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故郷で魅力的だと言われるのは、まず穏やかであること。
大人しいとかそういう意味ではなく、精神的に成熟していて、他者の感情に寄り添い他者の言葉に耳を傾けられることが重要なのだ。
「なんだかややこしいっスね?」
「そうでしょうか? 簡単な話ですよ。すぐにカッとならないとか。いきなり怒鳴り散らさないとか。怒ることと他人に怒りをぶつけることの違いをわきまえるっていうことだと、私は思っています」
アレイスバルクさんは難しそうな顔で「へえ……」と相槌を打つ。
「あとは教養でしょうか。たぶんですけど、教養が無いと人の話すことの理解度が下がるでしょう?」
「なるほど。初風さんの所は会話を大事にしてるんスね」
神妙に頷くアレイスバルクさん。やっぱりアレイスバルクさんはモテると思う。
「ですからアレイスバルクさんは……もし私の故郷にいらっしゃったら、びっくりするほどモテモテだと思います」
きょとんとした目を向けて、アレイスバルクさんは「それって、初風さんのお眼鏡に適ったってことっスか?!」と声を上げた。
「え、ええ、あの、そうですね、そうかもしれません」
しどろもどろに言葉を探すけれど、これって告白になってしまうのかしら。
だけどどうしたって今のところ照葉の言うような『脈』は感じられていなくて、だからどうにか誤魔化せやしないかなんて焦ってしまう。
「だって、アレイスバルクさんとの会話はとても楽しいから」
なんて考えつつ、やっぱり欲が顔をのぞいて少しはしたない物言いをしてしまう。
アレイスバルクさんは照れくさそうに、それでいて私の言葉を一般論に受け取ってしまったのか、後ろ髪をかき上げて「ハハハ。そりゃ嬉しいかぎりっス」と笑った。
帰りにやっぱり奢ろうとするアレイスバルクさんを制して、きっかり自分の分は払う。
アレイスバルクさんは残念そうに眉を下げてしまったけれど、こればっかりは譲れない。私は奢られたくてアレイスバルクさんとランチしているわけではないのだ。
帰りに赤山宮の近くまで送ってもらっていると、たまたまギドルシュウェルト簾下が通りがかる。
慌てて頭を下げる私に「構わん。楽にせよ」と言うギドルシュウェルト簾下。
それをアレイスバルクさんが「態度がでかすぎっスよ」とたしなめるように言うけれど、本人はどこ吹く風だ。
実際、ギドルシュウェルト簾下には、尊大で多少傲慢な物言いがとても似合う威厳がある。
「なんだ、また一緒に昼をとっていたのか」
はるか頭上からギドルシュウェルト簾下の揶揄いを含んだ声が投げかけられた。
まるで心の内をすべて見透かされているようで、相槌を打って俯くしかできない。
きっとこんなやり取りに慣れているのだろうアレイスバルクさんの、簡単に躱してみせるような態度を横目に、頬の火照りに気づかれなければいいとさらに俯く。
「して。お主、確か赤山の姉御だったな?」
「はい。いかがなさいましたか?」
ギドルシュウェルト簾下は「ふむ」と豊かな顎髭を撫でながら、意味深に目を細めてみせる。
先ほどのアレイスバルクさんの弁にならうなら、ギドルシュウェルト簾下はたぶん、故郷では恋愛の相手としてそうとう人気が高かったのだろう。
身体はとても大きくて見上げるたび首が痛くなるほどだし、筋肉もたくさんあって一目見て強そうだし、何より豊かなのは顎髭だけでなく民族衣装から胸毛や手の甲からも毛深さがうかがえる。
こんなふうに間近でギドルシュウェルト簾下にお目にかかるのは久しぶりかもしれない。
黄丘宮こそ照葉のおかげでよく伺うし、アレイスバルクさんにはランチを誘っていただけているのでお会いできるけれど。
いくら七天聖師の聖下侍従といえど、他の天聖師の方に直接お会いして言葉を交わすことは滅多にあることじゃない。
今のギドルシュウェルト簾下がかなりの例外なのだ。
そのギドルシュウェルト簾下でさえ、職務中はしっかりとしていらっしゃる。
黄丘宮に仕事でお伺いしても、だいたいはアレイスバルクさんを筆頭に聖下侍従の方たちとやり取りをするだけ。
天聖師は職務中、宮外の誰かが訪問しても基本的に御簾の向こうにいらっしゃる。
そして直接話しかけてはいけない決まりなので、一番近くで控えている聖下侍従に代弁してもらうのだ。
もしアレイスバルクさんが赤山宮にいらっしゃって照葉に何か尋ねるとしたら、まず私が聞いて、私が照葉に聞いて、その答えを私がアレイスバルクさんに答える――というのが普通の流れ。
だから黄丘宮に行くことが増えても、ギドルシュウェルト簾下にお会いするのはなかなか久しぶりなことだった。
「ふむ。実はな、先ほど赤山のに出くわしたのだ」
「まあ! 照葉にですか」
驚きに思わず大きな声を上げてしまう。
ギドルシュウェルト簾下は頻繁に散歩していらっしゃるから、直接言葉を交わさないでも遠くから見かけることはあるだろう。
だけど照葉は職務以外はだいたい宮に籠っている。
その照葉がギドルシュウェルト簾下と出くわすだなんて、何か用事か心境の変化でもあったのかしら。
「まるで威嚇する子猫のように柱の後ろから話しかけてきてな」
「ま、まあ……それは失礼な態度を。申し訳ございません」
「良い良い。しかしてお主。名を聞いても?」
ギドルシュウェルト簾下には昔の一件で自己紹介はしていた。だけど新参の聖下侍従なんて覚えていなくても仕方がない。
「いやいや、あんた知ってるでしょうよ。今更なに言ってんスか」
そうアレイスバルクさんは言うけれど、もしかしたら忘れられてしまったのかも。人の名前なんて、頻繁に関わらなければすぐおぼろげになってしまうものだし。
「私は初風と申します」
「うむ。知っている」
「え」
「それで、俺様はお主の名を呼んでもよいのか?」
「……えっ」
「簾下さっきから何なんスか」
少しイラついたような声でアレイスバルクさんが問う。
ハッとして、何か言わなきゃと思うのに驚いたまま言葉が見つからない。
「何か間違ったか? 赤山のに『故郷では名前は誰でも呼んでいいわけではないから、呼んでいいかと尋ねてほしい』と言われたのだが」
そうなのだ。
入島してから知ったことなのだけど、故郷のこの名前を呼ぶことを許すか許さないかという風習は自国独特のものだった。
私の故郷では、自己紹介をし合ってもすぐに名前を呼んではいけない。
必ず相手に確認してからでないと名前を呼んではいけないし、ましてや馴れ馴れしく「〇〇ちゃん」「〇〇くん」なんて付けるのは侮辱しているととっていい。
名前は親しい人、親しくなりたい人だけに呼んでもらうものだから。
入島してからは郷に入ってはといろんな人から名前を呼ばれている。
ここではその方が効率が良いのだろう。
最初は違和感だったり戸惑いだったりが強かったけれど、最近は少し慣れてきてもいる。
異文化の中に入り込むと異文化内での普通を探して、絶対に譲れないライン以外では無意識に迎合していくようになっているのかもしれない。




