12.貴公子達の交流
4人の元にやって来たルシアンは、まず今回の夜会の主催者であるエレムルス侯爵への挨拶を口にした。
「エレムルス侯爵、本日はこの素晴らしい夜会への参加を許可して頂き、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、ミオソティス伯爵家のような将来性の高い家柄のご子息から、参加を希望して頂けるとは、喜ばしい事だ。是非、楽しんで頂きたい」
「ええ。もちろん、そのつもりです」
ルシアンがそう答えると、何故か侯爵がその後ろに視線を向けた。
「失礼。まだ挨拶を交わしていない来賓の方がいたようだ。それに折角の将来性ある若人が集まっている場に年寄りは無粋だな。私はそろそろ失礼させて頂こう」
そう言って侯爵は4人に丁寧に会釈をし、挨拶回りを再開する。すると、クライツがやや皮肉気味にルシアンに声を掛けた。
「ルシアン、君はこの夜会への参加を自ら希望したのか?」
「ああ。ある人物から有力な情報を貰ったからね」
意味ありげな言い方をしたルシアンが、今度はローゼリア達の方へと向き直る。
しかしハロルドの存在を確認すると、先程までの気さくな雰囲気はガラリと変わり、優美で畏まった空気をまとい出した。
「これはハロルド殿下、先月は私の要望へのお力添えを頂き、誠にありがとうございます」
「いや。こちらこそ、声掛けに応じて下さり、感謝する」
「お礼を申し上げたいのは私の方です。これを切っ掛けに良い出会いの機会を頂けたので」
またしても何か含みのある言い方をしたルシアンは、今度はその視線を隣に佇むローゼリアに向けた。
「ローゼリア嬢、お初にお目にかかります。私はミオソティス伯爵家長男のルシアンと申します。以後お見知りおきを」
「こちらこそ、ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません。いつも兄が大変お世話になっております」
「世話になっていたのは、私の方ですよ。あなたの事は学生時代からクライツより、よく話を聞いていたので。何故か初対面という感じが致しません」
釣り書の落ち着いた雰囲気の絵姿と違い、実際に対面したルシアンは社交性が高そうで、物腰の柔らかい話し方をする男性だとローゼリアは感じた。
凛とした雰囲気をまとい、どこか相手に緊張感を抱かせやすいハロルドとは、どちらかと言うと対局の位置にいるタイプだ。
だが、そのルシアンの柔らかい物腰は、どこか女性慣れしている様子も窺える。同時にあの腹黒い兄と友人という事にも意外性を感じた。
すると、ルシアンが本題とも言える会話展開を始める。
「すでにハロルド殿下より、私の個人情報は釣り書にて確認してくださっているかと思いますが……。本日は改めてローゼリア嬢にご挨拶をさせて頂きたく、こちらの夜会へ参加を希望致しました。よろしければお会いした記念に一曲お付き合い頂けないでしょうか。釣り書では確認出来ない私の人間性でも是非、ご検討して頂きたいと思いますので」
ふわりとした笑みを向けられダンスを申し込まれたローゼリアだが、何故か困惑してしまった。それはルシアンが思いの外、積極的なアプローチをしてきた事もあるのだが……。
それ以上にローゼリアを困惑させたのは、隣にいるハロルドだった。
先程からエスコートの為に取られていた手を一向に離してくれないのだ。しかも口元には優美な笑みを浮かべてはいるが、瞳からはその様子は一切感じられない。所謂、『目だけ笑っていない』という表情だ。
だが、いつまでもダンスを申し込んできた伯爵令息の手を差し出させたままでいるのも、かなり気まずい。その状況を何とかしようとローゼリアは、そっとハロルドを見上げる。
「ハロルド殿下。あの、そろそろお手を……」
ローゼリアの控え目な訴えにやっとハロルドが我に返った。
「こ、これは失礼を!」
そう言って慌ててローゼリアの手を解放する。
その様子にルシアンが不思議そうに少しだけ首を傾け、一度手を引っ込める。
「殿下? どうかなさいましたか? 何か気になられる事でも?」
「その……まさかルシアン殿が、こちらの夜会に参加されていたとは予想外だったというか……。婚約者候補としてあなたを彼女に紹介した手前、上手く彼女との面会に繋げられず申し訳ない」
何とも気まずそうに返答するハロルドにルシアンが破顔する。
「そのような事をお気になされていたのですか? 私としては殿下が、ローゼリア嬢の婚約者候補として私を打診してくださった事に大変感謝しております。友人のクライツの話によく出てくるローゼリア嬢とは、兼ねてから親睦を深めたいと、ずっと思っておりましたが、なかなかその切っ掛けがなかったもので。ですが今回、殿下にその一人としてご紹介頂いた事で、大変良い機会を得られました」
万人受けしそうな笑みを浮かべたルシアンは、心底嬉しそうにハロルドに感謝の言葉を述べる。そのルシアンの様子に更にハロルドは、何とも言えない微妙な笑みを返した。そんなハロルドの反応に気付かないルシアンは、すぐに興味対象をローゼリアに戻す。
「ローゼリア嬢、先程もお願いしましたが、是非一曲、おつき合いいただけませんか?」
再びダンスの誘いをしてきたルシアンの手を社交辞令として、ローゼリアが取ろうとした。しかし、その手は兄クライツによって、サッと掴まれる。
「ルシアン、初対面でガツガツし過ぎだ。妹が驚いている。いくら友とは言え、先程から目に余る行動が多すぎるぞ?」
苦笑しながらクライツが窘めると、ルシアンが困惑気味な笑みを浮かべる。
「これは失礼。だが、やっと君が自慢気に話していた妹君に会えたので、つい興奮してしまった。そもそも学生時代の君は、友人達からローゼリア嬢に一目合わせて欲しいと頼まれても『第三王子の婚約者でもある妹に易々と会わせる訳にはいかない』と、はぐらかしてばかりだっただろう? だが今のローゼリア嬢は王族の婚約者ではないのだから、勿体ぶる必要はないのでは?」
「君がもしローゼと婚約した場合、私は未来の義兄になるのだぞ? 今からでも私に対して点数稼ぎをしておくべきじゃないのか?」
「相変わらず、君は意地の悪い言い方をするな。まぁ、そんなユニークな性格の君だからこそ、私は友人としての良好な関係を君と築けたのだけれど」
懐かしさからか学生時代の雰囲気で会話を始めた兄達二人にローゼリアとハロルドは、置き去り状態となり始めていた。だが、すぐにその事に気付いたルシアンが、再び二人に笑顔を向けてきた。
「これは失礼を。クライツに会うのは一年ぶりだったもので、つい……」
そして今度はローゼリアに視線を固定する。
「ローゼリア嬢、本日はあなたを溺愛する兄上に邪魔をされてしまいましたが、またの機会に是非、私とのダンスにお付き合いくださいね?」
そう言って柔らかい空気をまといながらルシアンは、そっとローゼリアの右手を取り、その甲にそっと口付けを落す。
その瞬間、クライツが盛大に呆れる様な表情を浮かべた。
「君は私の先程の言葉を聞いていなかったのか?」
「これぐらい軽い挨拶じゃないか。そもそもこれは、君の妹君へ敬愛の意を示しただけだよ?」
「やり過ぎだ」
不満をこぼす兄にローゼリアが何とも言えぬ笑みを向ける。
だが、ふと気になったのが先程から一言も口を開かないハロルドだ。
ローゼリアがそっとハロルドの様子を窺うと、何故か視線を反らしながら明後日の方向を向いていた。
「ハロルド殿下? どなたかお知り合いの方でもいらっしゃったのですか?」
会場を見回しているようにも見えたハロルドの行動にローゼリアが問い掛ける。すると何故かハロルドが苦笑した表情を返して来た。
「実は隣国に留学していた頃の友人を見つけてしまって……」
「まぁ。では折角ですので、是非ご挨拶に行かれては?」
「ああ、すまない。それでは私は失礼させて頂く」
そう言って、ハロルドも三人の元を離れ、会場内にいた隣国に多い赤い髪をした青年貴族の元へ向かっていった。その様子を見ていたルシアンが一言こぼす。
「殿下は留学前とは、随分と印象が変わられたな。以前は誰も寄せ付けない一匹狼のようだったのに」
「それだけ大人になられたのだろう。そもそも留学前のアカデミー時代の殿下は、まだ13歳だっただろう。あの頃は、ちょうど思春期という難しい年頃だったはずだ」
「ああ、確かに」
兄達のその会話に思わずローゼリアが、吹き出しそうになる。
先程、ダンスをしている最中にハロルドも同じような事を言っていたからだ。
改めてあの紳士的な振る舞いが板についているハロルドにも反抗期があった事を想像してしまったローゼリアは、何故か親近感が湧いて来る。
そんな妹の様子にクライツが、やや呆れ気味に声を掛けてきた。
「ローゼ、思い出し笑いとは淑女として、はしたないぞ?」
兄のその一言で慌てて表情を引き締めたローゼリアだったが、その時に目が合ってしまったルシアンには、クスリと笑みをこぼされてしまう。何故だか分からないが、このルシアンという青年は兄クライツと同様に心の中を見透かしているような感覚を与えてくる。柔らかい笑みの中に何かを企んでいる様子がチラチラと垣間見えるのだ。
だが、その様子からは不穏な印象は全くない。
どちらかと言うと、ローゼリアの一挙一動の反応を楽しんでいる……そんな様子を感じさせるのだ。
そんなルシアンにやや警戒心を抱いてしまったローゼリアだが、それを表情に出さぬように落ち着いた雰囲気で対応を続けようとした。
だが、やはりそれも見透かされているのか、ルシアンは優しげな下がり眉を更に下げて、苦笑するような笑みをローゼリアに向けてくる。
「ローゼリア嬢、そのように警戒されないでください。今回はあくまでも私と言う人間を少しでも知って頂こうと思い、この夜会に参加しただけなので。早急にあなたとの親睦を深めよう等という浅ましい考えはございませんよ?」
やはり心の中を見透かされたようなルシアンの言葉にローゼリアは、申し訳無さそうに笑みを返した。自身ではそんなつもりは一切ないのだが、どうも無意識で警戒心が出てしまっているようだ。
「申し訳ございません。今まで兄クライツと婚約者であったフィオルド殿下以外の男性との交流が、あまりなかったもので」
「なるほど。男性と接する事にあまり慣れていらっしゃらないと言う事ですね? ですが、先程ハロルド殿下と踊られている際は、随分とリラックスをされていたように感じたのですが」
「あれは……ハロルド殿下が大変お気遣いある接し方をしてくださったので」
「では私は殿下よりも更にあなたに気遣いある接し方をしなければ、あのようなリラックスされる様子は拝見出来ないという事ですね」
柔らかい雰囲気をまといながらも押しの強いアプローチをしてくるルシアンにローゼリアは、思わず兄クライツに助けを求めるような視線を送る。
するとクライツが小さく息を吐いた後、口を開いた。
「ルシアン。そこまでにしてくれないか? 男性への免疫が少ない妹が困っている。あまり初心な小娘を揶揄わないでくれ」
「このような素晴らしい淑女に対して、その言い草はいくら兄でも酷いと思うのだけれど?」
「私にとってローゼは、いつまで経っても小さな子供のままだ」
兄のその言葉にローゼリアが苦笑する。
恐らくそれは嫌味等ではなく、クライツは本当にそう感じているのだろう。何だかんだ言っても兄クライツは、常にローゼリアの事を気にかけてくれる。
そんな無自覚で妹に過保護な兄にローゼリアは、今回敢えて甘える事にした。
「お兄様、そろそろ……」
「久しぶりに参加した夜会で疲れたか?」
「申し訳ございません」
「分かった。ルシアン、すまないが、我々はそろそろ失礼させて頂く」
「そうか……。もう少しローゼリア嬢とは親睦を深めたかったので、非常に残念だが、またの機会に期待しよう」
「ルシアン様、申し訳ございません」
「お気になさらず。婚約者候補としてハロルド殿下を通し、ご紹介に預かったのだから、またの機会があると信じておりますので!」
片目をパチリと瞑り、ややイタズラめいた様子を見せるルシアンに思わずローゼリアは口元をほころばせてしまった。その反応にルシアンは更に目を細めながら笑みを深めると、兄クライツが何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。
そんな和やかな雰囲気でルシアンとの初対面を果たしたローゼリアだが……。
この時過ごした時間が、後に自身の将来を大きく変える切っ掛けになるとは、全く予想していなかった。