つよがりリスのおまじない
ある日のことです。
この日も太陽は朝早く目を覚まし、東の空に昇りました。
ご丁寧にも光の腕を伸ばして、まだベッドで気持ち良さそうに寝ているミミルのほっぺを優しくなでなでしてやりましたが、相変わらずミミルは夢の中でしたので、諦めてお空のてっぺんに向かいました。
お日様が、やれやれ、もうじき頂上に着くわい、と思った頃、ようやくミミルは目を覚ましました。
「ふわぁ。よく寝たわ」
いつものように、鏡の前でニカッと笑って、朝のおまじないをしてから朝食の用意です。
得意料理のはちみつトーストとホットミルクで、朝の優雅な一時を過ごします。
この日は、今朝の分のホットミルクを作ってしまうと、ミルクがなくなりました。
「あら、ミルクがなくなっちゃったわね。今日はお店はやめにして、ウシマロさんのところに行ってミルクをもらってこようっと。ついでにパン屋さんにもよりたいわね」
まあ、こんな日もありますよ。
ミミルはおまじないが大好きだからおまじない屋をやっていますけど、いくら大好きなものがあって、そればかりやっている人でも、たまにはお休みすることもありますものね。
それに、ミミルはお出かけだって大好きなんですよ。
だからミミルは、ふんふんと鼻唄を歌いながら、お気に入りの赤い服に着替えると、自分の体の半分くらいもある大きなバスケットに空のミルクビンを入れて、ついでにオレンジも入れました。
こうすれば、途中でお腹が空いても平気ですからね。
でも、ミミルに言わせると、
「レディのお出かけには、オレンジを持って行かなくっちゃだわ」
ということになるようなんですけど。
◇
店を出て、街へと続く道をトコトコと歩いて行きます。
ミミルが住んでいるのは街の外れですから、辺りはチューリップや菜の花が咲き乱れて、ほのかな香りを放っています。
働き者のミツバチさんたちが、せっせと花粉を足にくっつけて、お団子作りに夢中です。きっとそのお団子で、お花見でもするつもりなのでしょう。
ミミルがクルミの木のところに差し掛かったとき、ミツバチさんたちのブンブンという羽音に混ざって、ヒューゥ、コテッという音が聞こえました。
足元を見ると、一匹のリスが仰向けに倒れています。
「あら、リスミンさんじゃないの。こんなところで何をしているのかしら。カメの甲羅干しっていうのは聞いたことがあるけど、リスのお腹干しってのは、初耳ね。どうせ『ホス』なら、わたしはお空の流れ星がいいわ」
「違うよ、ミミル」
リスミンさんは、むくっと立ち上がって、抗議をするようにミミルを見上げました。
「ぼくはクルミの実を取ろうとしてたんだよ。でも、木から落っこちちゃったんだ」
ミミルが傍らのクルミの木を見上げると、一番てっぺんの枝に、まだ青々とした実がついていました。
「まあ、あんなに高いところから落っこちたの?よくケガをしなかったわね」
「違うよ。ぼくが落ちたのは、ええと、あの辺」
と、リスミンさんは木のどこかを指で差しましたが、リスの短い腕では、どこを差しているのかよくわかりませんでした。
「あの辺かしら?」
ミミルはクルミの実のすぐ下の枝を指差しました。
「ううん、もっと下」
リスミンさんは首を振りました。
「あの辺?」
ミミルはもう一つ下の枝を指差しました。
「ううん、もっと下」
リスミンさんはまた首を振りました。
「じゃあ、もうあそこね」
ミミルは思い切って一番下から伸びている、太い枝を指差しました。
リスミンさんは、恥ずかしそうにコックリと頷きました。
「すぐそこじゃないの。あそこまでなら、わたしだって登れるわ」
と、ミミルは言ってしまってから、リスミンさんが気を悪くしないかと心配になりました。
でも、実際に小さなミミルでも、ジャンプをすれば手が届きそうなくらいの位置に、その枝はあったのです。
「でも、上までは登れないだろう」
リスミンさんは少し拗ねたようでした。
「そうね。上までは登れないわ」
「リスは平気であそこまで登れるんだよ」
リスミンさんは誇らしそうに言いました。
ミミルは、どうかしら、と思いました。
普通のリスなら登れても、一番下の枝から落ちているようでは、リスミンさんには無理かもしれません。
でも、そのことは言わずにおこうと思いました。
「わたしなら、落ちてくるのを待つわね。だってまだ青いじゃないの。きっとおいしくないわよ。それよか、つくしを摘むとか」
とミミルが言うと、リスミンさんは肩を竦めて両手の平を上に向けるポーズを取りました。
「ヘン、それが人間の考えってやつさ。リスはそんな風に思ったりしないよ。クルミは今成ってるんだから、今取りに行かなきゃ」
言うが早いか、リスミンさんは木に飛びついて登り始めました。
流石にリスだけあってか、チョチョチョチョと、素早く登っていきます。
ところが、一番下の枝まで来ると、ツルッと足を滑らせて、また、ヒューゥ、コテッと地面に落ちてしまいました。
すぐにまたムクっと起き上がって、チョチョチョチョと登っていきます。
それでも、今度もまたさっきの枝まで来ると、ツルッと滑って落ちてしまいます。
すぐにまた起き上がって登ろうとしましたが、やっぱり同じところで落ちてしまいました。
リスミンさんは疲れたのか、木の根元に腰を下ろしました。
「ちょっと休憩だよ」
ミミルも見ていて疲れてしまったので、リスミンさんの隣に座りました。
「秋になってからでもいいじゃない」
「関係ないよ、そんなこと」
リスミンさんは強がっているようでした。
「わたし、オレンジを持っているわ。リスミンさんもいかがかしら」
「リスはそんなの食べないよ」
「そう。なら、わたし一人で食べるわ。なんだかくたびれちゃったもの」
ミミルがオレンジの皮を剥くと、辺りに柑橘の爽やかな香りが広がりました。リスミンさんは、鼻をくんくんさせました。
「お一ついかが」
「いらないよ。匂いが気になるだけだよ」
「だけど、わたし一人じゃ、こんなに食べ切れないわ。リスミンさんも食べてくれるとありがたいのよ」
「ふうん。じゃあ、そんなに言うなら貰ってあげるよ」
ミミルは、まあ、素直じゃないこと、と思いましたが、口には出しませんでした。
本当はミミル一人でも食べてしまえたのですけどね。
◇
二人でオレンジを分けっこして食べていると、少し元気が戻ってきました。
若草色した春の風が、二人の間を通り抜け、たゆたうような眠気を誘って、ミミルは大きなあくびをしました。
「ねえ、ミミル」
不意にリスミンさんが切り出しました。
「こんなこと、誰にも言ったことはないんだけどね」
リスミンさんは、なぜだかわからないけど、話をしたくなりました。
「ぼくってリスのくせして、木登りが下手なんだよな」
ミミルの前に来ると、みんなおしゃべりになって、人に隠していた秘密も打ち明けてみたい気持ちになってしまうのです。
「別にいいじゃない。わたしだって、お料理が下手よ。今でこそ、はちみつトーストは十回に九回はうまく作れるけど、前はよく失敗してたわ。ホットケーキは、今でも二回に一回は失敗する」
「人間はいいよ。お料理の得意な人もいれば、苦手な人もいる。でも、木登りが下手なリスだなんて聞いたことがないよ」
「そうね」
とミミルは相づちを打ちました。
「ぼくだけなんだよ。本当だよ。リスの中で、ぼくだけが下手なんだ。あーあ。またどんぐりを食べなきゃ。去年の秋にたくさん拾っておいて良かったよ」
「どんぐりはお嫌いかしら?」
「そんなことないけど。別に、ずっとどんぐりでも構わないけど。じゃあ、どうしてぼくはクルミを食べたがるんだろう」
二人の間に沈黙が流れました。
でもそれは、気まずいものではありませんでした。先に沈黙を破ったのはリスミンさんでした。
「これは、それとは別の問題があるように思うな。実を言うと、クルミだって、まだそんなにおいしい時期じゃないからね。ぼくはクルミが食べたいとかじゃなくて、なんていうか、今の自分が嫌なんだろうな」
ミミルは、高い木に登ってクルミを採るリスも、地面でどんぐり拾いをするリスも、同じようなものだと思いました。
「ぼくはたくさん練習したんだよ。でも、ちっともうまくならないんだ。他のリスはすぐにできるようになるのに。あーあ、何でぼくはリスに生まれちゃったんだろう」
とリスミンさんは頭を抱えました。
「リスでいるのも、大変なことなのね」
とミミルは言いました。
リスミンさんは、何かを思いついたようにミミルを見上げました。
「そうだ。ねえ、ミミル。きみはこの街で唯一のおまじない屋なんだろう。ここはひとつ、ぼくにもきみのおまじないとやらをしてみてくれないかな。これ以上、一人で木登りの練習をするのにも、疲れちゃったよ」
おやおや。今日はおまじない屋はお休みにするつもりだったんですけど、思わぬところからお願いされました。
この街には、ミミルと見ると、どうしてもおまじないをしてもらいたがる人がいるみたいですね。
ミミルも、おまじないは仕事で嫌々やっているわけではなくて、おまじないが大好きで、大好きで大好きで、大好きでしょうがないからしているのですから、おまじないを頼まれて断るはずがありません。
「オヤスイゴヨウだわ。リスミンさんが木登りがうまくなりますように。いつか木の上でクルミを食べれますように」
ミミルミルミル ミミルミル
キノボリジョウズナ オマジナイ
リスニウマレタ ソノヒカラ
イダクヤボウハ ソラタカク
イツカランチヲ キノウエデ
ジリスシマリス ミンナリス
ドングリコロコロ ドジョウナベ
コレモナカナカ イケルワネ
ミミルミルミル ミミルミル
ジブンヲミトメル オマジナイ
おまじないをしてもらうと、リスミンさんは、晴れ晴れとした顔になりました。
ピョンピョンと飛び跳ねて、おまけにトンボまで切りました。
「うわぁ。なんだか気持ちが楽になったな。ありがとう、ミミル。きみにおまじないをしてもらって良かったよ。何かお礼をしたいけど、生憎と今は持ち合わせがないから、後で家に届けるよ」
リスミンさんはチョコチョコと走って、どこかに行ってしまいました。
きっと寝ぐらに帰ったのでしょう。
気がつけばもうお日様は西の山のてっぺんに差し掛かり、カラスがカア、カアと鳴き始めました。
もうじきフクロウもホウ、ホウと鳴き始めることでしょう。
「ああ、今日はよく働いたなあ」
ミミルも家に帰ることにしました。
お昼寝をしていないせいか、いつもよりも疲れたような気がします。
でも、リスミンさんの晴れやかな顔を思い出して、思わず口元が緩みました。
◇
来たときと同じように、トコトコと歩いて戻ります。
家に着くと、玄関の前にどっさりとクルミの実が置いてありました。
リスミンさんがお礼を持ってきてくれたのです。
「あら、リスミンさん。木登りが上手になったのかしら。きっと違うわよね。まだクルミは時期じゃないもの」
これはリスミンさんが去年の秋にたっぷりと拾って、貯めておいたものでした。
そりゃそうですよね。だってあの調子だと、木登りが上達するには、まだまだ時間がかかりそうでしたものね。
それよりミミルは、重大なことに気づきました。
「わたしってば、ミルクをもらいにいってないじゃない!」
あらあら。ミミルって子は、いっつもこんな調子なんですよ。
まあまあ、ミルクはまた明日もらいにいくことにして、今夜は早目にベッドに入りましょうね。
後でもう一つ、ミミルは重大なことに気づいたのですが、それは、ミミルの力では、どんなに頑張っても、クルミを割ることができないということでした。
結局、リスミンさんに来てもらって、歯で割ってもらうまで、クルミはお預けになったのでした。
もちろん、二人でおいしく分けっこしましたとも。