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さすがに青氷宮の侍従も困ったみたいで、「簾下、いかがなさいましたか」と声をかけるけれどまったく反応が無い。
どうしてしまったのかしら。
だんだんと空気は気まずいものになって、アレイスバルクさんと顔を見合わせる。
「そ、そなた」
青氷天聖簾下に時間が舞い戻ってきた。
しかもつい先ほどまで「貴様」と呼ばれていたのに、「そなた」になっている。
「そなた。赤山の姉というのは本当か」
「はい。間違いなく」
「うぐぐぐぐぐぐ」
青氷天聖簾下は大きな翼をバッサバッサと音をたてながら揺らし始めた。
いったい何の合図なのかしら。
周りの侍従が――特に翼を持っている侍従が、驚いたように小さな翼をぴーんと張った。
「む。今は吾輩がそなたに話しかけているのだぞ」
少し目を反らしただけで詰られ、慌てて青氷天聖簾下に視線を戻す。
さっきまで本当に血が通っているのか疑わしいほど作り物めいた白い肌が、ほのかに紅潮している。
あれだけ大きな翼を動かしていたのだから重労働だったのだろう。たぶん。
「そなた」
「はい」
もしかして青氷天聖簾下は「そなた」からじゃないと、話しかけられない性格なのかしら。
そんなことをぼんやり思いながら頷くと、青氷天聖簾下とばっちり目があって気まずい。
「そなたの名は何という」
「初風と申します、簾下」
「ならば初風よ。吾輩のことはレイレンガドルと呼ぶがいい」
嫌だなあというのが瞬間的に思ったことだった。
文化的に親しくなくても名前を呼び合うのが、この人工浮島での常識。
働くために慣れてはきたものの、やっぱり青氷天聖簾下ほど地位的に距離があると呼び難いし、私の名前も呼ばれても反応に困るのが長年の性だ。
もちろんギドルシュウェルト簾下も同じ七天聖師で遠い存在ではあるのだけれど、本来の気質というか周りとの親和性もあって、少しだけ距離が近く感じられるのだ。心の距離が。
とはいえ常識は常識。
郷に入っては郷に従うものよね。
そっと「かしこまりました。レイレンガドル簾下」と返すと、レイレンガドル簾下は小さな子供が好物をほおばったような満足げな顔で、うむうむと頷いた。
「それでレイレンガドル簾下。本題に入ってもよろしいですか」
怪訝そうに眉をひそめたアレイスバルクさんが、レイレンガドル簾下と私の間に入ってくださって、思わずホッとしてしまう。
だけどレイレンガドル簾下は、一気に機嫌を損なったように眉を吊り上げた。
「本題? なんだそれは」
「赤山宮から手紙をお渡ししたく存じます」
アレイスバルクさんに言われて、やっと思い出したようにレイレンガドル簾下は「ああ……」と随分ぼんやりした返事をする。
拒否をされているわけではなさそうだと、アレイスバルクさんの目くばせに合わせて袋から手紙を取り出す。
それをアレイスバルクさんに渡そうとするのを、レイレンガドル簾下が「待て」と止めに入った。
「初風。そなたが持って来い」
普通の順序と違うのだけどいいのかしら。
一度アレイスバルクさんを見れば、眉間に皺を寄せながらだけれど頷いてくださったので、内心首をかしげながらも静かにレイレンガドル簾下の近くまで歩み寄る。
間近で見上げた先のレイレンガドル簾下は、食い入るようにこちらを見つめていて少し怖い。
金色の目は瞳孔が開いていて、獲物を前にした猛禽類のよう。
照葉がまだ家族を避けていなかった幼い頃、みんなで見に行った鷹やハヤブサのショーを思い出して、今すぐ赤山宮に帰りたくなってしまう。
恐る恐る手紙を差し出すと、レイレンガドル簾下は私の顔から目を離さないまま受け取ってくださった。視線が固定されていて本当に怖い。
そうして青氷宮の侍従にポイッと、まるでゴミの処理を頼むような軽さで渡してしまった。
一瞬、ショックで顔が固まってしまう。
この場で読んでくださるかもなんて図々しい希望があったのは私の不徳だけれど、まさかこんなに雑に侍従に渡してしまわれるなんて。
渡された侍従もどう扱っていいものか分からず、右往左往しているのが視界の端に入る。
ショックで何も言えないでいると、レイレンガドル簾下は「用事は済んだな? ならば吾輩の番だ」と私ではなくアレイスバルクさんを顎で使って下がらせようとした。
それを見かねたアレイスバルクさんが「私は黄丘天聖簾下の命によってここにおりますので」と断固拒否してくださったので、本当に安心した。
レイレンガドル簾下は不快げに片眉を上げて「まあよい。初風」と私の名前を呼ぶ。
先程のショックも相まって、レイレンガドル簾下に名前を呼ばれるのはもやもやとしてしまう。
「吾輩が七天聖師の一人であるのは知っての通りだが。つまり、吾輩はこの塔で最も経済力のある一人なのである。背も高い。翼も塔ではもちろん故郷でも最も大きく美しい」
レイレンガドル簾下はいったい何をおっしゃりたいのかしら。
もしかして、そんなにも偉大な人物を不快にさせた照葉はゆるせないということ……?
意図が分からずに、「はい」とだけ相槌をうつと、レイレンガドル簾下は満足そうに頷いて言葉を続ける。
「吾輩が魅力的な雄である証拠に、すでに伴侶が二人いる。まあ言い寄ってきた数ならまだまだいるが、伴侶たりえる人間がその内の二人だったといえる」
「はあ……」
思わず気の抜けたような声が出てしまう。
私の故郷では考えられないけれど、おそらく、レイレンガドル簾下の地域では複数人と婚姻できるってことみたい。
それが一夫多妻だけなのか、一妻多夫もなのか、はたまた妻も夫も関係なく伴侶を共有するとても開放的な重婚なのかは分からない。
とはいえ、いきなりそんなことを私に言われても何が言いたいのかしら。
そう頭を悩ませていた私に、ガツンと何かで殴られたかのようなとんでもなく衝撃的な言葉が続けられた。
「従って、吾輩以上に好条件の雄はこの塔にいないわけだ。分かるか初風よ。そなたを吾輩の伴侶に加えてやろうではないか」
「え……?」




