廃聖堂と祭壇画の秘密(2)
目を瞑ったまま手に持った斧を振り回す。
しかし、限界を迎えているライナの体はうまく斧を扱えず、声をかけてきた相手にあっさりと手首を掴まれた。
「 待て、ちょっ、おい、落ち着け」
「いやぁあっ!助けて、誰かっ鳩さん!」
「『誰か』は分かるが『鳩さん』ってなんだ!」
それならばともう片手をめちゃくちゃに振り回したが、それも簡単に掴まれてしまった。
泣きたくないのに目頭が熱くなってくる。
ライナの両手首を掴んだ相手はグッとそれを両側に広げると顔を近付けて囁いた。
「ライナ、よく見ろ。私だ」
懐かしい声がして、そろそろと目を開けてみる。
そうしてやっと目の前にいるのがフォルクハルトだと気付いた。
一気に力が抜ける。
同時に手の中から斧がするりと抜け落ち、足に落ちた。
「い、痛い…」
「悪い」
まだ震える声で思わず呟くとフォルクハルトが手を離す。
足に落ちた斧のことだったのだが、フォルクハルトは掴んだ手首のことだと思ったようだ。
「お前な、こんな所で何をやってるんだ」
「…それはこちらのセリフですが、またお忍びですか?どうやってここが分かったのです」
手を離したフォルクハルトが一歩後ろへ下がり、黒いマントのフードを脱ぐ。
そして呆れたように廃聖堂を見上げた。
「お前まだ徒弟中だろう。まさかここに住んでるんじゃなかろうな?徒弟中の住み込みは禁止されているはずだ」
「えぇ、ですので住み込むのではなくここから屋敷に通っております。そんなことより、今わたくしが仕事をサボっていたことは内緒ですよ」
落ち着きを取り戻したライナは斧を拾い上げフォルクハルトに背を向けた。
薄汚れた自分の姿をフォルクハルトの目に触れさせたくなかった。
それに、少しでも仕事を進めないと明日の朝までに間に合わない。
フォルクハルトはその後ろをついてきた。
「バカなのか!?野外と変わらぬこんな所に寝泊まりするなど淑女のすることではない。…おい、こっちを向け。お前、その怪我はなんだ。って、何を笑ってる?呑気か」
ベンチに座り直し針を手に取ると、前のベンチにフォルクハルトが座る。
今にも朽ち果てそうな雨ざらしのベンチに、派手ではないが最高級の服を着たこの国の王子。
そのミスマッチ感にクスリと笑った。
それにしてもよく喋る、とライナは思った。
生活が変わってストレスが溜まっているのかもしれない。
一方的に一通り喋ったフォルクハルトはライナの体を観察し始めた。
正面に座られてしまうと、ライナの怪我は隠しようがない。
数日前のあの事件で石材が直撃した前頭部はまだジクジクと血が滲んでいて、血液で髪の毛が固まっている。
自分で縫った腕や膝の切り傷は完全に膿んでしまった。
他にも植木鉢が降ってきたり階段から落ちたりしてあざになっていたり腫れていたりする場所があちこちにある。
フォルクハルトは不機嫌そうに護衛騎士を呼んだ。
「一度城に帰って宮廷医を叩き起こしてこい」
「は」
騎士はライナが止める暇もなく聖堂から出ていった。
睨みつけてくるフォルクハルトの青い瞳から逃れたくて繕い物に目を落とす。
「アガーテが心配していたぞ」
「わたくしもできれば帰りたいのですけれど、仕事が終わらないので帰れないのです。わたくし魔力がありませんから他の人より仕事に時間がかかるのですよ」
「…わかった、ティルダ嬢に仕事内容の改善を求めてくる」
その途端立ち上がってどこかへ行こうとするので、ライナは慌ててとめた。
「お待ち下さい、王子はただの元雇用主です。口出しできる立場じゃございませんよ」
「しかしだな…」
「なんですか、まさかご心配くださっているのですか?」
今にもアンダーソン家へ怒鳴り込みに行きそうなフォルクハルトの腕を掴む。
フォルクハルトの権力で待遇を改善したところで、ライナへの風当たりは強くなるだけだろう。
これはライナの問題で、他人の権力を笠に着て解決していいものではない。
ライナがわざとからかうと、思春期の男の子らしくフォルクハルトは赤くなって腕を振り払った。
「そんな訳ないだろう!お前が非常識だって話をしてるんだ!」
「はいはい、わかりましたからもうお帰りください。夜中に出歩いてはいけません。わたくしのことなら大丈夫ですか、ら」
むきになるフォルクハルトに昔のような幼さを感じて和む。
久しぶりに悪意の感じない会話をして、ライナの気持ちはいつの間にか晴れていた。
これなら朝まで頑張れそうだと思ったそのとき、視界がグニャリと歪んだ。
「おい!?」
どうやら、安心した途端に蓄積された疲労と痛みが襲ってきたようだ。
体に力が入らずベンチから崩れ落ちる。
石造りの地面にぶつかる前に、フォルクハルトの腕に受け止められた。
「ごめ…なさい…わたくし…」
「バカが!やっぱり限界じゃないか!」
「こ、声、うるさ…」
「良いから寝とけ!」
「むぐ」
口に何か突っ込まれて、抱き上げられる。
どうやら干し肉を入れられたらしい。
正直数ヶ月ろくに食べてない状態で干し肉はキツいのだが、不器用な彼らしかった。
そのままベンチの上に寝かされる。
いつの間に、こんなに力が強くなったのだろう。
体は全く動かないが不思議と意識はハッキリしていた。
どうでもいいことを考えながら、去っていく温もりを惜しむ。
「ヴィダーヘアシュテレン」
見えない場所でフォルクハルトが何やら呪文を呟いた。
すると、キラキラした粉が舞いあっという間に聖堂が修復されていく。
仕事環境に構うなと言ったからか、ライナの生活環境を整えてくれることにしたようだ。
フォルクハルトの魔法を見るのも久しぶりだ。
いつもならば「制御できないのに魔力を多用するんじゃありません」と叱ってやるのだが、気力がなかった。
口に入ったままの干し肉をむぐむぐと咀嚼するしかできない。
今のままではこれから来る冬を越せないと感じていたライナはありがたく好意を受け取ることにした。
これだけの建築物を修復するのはライナでなくても一般人の魔力では不可能だ。
フォルクハルトだからこそできる芸当である。
体の下にあるベンチが、目を瞬く間に新品に戻る。
深緑色の塗料が塗ってあったことを初めて知る。
足元の石畳は苔や間に生えていた雑草がなくなり、白い輝きを取り戻す。
パキパキと池に氷が張るような音が耳に届いた。
窓のガラスが戻っていく音だろう。
「ライナ、外の変な穴は消えていくがいいのか」
「う…、変とか、い、言わな、で…」
「…まさかお前の手掘りか?」
徹夜して掘った落とし穴は消されてしまったようだ。
「いっちょ前に防犯のつもりだったのか?なんの意味もなさそうだが。なんだったら代わりに、足を踏み入れたら消し炭になる魔法陣でもつけてやろうか」
「物騒なものは、遠慮、いたします。扉に鍵さえあれば…」
数分横になっただけだが徐々に体が動くようになってきた。
干し肉効果だろうか。
ちゃっかり鍵を要求するとフォルクハルトはまたブツブツと呪文を呟き出したので、きっと付けておいてくれたはずだ。
「…その呪文でわたくしの体も修復できませんか」
「意外と元気だなお前。制御の効かぬ私では、下手したら胎児になるがそれでもいいなら」
「良いわけありません…、あっ」
ふと思い至って、勢いよく起き上がった。
体が動くことにほっとする。
立ちくらみを起こしながら周りを見渡すと、聖堂は見違えるようだった。
真っ白な柱には金の装飾線が引かれ、真新しいガラスがきらめく窓には金糸の刺繍が入った黒いカーテン。
天井は塞がれただけでなくフレスコ画まで描かれている。
錆びだらけだった十字架は銀色に輝き、聖堂のあちこちに精巧な造りの天使像が鎮座していた。
もとは随分と立派な聖堂だったようだ。
ライナは祭壇画を見上げた。
「すごい…やっぱり目が開いていますわ」
「珍しいな」
女神の絵は綺麗に修復されていた。
こうして改めて見てみると、壁の形に添って五枚に分かれていることが分かる。
真ん中の一番大きな絵は、正面を見据える女神の全身図。
両隣に少し小さめの縦長の絵が二枚。
その三枚の下に横長の絵が二枚並んでいた。
神話の一コマ、妖精と人間の戦争を女神が仲裁している場面を描いているようだ。
「わたくし思ったのです。ここはおとぎ話に出てくる教会なのではないでしょうか」
「《ある日教会に降臨した女神は彼と目が合うとこう告げます》か。ぶっ飛んだこと言い出したなまた。やつれ過ぎて壊れたのか?」
失礼なと思いながら、ライナはベンチから立ち上がった。
まだふらつくが、先ほどよりはだいぶましだ。
覚束ない足元を確かめるように、祭壇画へ歩を進める。
手を伸ばして触れると、先ほどのように絵の具が崩れてくることはもうなかった。
「《目が合うと》というのはこの祭壇画と目を合わせろという意味かもしれないと思って」
「まぁいい、やってみよう」
「いえ、既にやってみて、何も起きなかったのですが…あら」
ペタペタと触っていると、絵の脇に蝶番を見つけた。