いざ!
ようやく、闘いのステージへ向かうところへ入ってきました。
新型コロナの感染拡大が続いていますが、新型コロナ関連のニュースばかり見ていると気鬱になってしまうので見たくない、見ないようにしている、という方も多いかと思います。ソラは新型コロナを未知の迷路に例え、なぜ情報を確認するか、自分なりの考えを述べていますので、そのあたりも読んでいただければ、と思います。ソラのような考え方をすると、新型コロナ関連のニュースを見聞きすることによるストレスが、少しは減るのではないかと思うのですが……? 難しいでしょうか?
ソラとパールがいよいよ現実世界を離れるシーンになっていますので、ぜひ、読んでみてください!
藍色に移ろっていく窓の外。
日が暮れていく。
お昼ごはんを食べたすぐ後は、お腹いっぱい食べたから晩ごはんは入らないんじゃないかな? なんて思うのに、薄暗くなってくるにつれ、お腹ってしっかり減ってくる。
今日の晩ごはんはおじいちゃん特製のクリームシチュー。それと、納豆オムレツ。
私やおばあちゃんが心樹医の仕事をする前、おじいちゃんは納豆を使ったおいしいものを作ってくれる。
私もおばあちゃんもおじいちゃんも、それからパールも、納豆は好き。身体にもいいから納豆はちょいちょい食卓に並ぶけど、今日みたいなときはそれが理由じゃない。納豆はネバネバしてるから、「粘り強くやれますように」っていう、おじいちゃんの気持ち。私への応援っていうか、ラッキーフードっていうか……縁起を担ぐとかゲンを担ぐとかいうヤツ?
納豆オムレツは、いつもは熱したフライパンに溶き卵をじゅわーって入れて納豆を入れて卵で納豆を包んで作るんだけど、そのやり方だと納豆があったまってネバネバが減っちゃうから。心樹医の仕事の前におじいちゃんが作ってくれるのは、フライパンいっぱいに溶き卵を流し入れてとろとろにかき混ぜただけのオムレツに納豆をのっけて海苔をパラパラ。自分で卵で納豆を包みながら食べるオープンオムレツ。隠し味にマヨネーズを入れてふわっとさせたオムレツに、納豆にもマヨネーズをちょい足ししてネバッネバにかき混ぜて。ネバネバが、しっかりネバネバしてる納豆とふんわり卵が、私に元気をくれる特別メニュー。
私だけじゃない。パールにだっておじいちゃん特製の納豆ディナー。
言葉をしゃべるとはいってもパールは人間じゃない。ネコだから。パールのごはんはネコの身体にいいように味付けはしないのがポイント。鶏肉に納豆を刻んだのをかけた豪華ごはんにパールもご満悦の様子。
私はおじいちゃんとパールと一緒に晩ごはんをゆっくり食べて、お茶を飲んで、歯を磨く。お風呂に入ってパジャマを着たら、風邪をひかないようによぅく髪を乾かす。それから――。
だらだら夜更かしせずに、今夜は早めに自分の部屋に戻らなきゃ。
おじいちゃんは居間でテレビのニュースを見てるみたい。仕事の合間や今みたいに仕事が終わってから、おじいちゃんは新型コロナウィルス関係のニュースをチェックしてる。
おじいちゃんはお医者さん。私みたいな素人とは違って、いろんな病気のことを知っている。知識として知ってるだけじゃなく、経験もある。はしかや水疱瘡、風疹、ノロウィルスにインフルエンザ……昔から感染症っていろいろあって、おじいちゃんは何か病気が流行するたびに、それぞれ対応してきたわけで――。
だけど、おじいちゃんは医者とは言っても、町のお医者さん。感染症を専門に研究してきたわけじゃないから、おじいちゃんみたいな町のお医者さんだって、ホントは感染症を専門にやっているお医者さんにいろいろ相談したいんじゃないかな? って、私は思うの。
日本でもぽつぽつ新型コロナウィルスの感染者が出るようになってから、おじいちゃんの診療所は少し変わった。消毒液を置いたり、自動で来院者を検温してくれる機械を設置したり、風が通るように窓を開けて換気したり……人の目につく感染対策だけでも大変そうだと思うけど、どこかに提出しなくちゃいけない書類とか、手続き的な、人の目に触れない感染対策の取り組みもいろいろあるみたいで……? くわしいことは難しくてわからないけど、おじいちゃんはそういうのちゃんとやってて――ちゃんとやっているわけだけど――。
「ちゃんとやってる」はホントに「ちゃんと」、になってるか――。
おじいちゃんのお医者さん仲間には感染症にくわしい人もいるみたいだけど、感染症を専門にやっているお医者さんは今、新型コロナ対策で一番いそがしいだろうから。おじいちゃんはできるだけ忙しそうな人の仕事のジャマをしないように気をつかってるみたいで。その分、テレビや厚労省とかいうとこやお医者さんのなんとか会みたいなとこが発信している情報をこまめに確認してるみたいなんだよね。それから、いろんな知り合いと情報を交換したり?
私もテレビとか見て、新型コロナウィルスのことを勉強してみてるけど、学校の授業みたいに、わからないとこがあったら「先生、これはこうすればいいですか?」って質問したくなる。新型コロナウィルスのやっかいなところは、問題を解くことはできても、○(まる)付けをしてもらえないところだと思う。○付けしてもらえないから、合ってるかどうかわからない。合ってるかどうかわからないと不安になる。質問して、「それでいい」とか「こうした方がいい」とか教えてもらえたらいいのにな、って思うけど――。
新型コロナでわからないことがあったら電話相談とかやってくれてるとこもあるみたいだけど、みんながみんな聞きたいこと聞いてたら、聞かれる方は大変なことになっちゃうだろうし……。気軽には聞けないな、って思っちゃう。それより、おじいちゃんがやってるみたいに、テレビとかが発信している情報を確認するのが先、だよね? 自分でまずは調べられるだけ調べてみて……。
新型のウィルスは未知のウィルスで、謎が解かれてない迷路みたい。どこをどう通れば通り抜けることができるかわからないから、思わぬところで行き止まりにつかまるかもしれなくて、慎重に道を覚えながら進んでいくしかない感じ? だから、道を示す手掛かりになることは少しでも多い方が……いいよね?
テレビとかが発信してる情報は、「ここを進んだらダメだったよ」「こっちは進めたよ」「このアイテム使うといいよ」って、実際に迷路に挑んでいる人たちが情報を持ち寄って作られたものだから。誰も解いたことのない謎だらけの迷路に挑むなら、情報を共有して、協力しあって通り抜けるための道を探さなきゃ。無防備に迷路に飛びこむなんて、怖いもん。
とか、ついつい、居間のドアの前に突っ立ったまま、考えごとしちゃってたけど。
おじいちゃんにおやすみ言わなきゃ。
寝る前のあいさつをするため居間のドアを開けようとしたら、足元をするりと白いものがすり抜けるのが見えた。
あ、パール!
ドアの下の方にはパール専用の出入り口が開いていて、私がドアを開けないうちに、パールだけ先に居間の中へ出入り口から入ってしまった。パールはさっきまでどこかへ行っていて物音ひとつ立てずにいたのに。
先を越された! と私がドアを開けると、パールはすでにおじいちゃんのそばに。ソファに座ったおじいちゃんの足に頭をこすりつけ、おやすみなさいのあいさつをしている。のどをゴロゴロ鳴らしながら。
私もおじいちゃんに「おやすみなさい」と言うと、これから私が何をするかわかっているおじいちゃんは少し心配そうにしてたけど、私ががんばってることを知ってるから、私を止めない。代わりに、パールに「ソラを頼むね」って頼んでた。パールは「ええ、まかせて!」って引き受けてたけど、おじいちゃんには「にゃあ、にゃあ」ってネコの鳴き声にしか聞こえてないはず。
パールの言葉がわかるのは、たぶん私とおばあちゃんくらいで――私やおばあちゃんが知らないだけで、私とおばあちゃんの他にパールの言葉をわかる人がいるかもしれないから、私とおばあちゃんだけとは言えないじゃない? だから、たぶん私とおばあちゃん、って言い方になっちゃうんだけど――とにかく。パールが言ってることって、おじいちゃんや私の知ってる人たちには人の言葉には聞こえていないんだって。
だけど、言葉ではわからなくても、パールが何を言いたいか、おじいちゃんはいっつもちゃあんとわかってる。ホントは何を言ってるかわかってるんじゃないかってくらいわかってて、会話がかみ合わないことがほとんどない。さっき、パールが「ええ、まかせて!」って言ったときだって、おじいちゃん、「うん、よろしくね。パールだけが頼りだよ」って。
おじいちゃんとパールの会話がちゃんと成立してるのって不思議。
おじいちゃんはパールの言葉はわからないのにパールによく話しかけるんだけど、パールはおじいちゃんが何を言ってるかわかるから、おじいちゃんの言うことにちゃんと話を返している。問題はその後で、パールが言ったことにおじいちゃんがさらに返す言葉が、ちっともヘンじゃないんだよね。私はパールの言葉がわかるから、おじいちゃんとパールが自然に会話しているように聞こえて、時々、「あれ? おじいちゃん、パールの言ってることわかってる?」って思うことがある。パールが言ってることがわかる私だからこそ、この自然さが不自然なことに気づくんだけど、おじいちゃんもパールも不思議に思ったり不自然に思ったりしてないみたい。すごく自然に通じ合ってる。
おじいちゃんはパールを信頼しているし、パールもおじいちゃんを信頼してる。だからパールに「ソラを頼むね」なんて言うんだよね。私に「パールを頼むね」じゃないの。まあ、パールは私の先輩だから、「パールを頼むね」じゃなく、「ソラを頼むね」になるのも当然ではあるんだけど。
パールが私の先輩っていうのは、心樹医の仕事の先輩ってこと。パールはおばあちゃんの心樹医の仕事を手伝ってたから、私より経験値が高いの。実は――私も頼りにしてる。
おじいちゃんと笑顔を交わして居間を後にし、パールと一緒に部屋に戻ると――いよいよだ。
私はお風呂に入るときに外して、机の上に置いておいたブレスレットを取り上げる。
黒いシンジュはすっかり小さくなって、かおり玉くらいの大きさになっていた。ブレスレットにシンジュを繋ぐ金具の中に黒い粒がちまっと収まっている状態で、気をつけないとシンジュだけぽろりと取れてしまいそう。
私はブレスレットを持ってベッドのふとんの中に潜りこむ。ふとんの中で横になって、ブレスレットを口元に持っていくと、小さくなったシンジュにふっと息を吹きかける。それから黒い小さな粒を右手の親指と人差し指でそーっとつまむ。金具にシンジュをくっつけていた接着剤は、私が息を吹きかけるとくっつける力が無くなって、シンジュを取り外すことができるスグレモノ。ただ、金具から外してしまったシンジュは、落としてしまうところころ転がってどこかへ行ってしまうかもしれないから要注意。小さくなったシンジュを落とさないよう、慎重に取り上げ、左手の手のひらにそーっと乗せる。そのまま左手でしっかり握りしめて、右手でブレスレットをベッドの頭の上にある棚に置く。
しゅるっとパールが私の隣に潜りこんできた。パールは温かい。私は「湯たんぽ」ならぬ「ネコたんぽ」って思ってる。冬のネコたんぽはぬっくぬく。だけどパールは、いつもこうして一緒に寝てくれるわけじゃない。
いつもは自分のクッションベッドや、あちこち、好きなところで寝ているパールだけど、心樹医の仕事のときは私のすぐ近くがいいみたいで、こうして隣で眠るの。
さてさてさて。
パールは所定の位置についたし、ちゃんとシンジュは握りしめているし。
後は――寝るだけ。
実は、寝るだけでいいの。特別な儀式なんて別にない。
棚に置いておいたリモコンで部屋の電気を消すと、静かな夜の闇に切り替わる。うっかりシンジュを落としてしまわないように左手は使わずしっかり握りしめて、右手を伸ばして手探りでリモコンを棚に戻して。パールの温もりを感じながら目を閉じると、すーっと意識が閉じていくのを感じる。いつもの寝る感じとは少し違う。左手に握りしめたシンジュに意識を吸い取られていくような感覚――。
そして――。
意識が覚めた。
目が覚めたわけじゃないのは、この暗さでわかる。
暗さというか、闇。ただの闇じゃない。漆黒の闇が、重く迫ってくる感じ。
――入った。
私は、現実世界とは違う場所へ入ることに成功したのを感じた。
ここはシンジュが繋いだ『道』。
目をつむってからどれくらいの時間が経ったかはわからない。たいして時間が経ってないかもしれないし、何時間か経ってるかもしれない。目を閉じることで意識が閉じ、それから意識が覚めるまでの間は意識がないから、時間がどれくらい経ったかの感覚もない。
意識が覚めるのは『道』が通じたとき。
私が眠りについて、相手も眠りにつくことで、私と相手の間に『道』が通じる。『道』がうまく通じないと、意識が覚めることなく目が覚める。そういうときは、朝が来て、現実世界でふつうに目を覚ますことになる。
それがこうして『道』が通じたということは、相手も眠ったということ。
『道』は真っ暗で、何も見えない。見えないだけじゃなく、自分の身体がここに存在しているのを感じられない。身体が闇に溶けてなくなって、意識だけになったような感覚。
私はまず、目を閉じて、また開ける。目を閉じたのも目を開けたのも、どちらもそういうことをしてみた「つもり」。「目を開けたつもり」「目を閉じたつもり」であって、目を閉じたつもりでも目を開けたつもりでもどちらでも、視界は真っ暗なまま変わっていない。
けれど、身体を動かしている「つもり」になることで、黒い闇に溶けていた身体が浮かび上がってくるように、身体を動かす感覚が戻って来る。感覚が戻って来ると、それに応じて、自分の身体がこの場所に形作られていくのを感じる。
じんわり、左手が温かくなったのを感じて、私は左手をゆっくり持ち上げる。
持ち上げてみても、持ち上げているという感覚があるだけで何も見えない。
感覚だけを頼りに、手の甲を下にして、そーっと手を開くと――。
ポゥッ。
暗闇に蛍が現れた――ように見えたが、蛍じゃない。光だ。虹がかかったような白い光。小さな小さな光は、私の手を暗闇にぼんやり浮かび上がらせる。
手のひらの小さな光はまるで本物の蛍のように宙に浮いた。そして私の頭より高い位置へ移動し、そのまま蛍が飛んでいくように、まっすぐ前へ進んでいく。光が通過するとき、湖の上を飛ぶ鳥の姿が水面に映るように、光の下の地面にポゥ、ポゥ、ポゥ……と明かりが灯っていく。地面に灯った明かりは、水面に波紋が広がっていくように広がって、明かりと明かりが繋がって一筋の光になる。ここを進めというように、光の道が出来ていく。
発光する道の上を見えない何かが動く気配。――パールだ。
パールは私の数メートル先に四つ足で立ち、顔だけねじってこちらを見ている。
白い光の中ではパールの白銀の毛は周囲と見分けがつきにくくなり、パッと見た感じ、二つの宝石が光っているように見える。宝石の正体はパールの目。現実世界を離れたパールの姿は、その毛並みも両の目も輝きを増し、七色に煌めく目が強い印象を与える。
「ソラ! 早く!」
それだけ言うと、前を向いてパールが走り出す。
「あ、うん!」
私もあわてて駆け出した。 つづく
読んでいただき、ありがとうございます。
話の流れとしては、やっぱりたいして進んでいないのですが……。それでも、少しは進みました。
次回も割とコスチュームの話になってしまって話自体はたいして進まないカンジなのですが……。
次回もぜひ、読んでみてください。
今回、作中で診療所の感染対策について言及していますが。きちんと取材できていないのでほとんど推測で書いてます。すみません。ただ、私の知っている診療所が、新型コロナ関連の書類等がたくさん増えて、その書類等を捌くのが大変だからもう閉める、ということで、昨年で閉院されまして。消毒液を置く等の表向きの対策だけでなく、そういう内部的な苦労もあるのだな、と。その診療所はお医者さんと看護師さんが1人ずつでされていて、お医者さんがもう高齢でいらっしゃったので、その点もあって続けていく決断をされなかったのだと思われますが。
書類等のデジタル化が進んでいるかとは思いますが、書類などを作成する手間は必要になって来るのでそこに労力や気力を使うというのでは負担が軽減しないのでは? とか、いろいろ考えさせられるな、と思います。感染が拡大している今、医療行為自体だけではなく、事務処理も、大きな負担として医療関係者にかかっているということですよね……?
とある新聞に、ある人がある場所へ出かけたことを「感染リスク」より「ストレス発散」を選択したというようなことが書かれていたのですが。私個人としては、分散することが大切で、日本の国民がすべて外出を控えるべきだとは思わないので、どこかへ出かけることがダメだとは思わないのですが。
ただ、「感染リスク」と「ストレス発散」をはかりにかけるのではなく、はかりにかけるべきなのは「医療従事者の生活&命を脅かす」ことと自分の「ストレスの発散」なのではないかと思うのですが。それと「他人の命」と「自分のストレス」でしょうか? または「感染後の後遺症」と「ストレスの発散」。
ストレスを発散することとはかりにかけるべきものが、単純な「感染リスク」という考えは違うように思います。
私はこのサイトに投稿している『秘密組織に入りませんか?』という作品で『超個人主義』という考え方を提案しています。超個人主義は、『情けは人のためならず』の考え方で、『他人のことを考えて言動をすることが、ひいては自分の得になるので、他人のことを考えて言動を行いましょう』といったカンジです。新型コロナでいくと、『ひとりひとりが人に感染さないようにふるまうことで、自分自身が感染させられることもなくなる』、『ひとりひとりが経済を回すことに協力することで自分の仕事も継続できる』ことになるわけです。超個人主義者としては、今の感染が拡大している状況は理解に苦しむところです。
超個人主義でいけば、感染リスクを抑えながら経済を回すこともできるし、海外で起きているデモや暴動も起こらないはず……なので。
よければ『秘密組織に入りませんか?』とそのシリーズ『秘密組織に入りませんか? 特別編 新型ウィルスに関して』も読んでいただきたいと思います。よろしくお願いします。