夢見るおばけのおまじない①
秋が深まってきました。
太陽はこれから段々と冬の支度を始め、少しずつ光を弱まらせていきますが、まだ外に出ていると、時折暑さを感じさせます。
それでも、西の山から吹き下ろす風が冷たさをはらんでいて、それが頬に当たると気持ちのいい涼しさを感じるのです。
ですから、暑いと思ったら、次は涼しくなります。涼しいと思ったら、今度は暑くなります。
街の人の様子を見ながら、太陽と風とがお互いにちょうどいいバランスを取りながら、綱引きをしているのでした。
この季節は何かをするには一番いい季節で、夏の服では寒いけど、冬のコートを着る必要もなく、秋の服さえ着ていれば、暑さも寒さも感じずに、一日中外で過ごすことができます。
ミミルの住む街の人たちも、こんなに気持ちのいい季節に家の中でじっとしているのはもったいないとばかりに、山や川へと出かけていきます。
ミミルも、おまじない屋の裏の森で、きのこ摘みや栗拾いをして遊んでいます。あまり森の奥まで行かなくても、入り口の辺りだけで、ミミルが食べるだけの分は十分手に入るのでした。
この時期に街の人たちが楽しみにしているものが、もう一つあります。
それは、街をあげてのお祭りです。
この街の祭りは、年に一回、いつも十月の終わりに開かれます。
この日は、みんな一斉に中心広場に集まって、おばけの格好をして夜通し騒ぐのです。
これはこの街に伝わる言い伝えで、西の山にはおばけが住んでいて、十月の最後の日に山の中で乱痴気騒ぎをするというものがあって、それにちなんでいるのです。
そんなに多くの人が住んでいる街ではありませんけど、この日には、街の中心広場が、まるで網にかかったイワシのようにぎゅうぎゅう詰めになります。
寝坊助の時計台も、一晩中パッチリと目を覚ましています。
広場には、この日だけのいろんな屋台が出ます。
そこで綿飴やりんご飴、焼きそばなんかを食べるのも、お祭りの大きな楽しみです。
屋台の中には、普段はお店屋さんをやっていない人たちが開いているものもあって、この人たちは年に一度、自分がお店屋さんになったつもりで楽しんでいるのです。
あのパパナッシュさんでさえ、海で獲ってきた魚を串に刺して焼いていたりします。
◇
夕方、西の山が赤く染まったころ、パン、パンと、花火が上がる音が聞こえてきました。
お祭りが始まる合図です。
街の外れにも、コツコツと、おまじない屋の窓を叩く音が響きました。
ミミルが窓を開けて、リスミンさんを入れてやりました。
「ガオ、ガオーッ!ぼくはライオンだぞ」
リスミンさんは、首の周りに松葉をいっぱいつけて、ライオンになったつもりでいます。
「あら、リスミンさんったら。お祭りはおばけの格好をするのよ。ライオンはおばけじゃないわ」
ミミルは、古いシーツで作ったおばけの衣装を被りました。前が見えるように、目のところにだけ穴が開けられています。
「朽ち果てた難破船の魂が呼んでいるぞ!わあああああ!」
リスミンさんを驚かせてやろうと思いましたが、ちっとも驚いてくれませんでした。
「ぼく、子供じゃないもん。おばけなんか怖くないよ」
リスミンさんは口を尖らせました。ミミルは、リスが口を尖らせるのを初めて見ました。
「まあ、言うじゃない。見ててよ。今年は街の人たちを、うんと怖がらせてやるんだから。ミミルおばけを見て、腰を抜かすんじゃありませんことよ」
◇
二人は、夕暮れの田舎道を連れ立って歩いて行きました。
途中の家からも、おばけの格好をした人たちが出て来て、ミミルたちと同じ方向に歩いて行きます。
街の中心に近づくにつれて人が多くなって、行列のようになりました。
ひとりに なりたい たびがらす
ありさん ふらふら げんきよく
じゆうが ほしいか きりぎりす
ならぼう きちきち ぎょうぎよく
いっちに、いっちに、と歩いていると、自然と歌が溢れます。まさに、歌は道ずれ夜はこれから、です。
「ねえ、ミミル、知ってる?ピノッザ先生の学校でね、劇をやるんだって。見に行こうよ」
リスミンさんが、嬉しそうに言いました。
「あら、リスミンさん、よく知ってるわね」
そういえば、あれからしばらく学校に行っていませんでした。
「エリーゼちゃんが教えてくれたんだよ。エリーゼちゃん、お姫様の役をやるんだって。きっとかわいいよ」
「あら、お姫様だったら、わたしの方がうまくできるわ」
ミミルはどういう訳か、意地を張りたくなりました。
「そうかなあ。ミミルは魔法使いのおばあさんの方が似合うと思うな」
「どういう意味よ!」
ミミルは、リスミンさんを捕まえてやろうと思いました。でもリスミンさんも、そう簡単には捕まりません。
二人は追いかけっこをしながら、時計台のある中心広場近くまで来ました。
「待って待って。迷子になっちゃう」
学校の側は、例の細い道が入り組んでいる界隈なのです。
リスミンさんに案内してもらって、無事に学校まで着きました。はたしてミミル一人でしたら、辿り着けていたでしょうか?
◇
学校には、もう既に大勢の人が集まっていました。
ブタルトン君のご両親やら、カモシカーナちゃんの家の人の姿がありました。
ベンサル君は家族が多いのか、そこらじゅうが猿だらけです。
エリーゼちゃんの家の人たちもいます。
ミミルはその中にオオカミラさんを見つけると、こっそりと近寄りました。
「朽ち果てた難破船の魂が呼んでいるぞ!わあああああ!」
ミミルはいきなり大声を上げましたが、オオカミラさんは、ちっとも驚いてはくれませんでした。
「おおお、ミミルや。お前さんも来てくれたのかい」
狼らしいキリリとした目尻をでれんと下げて、だらしなく口を開きました。いつものオオカミラさんです。
「ぶうう。ミミルじゃないわよ。わたしはおばけよ」
おばけは腰に手を当てて、怒ったフリをしました。
「おお、そうじゃった、そうじゃった。これはこれは、かわいらしいおばけさんじゃ」
今度はミミルは、ピノッザ先生に近づきました。
先生は、今日は白いくるくるのかつらを被っていました。ローブの胸ポケットには、ちゃんと目が正面を向くように、白い羽根ペンを挿していてくれました。
「朽ち果てた難破船の魂が呼んでいるぞ!わああああ!」
「おや、ミミル君。君も来てくれたのだね」
ピノッザ先生も、ちっとも驚いてくれませんでした。
「ミミルじゃないわよ。わたしはおばけよ!ほら、朽ち果てた難破船の魂が呼んでいるぞ!」
「ほう、ミミル君の声が聞こえるが」
「声はミミルでも、姿はおばけだわ。朽ち果てた難破船の魂が呼んでいるぞ!」
「シーツの下から、ミミル君の足が見えておる」
「ぶううう。ミミルの足が見えてたって、おばけはおばけなんだから」
◇
ミミルは観客席で座っていることにしました。
一番前のいい席を、リスミンさんが取っていてくれました。
この中でリスミンさんが一番小さいものですから、先に来ていた誰かが席を変わってくれたのです。
「もう、失礼しちゃうわ。あの人たち、おばけのことをミミルだと思っているのよ」
「あの人たち、ミミルのことをおばけだと思ってるんじゃないのかな」
リスミンさんが、ボソリと言いましたが、劇が始まるブザーが鳴ったので、ミミルには聞こえませんでした。
客席の明かりが消えて、舞台に火が灯りました。幕が上がり、お芝居の始まり始まりです。
◇
上手から登場して来たのは、お姫様の格好をしたエリーゼちゃんです。
フワフワとしたフリフリのドレスがよく似合っています。
相変わらずあどけなくて、狼というより子犬の女の子に見えます。
「王子様ったら、舞踏会を抜け出して、箒星の塔まで来てだなんて、どういうことかしら。嫌だわ。真っ暗で何も見えないわ。あ、ミミルちゃーん!」
エリーゼちゃんは、舞台の上からミミルを見つけると、手を振りました。
「ぶうう、エリーゼちゃんまで。もう、おばけはやめだわ」
ミミルはブツクサ文句を言いながら、もそもそと被っていたシーツを脱ぎました。
今度は下手から、マントを羽織ったブタルトン君が現れました。
「おお、美しき姫よ。幾たびかあなたのことを夢に見たことか。わたしは王子です。さあ、こちらへいらっしゃい」
「王子様じゃないよ。王子様はこんなに太っていないよ」
リスミンさんの一言が、意外と大きく響いて、客席から笑いが起きました。
「これ、下賤の者よ。客席から入ってくるでない。ひゃ、うひゃ、おばけ!」
ブタルトン君はお芝居を続けたまま、リスミンさんを睨みつけましたが、隣の席のミミルを見て、腰を抜かしてしまいました。
「失礼ね!もうおばけは終わったのよ」
ミミルは憮然としましたが、席に座ったまま窮屈な姿勢でシーツを脱いだために、髪の毛が静電気でボサボサになって、顔にまとわりついていたのでした。
客席が、またドッと沸きました。
「偽物王子だ!」
と、誰かが言いました。
「偽物ではないぞ。わたしは本物の王子である」
腰を抜かしたままブタルトン君は言いました。
「ああ、王子様。もしあなたが本当に王子様でしたら、わたしがあなたにあげた指輪をお持ちのはずです。どうかその指輪をお見せくださいませ」
エリーゼちゃんはブタルトン君の側に寄りました。
「近くに行っちゃダメだよ。そいつは偽王子だよ!」
と、リスミンさんが叫びました。
「近づかないと、お芝居が進んでいかないわ。わたしは捕らわれのお姫様になるのよ。それで、この後本物の王子様が現れて、わたしを救ってくれることになっているんだから」
リスミンさんは、エリーゼちゃんに注意されて、しゅんとなってしまいました。
「さあ、わたしを捕まえてちょうだい」
「これじゃ、かっこつかないよ」
ブタルトン君は、まだ腰を抜かしたままでした。
「ぐわあ、ぐわああ」
下手から新たな役が登場しました。背中に、ボール紙で作った、ドラゴンの羽根を付けています。
「ベンサル、待ってました!」
猿の集団から声が飛びました。
「ぐわあ、ぐわあああ」
と、ドラゴンは声援に応えました。
「あれじゃ、ガチョウの鳴き声だわ」
と、ミミルは言いました。
「ぐわっぐわんぐ、ぐわぐんぐわ」
ベンサル君はぐわぐわと文句を言ったようでしたが、ガチョウ語はよくわかりませんでした。
ドラゴンとエリーゼちゃんは、手と手を取り合って一緒に舞台の隅に行きました。
どうやらここが、お姫様が囚われている牢屋のようです。
「ああ、誰か、誰か助けて!本物の王子様が現れて、わたしを救ってくれるといいのに。ああ、王子様!」
客席がしんと静まりました。みんな固唾を飲んで、次の展開を待ちましたが、何も起こりません。
「ああ、誰か、王子様ー!」
エリーゼちゃんが、下手の袖に向かって声を張り上げました。でも、誰も出てきません。
「ぼくが行くよ」
たまらずリスミンさんが舞台に上がりかけたのを、ミミルが尻尾を掴まえて止めました。
「お行儀が悪いこと。お芝居というのは、うんとお洒落して、気取って見るものなのよ」
ミミルはレディですから、お芝居を見るときの心得をちゃんとわきまえているのでした。
「王子様ー!カモシカーナちゃん、出番よ!」
とうとうエリーゼちゃんは叫びました。すると、慌てた様子で、カモシカーナちゃんが下手から飛び出してきました。
「カモシカーナちゃん、王冠、王冠」
エリーゼちゃんが足らないものを教えてくれました。
カモシカーナちゃんは、一旦、袖に戻ると、ボール紙で作られた王冠を被って、また出てきました。
「あ、あたしは王子よ。悪い偽物の王子はどこにいるんだ!?」
「変なの。王子様が女の子だなんて」
と、リスミンさんが呟きました。
「なあに、文句あるの?」
カモシカーナちゃんは、腕を組んでリスミンさんを睨みつけました。
「あたしは王様の子供じゃないけど、王様には子供がいないから、王様のお兄さんのいとこのおばさんの子供の親戚の友達のあたしが、この国では王子様なのよ。だいたい、女の子が王子になれないなんて、時代遅れだね」
ピノッザ先生の学校は進歩的なのです。
「さあ、悪い偽物王子は、どこにいるんだ?」
カモシカーナちゃんは、辺りをキョロキョロと見回しました。
「ここだよ〜」
と、下から声がしました。ブタルトン君は、まだ腰を抜かしていたのです。
「王子様、ありがとう。おかげで助かったわ」
自分で牢屋から出てきたエリーゼちゃんが、王子様の手を取り、キスをしました。それを見たリスミンさんが、ビクンと震えました。
「ぐわぐぐわぐんわ?ぐわぐんわぐわぐわんわ、ぐわっぐわ?」
ドラゴンが何か言っているようでしたが、相変わらずガチョウ語はわかりませんでした。
「ぼくはどうなるの?ドラゴンと戦うんじゃ、なかったの?」
ベンサル君は、ぐわぐわ言うのをやめました。
「わたし、野蛮なのは嫌いよ。怖い肉食動物じゃあるまいし。お姫様は助かったんだから、いいじゃない」
と、狼の少女エリーゼちゃんは言いました。
ピノッザ先生の学校は、進歩的なのです。
「ぼくにも役をちょうだいよ」
ベンサル君は納得できませんでした。
「看護師さんをやったらいいよ。ブタルトン君の腰を治してあげて」
と、カモシカーナちゃんが言ったので、ベンサル君は、ドラゴンの看護師になりました。
ピノッザ先生の学校は、進歩的なのです。
ブタルトン君も元気になったところで、最後は全員で並んでフィナーレです。
みんなでペコリとお辞儀をすると、客席から盛大な拍手が沸き起こりました。
◇
「面白かったわ。なんていうのかしら。ザンシンでゼンエイテキっていうやつ。わたし、こういうの大好きよ」
と、ミミルは満足気に言いました。
「エリーゼちゃんがかわいかった」
リスミンさんも楽しめたようでした。