Sechs Klavierstucke, Op.118 / Brahms
クラシック名曲インスピレーションシリーズ。
曲と史実にはあまり関係ありません。
ストーリーにサウンドトラックをつける逆で、好きな曲にストーリーをつけてみようという試みで、第一弾。
彼女の訃報を聞いたとき、病状からすれば頃合いなのだろうという静かな諦めと、そのひとがこの世から永遠に失われてしまったということの暗く深い鈍痛のような喪失感を抱いた自分を、こういうときにはこういう感情になるものなのか、などと考えながら、ただ呆然としていた。
先の長くないことを悟った本人から病のことを聞かされ、彼女の故郷の町まで見舞いに行ったのは、ほんのひと月前のことだった。私にとっては長く訪れることのなかった懐かしい土地だった。
彼女は静かに寝息を立てていた。
私はそれを妨げないように、少し離れたところに椅子を置いて腰掛け、十数年ぶりにみる友人の寝顔を眺めた。
古希を過ぎていても、若い頃から見知った顔はそう年老いて見えなかった。むしろ学生の頃のままのように思えて可笑しくさえあった。
あれほど仲が良かったのに十数年ぶり以上になってしまった。お互い仕事を始めてからは忙しくなり、また住むところも遠かったのでそう頻繁には行き来はできなかった。さらに彼女が結婚してからは気も遣うようになり、それでも自分に家庭があれば家族のつきあいができたのかもしれなかったが、結局私は結婚しなかった。お互いに重ならない交友関係のなかで生きていくうち、いやそうでなくとも年月を重ねて生きていくうち人は変わっていくのだろう、たまに会う機会があっても以前のようなぴたりと息の合う感じを取り戻せないことがもどかしかった。その他大勢の他の友人であれば気にもならないようなほんの些細な違和感がーーそれでいてさえ他の誰よりも遥かに心が通じていたのにーーそうわかっていても失望を感じた。鍵と鍵穴のように思っていたのに、本当の鍵は違っていて、自分の鍵は嵌るところを失ってしまったのではないだろうかと。
病室の空気は生暖かく澱んで息苦しくなりそうで、窓を開けると冷えた風が頬に心地よかった。
しばらくして、彼女は目を覚ました。「来たなら起こしてくれたらいいのに」とはにかんで笑った。
病室着と化粧気のなさは彼女を病人らしく見せたが、それ以外は拍子抜けするほど普通だった。声に艶があり肌は潤っていた。病気の話はそこそこに、私たちは時間を忘れて他愛のない話をし続けた。いつか感じた違和感は欠片もなかった。親友だった頃に戻れた気がした。戻れた? いや、私にとって彼女はいつでも親友だった。実際の交流がなかろうと、私の心の中に彼女が存在し続けたことは、どれほど私を支えたことか。
飲み物に手を伸ばしたとき、体をねじった彼女の腹部が大きく膨らんでいることに気づいてぞっとした。そこに初めて「死」ということの瞭然たる影をみた気がした。私は内心大きく狼狽えながら、それを見まいとした、見なかったことにしようと努めた。
あと何時間でも話していられそうだったが、彼女の表情に若干の疲れが滲むことを感じて、席を立つことにした。
「じゃあね、また」
別れの言葉の後には少しの余韻があったが、私はそのまま病室を後にした。彼女の身体にありありと死の影をみてしまった以上は、今生の別れになるに違いなく、それならば伝えたておきたいことはいくらでもあるように思えたが、言葉にできそうなものは何もなかった。言葉を介することなくこの感情をそのまま伝えることができたなら良いのに。私に絵が描けたら、音楽が作れたら、あるいはこの感情をそのまま伝えることができたのだろうか。
------------
桜が咲き始めている。
一年が瞬く間に過ぎてしまうと感じるようになってから、毎年毎年もう飽きるほど桜を見てきたように思ったが、彼女は桜を待たずにこの世を去った。考えてみれば、私もあと数えるほどしか見ることができないのかもしれないと思う。それで良い。そう思えば、見飽きたと思っていた桜も、涙の滲むほど美しくみえた。
ブラームスは、シューマンの妻クララへ長く敬愛と友情を捧げたことで有名ですが、晩年、ブラームスは楽譜の出版の問題か何かでクララの怒りを買ってしまい、しばらく絶交状態になってしまっていたそうです。
仲直りをするために、ブラームスはこの曲を含む小品集をクララに献呈し、クララはこれに免じて許してあげたという逸話があります。ブラームス65歳、クララ75歳、亡くなる数年前のこと。
その中でもとりわけ美しいと思うのがこの曲で、万感を込めてこんな曲を捧げられたら、もう、・・・。
個人的にはヴォロドスの演奏が一番好きです。グールドもいいけれど。