似てない親子のおまじない①
次の日、ミミルはエイっと早起きしました。
外はまだ真っ暗、お日様だって寝ています。
昨日みたいに途中で誰かに出会ってもいいように、今日はうんと早く出発することにしたのです。
洗面所の鏡に自分を写すと、ニカッと笑いました。
ミミルミルミル ミミルミル
オデカケマエノ オマジナイ
キョウハノヲコエ ヤマコエテ
カワコエウミコエ コエスギダ
アメフリヤリフリ ナンノソノ
ドンナニコンナン アロウトモ
クジケズユクノダ ススムノダ
ユケバワカルサ ミチハアル
ミミルミルミル ミミルミル
シュッパツマエノ オマジナイ
今日はなんとしても、北のウシマロ牧場に行って、ミルクをもらってこねばなりません。
いつもより念入りに朝のおまじないをしました。
ミミルはお茶とビスケットの朝食をとりましたが、はちみつトーストとホットミルクの朝食に比べると、なんだか調子が出ない感じです。
それとも、こんな時間に起きたからでしょうか?
いつものお気に入りの赤い服に着替えて、バスケットに新しいオレンジを放り込むと、おまじない屋のドアを開けました。
「あら、フクロウタさんじゃないの」
店の前のテラスの手すりにとまっていたのは、フクロウのフクロウタさんでした。
夜行性のフクロウタさんにとっては、そろそろ寝ようかという時間です。
「ホウ、ミミル。珍しいね。お前さんがこんな時間に起きてくるなんて。わしはてっきり、この時間はお前さんはまだ夢の中だと思っていたよ」
フクロウタさんは、元々丸い目をさらに丸くしてミミルを見ました。
「うふふ。見直したかしら?フクロウタさん、あなたはとっても物知りだと聞いているけど、あなたにだって、まだまだ知らないことはあるのよ」
と、ミミルは胸を張りました。
「そのようじゃの。わしも随分長生きしたが、このようなことは初めてじゃよ。何か悪いことでも起きなければよいがの。どれ、わしもそろそろ寝るとするかの」
フクロウタさんは一度大きなあくびをすると、森の方へと飛んでいってしまいました。
「まあ、フクロウタさんったら失礼ね。わたしだって、早起きぐらいできるわ」
そうは言ったものの、やっぱり眠いのか、ミミルはあっちへフラフラ、こっちへフラフラ。
覚束ない足取りで、街へと続く道を歩き始めました。
それを見て慌てたのはお日様です。
日の出までにはもうちょっと余裕があるなと思ってくつろいでいたのですけど、ミミルの姿を見つけて、大急ぎで東の空に昇りました。
でも、お月様はまだのんびりと西の山の辺りに浮かんでいましたので、この日は、しばらく太陽と月とが同時に空にありましたっけ。
実際、お日様は早すぎたんですよ。
街の人たちは、もう朝が来たのかと思って、起き出してきましたけど、なんだかこの日は一日中眠いような気がしていました。
寝坊助の時計台はびっくりしてしまって、朝だというのに十二回も鐘を鳴らして、またすぐに眠りに落ちました。
それがミミルが早起きしたせいだなんて、一体誰が考えついたでしょうね。
◇
お日様がポカポカと照らしてくれたおかげで、ミミルの道も随分と歩きやすくなりました。
ヨロヨロとしていたのが、段々と体が温まって、トッコトッコと、力強い歩みになっていきます。
目指すウシマロ牧場は、時計台がある街の中心から少し北に行ったところにあります。
街の中心を通っていっても、そんなに時間はかかりませんが、もっと早く着ける近道もあります。
ミミルは、賑やかな街の中心に行くのも好きでしたけど、この日は寄り道せずに近道を行くことにしました。
もしそちらを通ったら、パン屋さんのおいしい香りに誘われて、本来の目的を忘れてしまうかもしれませんから。
しばらく歩くと、色んな形をした家がごちゃごちゃと立ち並ぶ、坂の多い通りに出ました。
この辺りは、ネコヤナギさんやネコユキさんや、他にも猫さんたちがたくさん住んでいる場所です。
ミミルの街の人たちは、ここを猫通りと呼んでいます。
石畳みの道を登ったり降りたりしながら歩いていくと、通り沿いの家のどこかから、なにやら楽しげな歌が聞こえてきました。
みんなで学ぼう ネコロジー
自然にやさしい ネコロジー
お魚焼いたら ピザ食べよう
お布団敷いたら 出かけよう
忘れもの 百点 ネコロジー
気まぐれ 千点 ネコロジー
一番偉いの 子猫ちゃん
二番目偉いの アヒルちゃん
ネコロジックに 手をつなご
ネコロジックに 目をまわそ
「それにしても、猫さんたちって色んな家に住んでいるのね」
大体にして同じ生き物は、同じような家に住んでいるものですが、猫たちは実に様々な家に住んでいるようです。
小さくて四角い家もあれば、丸くて大きな家もあります。
縦に細長い家もあれば、横に平ぺったい家もあります。
大きな家に一人しか住んでいない場合もあれば、小さな家に大家族がくっつき合って暮らしている場合もあるのです。
いつも同じ家に住んでいる猫もいれば、フラフラとあっちに行ったちこっちへ行ったりする猫もいるものですから、猫通りでは、夕食のテーブルにいきなり知らない人が混ざっている、なんてこともよく起こるのですよ。
◇
猫通りを過ぎると、段々と家がまばらになってきて、自然が多くなりました。
やがて『この先ウシマロ牧場』と書かれてある看板のところに出て、小麦畑の中の一本道を通ると、爽やかな風が吹き抜ける、広い牧場に出ました。
体に白と黒の模様をのせた牛さんたちが、のんびりと日向ぼっこをしています。
時折、ンモー、という間延びした鳴き声が聞こえてきて実にのどかです。
ここが縦にも横にも体が大きくて、見た目が牛なのかそれとも人なのか、人にしては牛っぽく、牛にしては人っぽい、ウシマロさんという人が経営している、その名もウシマロ牧場です。
目に鮮やかな緑の牧草が、清涼感のある柔らかな香りでミミルを迎えてくれました。
「ウシマロさん、こんにちは」
ミミルはミルク小屋の方に行くと、元気よく声をかけました。
ミミルの目的はミルクをもらってくることですから、いつも家の方には行かずに、ミルク小屋に行きます。
ウシマロさんは、牧場の牛たちに負けず劣らずのんびりとしていますから、しばらく待たなくてはいけません。
ミミルは、きっと今頃ウシマロさんは小屋の奥でお茶でも飲みながら、おやおや、今誰かの声がしなかったかな、お客さんかな、と思っている頃だと思いました。
普段なら、この後ミミルが二回目の挨拶をして、ウシマロさんが、いやいや、ひょっとすると今のは空耳ってこともありうるな、うん、もう一杯お茶を飲んでからにしよう、と思いなおし、ミミルが三回目の挨拶をしたところで、ウシマロさんが、おや、この声は小さなミミルだな、きっとミルクがなくなったんで貰いに来たんだな、と思い、ミミルが四回目の挨拶をしかけたところで、大きなお腹をさすりながらようやく表に出てきます。
ところが、今日はミミルがそろそろ二回目の挨拶をしようかしら、と思ったところで、小屋の奥からのしのしとウシマロさんが出て来たものですから、ミミルはびっくり仰天です。
「んまあ!どうしちゃったのよ。わたし、まだ一回しか挨拶してなくってよ。もしかしてフクロウタさんの言っていた悪いことっていうのは、このことかしら」
早く出て来てもらうのはいいことのように思えるのですが、あながちそうではないかもしれません。
というのは、ウシマロさんの顔が青ざめていて、なんだか元気がない様子だったからです。
「ふわ。ミミル。最近、色々とあってね。眠れない夜が続いていたんだよ。それで昨日は早目に寝たつもりだったんだけど、それでも眠いね。なんだかいつもより朝が早く来たような気分だよ」
ウシマロさんは、ふわわぁぁっと、大きなあくびをしました。
「それはゴサイナンサマですこと。ゴサイナンサマといえば、わたしはミルクがなくなっちゃったのだわ。本当は昨日来るつもりだったけど、イロイロとあって。それでうんと早起きして来たのだわ。ミルクのない朝を続けたくないもの」
ミミルはウシマロさんの悩みよりも、ミルクの方が気になりました。
「ああ、ミルクのない朝は辛いものだよ。ふわ。特にウチのミルクは最高だからね。この間、母牛が新しい子供を産んだんだ。より一層ミルクも出るようになった。でも、子牛が一頭増えるというのも、大変なことだよ。手がかかるんだ。ふわあぁぁ」
と、ウシマロさんはげんなりして言いました。
「お忙しいようね。その母牛のミルクを頂けるのかしら?」
ミミルはバスケットの中から空のミルクビンを取り出して、ウシマロさんに渡しました。
「いや、初乳はあげられないんだけど、今朝絞ったものがあるから、それをあげるよ。ふわあ。それにしても、手はかかるけど、子牛って、かわいいものだよ。母牛のおっぱいを一生懸命吸ってね。ウチの娘にもああいう時期があったよ」
ウシマロさんはまだ話を続けたそうでした。
「娘って、シキブさんのことね。最近見ないけど、元気にしているかしら」
言ってしまってから、ミミルはしまったと思いました。
シキブさんとは、ウシマロさんの一人娘で、今は遠くの街の学校に行っています。
ミミルも、もっと小さい頃に、遊んでもらったり、おまじないをかけてあげたりしたことがあります。
ウシマロさんと同じような、ぽっちゃりとした体型の女の子でした。
「実は、その娘のことなんだけどね」
「わたしも子牛さんと同じで、ミルクが待ち切れないのよ」
話が不穏な方に入って行くのを感じて、ミミルはウシマロさんをせっつきました。
一日の時間は限られています。うんと早起きしたつもりでしたが、どういうわけか太陽は既に空高くにありました。
でも、ウシマロさんは、急ぐということをしない人なのです。
「そうだミミル。せっかくだから、ミルクをご馳走するよ。それに、今なら牛乳豆腐もあるよ」
ミミルは、どうしようかしらと思いました。
時間があれば、街の中心に行って、パン屋さんに寄って行きたいと考えていたからです。
「ちょうどパンもあるよ。今朝、ウチのやつが行ってきたんだ」
今が何時かわかりませんでしたけど、ロクな朝食を食べていませんでしたので、ミミルのお腹は空いていました。
「それって、何パンかしら?」
「ヤギのマークのニコニコパン屋特製の、ヤギメロンパンだよ」
ミミルが食べたいと思っていたパンです。
「うーん、そうね。ミルクは温めてもらえるかしら」
「もちろん温めるとも」
ウシマロさんの頬に少し赤味が差したようでした。
「さあさ、奥へいらっしゃい」
「オジャマシマスだわ」
ウシマロさんは嬉しそうにミミルを小屋の奥へと案内しました。
とにかくミミルと話がしたかったのです。
この街の人たちは、ミミルと見ると、誰でもおしゃべりになって、人に秘密にしていたようなことでも、何でも話したくてしょうがなくなってしまうのですね。
◇
奥には簡単なテーブルセットがあって、ウシマロさんはそこにミミルを座らせました。
「今、用意させているよ。それまでお茶でも飲んでいてよ」
「キョウシュクですこと」
ウシマロさんも、大きな体を無理矢理椅子にはめ込みました。
ミミルには、ンモーっという、椅子の嘆きが聞こえてくるようでした。
お茶は少しぬるくなっていました。
「娘のことなんだ」
と、早速ウシマロさんは話し始めました。
「こんなことを人に話すのも恥ずかしいんだけどね。実は娘のことで悩んでいるんだ。ぼくはさっき、子牛が産まれたって言ったけど、来月にはまたもう一頭産まれる予定なんだ。ますます忙しくなるよ。それで」
ウシマロさんはぬるいお茶をひとすすりしました。
「手伝ってくれるといいんだけどね」
「シキブさんは、確か遠くの学校に行っているのよね」
「うん。今は帰ってきてるんだけど、帰ってきてたって、家にいないんだ。すぐにどこかに出掛けちゃって、家には寝るときに戻ってくるだけさ。テッポウダマってやつだよ。家にいたって、ロクにあいつの顔を見やしないんだから」
ホットミルクが出来上がったと見えて、ウシマロさんの奥さんが食べ物を持ってやってきました。
「あら、ウシナゴンさん。お久しぶりね。お気遣い、カンシャイタシマスだわ」
奥さんも、ウシマロさんみたいに縦にも横にも大きい人でした。
ミミルに微笑みかけると、ユッサユッサと体を揺すって、また小屋の奥へと消えていきました。
「ウチのやつは、奥ゆかしいやつでね。でも、ぼくのところに嫁いできてから、よくやってくれているよ。今まで二人で力を合わせて牛の世話をしてきたんだ。こんなこと面と向かってあいつに言うことはないけど、彼女には本当に感謝してるよ」
「シキブさんは違うのかしら」
「昨晩も娘と言い合いになってね。忙しいんだから、お前も仕事を手伝えって言ったら、あいつも怒っちゃって。せっかく帰って来たのに、親子喧嘩さ」
ミミルは、これはわたしが早起きしたせいではないわと思いました。だって、昨日の夜のことですからね。
「全く、自分の子供なのに、何を考えているのか、さっぱりわからないよ。ぼくたち二人から、どうしてあんなのが産まれたんだろう?きっと牛の子と取り違えたんだよ。ぼくたちの本当の子は、この牧場のどこかでモーモー鳴いているのさ」
「まあ、それはいくらなんでも、レディに対して失礼だわ」
「ごめん、ごめん。ちょっと言い過ぎたな。ぼくにとっちゃ、牛の子も人の子も、同じようにかわいいっていうことを言いたかっただけなんだけどね。まあ、それはさておきこれは物置だけど、あいつは牧場を継ぐ気がないのかもしれないね。ここの牧場も、ぼくの代で終わりだよ」
と、ウシマロさんは悲しそうに言いました。
「ここがなくなっちゃったら、わたしも困るわ」
と言って、ミミルはメロンパンを手に取って、ヤギの顔を形どったパンの、耳の部分にかぶりつきました。
すぐに口の中の水分がなくなってしまったため、ミルクで湿らせました。
自宅で飲むより、味が濃い気がしました。
お茶に入れてミルクティーにしてみたら、ちょうどいい甘さになりました。