08
まるで風のように現れてあれよあれよという間に約束を交わし、そうして竜巻のように書類を捌きに行ってしまったアレイスバルクさん。
私の歩くのが遅いのか、正門に着いてそうかからない内にアレイスバルクさんも駆けつけてくださった。
今日のお店は、塔から出てメインストリート添いにある異国情緒あふれるお店。
前回、「外観が気になりますね」と話が膨らんで約束していたのだ。
私もアレイスバルクさんの故郷とも違う、全くの未知の異国料理。
一人で来店するにはとても勇気がいるけれど、アレイスバルクさんと一緒なら楽しんでチャレンジができる気がした。
そう言うと、アレイスバルクさんは新緑の目を細めて「初風さんはなかなか好奇心の強い御仁っスからねえ。俺、そういうの大好きっスよ、新しい物に出会うの」とからかうように笑った。
アレイスバルクさんは最初、「ご馳走させてください」と言ってくださったけれど、それは丁重に断るようにしている。
確かにアレイスバルクさんは先輩で私は後輩だから、アレイスバルクさんにとっては当たり前のことなのかもしれない。
だけど一度おごってもらったら、「今度は」「次は」なんて申し訳なくて言い出せない。
そんなことも考えて断れば、アレイスバルクさんはちょっと残念そうに眉を下げる。
それでも私はできれば対等で、すぐに『次』を約束できたら良いなんて、ちょっとズルくなってしまうのだ。
なじみのない味に舌鼓を打ちつつ、互いに故郷の味はどんな物かなんて言いあったり。
私や照葉の故郷は沿岸部にあって漁師も多いことから、海産物が有名だ。
当然魚介を使った料理が多くて、魚の骨をとるのが苦手な照葉は味の濃厚な頭よりも身の大きな部分が好きだし、なんなら貝の方がいいみたい。
私はこれといって好き嫌いはないけれど、特に好きなのは小さな青魚の酢漬けかもしれない。
アレイスバルクさんの故郷には海が無いらしい。
同じ国には一応あるみたいだけど、とても広大でいろんな民族が集まってできた国で、アレイスバルクさんとは縁遠いのだとか。
だけど豊かな山林や透きとおるような清水があるからか、山の幸は豊富。
食べ物は大型の動物のお肉料理が多くて、だからか私の民族よりも体躯のしっかりした人が多いみたい。
アレイスバルクさんも骨格がしっかりしていると思っていたけれど、それでも小柄な方らしい。全然そんなふうには見えないけれど。
アレイスバルクさんはまるで物語に出てくるような、森の奥深くにいる狩人のよう。
もし私の故郷へ来たなら、何かのアスリートではないかと思われるんじゃないかしら。
アレイスバルクさんは「俺って故郷じゃ全然モテない方なんスよね」なんてよく笑うけれど、きっとそれは謙遜が多く含まれているに違いない。
だってアレイスバルクさんは容姿も声も性格も、どうしたって爽やかで魅力的な好青年だから。
――と、そんなとりとめのないことを、さてどう照葉に説明しよう。
そもそもの話、照葉はアレイスバルクさんのことを知っているのかしら。
いやでも例の一件で黄丘宮の聖下侍従の方とやりとりしているっていうのは知っているし、たぶん遠くからなら見かけたことくらいあるのだろう。
だけど、その方と最近お昼を一緒にしていて嬉しいって、なんだか言いづらい。かも。
答えられない私を照葉がじっと見つめる。
「もしかして……あの、黄丘宮の人……?」
人間、あまりに図星をさされると声が出なくなるものなのだと実体験した瞬間だった。
「ど、どどどうして?」
「だってお姉ちゃん、黄丘に行かなきゃいけない用事がある時、なんだかテンション高い気がするもん!」
そんなに分かりやすい態度でいたのかしら。
頬をむにょむにょと揉み解してみるけれど、自分では分からない。
「やっぱりそうなんだ……!」
照葉がこれでもかというくらい目を大きく見開いて呟く。
「そういう関係ってわけじゃないの。ほんの少し、最近特によくしていただいているだけで。ランチを一緒にするくらいだし。それならただの先輩後輩だってするでしょ?」
そうなのだ。
確かにちょっと前に比べて、ずいぶん心の距離が近づいたのではないかと私は思う。
だけどきっと、アレイスバルクさんにとってはそうじゃない。
二人で一緒にランチをとるくらい、友人でも知人とでもすること。
そういう、特別な関係じゃなくても。
お店まで歩く時も食べる時の席も、私とアレイスバルクさんの間には決定的な距離があって、それが二人の関係をとても清らかで健全なものにしている。
アレイスバルクさんは決して私との距離を詰めない。
ずっと昔、まだ照葉が他の家族や友人たちと交流があった頃。
照葉は友だちの女の子との距離を測り間違えてしまった。
あの距離は恋人の距離で、もしもアプローチするのならその一歩手前くらいには詰めるだろう。
そうじゃなくても視線や言葉でアピールするものでしょう、『私はあなたのことを気になっています』って。
それが無いのに距離を詰められたから、あの女の子はパニックになってしまった。
照葉に『その気が無い』って確実に分かっていたから。
アレイスバルクさんはたぶん、私のことを世話の焼ける後輩だと思っているんじゃないかしら。
アレイスバルクさんは私に意味深なアイコンタクトをしない。
触れてもいいかなんて聞かないし、たまに『もしかして』と思うことがあっても、期待した目で見上げるとさっと離れてしまう。
そこから先には絶対に進まない。
いつも爽やかで、まるで風さえ彼の引き立て役のように機能する。
そこには全く『そういうもの』が匂わない。
真正面から目と目をじっと合わせて、そうして熱をこめて柔らかく微笑んで頷いてくれたなら、私はアレイスバルクさんにその距離を許されたと安心できるだろう。
だけどアレイスバルクさんと目が合ってもほんの一瞬で、柔らかく微笑んでくれてもそれは人好きのするよくある笑みだった。
つまり、私の視線さえ簡単に躱されてしまう。
私達の間にはれっきとした隔絶があって、それが私達をただの知人たらしめているのだ。
「でも相手から誘ってくるんでしょ? 脈アリじゃない?」
「そうでもないの」
「えええーっ! 恋人にしたいわけでもないのに有り得ない! 二人で食事しておいて?!」
「二人で食事くらい、友だちとだってするでしょ?」
照葉は「そうだけどぉ」と口をとがらせる。
「お姉ちゃんを目の前にして、ランチに誘っておいて脈無いなんて、逆に許せないー!」
「しょうがないわ、距離が違うもの」
地団駄を踏む照葉にはさっぱりと言い切ったけれど、なかなか近づけない距離を悲しく思っているのはバレてしまったかも。
「決めた! あたし、協力するもん!」
照葉はふんすふんすを鼻息を荒くして拳をぎゅっと握りしめる。
「見てて! あたしがお姉ちゃんを幸せにするから!」




