80:『乃木坂さん』
RE.乃木坂学院高校演劇部物語
80『乃木坂さん』
バルコニーに面したところに椅子とテーブル……その上には琥珀色の紅茶が湯気を立てている。
「いい香り……」
「春のゴーストブレンド」
ヒラヒラと、桜の花びらがカップの中に落ちてきた。
「あら……」
「僕の演出」
「フフフ……気が利いてますね」
長閑に二人で笑った。
「名前とか聞いていいですか。わたし……」
「仲まどか君だよね……僕の名前は勘弁して」
「どうしてですか……?」
彼は、一見無造作におかれた椅子たちに目をやった。
「僕は、たくさんの仲間達の代表だと思っている。あちらの椅子、みんな仲間が座っているんだ。数が足りないから、立ってるやつもいる」
「え……あなたのことしか分からない」
「そう、こんなにはっきり分かり合えるなんてめったにないんだ……みんな羨ましがってる。ここにいるのは、みんな戦争で死んだ人達。僕もそうだけどね」
「そうなんだ……」
「とりあえずは、乃木坂でいいよ。この成りだから、ここの生徒だったってことは隠しようがないからね」
「じゃ、乃木坂さん」
「ハハ、みんな笑ってる。喜んでくれてるよ」
「……こ、こんにちは。みなさん」
わたしは、空席の椅子たちに向かって挨拶した……なんの反応もない。
「構わなくっていいって、でも挨拶してくれて嬉しそうだよ。僕たちはね、年に二三回『戦没者の霊』で一括りにして呼ばれる。あれって、切ないんだよ。みんな生きてたころは、それぞれ名前のある個人だったんだからね。だから、たとえ乃木坂でも固有名詞で呼ばれるのはとても嬉しい」
そう言うと、乃木坂さんはポッと頬を染めて、とびきりの笑顔になった。
何年も何十年も、とてつもない孤独と切なさの牢獄に閉じこめられて、そこから、やっとぬけだせて笑顔になった……そんな感じがした。
爛漫な春の風情と、花びら一つ入った紅茶の香りが、それを際だたせる。
その切なさが、ぐっと胸にきて、鼻の奥がツンとしてきた。
「乃木坂さん……」
「ありがとう……なんだよ。君が泣くことないだろ」
「アハハ、人の名前呼んで、こんなに喜んでもらったの初めて!」
「いい人だまどか君は」
「あの……焼き芋落っことしそうになったとき、受け止めて窓辺に置いてくれたの乃木坂さん?」
「え……」
「ほら、スマホ出そうとして、ポケットに手を入れたら勢いでスカートのホック取れちゃって……」
「え……あ、そうだっけ(,,꒪꒫꒪,,)」
「え……見えちゃったんだ!」
恥ずかしいより、笑っちゃった。幽霊さんでも赤くなるんだ……!
「ぼ、僕は、まだ運のいいほうなんだ」
「え、スカート……?」
「ち、違うよ(#'∀'#)。ぼくはね、まだきちんとした人間の形してるだろ?」
「うん、言わなきゃ幽霊だって分からない」
「中にはね、元の姿を保てないないほど痛めつけられた人もいるんだよ」
「……ゾンビみたいな?」
「アハハ、そんなの幽霊の僕が見ても怖いよ。そんなんじゃないんだ……あまりに激しい空襲の火で焼かれるとね、骨どころか魂まで焼けてしまうんだ」
「それって……」
「幽霊になってもね、キューピーのお人形ぐらいに縮んじゃって……目も鼻も口も無くなって、幽霊同士でも意思の疎通が難しくなって……むろん焼き芋を受け止めることなんかできない……」
乃木坂さんは、遠くを見る目になった。
「乃木坂さんは、そういう人を知ってるんだね……それも、ごく近しい人……でしょ」
「……勘もいいんだ、君は」
☆ 主な登場人物
仲 まどか 乃木坂学院高校一年生 演劇部
坂東はるか 真田山学院高校二年生 演劇部 まどかの幼なじみ
芹沢 潤香 乃木坂学院高校三年生 演劇部
芹沢 紀香 潤香の姉
貴崎 マリ 乃木坂学院高校 演劇部顧問
貴崎 サキ 貴崎マリの妹
大久保忠知 青山学園一年生 まどかの男友達
武藤 里沙 乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
南 夏鈴 乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
山崎先輩 乃木坂学院高校二年生 演劇部部長
峰岸先輩 乃木坂学院高校三年生 演劇部前部長
高橋 誠司 城中地区予選の審査員 貴崎マリの先輩
柚木先生 乃木坂学院高校 演劇部副顧問
まどかの家族 父 母(恭子) 兄 祖父 祖母




