18.不敬過ぎる側近
ローゼリアが上の空な状態でリカルド達とのお茶を継続している頃、退席したハロルドは眉間に皺を寄せ、やや自己嫌悪気味になりながら執務室に戻った。そんな状態で執務室に戻って来たハロルドの様子に気が付いた側近のイースが、怪訝な表情を向ける。
「ハロルド殿下? どうされたのです? 何やらお戻りが予想以上に早いように感じたのですが……」
「イース……」
長年仕えてくれている側近のイースに勘づかれてしまったハロルドが、更に眉間に皺を刻み顔を顰める。
イースはハロルドよりも4つ年上の伯爵家の次男だ。彼は長兄リカルドのアカデミー時代からの友人で、もともとはリカルドの側近候補の一人だったのだが、登城する度にリカルドにくっ付いていたハロルドの相手をするうちに、いつの間にかハロルドの側近候補として見られるようになり、13歳の頃よりハロルドの側近見習いを得てから、アカデミー卒業後の18歳で正式にハロルドの側近となり、仕えてくれている。ある意味、ハロルドにとっては第二の兄的存在でもある。
「殿下がそのような表情をされるのは、かなり久しいですね。もしやローゼリア様関連で何か失態でもなさいましたか?」
「お前は……。いくら慣れ親しんだ間柄とは言え、その言い様は王族の私に対して不敬となるからな」
「それは心外です。私は殿下を心の底から心配し、先程のようなお声がけをさせて頂いただけですよ?」
「心配というよりも確実に面白がっているだろう。全く! お前と言い、兄上と言い、人を弄ぶ言い方ばかりをするのはやめろ!」
「仕方がないではありませんか。ハロルド殿下は、フィオルド殿下とは違った方向で真面目過ぎますからね……。私やリカルド殿下のように他人を揶揄う事に楽しみを見出す人間にとっては、最高のスケープゴートになりますので」
「お前、今の言葉は私だけなく、兄上に対しても不敬になるぞ?」
「リカルド殿下からは、同じ腹黒仲間として、すでにお許しを頂いております」
「お前と兄上のアカデミー時代を想像すると、その時周りにいた人間の心労は、さぞ凄まじかっただろうな……」
「残念ながらアカデミー時代には、ハロルド殿下やフィオルド殿下のように素直な心根の人物は、私やリカルド殿下の周りにはいなかったもので……。故に心労を受けた者はおりませんね」
「………………」
幼少期の頃から減らず口を叩いてくる側近に呆れたハロルドが口を噤む。
だがイースは、先程の質問を再びむし返して来た。
「殿下。話を上手くはぐらかそうとなさっても私相手では無駄ですよ? それで……何故こんなにもお戻りが早いのです? 確かリカルド殿下方とのお茶の後、ローゼリア様とフィオルド殿下の例のご相談に対するご助言方法を話し合われると伺っていたのですが」
「兄上だけならまだしも、ミオソティス伯爵家のルシアン殿もその場にいたのだぞ? そんな状況でいくら愚弟とは言え、身内の恥的内容での相談等、出来る訳がないだろう」
「ですが、ローゼリア様とシャーリー嬢にはお話されていますよね?」
「それは……お二人のご厚意に甘えて……」
「特にローゼリア様など、かなり親身になってフィオルド殿下の性格改善にご協力頂いている状況ですよね? いくら元婚約者であったとは言え、あのような婚約破棄未遂を起こされかけた被害者でもあるローゼリア様が、そこまで親身なられるのは何故なんでしょうか……」
「それはローゼリア嬢から直接理由を伺わないと分からない」
ハロルドの返答にイースが盛大にため息を漏らした。
その反応にハロルドが再び眉間に深く皺を刻む。
「何だ……。お前は一体何が言いたい?」
「ハロルド殿下は、何故ローゼリア様がそこまでフィオルド殿下の為に親身になって動いてくださっているのか、その部分についてお考えになられた事はございますか?」
「それは……彼女にとってフィオは出来の悪い弟の様な存在であるから、その失態に呆れつつも同情の念を抱いてくださったからじゃないのか?」
「同情心だけで、あのように親身になってくださいますかね? もっと別の感情が原動力になっている可能性は、お考えにならなかったのですか?」
「別の感情……?」
イースの言葉にハロルドが訝しげな表情を浮かべる。
その様子を面白そうに確認しながら、イースが更に言葉を続けた。
「例えば……幼少期の頃の初恋相手であったフィオルド殿下に対する未練、あるいは慈愛的な感情でご協力してくださっているという可能性は?」
イースの言葉にハロルドが大きく目を見開く。だがその驚きの表情は、すぐに不快感を含む険しいものへと変化した。
「バカバカしい! ローゼリア嬢のような優秀なご令嬢が、後先考えずに行動をしては失態ばかりを起こしているフィオに恋心を抱くだと? イース、冗談を吐くなら、もう少しマシな内容にしろ!」
「何故違うと決めつけるのです? 確かにフィオルド殿下の中身は、かなり残念な内容ですが、容姿部分では理想的な王子そのものではありませんか。ましてや幼少期の頃など、やさぐれ気味で常に不機嫌な表情を浮かべていた可愛げのないハロルド殿下に比べ、フィオルド殿下はまさに天使! 侍女も侍従も護衛も骨抜きにされ、甘やかされ放題な環境!」
「お前は……。いくら兄上の親友とは言え、それは確実に王族である私とフィオに対する不敬だぞ……」
「ご心配なく。私は殿下の側近としての命を受けた際、リカルド殿下及び、両陛下より、お二人に対しての多少の不敬な態度に関しては大目に見て頂けると、お約束を頂いております」
「本当にお前は抜け目がないな……」
イースの堂々たる不敬対応宣言にハロルドが、盛大にため息をつく。
とてもではないが23になる成人男性とは思えない程、主であり王族でもあるハロルドに遠慮がない。だが、イースのその部分を大変気に入っているのがハロルド自身だ。
そんなお茶目な側近は、堅物である主を揶揄う事に余念がない。
「それはさておき……。話を戻させて頂きますが、殿下は何故、早々にお戻りになったのですか? 仮にフィオルド殿下の件のお話を出来なかった状況とは言え、ルシアン様より東国との交易に関しての情報交換をなさる予定だと伺っておりましたが?」
「………………」
またしても押し黙ってしまったハロルドの反応から、珍しく居心地の悪そうにしている主の状況を楽しもうとイースの瞳がキラキラと輝き出す。その側近の様子にハロルドが、ウンザリするような表情を浮かべた。
「お前は兄上以上に性格が黒過ぎる!!」
「殿下がホワイト過ぎるのですよ。まぁ、そういう意味では別方向でフィオルド殿下も白すぎという事になりますが」
「私をフィオと一緒にするな!!」
「それは無理ではございませんか? お二人はご兄弟ですので否が応でも血の繋がりを感じてしまう部分がございます。それで……何故こんなに早くお戻りに?」
「しつこい男は嫌われるぞ……?」
「ご心配には及びません。私は今をときめく第二王子の側近として、殿下がフィオルド殿下に拳を振るった例の夜会以降から、多くのご令嬢方からお声がけを頂いておりますので」
「趣味が悪いな……。そのご令嬢方は」
ハロルドが悪態をつくように呟くが、イースの方は満面の笑みを浮かべたまま、先程の質問への答えを待つ姿勢を崩さない。そんな面倒な側近にハロルドの方が、先に折れる。
「何故か分からないが、どうも私はローゼリア嬢とルシアン殿が揃っている状況での会話が上手く出来ない……。その状況に居たたまれなくなり、早々に退席してきた……」
言い訳をするようにハロルドが渋々答えると、イースがブッと吹き出す。
そんな反応を見せた側近をハロルドが鋭い視線で睨みつけた。
「兄上と同じ様な反応をするな!!」
「リ、リカルド殿下も同じ様な反応を? まぁ、そのような状況を見せられては、リカルド殿下のその反応には私も同意しか出来ませんね……」
視線を斜め下に向け、ハロルドから顔を背けて小刻みに震えているイースを心底面白くなさそうな表情で、ハロルドが睨みつける。だがその表情は、すぐに落胆するものへと変わった。
「何故かルシアン殿の事を警戒してしまう……。頭の中では彼が優秀で人当たりも良く、ローゼリア嬢の婚約者候補としては申し分のない人物だと私も感じている。そもそも今回の候補者の中では、かなり上位候補として目星を付けていたのだが……。何故ルシアン殿に対してそのように身構えてしまうのか、自分でも全く理解が出来ない……」
大真面目な顔で零されたハロルドの戸惑いの言葉を聞いたイースが、ギュッと口元を引き締める。だがそれは、どう見ても笑いを堪えているようにしか見えない。そんな状態になりながらもイースは、ハロルドにある事を確認する。
「殿下のそれは……『警戒』ではなく『牽制』ではございませんか?」
その言葉にハロルドが心外だと言いたげに渋い表情をしながら、片眉を上げる。
「牽制? 何の為に? そもそもルシアン殿は、今後私が臣籍降下をした際に同じ東国との交易関係で協力し合うべき相手だぞ? 友好的な関係を築きたいという気持ちがある相手に何故牽制しなければならない?」
「まぁ……殿下は今までそのような感情を抱かれる機会とは無縁だったかと思いますので、今のご自身の心境を理解されるのは難しいですよね……」
「それは……どういう事だ?」
「そういう意味だと、殿下よりもフィオルド殿下の方が、この状況に対する飲み込みは早そうですよね」
「イース……。私は遠回しに言われる事が、あまり好きではないのだが?」
「ええ。存知でおります。ですから敢えて遠回しな言い方をしております」
「お前は! その嫌がらせをする精神を何とかして改善しろ!」
あっけらかんとした様子でこき降ろしてきたイースに、ハロルドが苛立ちながら不満を訴える。しかし当のイースは、ニコニコと笑みを浮かべたまま、急に話題を変えてきた。
「ところで殿下、明日ローゼリア様のお屋敷に伺う際、新たな婚約者候補の方の情報はお持ちになるのですか?」
「いや……。正直なところ、今彼女に渡せる婚約者候補の情報が、まだ手元に揃っていない……」
「おや、それはおかしいですね? 確か切り札的な最優良候補者の男性を三名、殿下は確保されていたように私は記憶しているのですが?」
「その婚約者候補の情報は、ローゼリア嬢にはまだ提案しない」
「ではいつご提案されるのです? 早くご紹介して差し上げないと、現状ローゼリア様の望まれている条件に一番近いルシアン様で決められてしまうのでは?」
「それは……」
「それとも殿下は、ルシアン様をローゼリア様の新たな婚約者として、かなり押されているのですか?」
「………………」
再び押し黙ってしまったハロルドに対して、イースが口の端を上げる。
現状のハロルドは、何故自分がルシアンに対して牽制するような態度を取ってしまうのか、そして何故自分が、ローゼリアにとって好条件とも言える婚約者候補の情報を紹介する事に渋る行動に出てしまっているのか、全く理解が出来ないらしい。
だがイースの方は、大分前からハロルドがそのような行動に走ってしまう理由に気が付いている。そんな状態となっている有能な癖に自分が抱いている感情に全く気付けない愚鈍な主にイースが苦笑する。
「殿下。とりあえず明日は先日受け取られたフィオルド殿下からのご相談のお手紙だけは忘れず、マイスハント家にお向かいくださいね?」
「分かっている……」
呆れ気味に言われたイースの言葉にハロルドは、険しい表情のまま静かに頷いた。そして執務机の引き出しに入れてあったフィオルドの手紙を読み返す。するとその内容が、あまりにもハロルドにとって無縁な状況での対処方法の相談だった為、思わずため息が漏れた。
「劣等感というものは、こんなにも厄介なものなのか? 他人は他人、自分は自分と割り切れば、そこまで悩まずともいいはずなのだが……」
そのハロルドの呟きを聞いたイースが、困ったように何とも言えない笑みを浮かべた。
「殿下は嫉妬心や劣等感という感情とは、ほぼ無縁の人生でしたからね……」
「そんなことはないだろう。大体、私が幼少期の頃に兄上達と外見の色味が違う事を気にして、不貞腐れていた時期をお前は知っているはずだ」
「あの頃のハロルド殿下は、子供らしい素直さをお持ちだったので愛らしかったですからねー。『イース、何故僕だけ兄上達と見た目が違う?』と口を尖らせていらっしゃいましたっけ」
「人の幼少期の黒い思い出をほじくり返すな!」
「ですが、思春期に差し掛かった頃には完全に反抗期に入ってしまい、早々に隣国へ留学されるとは思いませんでしたが……」
「更にほじくり返して、傷口を広げるな!」
「今思えば、若気の至りと言う良き思い出ですね……」
「ちっとも良くない!!」
やや叫ぶ様にイースとの会話を放棄したハロルドは、再び弟フィオルドの手紙に視線を戻す。だがその内容は、全く入って来なかった。
「これでは明日のローゼリア嬢との相談に支障が出そうだな……」
そう呟いたハロルドだが、その予想は大きく外れる事となる。
何故なら、翌日ハロルドがマイスハント家を訪れると、問題の人物でもあるフィオルドが何故か、すでに突撃していた後だったからである……。