05
「初風さん! もうお昼はとったんスか?」
振り向くと同じ聖下侍従職のアレイスバルクさんが、爽やかな風を吹かせて手を振っている。
アレイスバルクさんは褐色の肌に小麦色の髪と緑の目が映える青年で、眉を隠すほどの前髪を片側だけ軽く後ろに流すオシャレさんだ。
髪をセットして固めているはずなのにエアリー感があるし、窓も無いのに彼の周りはなんだかいつも素敵な風が吹いている気がする。
「ええ。妹と宮で頂いたところなんです」
「んんー残念。ランチに誘いたかったんスけどね」
アレイスバルクさんは調子よく肩をすくめた。
時計を見ればお昼の休憩を半ば過ぎている。
「今日は遅めなんですね、お疲れ様です」
「そうなんスよぉ。うちの簾下が横暴で大変でした」
一見お調子者で軽そうなアレイスバルクさんだけれど、私が入島したばかりの頃から気を遣ってくださるほど意外と世話好きで真面目な人だ。
本人は『昔から貧乏くじを引かされるタイプなんスよね』なんて言っているけど。
仕事を押し付けやすいというよりは頼りになる雰囲気のある人だから、人望の厚さがうかがえるし、私も何度もお世話になっている。
天聖師にはそれぞれ塔の中に宮が与えられていて、そこで仕事をしたり住居にしたり自由に過ごしているみたい。
照葉も庭に紅葉が植わってある赤山宮を頂いて、普段はずっとそこにこもっている。
天聖師より下の位のほとんどが敬意を持って照葉のことを『赤山天聖簾下』や『照葉簾下』と呼ぶようになってしまって、照葉はまだ居心地悪そうにしている。
アレイスバルクさんは赤山宮の近くにある黄丘宮の聖下侍従を勤めている。
黄丘宮に住んでいらっしゃるのが黄丘天聖ギドルシュウェルト簾下。
全体的に大柄で狼のような三角の大きな耳と野性的な顔立ちがトレードマーク。声も大きければ態度も大きいけれど、心も器も大きくて決して悪いお方ではないのが憎めないところ。
まあ天聖師の皆さんって、なんだか個性的ねって思える方ばかりらしいのだけれど。
皆さんを並べると、照葉なんて故郷にいた頃の評判がバカバカしく思えるほど大人しくて可愛い普通の女の子に感じる。
これは照葉の長年の努力もあってのことなんだけどね。
「赤山天聖簾下は初風さんの妹さんなんスよね。似てます?」
七天聖師ともなると、並大抵の人間はまずお目にかかることがない。
その代わり各天聖師の聖下侍従たちが仲介して、他の聖師や職員と連絡を取り合っている。
とりわけ照葉は他者との交流を避けがちなので、激レアの天聖簾下なんて呼ばれているのを聞いたことがある。エンカウント率がかなり低い七天聖師という噂は有名で、話したことはおろか容姿さえ知らない人がほとんど。
一方アレイスバルクさんが担当しているギドルシュウェルト簾下は交流が大好きなのか、あちこちを散歩していらっしゃるのをよく見かける。
社交的なのはいいけれど探すのが大変というのはアレイスバルクさんの弁。
だから私も容姿や雰囲気は知っているのだ。――実はそれだけが理由ではない大変な事件もあったのだけれど。
「どちらかというと妹は母似で私は父似なので、そこまで似てるってわけでもないですね。髪と瞳も民族的にだいたい黒か茶色なんです」
「へえ。でも初風さんの髪って、毛先にいくほど少し緑がかって見えますよね」
ほら、とアレイスバルクさんがおろしていた私の髪をすくう。
その手つきが優しくて思わず肩が震えてしまった。
「すみません、怖がらせちゃいました?」
「いいえ、その……故国ではあの、こういうのは恋人の距離だったもので」
「うわーっすみません! 初風さんの髪がキレイでつい!」
未だにドキドキする胸をおさえながら「大丈夫です」とアレイスバルクさんを見上げる。
アレイスバルクさんも悪気はなかったようで、頬を赤らめて、でもとんでもなく焦っているのが分かる。
大丈夫大丈夫。照葉だってこういう間違いはたまにするものだし。浮島も国も違う人なんだから、文化が違うのも当たり前だし。
彼の故郷ではこういうことも、何とも思っていない同僚にできてしまうものなのかしら。それが少しだけ悲しい。
「そうですね、私の髪はちょっとグラデーションがかっていますね。照葉は黒髪に赤い髪の房がところどころあって素敵なんですよ」
気を取り直してそう言うと、アレイスバルクさんが「初風さんの髪色、俺の瞳とお揃いっスね」なんて言うから、また落ち着かなくなってしまう。
「お昼、大丈夫ですか?」
火照る顔を俯かせて言えば、思っていた以上に可愛げのない声が出て驚いた。
気を悪くさせてないかしら。
おずおず見上げれば、アレイスバルクさんは全く気にしていない様子で、懐中時計を見て「ああ、もうこんな時間なんスね」なんて呟いている。
それから差しさわりのない挨拶を交わして、あっという間にアレイスバルクさんは駆け足で行ってしまった。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
今日のノルマは午前中に終わらせていた照葉は、午後からゆっくり過ごすようで赤山宮の居間で寛いでいた。
「どうって?」
「なんとなく暗いかなって。お昼休みに何かあった?」
ふとアレイスバルクさんの顔がよぎった。
「ううん、なんでもないの」
説明しようにも、自分でもいまいちどうして気分が落ち込んでいるのか分からなくて言葉を濁す。
照葉は訝しげにしながら、トコトコとこちらに駆け寄る。
「お姉ちゃん、あのね」
いつになく真剣な顔で照葉が私の両手をぎゅっと握った。
「今は言えなくても、もし何かあったらあたしに教えてね。他の人に何かされてもだよ。絶対だよ」
私の「なんでもない」を勘違いしたその優しさが嬉しくて、思わず笑いがこみ上げる。
「くっ、ふふふっ、あのね、違うの。そんなこと全然なくて。でもありがとう」
それでも照葉はまだ納得いかないようで「本当の本当に大丈夫?」と何度か聞きなおして、そうしてやっと両手を解放してくれた。
照葉が心配するまでもなく、この塔内の仕事は楽ではないけれど人には恵まれていると思う。
俗な物語のようにとてつもなく嫌味な人や理不尽な人もいない。考えの合わない人はいるけれど、衝突を避ける賢明さを互いに持ち合わせているので問題も無い。
強いてトラブルを取り上げるなら照葉の『うっかり』があるけれど、それも塔に入って初めの方ばかりで最近は本当に少なくなった。
そういえば照葉が聖師になって一番のトラブルは、まだ入島して間もない頃の一件だったなと思い出す。
アレイスバルクさんに初めてお会いしたのもあの時だった。