廃聖堂と祭壇画の秘密(了)
「魔力もない下っ端侍女のお前がか」
「えぇ。それで、はっ倒すのです」
「はぁっ!?あの女神は戦いと都市の守護と知性を司る神だぞ!?というかはっ倒す必要はないだろ!願いを叶えてくれるんだから素直にお願いしろ!」
「やです。はっ倒してどういうつもりだったのか聞き出して、事と次第によってはもう一度ぶん殴って、それから不運と魔力がない呪いをといて頂きますわ!」
聖堂内は無風になり静まり返った。
ライナの珍しく物騒な決意を聞いて、フォルクハルトも絶句する。
普段は温厚で、何があっても黙って受け入れるのがライナだ。
それだけ、これまでの人生に鬱憤が溜まっていたのだ。
ややあって彼は目を覆うように手を当て、溜息をついた。
「お前は案外頑固だからな、私がとめた所でどうせ無駄なのであろう…。お前の不運は最早神頼みでしかどうにもならないだろうしな。確かに傍から見ていても地味だが異常だ」
「王子も一緒に召喚して、魔力の制御方法を授けて頂いたらいかがです?確か十八歳までに制御できなければクビになるのですよね?」
「結構だ。私は自分でなんとかなる。既に解決策の載った文献を見つけてあるんだ。順調に行けば来年の春には間に合うだろう」
それまでの剣幕が嘘のように、コロッと澄ましたライナに戻る。
フォルクハルトはそれを胡散臭く見やって、ふんと鼻を鳴らした。
「あらまぁ!」
と、その時ようやく騎士が宮廷医を連れて戻ってきた。
「お懐かしい景色でございますこと!」
「遅いぞマダム・エヴァ」
「んまっ、夜中に叩き起こしておいて随分な言い様ですこと。相変わらずでございますわねフォルクハルト王子」
マダム・エヴァと呼ばれた宮廷医は金縁の清楚な眼鏡をかけ、夜中に叩き起こされたというには金の髪をきっちりと夜会巻き風に結い上げていた。
いつからいるのかは分からないが長いこと王宮で病気や怪我を診ている女医だ。
エヴァは真新しく復元された聖堂を見渡して、うっとりと両手を組んだ。
「フォルクハルト王子が直したんですの?素敵だわ!この聖堂のこんなに綺麗な姿がまた見られるだなんて!」
「お前はこの聖堂を知っていたのか?」
「そりゃあもう。昔は有名でございましたから。ここは百年ほど前まで国一番の大聖堂でしたのよ。この敷地の持ち主が亡くなって民達が自由にここへ入れなくなり、段々廃れていったようでございますけれど」
聖堂を隅々まで眺めながら奥へ進み、懐かしむように真っ赤な絹の布がかけられた祭壇を撫でる。
そして祭壇画を見上げた。
「この祭壇画も、やっともう一度開かれる日が来ましたのね…」
「いいからこいつの怪我を診てくれ。できれば診察もして貰えないか。たった数ヶ月で痩せすぎだ」
「騎士から伺いましたわ。ライナさん、お久しぶりでございます。座って頂戴!」
「ご無沙汰しております宮廷医様。夜分遅くに申し訳ございません」
宮廷医に促されて、ライナはようやく体の痛みを思い出した。
深夜に呼び出してしまった謝意はあるが、ここはエヴァに甘えることにする。
遠慮しては呼びに行った騎士に失礼だ。
綺麗になった深緑のベンチに座ると、隣にエヴァが座りあちこち触り出した。
フォルクハルトは少し離れた所に腕を組んで立ちそれを見守る。
「宮廷医様は、あの祭壇画もご存知だったのですか?」
怪我に触れられ顔をひきつらせながら、痛みから気を散らす為にライナは尋ねてみた。
王宮で働いていた頃、何度か会っているので互いに既知だ。
エヴァはミステリアスな雰囲気でふふ、と妖艶に笑う。
「もちろんでございますわ」
「もう一度開かれる日が来た、ということは昔も扉絵が開いたことがあると言うことですの?」
「あら、最近の若い子達はミサにしか聖堂に行かないからご存知ないかしら?」
「どういうことだ?」
「こういう大きな聖堂の祭壇画は、普段は扉が閉まっていて女神に救われる前の世界が観られるものです。普段礼拝に来る者達はそれを観てミサを心待ちにするのですわ。ミサの日にだけ扉が開かれ、世界を救う神々しい女神のお姿を拝見できるのです」
「そうだったのですか…」
エヴァのスラリとした上品な手がライナの前頭部に触れる。
視界にキラキラとした粉が舞い、ずっと響いていた鈍痛が消えた。
エヴァはフォルクハルトのように特別魔力が多いわけではないが、魔法の達人だ。
特に、医療魔法は群を抜いている。
次々にライナの傷を見つけ出し手をかざしていく。
「さぁ、他に痛いところはございませんか?お可哀想に、何をどうしたらこんな怪我になるのでしょう」
「えぇ、もう大丈夫です」
「高熱がありましたがこれは怪我のせいですのでもう下がりますでしょう。他はお若いだけあって健康です。痩せてしまったのは、少しずつ食事をして戻していく他ありません。あとはもっとしっかり睡眠をとることでございますわ」
「心から感謝申し上げますわ宮廷医様」
全ての傷があっという間になくなった。
疲労や眠気は消えないが、痛みがないだけで随分と体が軽くなる。
体が自由に動くことに感極まったライナはその場で深くカーテシーでお辞儀した。
と、わざとらしい咳払いが聞こえた。
フォルクハルトだ。
「…私には心から感謝申し上げないのかライナ?」
「王子に感謝致しますと、調子に乗って夜歩きが増えるじゃないですか」
「ほんっとに可愛くないなお前!」
不満そうなフォルクハルトに、悪戯っぽい笑顔でそう答える。
そしてすぐに彼の片手を取り、両手でそっと握った。
「嘘です。王子が来なければわたくしはいずれ死んでいました。感謝の念に堪えません」
ポカンと間抜けに口を開けたフォルクハルトは、一拍置いて茹でた蟹のように耳まで真っ赤に染まった。
ライナの手を振り払い後ずさりしながら、口をパクパクさせて慌てふためく。
手を握るくらい、子供の頃にはよくあったことなのに大げさだ。
「分かれば良い!お前は人を頼るのが下手すぎる!自分さえ我慢すればいいというのはエゴでしかないのだぞ!」
「えぇ、反省しております」
「分かったらもっとちゃんと周りを頼れ!…か、帰る!行くぞ二人とも!」
「え、あっライナさん、仕事が終らなくても睡眠を優先してくださいませね!死にますよ。フォルクハルト王子、お待ちくださいったら!わたくしもベアテに乗りますよ!」
そのまま騎士とエヴァを連れて、足早に聖堂を去っていった。
エヴァの心遣いが嬉しく、フォルクハルトに置いて行かれて焦る彼女の背中に深く頭を下げた。
フォルクハルトは従者を待たずにベアテを呼ぶとさっさと飛び立とうとしている。
自分からお礼を要求した癖に、ライナが素直になるとこうだ。
ライナは暫く笑いがとまらなかった。