王子と騎士(前編)
サブタイトルのシーンまで辿り着いていませんがキリがいいのでアップさせて頂きます。
タイトル詐欺で申し訳ございません。
フォルクハルトは自室でたくさんの本を前に溜息をついていた。
とにかく忙しすぎるのだ。
魔力の制御方法を身につけるリミットである春の誕生祭までは、もう半年をとうに切っている。
にも関わらず文献の解析は進まず、冬が始まり社交シーズンとなり公務が倍増した。
朝は滞在客と乗馬、昼間は隣国の要人を招いて狩りに行ったり議会に参加したり、夜は連日晩餐会だ。
プライベートな時間が全く取れずにいる。
にも関わらず、ライナが見つからない。
あの日、ライナが煙の中に姿を消したあと、緞帳が下りた舞台を隅から隅まで探して回ったが、フォルクハルトは遂に何も手がかりを見つけることはできなかった。
せめてライナを追って自分も同じ場所へ行ければと、役者に頼んで最後のシーンをもう一度演じさせ煙草の煙を混ぜてみるが、あの時のような現象はもう起きない。
そうこうしているうちに時間的に限界が来て、歌劇場を離れざるを得なくなった。
さすがに自分が連れてきた婚約者を一人で帰すことはできなかったし、これ以上不審な動きをしてティルダに何か勘付かれるのもまずい。
外で待てと言った侍女がいないと憤慨するティルダには「侍女が王家の馬車の前で倒れていたから御者が王宮に連れ帰って治療している」と説明した。
あの寒い中に一人外に捨て置かれて風邪を引いたのかもしれないと暗に濁すとティルダは大人しく引き下がった。
あの時留守にする準備を一切していなかったことを考えると、ライナは用事を済ませたらすぐに戻って来る予定だったと思われる。
しかしすでにあの日から三日も経過していた。
何か不測の事態が起きたと考えるのが自然だ。
もしも消える前のライナが予想した通りこちらの世界へ戻るのに煙管が必要なのだとしたら、ライナは戻って来られなくなっているのかもしれない。
フォルクハルトは責任を感じていた。
ライナに煙管を持たせておけばこんなことにはならなかったはずだからだ。
(何があろうと一人にさせるつもりなどなかったというのに、何故こうなるんだ)
この日、晩餐会を終えたフォルクハルトはすぐに着替えて執務机の本を開いていた。
カードでもして夜を明かそうと絡んでくる隣国ナスタージャ帝国の第五皇子にしこたま酒を飲ませて早々に滞在部屋へ帰宅させて、やっと作った一人の時間だ。
あとは近侍が寝る準備を済ませ、部屋の灯りを消して立ち去ってくれればいつもの護衛を連れて歌劇場にライナを探しに行くつもりだった。
ここ数日のルーティンだ。
既に部屋着の下にはお忍び外出用の服を着込んでいる。
一刻も早くライナを探す時間を作るべくフォルクハルトは焦っていた。
と、女中に呼ばれて席を外していた近侍が戻ってくる。
「王子殿下、婚約者殿がいらっしゃいましたぞ」
「はぁ!?」
近侍の言葉にフォルクハルトは勢いよく立ち上がった。
既に就寝時間が近付くど深夜だ。
約束もなく女性が王宮を訪ねていい時間ではない。
「冗談だろう、何時だと思っている?」
「しかし正式な婚約者殿でありますからな、無下に追い返すわけに行きませぬ。お会いください」
「待て、せめて着替えて、応接間で…」
「ティルダ様はお部屋へのお通りを希望しておいでです。いずれ夫婦になるのですから問題ございませんでしょう」
ニヤリといやらしく笑った近侍が、ティルダを招き入れるべく再度部屋の外へ出ていく。
暗に婚前交渉を勧めてくる中年男の下卑た笑みに不快感が背筋を駆け上がった。
どうにか断れないか思案していると、その隙を与えまいとするようにすぐにティルダが部屋へ入ってきた。
近侍は部屋には入らずに「ごゆっくり」と含みのある声で告げると立ち去る。
部屋を整えていた数人の女中も護衛騎士と共に音もなく部屋を出ていった。
気を利かせたつもりなのだろう。
フォルクハルトは心の中で盛大に舌打ちをした。
こうなったら一刻も早く追い返すしかない。
「フォルクハルト様、お会いしたくございました」
「いかがされたのです、ティルダ嬢」
近侍が部屋の扉を閉め、二人きりの空間になるとティルダは部屋をキョロキョロと見回して、胸の前で手を組むとフォルクハルトを濡れた瞳で見上げた。
凄まじい圧を感じて、フォルクハルトは思わず両手を上げて彼女を制し、一歩後ろへ下がる。
見れば薄いシルクのナイトドレスに黒いローブを羽織っただけの姿だ。
思わずその豊かな胸元に目がいってしまい、自己嫌悪と共にフォルクハルトは目を逸らす。
「婚約者がお部屋へ来てはいけませんの?照れ屋さんですわね」
「淑女がこんな夜更けに男の部屋を訪ねてはいけない。さぁ、家まで送らせましょう。話があるなら明日にでも時間を取りますから」
「そんな、やっと二人きりになれたといいますのに。ゆっくりお話致しましょう?もう今夜のご予定はありませんのでしょう?」
フォルクハルトはティルダを自室に入れたことがまだなかった。
そもそも彼女とは舞踏会や晩餐会など公務で連れ歩く以外にはほとんど顔を合わせていない。
何度かフォルクハルトの剣の訓練を見にティルダが城へ来たことはあるが、その際もフォルクハルトの義母である第一王妃とお茶をしてティルダはそのまま帰っている。
物珍しいのか、ティルダは部屋の中を見て歩き始めた。
「あら、本を読んでいらしたの?妖精の国ですって?案外ロマンチックなのね」
「…ティルダ嬢」
執務机の上に開きっぱなしになっている本をティルダが覗き込み、フォルクハルトは低い声でそれを咎め後ろから本を閉じた。
机に重ねてある夥しい数の書物は全て妖精に関するものだ。
ティルダは悪戯っぽく微笑み、執務机の奥にある寝室の扉を開けた。
「怒らないでくださいませ。近侍にだって許可を取ってから来ておりますのよ」
「私と貴女は政略結婚のはずだ。いずれ結婚はするが、これ以上親睦を重ねる必要を感じぬ。何をしにいらしたのです?」
すぐにでもライナを探しに行きたい焦りから、普段は抑えている冷たい物言いになる。
ティルダは特に気にした様子もなく、勝手に寝室へ入っていった。
フォルクハルトはそれには続かず、開いた扉の前で立ち止まり腕を組んだ。
「お話があって伺っただけですわ。…うちの侍女のことです」
ティルダはフォルクハルトに背を向けたまま扇情的にローブを脱ぎ、それをつまみ上げるようにしてパサリとベッドへ落とした。
細くて白い背中が露わになり、フォルクハルトは目を眇めた。
あからさまな色仕掛けにはうんざりだった。
フォルクハルトがまだ思春期の未成年なので、色仕掛けをすれば簡単に落とせると思っている女達が大勢いるのだ。
婚約者の座に就こうと下品にフォルクハルトを誘惑する女共をこの一年で散々見てきて飽きている。
そうとも知らずティルダは挑発的な笑みを浮かべて振り返り、しなを作ってフォルクハルトのベッドに腰掛けた。
「あの者ならまだ回復していない。暫くはここで寝かせておくのが良かろう。宮廷医もそう言っている」
「そんな、これ以上ご迷惑おかけできませんわ。体調管理のできないうちの侍女が悪いのですから、フォルクハルト様が気にする必要はございませんのよ。うちで引き取りますわ」
「アレは元々うちの使用人だが、体調管理ができないなどとは初めて聞いたが?」
「きっと王宮では猫をかぶっていたのだわ。魔力がなくて出来ることも少ないのにすぐに仕事をサボると古参の侍女達も困っているのです」
「使えないのならうちに戻して貰って構わない。王宮なら無能なりに与えられる仕事がある。ティルダ嬢がお困りなら引き取りましょう」
「誤解なさらないでくださいませ、わたくしはあの子のことをとっても可愛がっておりますの。ですからうちで面倒を見たいのですわ。連れて帰らせてくださいませ」
フォルクハルトは無表情のままティルダ嬢を見下ろし黙り込んだ。
言葉を尽くしても恐らく無駄だと感じたからだ。
同時にティルダの言葉の端々からライナへの悪意を汲み取り、自分の想像が正しいことを確信する。
ライナは否定したが、ティルダがライナを虐めているのは事実だろう。
「わたくしのお願い、聞いてくださりませんの?」
「宮廷医が今は動かさず安静にするのが良いと言っている。回復するまで待って頂きたい。国民の健康を守るのも王家の義務だ」
完全に嘘だが、あの宮廷医マダム・エヴァなら口裏を合わせてくれるはずだった。
フォルクハルトがバッサリと話を切ると、ややあってティルダは悲しそうに息をついた。
「分かりました。今日の所は諦めます。明日また伺いますわね。わたくしは可愛いあの子が心配なだけなのですわ」
「ティルダ嬢の優しさには頭が下がるな。あのような下級貴族の娘にまで細やかに気を配るとは、まさに王妃の器だ」
ティルダの言葉を聞くなり、フォルクハルトはいつもの優しげな笑みを顔に貼り付けて彼女を褒め上げた。
国王陛下や第一王妃に気に入られているティルダの機嫌を損ねたままにするのは得策ではない。
おだてておけばライナが不遇を受けるのを少しは抑止できるかもしれないという思惑もあった。
思った通り、ティルダの頬に朱が差す。
「まぁ、そんな、お上手ですこと。フォルクハルト様から下賜して頂いた使用人ですもの。当然ですわ」
「では、そろそろ遅いですし、家まで送らせましょう」
フォルクハルトは組んでいた腕を解き、部屋の入口を指し示した。
しかしティルダは何か思案するように視線をさまよわせるだけでベッドから立ち上がろうとしない。
それどころか、見せつけるようにゆったりとした動きで足を組んだ。
人形のような真っ白で美しい脚が太ももまでフォルクハルトの眼前に晒される。
フォルクハルトが本能的にそこに視線を向けると、ティルダは明らかにそれを意識して自らの太ももに指を這わせた。
「夜中に寝室まで馳せ参じた婚約者を、何もしないで帰すおつもりですの?」
フォルクハルトの中で何かがブチリと音を立てて切れた。
もともと気が長い質ではない。
約束もなく勝手に寝室に上がり込んでおいて、再三帰れと遠回しに告げているにも関わらず、それを分かっていて聞かないティルダに苛立ちが限界だ。
王族に入りたいだけのティルダにとって、王位継承権を得てたった一年のお飾り王子の気持ちなど取るに足らないという態度が明け透けだった。
舐めるのもいい加減にしろという思いが爆発した。
貼り付けていた笑みを消し、寝室へ足を踏み入れると大股でベッドへ歩み寄る。
期待するように目を輝かせたティルダを無視して、その傍らに脱ぎ捨てられたローブを右手で拾い上げる。
そして左手でティルダの細い手首を乱暴に掴み、引っ張り上げてベッドから立たせる。
「きゃ…っ」
ティルダが短い悲鳴をあげた。
フォルクハルトは扉横の壁にティルダの体を乱暴に押し付けた。
ローブを持った右手をティルダの顔の横に叩きつけ、左手で彼女の両手首を纏めて掴む。
そのまま強引に口付けを施した。
「心配せずとも貴女とはちゃんと結婚する。そうでないと私は王子でいられないのだからな」
低い声で唸るように吐き捨てる。
自分でも最低だと思う言い様に嫌がるかと思ったティルダは、うっとりとした顔で目を潤ませてフォルクハルトを見上げた。
「満足したらもう帰って欲しい。悪いが私には今貴女を抱くつもりはない」
パッと拘束していた手首を離し、代わりに右手に掴んでいたローブをティルダへ押し付ける。
その手で寝室から追い出し、扉を閉めた。
ベッドのサイドボードに置いてある近侍を呼ぶ為のベルを思い切り鳴らす。
これでティルダを帰して貰えるだろう。
フォルクハルトはサイドボードに両手をついて、長い溜息を吐いた。
どっと疲れた。
こんなことをしている場合ではないのだ。
フォルクハルトは寝室の扉が開かないよう魔法で固定すると部屋着を脱ぎ捨てマントを着込んだ。
苛立ちで感情が高ぶっているせいか魔力が過多に流れ扉にヒビが入ったがもうどうでも良かった。
窓を開けバルコニーに出る。
既にベアテがそこで毛繕いをしていた。
本当は護衛騎士を連れて行くはずだったが仕方ない。
フォルクハルトはそのままベアテに跨ると歌劇場目指して飛び立った。




