07
自分の耳を今更まじまじと触って、照葉は私の耳をじっと見上げて、そうしてまた困惑しながら「猿の耳……?」
私は生きている本物の猿を間近で見たことがないから正しくは分からないし、猿にもいろんな種類がいるからどうなんだろう。
だけどもし私たちの耳を何かの動物みたいだと例えるなら猿なんじゃないかしら。
ギドルシュウェルト簾下の耳も三角形でなんとなく狼みたいだと私は思っていたけど、見る人によれば猫みたいとか犬みたいとか思うかもしれない。
そんなことを言ったら、また照葉は愕然として言葉を詰まらせてしまう。
私、おかしなことを言ってしまったかしら。
だけど照葉が「お姉ちゃん、あのね、あたしまた『おかしい』みたい」と言う。
「あたし本当に簾下? を下に見てるとか、そういう意味で言ったわけじゃないんだ」
震える声を絞り出すように照葉は続ける。
「今びっくりした。あたし、中身はおかしいって自分でも思う。みんなと違うって、普通が分からないって。でも外見は普通なんだと思ってた。普通の人間の耳だと思ってた。簾下の耳が珍しくて思わず言っちゃったんだけど、あたしの耳も別に普通なわけじゃないんだ……」
照葉の腕が私の腰に巻きつき、私のお腹に照葉が顔を埋めた。
「あたしの耳は誰が見ても人間の耳なんだと思ってた。でも『猿みたいな耳』って思う人もいるんだね。あたしの耳も、簾下の耳も、みんな人間の耳なんだ……」
『みんな人間の耳』はまさに私が当たり前に思っていたことで、分かってくれて良かったと胸をなでおろすべきところだったはず。
だけど私の腰にしがみつく照葉の腕の力を感じながら、照葉がどうして私達の耳の形に衝撃を受けたのか私には分からないそのことが、どうして空しく悲しかった。
気持ちを落ち着かせた照葉が改めてギドルシュウェルト簾下に謝りたいと言うので、アレイスバルクさんと連絡をとることになった。
いきなり聖師が天聖師の宮に押しかけるのはよろしくない。
そもそも謝罪する側が直接会って謝りたいというのは加害者の希望で、被害者にしてみれば直接会うこと自体が迷惑の場合もある。
だからまずは謝意の手紙を照葉がしたため、それをアレイスバルクさんを通じて照葉の聖下侍従である私が黄丘宮に行くことになった。
申し訳なさと緊張とでガチガチになった私を憐れんでくださったのか、道中でアレイスバルクさんが手を変え品を変え肩の力を抜こうとしてくださったのがとてもありがたかった。
そうして初めて対面するギドルシュウェルト簾下は、噂の通り大きくがっしりとした体つきと厳めしい顔つきで、威厳というものが体中から溢れているかのよう。
一番近くに仕えるアレイスバルクさんが相対的にほっそりとして見えるほど。
アレイスバルクさんも単体で見れば、故郷の男衆よりもずっと体格というか骨格がしっかりしていそうなのだけれど。
どうりでアレイスバルクさんが塔内で優男だとか頼りなさそうとか言われているわけだと、一人で納得したのだった。
結局アレイスバルクさんの言う通り、ギドルシュウェルト簾下はまるで気にしていらっしゃらなかった。
そしてやはり、何が悪かったのかを照葉が分かっていないだろう様子を心配なさってもいた。
分からずじまいでは同じことを繰り返してしまうだろうから、と。
ギドルシュウェルト簾下は「お主があやつの姉御か」とガハハと笑った。
そうして謝罪はもう受け取っているし、照葉の手紙で理解が及んだことも分かったのでこれ以上の謝罪は不要だともおっしゃった。
あまり何度も低級の聖師が天聖師の前に赴くのも対外的に良くないだろうと気を遣ってくださったのが自然と受け取れる、そんな器の大きさを感じさせる方だ。
照葉はできることなら直接会って謝りたいと思っていたけれど、いつか照葉が大好きだった友だちに性的に嫌な思いをさせてしまって交友を絶った事件が思い出され、及び腰になってしまってもいた。
だから直接対面しなくてもよいとおっしゃってくださったのが、私にはとてもほっとする結果となったのだった。
このことがきっかけとなって、ふとした時にアレイスバルクさんがあれやこれやと手を貸してくださることが増えたと思う。
言葉遣いも次第にフランクになって、今のように話しかけてもくださる。
始まりはこちらの不手際でとても失礼だったのだけれど、照葉がきっかけとなって関係が続いていることが、淡く私の胸に熱をこもらせている。
ここ数日、やけに照葉の視線を感じる気がする。
赤山宮を頂いてからいっそう気の置ける人以外との接触を避けている照葉は、今日も今日とてお勤めの後に、規律や法律関係の本を膝に置いてパラパラとめくっている。
そう神経質になることでもないとは思いつつ、それが照葉の安心に繋がっているので何とも言えない。
照葉はそうと思い込んだら一直線な、猪突猛進な意志の強さがある。
「照葉、どうかしたの?」
「えっ?」
照葉はいっこうに逆さに置かれた本を見下ろして、イタズラがバレた幼子のように舌を出して照れ笑いをする。
「お姉ちゃん、最近何かいいことあったのかなって」
「えっ?」
今度は私が聞き返す番だった。
動揺して両腕に抱えていた書物に重ねていたペンケースが落ちてしまう。
「やっぱり! 何かあったんだ!」
分厚い本を放り投げるように長椅子におきざりにして、照葉は私の腰に抱きつく。
「ねえねえ、お姉ちゃん、何があったの?」
何かあったといえばあったし、まだあると言っていい段階かと言われればそうじゃないかもしれない。
うんうんと左斜め上に目をやりながらうんうん唸る私を、照葉がニヤニヤと見つめている。
あえて何かあったと言うなら、それは最近のお昼休憩のこと。
以前からちょくちょくアレイスバルクさんには「一緒にランチでも」と誘われていたのだけれど、何かと時間が合わずにいた。
それがどうしてなのか、示し合わせたわけではないのに最近になってちょうど二人の時間が合うようになったのだ。
実は今日のお昼もそうで、アレイスバルクさんとお昼を一緒にするのはもう両手を使わないと数えられない程になった。
塔の中にも職員が使える食堂がある。
そこは軽食や手短に食べられる丼ものメニューが豊富で、手早く食事を終わらせたい人向け。
アレイスバルクさんにお昼を誘われてちょうど時間があった初めての日、私はてっきり食堂で摂るものだと思っていた。
だけど私が、いつもは塔の外にあるお店でお昼を過ごすか、食堂のテイクアウトにして照葉と赤山宮で食事していると知っているアレイスバルクさんが、外へ誘ってくださった。
あまり入ったことのないお店に行って、そうして「次はあのメニューにしようかな」とか「向かいの店にも行きたいっスね」と、アレイスバルクさんのノリの良さに助けられて次は次はと約束ができる。
今日もそうだった。
数時間前も奇遇なことに、ちょうどお昼休憩に入ろうとしていたところ、いくらか書類を抱えていたアレイスバルクさんと行き会った。
「今からお昼っスか? 俺もなんスよ! ちょおーどこの書類を捌いたら一段落つくところで。良かったら一緒に食べに行きません? いいんスか! ラッキー! それじゃ正門で待っててください! 一瞬で行くんで!」
――こんなふうに。