13.分厚い手紙
婚約者候補でもあるルシアンと実際に顔を会わせてから一週間後。
ローゼリアの元に二通の手紙が届く。
一通は王妃アフェンドラからのお茶の誘いであり、もう一通はこの一カ月間、手紙のやり取りをしている男爵令嬢のシャーリーからだった。
王妃からの手紙に関しては、毎回お茶の誘いなので、そこまで緊急性はない。
逆にシャーリーからの手紙は、フィオルドの対応に関しての相談内容が殆どなので、ローゼリアは無意識にまずシャーリーの手紙の方から開封した。
すると予想した通り、まずフィオルドの名前が飛び込んでくる。
しかしその内容は、いつもとは少し違っていた。
今回の手紙では今まで一日置きの頻度でシャーリーの元に届いていたフィオルドからの手紙が、今週は一通も届いていないという内容だったのだ。その手紙を読んだローゼリアは、侯爵邸での夜会で弟フィオルドに向って兄ハロルドが窘めた言葉を思い出す。
『お前の一途さは時と場合によっては、しつこ過ぎて迷惑な行動と取られやすい。その事を踏まえ、今後はエマルジョン男爵令嬢に接する際は節度と頻度を弁えろ!』
もしこれが王太子でもある長男リカルドであれば『お前はすでに嫌われているのだから、シャーリー嬢の事は諦めろ!』と、頭ごなしに言い切るだろう。
だが、次男ハロルドは敢えて『節度と頻度を弁えろ!』と、反省を促しつつも弟の恋路を完全否定はしなかった。
いくら失態が多いとは言え、そこは弟に対する兄心なのだろう。
だがローゼリアが驚いたのは、今回フィオルドが素直に兄ハロルドの助言を受け入れている事だった。
元々、真っ直ぐな性格ではあるので、納得さえ出来ればフィオルドは人の意見を聞き入れる事は出来る。だが、思い込みの激しい一途な考え方なので、他人から助言をされても自分の中に落とし込む事にかなり時間を要するタイプなのだ。
だが兄ハロルドは侯爵邸の夜会にて、短時間で弟自身にその問題点を納得させたようだ。恐らく三男の扱いが、長男よりも上手いのだろう。そう考えるとハロルドが留学していた期間、フィオルドを上手く誘導出来る人間が側にいなかった事になる。
実際、フィオルドの暴走が悪化した時期は、王族教育でローゼリアとの差が出始めた10歳頃であり、その時期に13歳となったハロルドが王立アカデミーに通い始め、更にその一年後に東の隣国へ留学している。フィオルドにとっては、一番自分と親身に向き合ってくれていた次兄が、急にいなくなってしまった状況なのだ。
同時に扱いづらい三男の舵取りをしてくれていた次男が急にいなくなってしまった事で、家族内では初めて三男の問題点に気付いたはずだ。だが、その事に気付けたとしても次男のように上手く三男と向き合う事は出来なかった……。
父である国王と長男に関しては、幼少期から能力値が高かったせいか、挫折と言う経験とは無縁だった為、高い頻度で壁にぶち当たる三男の立場で物事を考えられない。要するに何故自分達がすんなりこなせる事に三男が苦戦しているのか理解が出来ず、尚更三男への接し方に困惑してしまったのだろう。
そもそも唯一フィオルド目線で会話をする事が出来る王妃アフェンドラですら、息子が納得しやすいように物事を噛み砕く説明をする事に苦戦していた。
そんな対応が難しい三男の為に留学前のハロルドが双方の間に立ち、通訳的な存在として立ち回っていたのだろうと、ここ最近ローゼリアが気づいた事でもある。
だがハロルドが留学してしまった後は、その通訳的役割は誰も担えなかった。
結果、成長する度にフィオルドは偏った考え方をする傾向が強くなる。その結果が次兄の帰国祝賀パーティーでやらかしてしまった婚約破棄未遂だ。
だがフィオルドのその失態は、なにも彼の性格的部分だけが原因ではない。実はハロルドが留学後にフィオルドが親しくなった令息達の存在が、かなり関与している。
野心に満ちた彼らは、三人の王子達の中で真っ直ぐ過ぎる考え方のフィオルドが一番扱いやすいと判断し、只でさえ思い込みの激しいフィオルドに対して、自分達のメリットに特化した情報ばかりを与えたのだ。
その一つが、今回の婚約破棄未遂の切っ掛けにもなったローゼリアの悪評である。
フィオルドの取り巻き的な令息達は、主に自分達の姉や妹を第三王子妃にしようと、ローゼリアの失脚を狙ったのだ。
しかしその悪評を鵜呑みにする者は、一部の下級貴族とフィオルドのみ。
『氷の青薔薇姫』と呼ばれるローゼリアの本来の人間性を知る周囲の者達にとって、その悪評はあまりにもお粗末な内容だったからだ。
だが、一度受け入れた相手に信頼感を抱きやすいフィオルドは、その令息達の策略にまんまと乗せられてしまった。彼らから見たフィオルドは、言葉巧みに言いくるめる事が出来れば、簡単に操りやすい傀儡的な存在だったからだ。
案の定、フィオルドは彼らの策略にはまり、ローゼリアが噂通りシャーリーに嫌がらせをしていると鵜呑みにしてしまった。しかもフィオルドの婚約者の座を狙っている令嬢達もローゼリアの悪評をさり気ない様子を装いながら、何度もフィオルドに囁いた。
素直で真っ直ぐ過ぎるからか、一度信用してしまった相手に疑いを抱きにくいフィオルドは、周りから与えられる情報にすぐに感化されやすい。
それに加え、人を見る目も兄二人と比べて査定が甘かったのだ。
今回の婚約破棄未遂を切っ掛けに付き合う友人を見極めるようにと、兄ハロルドから滾々と説き伏せられフィオルドは、叔父の屋敷で再教育を受ける事を機に今までの交流関係を一度断ち切る選択をしたようだ。
同時に取り巻き的な令息達も早々にフィオルドに見切りをつけ、今度は兄ハロルドに取り入ろうとしている様子が夜会等で、多々目撃されている。だが弟と違い、付き合う相手を慎重に選ぶハロルドは適当にあしらっている様だ。
実際その影響なのか、ローゼリアが夜会等に参加すると、フィオルドと親しかった令息達にハロルドについて聞かれる事が、あの婚約破棄未遂事件から増えている。情勢変化に機敏な彼らの行動は非常に貴族らしい行動だが、フィオルドにとっては裏切りを感じてしまう態度に見えるはずだ。
ただ、その事にフィオルドが傷ついているかといえば、そういう訳でもない。
現状のフィオルドは叔父のエレムルス侯爵邸で、今までの自分の考え方や行動を見直す事に集中しているらしい。
その事をローゼリアが認識したのは、王妃からの手紙を受け取ってから三日目の事だった。
その日、ローゼリア宛で分厚い封筒の手紙が届く。
その知らせを侍女から受け、父達のいるサロンにローゼリアが向かうと、何故かテーブルの真ん中にある分厚い手紙を挟むように、父と兄が眉間に皺を寄せて向かい合いながら座っていた。
「お父様? それにお兄様も……どうされたのですか?」
ローゼリアの声で手紙を睨みつけていた二人が、ゆっくりと顔を上げる。
「どうもこうも……」
「ローゼ、お前はこの間のエレムルス侯爵邸での夜会で、フィオルド殿下とは謝罪の件以外にどのような会話をしたのだ?」
落胆気味に言葉を詰まらせる兄とは対照的に厳しい表情で質問してきた父に対して、ローゼリアは小首を傾げる。
「どのような会話と言われましても……。途中からハロルド殿下が会話に参加された為、フィオルド殿下はわたくしとではなく、主にハロルド殿下と会話をなさっておりましたが……」
「殿下方は、どういう内容の話をされていたのだ?」
「それは……」
父からの鋭い問いにローゼリアがそっと視線を外し、返答に困り出す。その様子から兄クライツは、何となくその内容を察したのだろう。
「あのバカ王子は、非常識にもお前に男爵令嬢との親睦を深める方法などを相談したのではないか?」
父以上に勘の鋭い兄の問いに今度はあからさまにローゼリアが視線を外す。
どうやらクライツは、あの夜会で兄に顔面を鷲掴みにされている弟フィオルドの様子をエレムルス侯爵と共に、しっかりと目撃していたようだ。
その状況から、本日ローゼリアの元に届いた手紙の主が謹慎中の第三王子からだと推測が出来る。
「もしやそちらのお手紙は、フィオルド殿下からの物でしょうか……」
「「そうだ」」
綺麗に声を重ねた父と兄の表情は、かなり厳しいものだった。そんな二人の様子に苦笑しながら、その分厚い手紙を手に取る。
すると近くに控えていた執事のローウェルが、スッとペーパーナイフを差し出してきた。その準備の良さから、この手紙がローゼリアの手によって開封される事を皆が首を長くして待っていた事が、容易に想像出来てしまう。
そんな三人にジッと見つめられながら、ローゼリアが手紙の端にナイフの先端を入れる。そのままスッと斜め上に滑らせると封筒はあっさり開封され、中から10枚近くの無理矢理押し込まれた様子の便箋が出てきた。その読み応えのありそうな便箋を封筒からとり出し、ローゼリアは一枚目からサッと目を通す。
「ローゼ、何が書いてある?」
まだ三枚目の途中だというのに兄クライツが、手紙を覗き込もうとしながら内容を聞いてきた。余程内容が気になるようだ。
だが手紙の内容は、ローゼリアが全く予想していなかった内容だった。
「ええと、それが……」
五枚目まで目を通したローゼリアは、父や兄達に見せてもよい内容だと判断し、読み終わった一枚目から順に二人に手渡す。それをひったくるように手に取ったクライツの手元を父が一緒に覗き込んだ。
しかし、出だしの一枚目から二人は、ピタリと同時に動きを止める。
「「は?」」
手紙から顔を上げた二人は、ジッとローゼリアを見つめてくる。
ローゼリアの方もそんな二人に何とも言えない微妙な笑みを返した。
「その……どうやらフィオルド殿下は、今までのご自身の振る舞いや偏り気味だったお考えを反省されているようで。その上で自己改善をされたいご様子のようですね……」
苦笑しながらローゼリアが呟くと、父と兄が盛大なため息を付いた。
「何を考えているのだ? あのバカ王子は……」
ついに父までも第三王子を『バカ』呼ばわりし始めた。何故なら手紙には、コンプレックスが原因でローゼリアとあまり向き合おうとしなかった事への謝罪と、現状ローゼリアが感じているフィオルドの問題点を全て教えて欲しいという内容だったからだ。それが便箋12枚に渡って、延々と綴られている……。
だがローゼリアにとって、フィオルドのその心境の変化は驚くべきものだった。
何故なら今まで周りの人間が、どれだけ遠回しにフィオルドの問題点を指摘し、何とかそれらを改善させようと取り組んできたが、肝心のフィオルドがその助言を偏った考えでしか受け取れず、自身の問題点を改善しようという動きには繋がらなかったからだ。
しかし帰国したハロルドの言葉だと何故かフィオルドは、すんなりと耳を傾け、自発的にその問題改善に取り組もうとしている。それだけハロルドは、弟が納得しやすい物事の説明の仕方が上手いのだろう。
父である国王や兄である王太子は匙を投げ、母である王妃はその改善に一人で奮闘するも上手くいなかった中で、次男ハロルドだけは家族の内で唯一三男目線で寄り添い、根気強く向き合ってきた事が窺える。
自業自得とは言え、婚約破棄を行おうとした祝賀パーティーで思い切りハロルドに殴りつけられたフィオルドだが……。その事で兄ハロルドを慕う気持ちが薄れる事がなかったのは、どうやらこういう経緯だったらしい。
手の掛かる弟とは言え、ハロルドは弟フィオルドを見守る姿勢を貫いており、そんな面倒見の良い兄ハロルドをフィオルドは、かなり信頼しているのだろう。
男兄弟の関係がよく分からないローゼリアだがハロルド帰国後から、やけに素直な反応を見せるフィオルドの行動には驚きしかない。
そんな事を考えていたら、兄クライツがローゼリアに向ってボソリと呟く。
「ローゼ……その手紙の返事を律儀にバカ王子にするつもりか?」
兄のその言い方に再びローゼリアは苦笑を深める。
「そのつもりではございますが……。まずは王妃殿下にご相談してから、お返事を返そうかと思っております」
「そうか……」
やや腑に落ちないという反応を見せたクライツにローゼリアも困惑気味な笑みで返す。だが王妃アフェンドラには、三日後に予定されているお茶席に招待されているので、その際にフィオルドへの対応を相談してから動いた方がいいと、ローゼリアは判断したのだ。恐らくその席には、シャーリーも招待されているはずなので、現状のフィオルドの様子も確認しやすい。
しかし、ふと手元の分厚い便箋の束に目を向けると、ローゼリアはある事に気付く。婚約期間が長かったとは言え、元婚約者のローゼリアに自分のダメ出しを依頼して来たフィオルドは、信頼を寄せている兄ハロルドにも同じような事を頼み込んでいるのではないかと。
だが、現状多忙過ぎるハロルドにフィオルドのこの相談が行けば、確実に公務に支障をきたす。一瞬、その事を懸念したローゼリアだが、いくらフィオルドでもそれぐらいは、空気を読むだろうと軽く捉えていた。
だが三日後、招待されたお茶席の場には、やや戸惑い気味のシャーリーと、呆れ果てた王妃アフェンドラと、疲労感を漂わせたハロルドの三人が、ローゼリアの事を待ち構えていた。