虐められているみたいです(前編)
「ライナさん、ちょっと来てくださる?」
「はいエミーリエさん」
その日、ライナはティルダの指示で二階の図書館にある本を全て庭に運び虫干しするという仕事をしていた。
重たい本を抱えて階段を往復して汗だくだ。
何度も言うが侍女の仕事ではないし一人ですることでもない。
そこに困った表情の先輩侍女エミーリエがやってくる。
またか、とライナは心の中で舌打ちをしてエミーリエの後ろをついていった。
アンダーソン家に徒弟に入って数ヶ月、何度となく呼び出されていた。
内容はいつも同じようなことだった。
エミーリエについて屋敷の一室に入ると、そこはいつもティルダが身支度をする衣装部屋であった。
ライナには総額いくらになるのか想像もつかない色とりどりのドレスが所狭しとハンガーにかけられ、巨大な一枚鏡の前には金糸の細やかな刺繍が織り込まれたスツールが置かれている。
その隣には厳重に鍵のかけられた大きなチェスト。
中には宝石や装飾品がみっちり詰まっているというがライナは見たことがない。
既に他の侍女達が数人待ち構えていて、ライナを一斉に振り返った。
「ライナさん今日この部屋に入りました?」
「いいえ」
「姫様のヘアブラシが無くなっているのです。ご存知ありませんか」
「いいえ」
反抗的だと思われないよう、手を前で揃え、目を伏せた状態で軽く頭を下げてライナは答えた。
何度も疑われその度に生意気だと誹られる中で覚えた、一番従順だと思って貰える姿勢である。
獣と同じで、目を合わせてしまうと噛み付かれるとライナは学習した。
どれだけきつい作業でもこなすことに文句はないが、こればかりは慣れなかった。
雇われ人が多過ぎるからなのか、とにかくこの屋敷ではよく物が無くなるのだ。
その度にライナが呼ばれ、盗ったのではないかと疑われた。
「ヘアブラシなんてみんな持っているもの、わざわざ盗む者は侍女にはいないのよ」
「どこかの貧乏貴族さんならともかく、ねぇ?」
「いつもボサボサの頭をしているじゃない?姫様のとろけるような金の御髪が羨ましくなったのではなくて?」
ライナの簡潔な答えに納得のいかない侍女達が口々に詰め寄り始めた。
ボサボサの頭と言われると否定のできないライナは頬に朱を注ぎ、デイキャップから右側に流した自らの髪を引っ張る。
毎日綺麗な水で洗っているとは言え、香油が手元にないのでどうしても髪はパサついていく。栄養状態が良くないのでなおさらだ。
ヘアブラシは自宅から廃聖堂に持ち込んでいるが、オイルは高価なので屋外同然の廃聖堂には持って来られなかったのだ。
「ライナさん、どうなんです?」
「存じません」
長く言葉を尽くして答えると余計に怪しいと言われてしまうため、一言で否定する。
こんなことが、多いときには週に一度程のペースで起こるのだった。
無くなるのはいつも大したものではない。
ひざ掛けだったり、トーストラックだったり、恋物語の本だったり、おやつのプディングだったり。
いつもしばらくするとひょっこり出てくるので、使用人の誰かがどこかに置き忘れているだけなのではとライナは思う。
しかし、侍女たちはどうしてもライナのせいにしたいようだった。
厳しい糾弾を聞き流していると、やがて優しい声が割り入ってきた。
「あら、何をしているの皆さん」
「姫様、実は…」
ティルダだ。
ことの次第を聞いたティルダは優雅な動きで頬に手を当て困ったわね、と嘆息した。
ライナは頭を下げたままティルダに目線を上げる。
ティルダは根っからの貴族で生まれながらの大金持ちだ。
初日に味方だと微笑んでくれたが、ライナのような下々の者を気にかけたりはしない。
やがて、名案を思いついたとばかりに両手を打った。
「そうだわ、それならライナがヘアブラシを探してあげたらいいのじゃない?このままじゃ水掛け論だもの。それで、物が出てきたら皆さんライナのことを許してあげてくださらないかしら?」
やっぱり、とライナは唇を噛んだ。
一見助けてくれたように聞こえる言葉だがこれではライナが犯人だと決め付けているようなものだと、ティルダ本人は気付いていないのだろう。
しかし敬愛する主の提案に、他の侍女は渋々と言った体で頷く。
「姫様がそう仰るなら…」
「ヘアブラシさえ返して頂ければまぁいいでしょう」
「姫様はなんてお優しいのでしょう」
「ライナさん、優しい姫様にお返事は?まさか探すのも嫌だなんて言い出さないわよね?」
ティルダを持ち上げつつ、ライナを睨みつける。
ライナとしては経験上最悪の展開だが、この場から離れられるのは有り難かった。
関係ない悪口まで浴びせられる詰問を聞き流すのも限界だし、頭を下げたままの体勢もそろそろ辛い。
ここで自分は盗んでいないと同じ主張を延々と繰り返したところで状況が改善するとは思えない。
ライナは諦めてカーテシーをした。
「寛大なご処置を賜り感謝いたします」
「いいのよ。わたくしはライナの味方ですもの」
自分の口から発せられた言葉に諦念を抱く。
これでは盗みを認めたようなものだ。
「そうそう、フォルクハルト様に会いに王宮へ行こうと思うのですが、どなたか付いてきてくださる?」
「お供いたしますわ」
「すぐに準備します」
ニコニコと穏やかに笑うティルダがその場を解散させ、ティルダについて先輩侍女たちは部屋を出ていった。
最後にエミーリエが振り返り、ライナに釘をさす。
「ライナさん、ヘアブラシも見つけて頂きますけれど、本の虫干しもきちんと終わらせて頂戴ね」
「承知しております」
今日も自宅へ帰るのは無理そうだった。
ようやく解放されたライナはひとまず衣装部屋を出た。
衣装部屋でヘアブラシを探すのは最後の手段だ。
ヘアブラシは出てきたけれどもっと高価な宝飾品が無くなっているわ、なんてことになったら、考えただけでゾッとする。
ライナの入れる部屋には限りがあるが、まずは無難な所から探し始めた。
炊事場、ティルダの居室、寝室、勉強部屋。
ヘアブラシはすぐに見つかった。
なんのことはない、入浴場の鏡の前に置いてあった。
「(見つかっちゃったわ…)」
絶望した。
紛失したと騒ぐなら何故もっとちゃんと探さないのか怒りさえ覚える。
しかし立ち尽くしていても仕方ない。
あまりにもあっさり見つかったヘアブラシを手に取りエミーリエのもとへ行こうと踵を返すと、そこに先輩侍女の一人が入ってきた。
「あら、それよ。探していたヘアブラシ。やっぱりあなたが持っていたんじゃない」
「いえ、今見つけたのです。鏡の前に置いてありました」
「あぁ、そういうことになさいって姫様も仰せだったわね。すぐにバレるのだから、もうこんなことしてはだめよ」
「違います、わたくし」
「せっかく姫様が大事にならないよう図らってくださったのに、蒸し返すおつもり?」
「…………」
「"見つけてくださってありがとう"。もう仕事に戻りなさい」
タイミングの悪いことだ。
これではまるで、ライナがヘアブラシを見つけたふりをして盗んだ物を返しに来たようではないか。