夢見るおばけのおまじない⑦
帰り道。ミミルはメイムさんと、それからアンとウンも一緒に山を下って行きました。
メイムさんが神通力で、木を銀色に輝かせてくれました。
ランプの光ほど明るくはありませんが、歩くのには十分です。
「綺麗だわ。とっても幻想的ね」
光っているのは木の幹です。そこから放たれた銀色が、緑の葉っぱを通り抜けて虹色に変わりました。
その虹は地面を青く染め、小石に当たって金色に変わり、オレンジや紫を伴って深い闇へと吸い込まれて行きました。
「神通力って、すごいのね。百万本のキャンドルの明かりも、粉雪を照らす月の光さえも、メイムさんの神通力にはかなわないわね」
闇夜に浮かぶ虹を見ていると、恐ろしさに凍えてちぎれそうだったミミルの心も、温かく膨らんでいくようでした。
「ミミルさん、あなたに怖い思いをさせてしまいましたこと、このメイム、痛恨の極み、レンコンの渋みでございます。あなたが人間であると、ぼくがもっと早くに気づいていれば、あのような目には合わせませんでしたのに。これからはお酒はほどほどにして、ひょうたん二百本までにしておきます」
メイムさんは、まだ済まなさそうにしていました。
何より女の子に涙を流させてしまったことがショックだったのです。
「いいのよ。お陰で面白い体験ができたわ。おばけさんたちが本当にいるだなんて、思わなかったもの」
あんなに怖い思いをするのは、もう金輪際ごめんでした。
でも、ミミルはちょっと気分が良かったんですよ。麗しき乙女なんて言われて、プロポーズまでされたのですから。
「ああミミルさん。どうしてぼくたちはおばけと人間とに生まれてしまったのでしょう。ああ、せめてあなたにくちばしが付いていたら!ぼくは目が二つあっても、全然構いませぬぞ」
ミミルは、自分の口がくちばしになった姿を思い浮かべて、ゾッとしました。
今、浮かんだことを振り払うかのように、ブンブンと頭を振りました。
「コップから水を飲むときにこぼしちゃうわ。それに、わたしはまだ、きっと十年くらいしか生きていないもの。せめて二百五十年生きてから考えましょ」
「そうでした、そうでした。ぼくは急ぎ過ぎていました。出会ったその日に結婚を申し込むなど、焦り過ぎでした。やはり一生を共にする人とは、百年くらいお付き合いしてからでないと」
おばけは長生きなのです。ピョンピョンと飛び跳ねながらミミルたちの先を行く、アンとウンだって、ずっと年上なのだと思うと、ミミルは不思議な気持ちになりました。
◇
木の根が張り出した、凸凹した道を下り、ゴツゴツとした岩を越え、倒れた大木をまたぎました。
ザーザーと流れ落ちる滝は、メイムさんが抱えて飛び越してくれました。
おばけの世界にいつまでいたのかわかりませんが、麓に近づくころには、東の空が白み始めていました。
「ミミルさん、そろそろお別れです。今年のエサックの祭りは、忘れられないものになりました。ああ、でも次の祭りまで、また百年も待たねばならないとは。一日の長さは、おばけも人間も変わりないのです」
と、メイムさんは頭に手を当てて大袈裟に嘆きました。
アンとウンの二人も、名残惜しそうにミミルのスカートの裾にしがみつきました。
二人の頭を撫でながら、別れを惜しんでいると、ミミルにある考えが浮かびました。
「わたし、いいこと思いついちゃった。街のお祭りは年に一度あるのよ。メイムさんたちも山から降りてらっしゃいよ。大丈夫よ。みんなおばけの格好をしているもの。少しくらい本物のおばけが混ざってたって、誰も気づかないわよ」
アンとウンが、嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねました。
「おまつり」
「おまつり」
「いく」
「いく」
メイムさんの表情も、くちばしと一つ目では、いまいち感情がわかりにくいのですが、嬉しそうに見えました。
「おお、おお。それでは、またミミルさんにお会いできるのですね。それは有難き幸せ、夕方待ち合わせであります」
「そのときまでに素敵なお嫁さんが見つかっているかもしれないわよ」
「問題ございません。おばけにはいくらでも愛がありますゆえ」
「ま、調子のいいこと」
とうとう、さよならするときがやって来ました。
太陽は東の森の上に腕を伸ばし、小鳥たちがさえずり始めました。
「ミミルさん、お別れする前に、お願いしたいことがあります」
メイムさんが、真剣な顔で言いました。
「なあに」
「ぼくも、おまじないというものをしてみたいのです」
「いいわよ。お腹が痛くなったときのおまじないがいいかしら。それとも、肩が凝ったときのにする?背中に羽根が生えてたら、肩こりが酷いわよね」
と、ミミルはからかいました。
「また、ご冗談がお上手ですな。腹痛も肩こりも、神通力があればヒョヒョイのヒョイで治せます。ぼくがお願いしたいのは、どれだけ強い神通力を持ってしても治せぬ病のほうではありませんか」
「うふふ。オヤスイゴヨウだわ」
ミミルミルミル ミミルミル
コイスルヒトノ オマジナイ
メニハミエネド ハツコイハ
マボロシモモノキ ハナフブキ
マブタノウラニ サンショノキ
ツントノコリガ ハナニクル
ワカレハデアイノ ラショウモン
トキハメグリテ コイノハナ
サクラサクサク イツマデモ
ミミルミルミル ミミルミル
コイシタイヒトノ オマジナイ
「ふむ、ふむ。これがおまじないですか。なんだかくすぐったいですな」
それはメイムさんが二百五十年生きてきて、初めて味わう感覚でした。
「とはいえ、スッキリとした、晴れやかな気分でもあります。おばけの世界はすぐには変わりませんが、やがてアンやウンが大人になるころには、人間とおばけとが、自由にお互いの世界を行き来するときがくるやもしれません」
おまじないをする前は、誰もが胸にモヤモヤとしたものを抱えています。
でも、おまじないをした後は、みんな暗闇の中に虹を見ます。それは、おばけだって変わりないのです。
「メイムさん、わたしのほうからもお願いがあるわ。あなたにも、ひと肌脱いでもらいたいのよ」
ミミルからも言っておかなくてはならないことがありました。
「なんなりと。バースデーケーキの上で、マジパンの人形になること以外でしたら、お安い御用です」
「わたし、すっごく怖かったことには変わりないの。だから、もしこれから街の人たちが山で道に迷って、おばけの世界に入ってしまうことがあったら、メイムさんが助けに行ってあげてくれるかしら。もしかしたら、わたしだって迷うことがあるかもしれないし」
ミミルはつい最近、自分が迷子になったときのことを思い出しました。
「そのようなことでしたら、お任せください。これからは、もし誰かが山で迷ったら、ミミルミルミルと唱えるようにさせてください。そうすれば、ぼくはいつでも参上いたします」
と、メイムさんは恭しくお辞儀をしました。
そのとき、高い杉の木の上から、ホウ、ホウ、という鳥の鳴き声が聞こえてきました。
バサバサバサッと羽音を立てて、一羽のフクロウが舞い降りてきて、低い枝に止まりました。
「フクロウタさん!」
ミミルが名前を呼ぶと、フクロウタさんは、クイと首を回してミミルを見ました。
そういえば、夜にフクロウの声を聞いたような気がします。フクロウタさんは、どこかで一部始終を見ていたのでしょうか?
「さあ、それでは、この先はフクロウタ殿にお任せするとして、ぼくたちはおばけの世界に帰ります。ミミルさん、ごきげんよう」
メイムさんのほうを振り返ると、もう既にそこに姿はありませんでした。
「みみる」
「みるみる」
アンとウンが、ピョンと飛び跳ねて、ミミルに抱きついたかと思うと、フッと朝の光に染み入るように消えました。
後に残されたのは、とぼけた顔で小首を傾げるフクロウタさんと、狐につままれたような表情のミミルだけでした。
◇
街の中心広場に戻ると、そこにはまだ昨夜のどんちゃん騒ぎの名残りが残っていました。
あちこちにおばけの衣装が散らばって、まるでおばけの脱け殻のようです。
気の早い人は、もう屋台を片付けにかかっていますが、ほとんどの人は一寝入りしてから、ゆっくりと取りかかります。
ソース屋のライプさんとしょうゆ屋のニッツさんは、屋台の垂れ幕にくるまって二人仲良く寝ていました。
「あ、ミミル!どこ行ってたのさ」
聞き慣れた声がしたほうを見ると、リスミンさんやエリーゼちゃんたちがいました。
みんな雨ガッパを着ていましたが、それでも全員がびしょ濡れです。
リスミンさんがチョコチョコと走り寄ってきて、ミミルの肩に登りました。
たった一晩のことなのに、久しぶりに会ったような気がします。
「ミミルの姿が見えないって、みんな探してたんだよ。ヘックシ!ぼくたちすごいよ。本当に朝までモグラすくいやったんだよ。ヘックシ!」
と、リスミンさんが自慢気に言いましたが、ミミルはそれを羨ましいとは思いませんでした。
「ほら、見て、ミミルちゃん。わたしたち、みんなビショビショの濡れガッパ。来年のお祭りは、カッパでいこうって話してたのよ。は、は、ハックション!」
エリーゼちゃんのまつ毛に付いた水のしずくが、朝日を浴びてキラリと光りました。
こうしてみると、エリーゼちゃんはまだまだ子供なんだな、と思いました。
「ミミルちゃんはどこに行ってたの?フクロウタさんと一緒だったの?」
ミミルはフクロウタさんと顔を見合わせて、うふふ、と笑いました。
おばけの世界に行って、メイムさんとダンスを踊って、あわや結婚までするところだったと言っても、信じてもらえるでしょうか。
「うふふ、内緒。大人のお楽しみしてたのよ」
と言って、クスクスと笑いました。
フクロウタさんが、やれやれといったように肩をすくめたように思いましたが、きっと気のせいでしょう。フクロウの肩がどこにあるのかなんて、わかりませんから。
「おーい、エリーゼや。そろそろおうちに帰るよ」
広場の向こうから、眠たそうな目をこすりながら、オオカミラさんがエリーゼちゃんを呼びました。
「おじいちゃんたら、学校で寝てたのよ。もう、一晩中起きているのは、辛いんだって」
「ミミルや。どこに行っとったのかね。ミミルの姿が見えんと、エリーゼが心配しておったが。人が多いから、迷子にならんようにせんとの。それより、またおまじないしてもらいに行くからの。裏の畑で、イチジクがたくさん採れたんじゃ」
エリーゼちゃんとオオカミラさんは、手を繋いで帰って行きました。
他の子供たちも、それぞれの家族の人と一緒に家に帰るようでした。
「ふわぁ。ぼくも寝ぐらに帰るよ」
リスミンさんも大あくびをして、巣穴に帰って行きました。
後に残ったのは、ミミルだけでした。フクロウタさんは知らない間にどこかにいなくなっていました。
「わたしも帰ろっと。今日は明日まで寝ちゃおっかな」
今は何時だろうと思って時計台を見上げましたが、一晩中起きていた時計台は、先程ガクッと眠りに落ちたところでした。
明日になるまで、時間は止まったままでしょう。
◇
長い一日でした。ようやくミミルは、暖かいおまじない屋に帰って来れました。
ここに着くと、なんだかホッとします。この家がミミルを受け入れてくれているように感じるのです。
家の壁や床、天井やドアノブなんかが、一つ一つ自分と繋がっているような、そんな気になります。
あまりごはんを食べたいと思わなかったので、ミルクを沸かして一杯だけ飲むことにしました。
ミルクを飲みながら、夜にあったことを思い返しました。
メイムさんのように、もし自分に神通力があったら、おまじないをしなくなるのだろうか、と思いました。
もし自分が小さな女の子のミミルではなくて、もっと大きくて力のある存在で、なんでも思い通りにできるような人だったら、おまじないを好きにはならなかったのだろうかと思いました。
しばらく考えてみましたが、ちっとも答えは出てきませんでした。
ミルクを飲んだら、お腹が空いてきたので、パンも焼きました。
お腹がいっぱいになると、急に眠気が襲ってきて、ミミルはベッドに入りました。
そうして、すっかり安心して、深い眠りの中へと、とろけ落ちていきました。
毛布のぬくもりを、恋しがる季節になっていました。