虐められているみたいです(後編)
焦って弁明をしようとして、ライナは口をつぐんだ。
どうせここで侍女に見咎められなくても、エミーリエに渡したら同じことになっていたはずだ。
ティルダが「ライナが探せばいい」と言った時点で、結末は決まったようなものだった。
見つからなければライナが盗んだことになり、見つかれば盗んだ物を返しに来たことになる。
黙り込んだライナに満足した先輩侍女はライナの手からブラシを受け取り、エミーリエさん!と弾んだ声を出して部屋を出ていった。
案の定、夕方には噂が広まっていた。
「姫様のヘアブラシを盗んでいたんですって。きっとこれまでに無くなった物もあの子の仕業よ。バレると適当な所に返して知らない顔していたんだわ」
「そうよね。だってわたくしが入浴場を探したときにはなかったもの」
「姫様の優しさに甘えて、自分が探し出してきたような顔しちゃって。見咎めたナディに謝りもしなかったそうよ」
「部屋に鍵をつけられないかしら?わたくし達の私物も、いつ漁られてもおかしくないわよ」
「姫様も甘いわ。泥棒にはもっとちゃんと罰を与えてくださらなくては。ヘアブラシだったから良かったものの、味をしめてエスカレートしたらどうしましょう」
午後になり庭に出した本を図書室へ運び込む間、ずっと謂れのない中傷に晒された。
傷付かないわけではない。
しかしここで抗議した所で、とっくに解決したことで大騒ぎしちゃってみっともないと笑われるだけであることをライナは知っている。
ティルダの図らいにより、表向きにはライナが盗んだわけではないということで解決したことになっているのだ。
それに、逆の立場だったらどうだろう?とライナは思った。
あの状況ではどう見てもライナが盗んだ物を返しに来たようにしか見えない。
彼女達の言い分もわかる。
自分だって怪しいと思うし、非難するだろう。
ティルダも悪気はないのだろうし、助けようとしただけだ。
悪いのは彼女達ではなく、ただただライナの運なのだ。
そう結論付けて、ライナは一分でも早く帰る為本を運び続けた。
翌日から、ライナへの当たりの強さは加速した。
歩いているだけで頭上から泥水を浴びせられたり、まかないの食事に虫を入れられたり、屋根の掃除中にハシゴを隠され、真夏の屋根に身一つで何時間も置き去りにされたり。
治安の悪い路地裏にある如何わしい店で猥褻な商品を買ってくるよう言われたこともあった。主の命令だと言われればライナには拒否できない。
屋敷内で物が壊れればライナが壊したことになり、紛失すればライナが盗んだことになる。
その度にどう否定してもライナは折檻を受けた。
ティルダも悪いことをしたなら仕方ないことだわ、とライナを助けてはくれない。
侍女仲間にはクスクス笑われて無視をされるようになり、用事があって平民の使用人に話しかけても「私達に関わらないでください。巻き込まれたくありません」と避けられた。
家政婦長に訴えかけたが「あなたの勤務態度が悪すぎると聞いています」と信じて貰えず、仕方なく執事に訴え出たが「女性のことは管轄外だ」と逃げられた上、「男性に泣き付けばいいと思って!」と侍女達の怒りを煽っただけだった。
本人達に直接やめて欲しいと懇願したこともある。
しかし彼女達はライナに行為を咎められても平然としていた。
「泥棒を懲らしめているだけよ。悪い事をしたのになんのお咎めもないなんておかしいじゃない?」
「そうそう。自分の身を守っているだけですわ。これ以上野放しにしたらわたくし達の持ち物も盗まれるかもしれないもの」
きっかけなんてどうでも良かったのかもしれない。
侍女達は鬱憤が溜まっていて、それを発散できる機を伺っていたのかもしれない。
ともかくヘアブラシ一つで始まったライナへの虐めは日に日に度を越していった。
一度だけ、ティルダへも申し出たことがあった。
パーティの皿を一人で後片付けしていて背中を押され、落とした皿の上に転んで大怪我をしたときだ。
さすがに怪我までし始めたら虐めの域を超えている。
学生時代に散々虐められて大抵のことには慣れているライナでも、看過できない。
破片で膝や腕を何箇所も切って血が止まらないでいるライナを見て、ティルダは「わたくしが大事にしているお皿なのに」と泣き出した。
必死に謝って弁償することでお許しを貰ったあと、何故こんなことをしたの?と問われ、嫌がらせを受けていると打ち明けた。
しかしティルダは「ちゃんと他の侍女と仲良くできなくちゃだめよ」と苦笑しただけだった。
主人の大事な皿を割ったことで、その後虐めが更に激化したことは言うまでもない。
ただでさえ実家に帰って寝る暇もないわけで施療院へ行く時間もなければ、医者を呼んでも貰えない。
廃聖堂へ帰ったライナはどうしても血が止まらない大きな傷を裁縫用の道具で自分で縫い、残りは森で採った薬草を使って自然治癒させることにした。
当然翌日からの仕事を休むことはできない。
汚水の汲み出しや馬糞の掃除などをさせられ、傷口は治るどころか化膿していくばかり。
熱も出した。
意識が朦朧としながら具合が悪いので休ませて欲しいと願い出たが、徒弟だからと言って甘えていると詰られ、仕事を容赦して貰えることはなかった。
それでも侍女の徒弟を辞めるという選択肢はライナにはなかった。
侍女の徒弟になった時に母親は「あの不運なライナがなんという幸運を掴んだのかしら!」と手放しで大喜びした。
その顔を思い出すと、母親を悲しませたくないという気持ちが強まる。
父が死んだ時の母の泣き顔をライナは強烈に記憶しているのだ。
とにかくお金を稼がなくてはという焦燥もある。
徒弟中なので現在は無給だが、あと一年耐えればお金を稼げる。
この仕事を逃したら、次にどこかへ就職できるとは到底思えない。
それにライナには野望がある。
それを叶える為にも、どうしても辞めるわけには行かなかった。
幸い森での暮らしという日々の癒やしもあった。
汗だくで帰ってきて、誰にも咎められることなく冷たい湧き水を頭からかぶる爽快感。
穏やかな虫の音と焚き火の爆ぜる音に聞き入りながら気持ちの良い風に吹かれて聖堂で眠りに落ちる瞬間。
崩れた天井から差し込む木漏れ日を見ながら、すっかりご飯をくれる存在だと認識した鳥達が寄ってくるのを構い、自分で起こした火で淹れる紅茶を飲む時間。
しかし、夏の終わりにはその癒やしすらも奪われることとなった。
仕事帰りにいつものように廃聖堂に帰宅したライナは暴漢達に押し入られ襲われたのだ。
もしかしたら、少し前に侍女達の嫌がらせによって行った路地裏の如何わしい店で目をつけられていたのかもしれない。
怪我による熱がまだ下がりきらず全身疲労困憊のライナは簡単に押し倒されてしまった。
とにかくめちゃくちゃに暴れた。
しかし汚い身なりの男達はライナの抵抗を物ともせずニヤニヤ笑うだけだ。
「どんな変態女かと思ったが、意外と品があるじゃねぇか」
「こりゃ楽しめそうだ。ほれもっと抵抗しろ」
「こんな女を好きにできるなんてツイてるぜ俺たちゃ」
下品に笑いながら男達がライナの頬をバシリと叩いて黙らせると、スカートに手を伸ばす。
じわりと目尻に涙が滲んだ。
こんな場所でこんな男達に身を穢される。
これ以上の屈辱があるだろうか。
森の奥深くとは言えここはアンダーソン家の敷地内だ。
周囲は壁に囲まれているし入り口には門番も立っている。
まさか人が入って来るわけないとライナは高をくくって生活していた訳だが、ここに来てその認識の甘さを痛切に後悔する。
どこもかしこも穴だらけの廃聖堂に防犯能力はゼロだ。
よく考えればこんなふうに襲われる可能性はいつでもあった。
これは世間知らずだったライナの落ち度だ。
「誰か!!助けて!」
「ぎゃははは。もっと叫べ、誰も来やしねぇよ!」
「おい、早くやっちまおうぜ」
「よし、誰からいこうか」
考えてみれば父もスヴェンもフォルクハルトもライナの身の回りにいた男性達は皆彼女を尊重していた。
初めて男の暴力というものに触れて、その力の強さと簡単にライナを物として扱えてしまうことに気付き、どうにもならない力量差に絶望する。
どれだけ叫んでも真夜中の森の奥には誰も来ない。
乱暴にお仕着せを破かれ、自分の人生は終わったと思った。
この国では結婚前に純潔を散らすことは宗教上罪とされる。
結婚式によって女神に許しを得た者同士が行う神聖な行為とされているからだ。
未婚の女性が男に穢されてしまったが最後、女神に背いた事実は一生ついて回ることになるだろう。
古い時代にはそれだけで死刑になっていたような大罪なのだ。
その時、異変に気付いて見に来たのか、いつも寄ってくる鳩が一羽飛んできた。
天井の穴からそれが見えたライナは鳩には何もできないと分かっていながら壊れたように助けてと叫び続けた。
いつもなら穴から聖堂内に入ってくる鳩だが、大きな声を怖がってか空中でホバリングしたのち、崩れかけの天井にトンと脚を降ろす。
次の瞬間、ライナ達の真上に石材が崩れ落ちてきた。
劣化した天井は鳩の体重に耐えられなかったようだ。
「ぎゃあっ!」
「何すんだこのやろう!」
「い、いてぇっ!」
ライナを組み敷いていた男達は直撃を食らって、後ずさった。
それなりの高さから巨大な石材がいくつも降ってきたのだ。
頭から血を流す者、不自然に曲がった腕を押さえる者、腰を押さえて起き上がれないでいる者もいる。
ライナ自身頭に石材を受け、血で目の前が赤く霞む。
しかし、その甲斐あってか男達は倒けつ転びつ聖堂から逃げていった。
後に残されたライナは自らの眼前にとんでもない危機が迫ったことを今更ながらに実感し、震えて力の入らない体を抱き締めていた。
普段の不運を鑑みると貞操を守れたことは奇跡と言っていい程の幸運だ。
助けてくれた鳩を探すが、足元が崩れたことに驚いた鳩はもう逃げてしまっていた。
「(明日は豪華な餌を用意してあげなくちゃ…)」
その日は一睡もできなかった。
もう実家に泣きついてしまいたい気分だった。
母に抱き付いて子供のようにわんわん泣いて何があったか一部始終話し、お腹いっぱい好物を食べ、清潔なお風呂で入浴をして、スヴェンに守られながら安心して眠りたい。
しかしここまで大怪我をして実家に戻れば大問題になってしまう。
スヴェンなどアンダーソン家に真剣を持って殴り込みをかけ兼ねないし、母親もお取り潰しを覚悟で何を言い出すかわからない。
そんなことは望んでいなかった。
そんなわけで一刻も早くこの場所から離れたいが、行く場所がない。
仕方なくライナは痛みでふらつきながら夜通し廃聖堂のリフォームに取り掛かった。
枝をたくさん集めてきて編み上げ、窓にくくりつけて人が入って来られないようにする。
初日にライナが粉砕してしまった扉の部分は蔦を張り、そこに揺れると音が鳴るように仕掛けを施した木の板を取り付けた。
入口の前には落とし穴も掘っておく。
しかし穴の開いた天井だけはどうにもならない。
聖堂中を探し回り、暖炉の薪を作るためと思われる錆びた斧を見つけた。
それを石材で必死に研いで、武器とする。
それでも安心できず、毎晩ライナは聖堂の隅で斧を握りしめガクガク震えながら朝になるまで怯え続けた。