きまじめ先生のおまじない②
唐辛子パンを食べてしまうという、思いがけないハプニングはありましたが、その日は大満足してミミルは家に帰りました。
賑やかな街の中心に行くのは楽しいし、ヤギメロンさんのニコニコパン屋の新商品も食べることができたし、ショーウィンドウ越しに見たかつらは綺麗でした。
でも、知っての通り、本来の目的は帽子を作りに行くことです。
おまじない屋に戻ってきて、寂しそうに壁に掛けられた麦わら帽子を見て、はたと思い出しました。
「そうだわ。この子にも、お友達をプレゼントしてあげなくっちゃ」
麦わら帽子は、夏の暑い盛りにしか使われません。
ミミルは、帽子は無ければ無いで困らないかな、とも思いましたが、夏の終わりの麦わら帽子を見ると、やっぱりもう一つあった方がいいなと思いました。
二つ並べて壁に掛けておけば、麦わら帽子も喜ぶのではないかと思ったのです。
そこで次の日の朝、いつもよりも早起きして、今度は真っ直ぐにウサギムラさんの帽子屋さんに行くことにしました。
しかし、これが言うほど簡単ではありません。
時計台のある広場に近づくと、すぐにパンの香りが漂ってきますし、その香りを嗅ぐと、ミミルは他のことはもう考えられなくなってしまうからです。
春にウシマロさんのところに行ったときに、早起きし過ぎて夜に眠れなくなってしまったことがあったため、今度はあまり早く起き過ぎないようにしました。
本当はそれはチョコレートを食べたせいなのですけど、ミミルは早起きしたせいだと思っていました。
◇
翌日の朝のこと。太陽が東の空に昇り、いつものようにおまじない屋の窓から、光の手を伸ばしてミミルのほっぺたをナデナデしたとき、ミミルはパッチリと目を覚ましました。
ところが、いつもなら、どれだけ頬を撫でても起きないミミルが、今日はすぐに起きてきたものですから、お日様はビックリです。
慌ててお空のてっぺんまで昇って、一息つきました。
そのおかげで、この日は朝が短くて、お昼がやけに長く感じられました。
街の人の中には、朝ごはんの代わりに昼ごはんを食べてしまった人もいました。
ミミルは、洗面所の鏡に姿を映すと、鏡の中のミミルに向かって、ニッカリと笑顔を作りました。
いつものミミルの日課。大事な大事な、朝のおまじないです。
ミミルミルミル ミミルミル
ハヤオキシタヒノ オマジナイ
タマニャワスレル コトモアル
モクテキビフテキ オイシソウ
メウツリオマツリ サアタイヘン
クンクンシアワセ ヤキタテダ
ココロニツノハエ シッポハエ
ワキメモフラレテ ソデヌラス
ミミルミルミル ミミルミル
ニドネアキマヘン オマジナイ
今日は目的を見失わないように、しっかりとおまじないをしました。
「よし。これだけ念入りにおまじないしとけば、大丈夫よね。パン屋さんには、お昼に寄ろうっと。どうしたって、お腹は空くものね。まずはお帽子お帽子っと」
少し不安ですが、ミミルが自信たっぷりなので、言わないでおきましょう。
いつものように、ホットミルクとはちみつトーストの朝食をとり、ゆっくりと支度をした後で、おまじない屋のドアを開けて表に出てみると、いつぞやのように、フクロウのフクロウタさんがテラスの手すりの上にとまっていました。
「あら、フクロウタさん。ごきげんいかがかしら。今朝はそんなに早起きしたつもりはなかったけれど。こんな時間にお会いするなんて珍しいわ」
フクロウタさんは小首を傾げると、茶色い真ん丸の目でミミルを見つめました。
「ホウ。お前さんの目には色眼鏡でもかかっておるのかね。わしは昼間に起きていることもあるよ」
「あら、そうだったの?てっきり、あなたとは夜にしかお会いできないと思っていたわ」
「そんなことはない。ついこの間だって、真っ昼間にお前さんの頭の上でホウホウ鳴いて、麦わら帽子に羽根を一枚落としてやったんじゃが、気がつかなかったようじゃの」
「そんなことあったかしら?」
今度はミミルが小首を傾げました。
無いと思いこんでいると、実際それが目の前にあったとしても気づかないものです。
「お前さんはいっつもそうじゃよ。目は開いておっても、心は夢の中じゃ」
「そんなことないわよ。ほら、おめめパッチリだわ」
ミミルは両方の親指と人差し指で、まぶたを広げてギョロ目を作ってみせました。
「いやいや、何も見ておらん。見ているようで、見ておらんのじゃよ」
「見てるわ。わたしは今、フクロウのフクロウタさんを見てる!」
フクロウタさんは、ホウと一つため息をついて、バサバサとどこかに飛び立っていってしまいました。
「なによ、あれ。失礼しちゃうわね」
ミミルは腰に手を当てて、プウっとほっぺを膨らませました。
◇
街へと続く道を、軽い足取りでミミルは進んでいきます。
おまじない屋の周りのバラ園を越え、小川にかかる橋を越え、同じ形をした新しい家が三軒立ち並んでいるところを越えて、街へと入っていきます。
足元が土の道からレンガの道に変わり、レンガから凸凹とした石畳みに変わると、そろそろ街の中心です。
ミミルが生まれるよりずっと前からある、細い道が入り組んだ、ごちゃごちゃとした界隈に入っていきました。
そこでミミルは、はたと足を止めてしまいました。
「あら?帽子屋さんって、どこだったかしら」
そういえば、帽子屋さんに行ったのは、もう一年以上も前の話。
街の中心にはよく来るミミルでしたが、行くのは決まってヤギメロンさんのパン屋さんばかり。
たまに絵本屋さんやクレヨン屋さんに行くことはありますが、よく考えたら、それらの場所も、はっきりとは覚えていません。
なんとなくこの辺を歩いて行けば着くな、という感覚はあるのですが、もし人に道順を説明しろと言われたら、困ってしまいます。
この街が小さな街ですので、今まではよく覚えていなくても目的の場所に辿り着いてしまっていたのでした。
「まあ、適当に歩いていれば着くわよね」
根が楽天家のミミルですので、とりあえずぐるぐると歩きまわってみました。
でも、いくつかの角を曲がっても、一向に目指す帽子屋さんは見えてきません。
それどころか、よく知らない通りに出てしまったようです。
「おかしいわね。確かこの辺だったと思ったんだけど」
この辺りは、古い街並みが残っていて、細い曲がりくねった道が何本も入り組んでいるのです。
建物もみんな似たり寄ったりで、今自分がいるところが、初めて通る場所なのか、さっきも通った道なのかの区別が付きません。
おまけに坂が多いため、見晴らしの悪い所がたくさんあるのでした。
当てずっぽうに歩きまわっているうちに、ミミルは足が疲れてきてしまいました。
どこかに座れるところがないかと探してみましたが、そういうところはどこにもありませんでした。
そこで時計台のある広場まで行って、ベンチで休もうと思いましたが、どちらに行けば広場に出るのか、皆目見当がつきません。
「あれ?もしかして、わたし、迷子かしら」
そう思ったら、急に心細くなってきました。
迷子だなんて、まさか自分がなるとは夢にも思わなかったのです。
どこに隠れていたのか、お腹の底から冷たいネズミがコソコソと這い上がってきたような感じがしました。
ミミルは言いようのない不安を感じました。
自分がまるで忘れられてしまったジグソーパズルのカケラになったような気がしました。
まだ自分が残っているのに、完成したと思われて、そのまま捨て置かれてしまったような気分でした。
今朝はあんなにしっかりとおまじないをしたはずなのに、どうして迷子になってしまうのでしょうか。
思わずその場に立ち止まりそうになりましたが、足が止まってしまうと、お腹の底から上がってきたネズミが大きくなって、そいつに食べられてしまうような気がしましたから、足は疲れていましたが、ネズミはできるだけ見ないようにして、とにかく歩き続けました。
◇
どれだけ歩いたでしょう。
さっき曲がった角を今度は逆に曲がり、さっき上がった坂を今度は下ります。
反対のことをすれば元に戻れるはずなのに、どういうわけかまた同じ道に戻ってしまいます。
まるでさっきからずっと同じところをグルグルとしているかのようです。
そのうちにお腹もグルグルと鳴き始めました。
本当なら、今頃はウサギムラさんに帽子を作ってもらっている間に、ヤギメロンさんのところのパン屋さんで、おいしい紅ショウガパンを食べているはずだったのです。
ああ、かわいそうなミミル。
大人の身長があれば、建物の間からひょっこり顔を出している時計台が見えたでしょうに。
時計台も時計台です。この寝坊助は、太陽がとっくの昔にお空の高いところにあるというのに、まだのんきに朝の四時半のところなんかを差しています。
早く目を覚まして、ミミルを見つけてくれないと。
◇
ミミルは、帽子屋さんや広場を探すのを諦め、昨日見たかつら屋さんを探すことにしました。
かつら屋さんのショーウィンドウが見つかれば、ヤギメロンさんのパン屋さんにも行けると思ったのでした。
何か目印になるようなものがなかったか、必死に思い出そうとしましたが、何も思い浮かんできません。
昨日行ったばかりのところなのに、よく覚えていないというのは、どういうことなのでしょう。
ショーケースの中の、金や銀のかつらの格好は良く思い出せるというのに、その周りがどんな様子だったかということは、さっぱり覚えていないのです。
ただ何となく、今いる場所に近かったような気がします。
細い道で、チーズを頭に乗せた人がヨロヨロしていたのは覚えています。
これ以上、迷子にしたままだと、ミミルのほっぺたに一雫の雨粒が落ちてきてしまいそうなので、そろそろ助け船を出すことにしましょう。
ミミルが不安に駆られて路地をさまよっていると、懐かしいような、ほっとするような、ミミルの大好きな、良く知っているあの香りが漂ってきました。
「あ、パンの香りだわ。わたし、知らないうちにパン屋さんの近くまで来ていたんだわ」
さっきまで暗い森の中に一人でいたような感じだったのに、急に空から明るい光が射してきたように思えました。
ミミルは鼻をくんくんさせて、大好きな香りを逃さないようにして、香りがする方向へと駆けていきました。
もしお尻にしっぽが付いていたとしたら、ちぎれんばかりに激しく振っているのが見えたことでしょう。
段々と香ばしい香りが強くなってきました。香りはすぐそこに見える角の向こうからしてきます。
ああ、あの角を曲がれば、幸せのヤギさんマークが見えてくるはずだ。
オレンジのレンガ壁の向こうには、ホカホカの焼きたてパンと、いつものヤギメロンさんの優しい笑顔がわたしを待っててくれるんだ。
胸を躍らせて角を曲がったミミルを待っていたものは、失望と戸惑い、それに少しの希望が入り混じった感情でした。
それは期待していたものとは違っていました。
香ばしい香りを放っていたのは、パン屋さんではなく、パン屋さんの袋を両手で抱えて歩く、背の高い男の人でした。
黒のローブを着て、銀縁の細い眼鏡をかけて、白いくるくるのかつらを被っています。
昨日かつら屋さんから出てきた、あの見かけない人でした。
ミミルは、どうしようかと思いましたが、この人に道を尋ねることにしました。
パン屋さんの袋を抱えているということは、今さっきそこから出てきたはずです。
「ねえ、ちょっと、そこのお兄さん」
知らない人にどう声をかけていいのかわからなかったので、前にネコユキさんがやっていたようにやることにしました。
もっとも、声をかけられた方としては、ミミルとネコユキさんとでは、だいぶ印象が違うでしょうが。
くるくるかつらの人は、ピタっと立ち止まると、訝しそうに辺りを見回しました。
「はて。今、誰かに声をかけられたような気がするのだが。この辺りにお兄さんと呼べるような人はワタクシしかおらぬが、ねえ、ちょっとそこのお兄さん、などと言いそうな女性が見当たらぬな。気のせいか。しかし、このワタクシが風の音と聞き間違えるなど、あろうはずがない」
首を傾げて、また行ってしまいかけました。
「ここよ、ここ。下を見てちょうだい」
ミミルは必死に叫びました。また迷子に戻ってしまうのは、もうごめんです。
背の高い男の人は、首を下に向けてミミルを見つけると、細い銀縁眼鏡の奥の細い目を、これまた更に細くして、驚いたようにミミルを見つめました。
よっぽど近眼なのでしょうか?あるいは、こんなに背が高いと、自分の足元を見るのにも望遠鏡がいるのかもしれません。
「ねえ、わたし、どうやら道に迷っちゃったみたいなのよ。あなた、ヤギメロンさんのパン屋さんに行ってきた帰りなんでしょ。わたしもそこに行きたいの。さっきからずっと歩きまわっていて、お腹ペッコペコなのよ。パン屋さんまでの道のりを教えて下さらないこと?」
眼鏡の人は、片方の手でパンの袋を抱えたまま、もう片方の手を尖ったアゴに当てると、体全体で首を傾げる真似をしました。ミミルには、それがひらがなの「く」の字にしか見えませんでした。
「お嬢さん、君が行くべき場所は、パン屋さんではない」
ミミルは、この人はどうしてそんなことがわかったのだろう、と思いました。
「そうね。本当は帽子屋さんに先に行くつもりだったんだけど。でも今はもうお腹と背中がくっつきそうなのよ。わたし、お腹と背中の仲がそんなに良くないの。もし仲良しだったら、今頃おせんべいみたいにペッシャンコになっていたわよ。もしわたしがおせんべいだったら、すぐにお醤油屋さんに行くんだけど」
「ワタクシが言っているのは、そういうことではない」
男の人は、ピシャリと言いました。
「そなたはまだ子供ではないか。子供がこんな時間にフラフラとパン屋さんなどに行っていてはいかん。そなたには、もっとふさわしい場所がある。ワタクシが今からそこに案内しよう」
そう言って、その人はスタスタとどこかに歩いて行こうとしました。
「あ、待ってちょうだい。わたしはパン屋さんに行きたいのよ」
「パンが欲しいのなら、ワタクシが今抱えているパンをあげよう」
立ち止まってクルリと振り向いて、眼鏡の奥の細い目でミミルを見つめました。
「え、ほんと?」
「ただし、ワタクシがそなたに与えるものは、パンのみにあらず」
と言って、またスタスタと先に行ってしまいました。
少し意味がわからないところもありますが、この人は道を教えてくれそうにないし、このままここにいたら、本当にお腹と背中が手を結んでしまいます。
兎にも角にも、パンを食べさせてくれるということなので、ミミルは男の人の後をついていくことにしました。