悪いヤツは誰でもいくらでも叩いていい、みたいな思考停止した人、いるよね
見てはいけないものを見てしまった。
見たくないものを見てしまった。
そんな感想が一番に来て、いやいや、これはスルーしてはいけない案件だと考え直し、いやいや、赤の他人がいちいち首を突っ込んではいけないと思い、いやいや、やっぱり責任ある大人としては何かしらアクションを取るべきだと再度考える。
何を見たのかというと、アプリでのやりとりの文面だ。
営業課の係長の、まあ言ってしまえば、女の子と行為に及んでアプリ削除に至るまでの約三週間にわたる流れを、だ。
私はべつに人様のスマホをのぞいたわけではない。のぞいたわけではないが、私は生まれつきこうだった。つまり、その人に送られた文字が、画像として見える。
小さい頃はまだ良かった。
読めない漢字がたくさんあった頃は、単にわずらわしい画像が見えるだけだった。それに、小さい頃は周りも子供ばかり。子供宛ての文章など可愛いもので、見えたところで支障はなかった。弊害が大きくなってきたのは思春期に突入したあたりからで、見たくもないものを見せられ、知らなくていいことを知らされ、よけいなことを話してしまったこともある。
だから、私は以降、寡黙なキャラに徹して、そしてスルースキルを磨きに磨いてきた。
だから、見て見ぬふりは得意だった。
総務課長が学歴を詐称していて、じつは縁故入社だとか――私には過去の学生証も画像として見えるのだ。飲み会でいい年して自慢していた出身大学と違う大学の学生証だった――、いつも厳しい鬼の技術主任が恐妻家だとか――LINEの文面から平身低頭こえて五体投地している様子がありありとうかがえた――、そういうことは全部、スルーしてきた。
でも、今回見てしまったものをスルーするのは、さすがに良心が咎めた。
見えたのが文章だけだったら、スルーできたのに。
ご丁寧にもかわいい女の子の顔写真も並んでいて、その顔はどこかで見た顔だと思った。――時報がわりに朝つけていたテレビの、事件のニュースの中に出てきた顔だった。ニュースで聞かない年なんてないだろう、幼児虐待とか、そういったニュースの中に出てきた顔だった。
ちくしょう。なんで思い出してしまったんだと頭を抱えたくなる。
係長が渦中の女の子の相手で、渦中の赤ちゃんの父親とは限らない。限らないが、見えた日付は限りなくクロに近いように思う。いやいや、赤ちゃんなんて早く産まれたり遅く産まれたりすることがあるものだろう。決めつけは良くない。そうだよ、何も相手が係長一人とは限らないし。
と考えて、そしてまた懊悩する。
見えた流れの中に、係長以外の人となんてしてない、そんな文章があった。これが本当なら……でも、文章なんていくらでも嘘を書けるものだ。本当とはかぎらない、嘘ともかぎらないが。
休憩時間に煙草を吸いながら、スマホで当該ニュースをいくつか検索してみた。
相手の男とは連絡が取れなくなった、らしい。
時期が符合しすぎる?でも、逃げる男だって多いだろう、係長がその中の一人だっただけ、かもしれない。決定打になりそうな情報は何も得られなかった。
ああ、どうしようか。
こんな不確かなことで、警察に言う?証拠もなく?これは罪に問われるんだろうか?
事件の女の子に、あなたがお探しかもしれない男はここにいますよと、知らせればいいんだろうか?でも、どうやって?
どうしてもとなったら、女の子のほうで探偵なりを雇って係長を見つけ出しにくるだろう、このまま放置でいいんじゃないだろうか。待てよ、女の子に探偵を雇うお金があるなら、こんな事件にはなってないんじゃないだろうか。
それより、同じ会社の先輩を売るような真似をしていいんだろうか。いやいや、事件になっている以上、善良な市民は公に協力するべきで……誰かに相談するか?いや、まず削除されたアプリでのやりとりを見たなんて、言っても信じてもらえない。
いっそ、係長に直談判するか?それは危険すぎないだろうか。課は違っても向こうのほうが立場は上だし、そもそも出せる証拠など何もない。
余計な手出しは火傷のもとだ。妙な正義感なんぞに駆られて行動して、学生時代に痛い目にあってきたのをもう忘れたのか?私。いやいや、でも見てしまった以上このまま何もしないのも、どうにも寝覚めが悪すぎる。
バカの考え休むに似たり、とは聞くが、あれこれ考えだすと、どうしたいのか、どうするべきなのか、もうよけいにわからない。
悩んだまま、追加で三時間の残業をきっちりこなして家路についたときも、私はまだ考えていた。途中、切らしてしまった煙草の補充にコンビニに入る。その嫌になるほど明るい店内で、私は雑誌コーナーに目をとめた。
そうか。
私はいつもの銘柄の煙草を買うと、そのあとまっすぐ家に帰った。
スーツから着替えないまま、スマホを操作して、使い捨てのメールアドレスを取得する。まったく見返していない画像フォルダの底から、以前の花見会だったかで撮った会社の集合写真のデータを発掘し、私の姿含め、不要な部分をすべてわからないように加工する。
この写真の男性は、ニュースになっていた例の事件の関係者かもしれない、各所に確認してみてくれないか。この男性について、もし本当に関係があるようなら、私はどこの誰なのか知っているから情報提供できる。もし無関係であれば、そのまま消去してほしい。
そういう内容の文面にデータを添付して、ぱっと名前が浮かんだ週刊誌のメールアドレスへ送信した。
誰かに、かわりに考えてもらおう、動いてもらおうと思ったのだ。
私はスーツを脱いで、新しい煙草の封をきった。火を点けて、ゆっくりと吸いつける。夢も見ないで眠れそうだ、と思った。
お読みいただきありがとうございました。