうか……。私は再三申し上げましたよ? お早めに婚約者様を決めるようにと」
「私とて好きで婚約者を求めなかった訳ではない!」
「ですが、隣国で言い寄って来たご令嬢方を片っ端からお断りされていたではありませんか」
「あんな野心的過ぎる令嬢を一度受け入れてみろ! 後々面倒な事になる事は目に見えているだろうが!」
吐き捨てるように叫んだハロルドが、処理済みの公務書類をイースが座っている執務机に向って放つ。だが、その書類は無情にもヒラヒラと床に舞い落ちた。
「殿下……。私に八つ当たりをなさらないでください」
「八つ当たりなどしていない」
「されているではございませんか……。そもそも何故そんなに苛立っておられるのですか? ご公務が多忙なのは毎度の事でしょうに」
床に舞い落ちた書類を拾いながら、イースが自分の主に白い目を向ける。
「この量が毎度の事だと? だとしたらお前の目はどうかしているぞ?」
自身の執務机の上に山積みとなった書類を睨みつけながら、ハロルドの目が据わり始める。その様子を面白がる様にイースが口元に弧を描いた。
「いやー、最近何故か王妃殿下のご公務まで、こちらに廻されてくるのですよー。きっとお忙しいのでしょうねー」
「白々しい言い方をするな! 確実に母上が故意に私の時間を奪う為に押し付けてきているのは明白だろう!」
「おや? 殿下は時間が奪われて困るような程、何かなさりたい事があったのですか? 現状ではフィオルド殿下のご対応は、ローゼリア様達で可能との事ですし。そのローゼリア様にご紹介予定の婚約者候補の方も現在は、温めていいらっしゃる三名の貴公子のご用意しかなかったと記憶しておりますが?」
「現状はご公務に集中出来る状況ですよね?」と強調するように主張して来た側近をハロルドが射殺さんばかりに睨みつける。
「だが、今の状態ではローゼリア嬢に愚弟を押し付けてしまっている状況だろう!」
「確かに。ですが、殿下は先週まではローゼリア様の事を避けられていたように思うのですが……。それは私の読み違いでしょうか?」
「………………」
イースに図星を突かれ、ハロルドが押し黙る。
その反応にイースは、更にハロルドへの追撃を再開した。
「私が気付いていないとでも思っていたのですか? そもそも二週間前のマイスハント家での殿下の態度は、かなり酷いものでしたよ?」
フィオルドの暴走を止める為、ハロルドがマイスハント家を訪れたあの日、実はイースも壁と一体化するように気配を消してその場にいた為、兄弟のあのやり取りを一部始終見聞きしている。その事を敢えて匂わす言い方をした側近をハロルドが再び睨みつけた。
「お前は……私の彼女に対する気持ちの変化に早い段階で気付いていたな?」
「何の事でしょうか?」
あからさまにとぼけた様子を見せる側近の態度に執務机に両肘をついたハロルドは、そのまま両手で頭を抱え込む。
「何故お前は、その事をすぐ私に言わなかったのだ……」
「責めを受けるとは心外です。そもそも弟君によって、殿下はその事にお気づきになられたのですから、良いではありませんか」
「それが問題なのだ! あの愚弟でも気付いたというのに!」
「それだけハロルド殿下は、色恋沙汰の知識や経験に関しては、フィオルド殿下を下回るという事ですね」
「一生の不覚だ……」
「そう簡単に一生の不覚を感じないで頂きたい。長い人生、もっと不覚と感じる事は多々遭遇致しますよ?」
「お前は、主君を労る気持ちは一切ないのか?」
「今のところ、労わると言うよりも殿下で遊ぶ方が楽しいので……」
「本当に主君思いの出来た側近だな!」
付き合いが長いとはいえ、これだけ第二王子に減らず口を叩ける人間は、イース以外にいないだろう。そんな事を思いながら、段々と疲労感を蓄積させていったハロルドが再び頭を抱え込む。
そんな主君に更にイースは追い打ちを掛けてきた。
「それよりも……例のルシアン様からのご要望に関しては、どのようにご対応されるおつもりですか?」
不意にイースから問われた内容に頭を抱え込んだ状態で、ハロルドがピクリと肩を震わせる。そしてそのままの体勢で、低く絞り出すように呟く。
「その件は……彼の友人でもあるクライツ殿にご判断頂こうと一任した……」
「殿下……。今回は珍しく逃げを選択されましたね」
「………………」
実は二週間前のあの日から、ルシアンよりローゼリアと交流出来る機会を作って欲しいと、何度か要望があったのだ。本来ならば二人の仲介役でもあるハロルドは、ルシアンのその要望を聞き入れ、二人の仲を深める切っ掛けを作らなければならない立場なのだが……。ローゼリアへの気持ちを自覚してしまった今では、どうしてもその役割は果たせそうになかった。
その為、ローゼリアの兄でもあり、ルシアンの友人でもあるクライツにその判断を託したのだ。
「完全に腑抜けに成り下がりましたね……。ハロルド殿下」
「うるさい! と言いたいところだが、もはや返す言葉もない……」
「でしょうね……」
呆れながら白い目を向けてくる側近の視線に耐えながら、頭を抱えて黙り込んでしまったハロルドだが、しばらくすると何かを決意したように小さく息を吐く。
「イース。二週間後、ローゼリア嬢がこちらに登城可能な日程に合わせて、何が何でも私に彼女と話し合う為の時間を捻出してくれ。それと……ルシアン殿の釣り書資料をローゼリア嬢に渡した分とは別にもう一式用意して欲しい」
「ルシアン殿のですか? ですが……すでにローゼリア様はお持ちなので、必要はないのでは?」
「次に彼女に会う際、温めていた三人の婚約者候補と共に再度検討頂く」
ハロルドのその言葉にイースが大きく目を見開く。
「それでは次回お話し合いをされる際、ローゼリア様には本格的に婚約者候補の方を選定して頂くようお願いなさるのですか?」
「ああ」
「その際にルシアン様を大々的にお勧めなさると……」
「そういう事になるな」
ハロルドの返答にイースが盛大に呆れる。
「殿下のその責任感が強い部分は長所と取られやすいですが、それは一歩間違えると、ただの頑固者に成り下がりますからね?」
「だが、私には彼女を望む資格などない……」
弟フィオルドの犯した失態の事があり、たとえ自身の気持ちを自覚してもハロルドの中では、ローゼリアを求める事は許されないという考えが根強い。
だが、今やその元凶であるフィオルドは、何事もなかったようにローゼリアと手紙で相談事のやり取りをしている状態だ。対してローゼリアの方もその件に関しては、すでに微塵も気にしている様子がない。
それでも真面目で責任感が強すぎるハロルドにとって、己の気持ちを押し殺してでもそこは踏み切ってはいけないという結論に達したようだ。
「殿下……。本当にそのように手配してもよろしいのですか?」
「ああ、頼む。そもそもローゼリア嬢には婚約者候補探しで、かなり時間を無駄にさせてしまったからな。そろそろこの話を前に進ませないと、何度も私と面会している事で彼女の体裁も悪くなる」
「ですが、そうなりますとローゼリア様とお会い出来る機会が……」
そこまで言いかけたイースだが、ハロルドの決意が固い事を察し、そのまま口を噤む。
「これは私のケジメでもある。すまないが、早急にそのように手配を頼む」
そう口にしたハロルドだが……その瞳の奥に『諦め』の感情がある事に気付いてしまったイースは、ただその指示を受け入れる事しか出来なかった。