どうぞお見知りおきくださいませ
『はじめまして、あなたフォルクハルト様というの?フォルカー様って呼んでもいい?』
『こらライナ!いくら王位継承権がなくてもこの方は王族なのよ。馴れ馴れしくするのではありません』
『はぁいお母さま。フォルクハルト様ごめんなさい』
『ほら、教えた通りご挨拶できるかしら?』
少年の記憶の中で、少女はいつもよく笑い、よくむくれ、よく怒って、よく喜んだ。
初めて会ったとき、少女は少年の家庭教師に手を引かれ、きょとんとした顔で少年を見つめた。
家庭教師が何やら少女に説明すると、パッと花が開くように笑顔になって、少年に駆け寄ってくる。
叱られるとその途端にシュンとうなだれ不満そうにむくれ、母親から挨拶を促されるとキリッと背筋を伸ばす。
『はじめまして、バルヒェット男爵家の長女ライナと申します。今日はフォルクハルト様が仲良くしてくださると聞いて、ずっと楽しみにしておりました。どうぞお見知りおきくださいませ』
何度も練習してきただろうセリフをたどたどしくなぞり、綺麗なカーテシーを披露した少女は、失敗せず挨拶できたことが嬉しいのか誇らしげに微笑んで母親の顔を見上げた。
なんていろんな顔ができる女の子なんだろう。
狭い塔の中、ごく限られた大人だけに囲まれて育った少年にとって、彼女の存在は衝撃的だった。
家庭教師が「フォルクハルト様は同年代の子と人間関係を結ぶ勉強が必要と存じますわ」と言った意味がよく分かった。
少女のような子供が外の世界では一般的なのだとしたら、動かず喋らずひたすら家庭教師の言う通り勉強に熱中する少年はあまりに暗く子供らしくなかっただろう。
『フォルカーで、良い。君は、なんて呼んだら、いい?』
少年は十二歳になるまで、召使いの大人以外には時々塔にお忍びで遊びに来る兄としか話をしたことがなかった。
同年代の女の子にどんな言葉遣いで話せばいいか分からず、おどおどと言葉を探しながら文章を紡いでいく。
妙に気恥ずかしくて、まともに少女の顔を見ることができない。
『どうぞライナって呼んでね。ねぇお母さま、もう遊んでもいいでしょう?』
『待ちなさいライナ。いいこと?フォルクハルト様は魔力が強くていらっしゃるの。成長して少し安定してきたからあなたを連れてきましたけれど、まだうまく制御できないから、無茶をすればあなたもフォルクハルト様も怪我をするわ。絶対にフォルクハルト様に無茶なことを要求しちゃだめよ』
『分かりました。行きましょフォルカー様!』
『あっこら!』
母親の忠告をあまり聞いていなさそうな顔で聞いた少女が、我慢できないとでも言うように突如少年の手を取り走り出した。
突然触れたその手の、懐かしい温かさと柔らかさに驚愕した。
少女に手を引かれ暗い塔の階段を駆け下りて、庭へ出る。
鈴蘭が咲き誇る庭に建てられているから鈴蘭の塔。
白く小さな花が鈴なりになって揺れていた。
二人は生け垣の影に隠れ、鈴蘭畑に腰を下ろした。
『うふふ、お母さまとスヴェンを巻いてやったわ』
『あの…て、手が…』
『こんなことしてごめんなさい。こうでもしないと気ままに遊べませんの。あの人たちうるさいから。ねぇ、普段はどんなことして遊んでる?』
『普段?いや、兄上とは、その、騎士ごっこをしたり…?』
『まぁ!面白そうですわ。どうやってやるの?』
少女は初めて会ったとは思えないほど人懐っこく少年に接した。
きっと裕福な幸せいっぱいの家庭で、周りから愛され、何不自由ない生活をしているのだろう。
少年は自由で幸せいっぱいの彼女が眩しかった。
対して自分はどうだろう?
幼い頃父親である国王に抱き上げられた少年は、母親を求めて癇癪を起こし魔力を暴走させた。
強大な魔力は魔法攻撃となって一番近くにいた国王に降り注ぎ、国王に大怪我をさせた少年は国家を揺るがす危険な子供として三歳の時にこの塔へ閉じ込められた。
第二王妃だった母親は責任を取らされ処刑されたとも追放されたとも言われ、少年はもうその面影を覚えていない。
第一王妃の息子である兄アルノルトが弟を心配して隠れて面会に来てくれていたが、その他に塔を訪ねる者はなく、いつ暴走した魔力で攻撃されるかと怯える使用人たちから腫れ物に触るかのごとく扱われてきた。
兄と会う他にやることがなく、七歳の頃家庭教師がつけられてからは今日までひたすら勉強に没頭してきたのだ。
こんな自分と遊んで、彼女は楽しいだろうか?
少しでも彼女に興味を持って欲しくて、本当は兄が一人でやってみせてくれただけの騎士の真似を"いつも遊んでる騎士ごっこ"と言ってやって見せる。
彼女は両手を叩いて大喜びしてくれた。
『えっと、今度は君の番だな。いつも、どんなことして遊んでいるんだ?』
『ごめんなさい、実はわたくしお友達がいなくて…いつも一人でお花を摘んだり、本を読んだりしているの』
少女はこの国の住民なら誰しもが持って産まれる魔力を持っておらず、そのせいで同年代の子供たちから避けられてきたのだと打ち明けてくれた。
『みんな、わたくしと接すると呪いが感染って魔力が消えちゃうって言うのよ。だから、今日はフォルカー様が遊んでくださるって聞いて嬉しくてはしゃいでしまいました。ちょっと不敬でしたよね』
『そうだったのか』
少年は親近感を抱いた。
ついさっきまで違う生物のように感じていた少女が自分と同じだと分かって、急に安心した。
ちょっと寂しげに微笑んで足元の鈴蘭を弄る少女の手を取って、立ち上がらせる。
『それなら私達は友達いない同盟の同志だな』
突然表情が明るくなった少年を見て少女が目を瞬かせた。
しかし、すぐに綻ぶような笑みを返してくれる。
先程までの切ない表情を打ち消したのが自分であることに、少年は心が浮き上がるような気持ちだった。
『ふふ、なんですのそれ』
『知らないのか?本を読むのだろう?歴史書によく出てくるじゃないか。同じ目的の為に協力を約束した組織のことだ』
『素敵!フォルカー様は歴史書を読むのね。わたくしはいつも恋物語や冒険物語を読んでいますわ』
『コラ!私や母上様の目に届く範囲で遊ぶよう言ったではありませんか!』
立ち上がったことで生け垣から頭が出てしまった二人は――主に少女だが――、少女の騎士にしこたま叱られることになった。
それから少女は毎日のように家庭教師に連れられて鈴蘭の塔へやってきた。
二人のお気に入りの本を持ち寄って、庭の木陰でお茶をしながら交換して読んでみる。
少女は難しい歴史書に目を回し、少年は甘ったるい物語に辟易した。
しかし、お互いの趣味を共有できる喜びに二人は顔を突き合わせて笑った。
庭に来るフクロウを、どちらが早く餌付けできるか勝負した。
二人とも真剣にフクロウの生態を調べて餌を用意したが、フクロウはそれには目もくれず二人の目の前でネズミを狩り去っていく。
少女はショッキングな光景に号泣し、少年は研究魂に火がついて狩りの様子を真剣に観察した。
夏になると一緒にベリー狩りをした。
イチゴやラズベリー、グースベリー。
自宅の庭で毎年している少女と違い、慣れない少年は低木の棘で指を刺し少女に笑われた。
少し言い争いになって、家庭教師に宥められ一緒にジャムを作り、仲直りする。
同世代の子供との喧嘩も二人にとっては初めての経験だった。
時折少年の兄がやってきて一緒に遊んだ。
兄ははじめ少女を見てたいそう驚いた様子だったが、すぐに彼女を弟の友人として受け入れてくれる。
兄が二人に教える遊びや、王宮から持ってくるお菓子は二人を夢中にさせた。
兄もまた自分を慕う二人をとても可愛がってくれて、穏やかな時間が流れた。
『それじゃあ、ずっと一人なの?』
『あぁ、父はあれ以来会いに来てくれないから、謝る機会もない』
雨の日には塔の天辺の少年の部屋で、出窓に腰掛けて雨に煙る自国を見下ろしながら、時間を忘れてお喋りした。
少女が悩みを相談すれば少年は励まし、少年が生い立ちを打ち明ければ少女は慰めた。
『きっと国王陛下はフォルカー様のこと、既に許してくださっているんじゃない?』
『何故そう思う?』
『だって、塔に閉じ込めていてもフォルカー様が餓えたり困ったりしないようにこんなにたくさんの召使いをつけてくださっているじゃない。わたくしの死んだお父さまもよく言っていましたわ、自分の子供にならどんなことをされても痛くないって。親ってそういうものなのですって』
きっと、"目に入れても痛くないほど可愛い"と父親が言ったのを誤解しているのだろうなと少年は思ったが、ただ父親に嫌われていると信じてきた彼にとって少女の考え方は希望になった。
そうしてすっかり仲良くなって半年、別れの日はあっさりと訪れた。
『フォルカー様、わたくしここへ来るのは今日で最後なのです』
『どういうことだ?』
少女は冬の始まりに寮制の学校へ入ること、三年経って卒業したら仕事を始めなければならないことを少年に説明した。
よく見ると目が真っ赤で瞼も腫れている。
ちゃんと自分の言葉でお別れをするよう母親に促され、ここへ来る前に号泣したのだろう。
大人になるまでずっと一緒に成長できると思っていた少年はとてつもないショックを受けた。
沈痛な面持ちの少女の後ろで、家庭教師も痛ましそうに二人を見守っている。
家庭教師としても、二人がここまで仲良くなるのは想定外だったようだ。
思春期の異性であるし、二人とも友達付き合い初心者なので、それなりに距離ができると思っていたのだ。
しかし二人はたった半年の間に、まるで産まれた時から一緒だったかのような友情を築いてしまった。
仲の良い二人を引き裂くのは家庭教師としても心が痛んだに違いない。
『学校を卒業したら、真っ先にフォルカー様に会いに来ますわ』
『必ずだぞ。私のことを忘れたら、絶対に承知しないからな』
二人は小さな約束をしてその道を違えた。
しかし、約束が果たされることはなかった。
少女が去ったあと、少年はまた一人ぼっちになった。
相変わらず塔を訪ねる者はなく、慕っていた兄もまた大学へ入ったことで会えなくなってしまう。
少年はただひたすら、三年後の秋の終わりに少女と再会できるのを待ち望み、勉学や鍛錬に励んだ。
そうして三年が経ったある日のことだった。
『アガーテ、ライナはそろそろ卒業じゃないのか?』
『ふふ、わたくしの口からは申し上げられませんわ。楽しみにしておいてくださいませ』
『全く、いつもそれだ。私ははぐらかされてばかりだ』
いつも通り家庭教師に少女のことを尋ねてから、庭に出て訓練を始める。
体を目一杯鍛えて、強くなった所を少女に見せたいと思っていた。
普段訪れる者のない鈴蘭の塔に、沢山の足音が舞い込んできたのはその時だった。
『フォルクハルト・シュトラウスだな』
『はぁ…』
『私を覚えていないか』
たくさんの護衛に囲まれてやってきたのは、顔も忘れかけた父親、イーゼンハイム国王陛下だった。
少年の驚愕と言ったら言葉に表し得ない。
驚きのあまり息を呑んだ少年に、国王は告げた。
『そなたの兄アルノルトが大学の寮から失踪して今日で一年経つ。アルノルトを死亡したものとし、今日からそなたが第一王子だ』
『兄上が、失踪!?』
『ついては王宮に住まいを移してもらうことになるが、そなたを野放しにするのは危険すぎる。悪いが、魔力の一部を封印する処置を受けて貰いたい。良いな?』
用件だけ伝えると少年の答えを待たずに国王は臣下を残して立ち去った。
去り際に、やれ、と近くにいた騎士に指示したのが聞こえた。
その立ち振る舞いに、いつか少女が語ったような親の愛は感じない。
しかし、あの頃感じていた寂寥感は少年にはもうなかった。
『ぎゃああああ!!』
『おやめ下さい!まだ子供です!酷いことはやめて!』
『誰か家庭教師をつまみ出せ、この者の仕事は今日で終わりだ』
『これで、完了です。この魔法陣で一年から二年はもつでしょう』
国王が立ち去るや否や、少年はその場で臣下達に上着を脱がされ跪かされたか思うと、なんの断りもなく背中いっぱいに焼きごてを押し当てられた。
少年を庇おうと塔から飛び出してきた家庭教師は数人の騎士に拘束され、有無を言わさず外へ連れ出されていく。
少年に残されたのは、身が裂けるかと思うほどの恐ろしい激痛だけだった。
それは国王の言うところの魔力の一部を封印する処置だったらしい。
魔力制御の魔法陣を背中に焼き入れたのだ。
『い、一年から二年だと?それを過ぎたらどうなる』
『それまでにご自身で魔力を制御する方法を身に着けるように、と陛下は仰せです。そうですね、未来の国王として徒弟が始まる十八の誕生日までに、制御方法を会得なさい。それができなければ、魔女の生贄にするしかないと聞いております。今フォルクハルト王子が塔で生活するのにも莫大な維持費がかかっていますから、これ以上無駄遣いはできないのですよ』
痛みの引かぬうちに血まみれの背中に服を着せられ、少年は数人の騎士によって無理矢理引っ立たされた。
焼きごてを持った臣下が何やら指示し、少年は着の身着のまま王宮へ向かって歩かされ始める。
両側から腕を掴まれながら、少年は振り返って叫んだ。
『こんな勝手が、許されるのか…!』
『あなた様は第一王子となったのですよ。罪人から一気に次期国王です。とんでもないサクセスストーリーでしょう?魔力の制御さえ身に着ければあなたは一生安泰が約束されます。陛下に感謝すべきでは?』
『私はもうそんなことを望んでいない!離せ、何故静かに閉じ込めておいてくれないんだ!これまでずっとほったらかしだった癖に!やっと会えるというのに…………っ、ライナ!!』
唸るような叫びの中最後に口から出てきたのは、三年間夢に見続けた笑顔の持ち主の名前だった。
約束を果たすべく学校から直行してきた少女が物陰で全てを目撃したことを、少年は永遠に知らない。