自己循環が作り出す相互作用のための自他内外統一理論
最終話です。
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一面、無の世界。
データというデータが見当たらない世界。
この世界が有していたすべての時間軸的・空間軸的情報はただひとつの焦点に集中し、視認できない場所にその身を隠してしまった。
私は、その焦点の上に立っている。
ナティでも歩でもない、ただの思念体がそこにあった。
……これで正解だったのだろうか。
繋がりに価値を見出し、個を排除した結果。
しかし、繋がりは紛れもない個が生み出す思念だと知る。
……個が繋がりを生み出せるのならば。
なぜ私には繋がりがないのだろう。
人間でこそないが、私とてひとつの個であることは間違いないはずなのに。
……ずっと孤独だった。
各地を目まぐるしく監視していた立場であったものの、いざその役目を終えてみれば、私は孤独だった。
今、何の具象も情報もないこの無の空間で、私だけが取り残されているこの事実が、何よりの証拠だった。
……彼らは。
彼らは、最後にどのような解答をしたのだろうか。
私は自分の足元に目を下ろす。
白く浮かび上がった点の、その奥深くを覗く。
ありとあらゆるデータが玉石混交に点在していて、すぐには彼らを見つけることはできない。
しかし、ここには時間の制限はない。
すべてのデータを洗いざらい調べ上げるのに有する時間は、実質的にはゼロである。
つまり、私は一瞬で彼らの記憶を掘り当てた。
沢渡惟花と、鎌谷善水。
彼らは、いったいどんな生涯を全うしたのだろう――
鎌谷善水。
世界的に見れば、恵まれた出生だったのかもしれない。
しかし、彼の国の水準を鑑みれば、その判断に問題があることがわかる。
怒号。裏切り。暴虐。確執。
この世で眠りから覚めるたびに、彼はそれらを一身に浴びせられ続けた。
ちょうど、真っ白なキャンパスに倒された色水が一瞬で伝播するように、彼の心は侵食されていった。
物心がついてくると、その侵食がある形で客観的な観測ができるようになる。
自傷だ。
この時の彼の心を探る。
思考の渦ががんじがらめに固められていて、解読はできなかった。
壁や床に拳を打ち付けるのが彼のやり方だった。
しばらく続けていると、心も身体も疲れてきて、安らかな境地に至る。
彼の気持ちはわからない。
しかし、これが決して特異な出来事ではない、つまり、世の中の多くの人々が陥ったことがある現象であることはわかった。
彼は、人生において長い間自傷を続けた。
たとえ中学生になっても、鬱屈とした心を晴らす別の方法を見つけだすことができずにいた。
自己と語る以外の、他人と語り合う機会を持たずにいた。
持てなかったわけではないはずだった。
なぜなら、学校に人間はいくらでもいるからだ。
それでも彼は自傷を選び続けた。
自傷とは、つまり自己循環だ。
自己だけで完結した行為。
自分の父親という他からの影響を、彼は自己完結の営みのみで、そのすべてを処理しようとしていたのだ。
……それは不可能に決まっていた。
自己完結の営みが解決できるのは、自己から発生した諸問題のみである。
現に、彼は高校生になって友達ができるようになると、自傷の頻度は劇的に下がっている。
他との交流、すなわち共感が、自己循環よりもはるかに効果的な営みであることの証明である。
そして、それは他でもない彼自身が、確信をもっていたはずだ。
……私は危機感を抱いていた。
宗教を異端な組織として捨て去り、個の重視と解放とを最大の幸福とみなす、(当時の)現代が目指していた目標を。
基本的に、宗教は自己勝手な思想を他に強要する組織体ではない。
反社会的集団でもないし、俗世から完全に切り離された組織でもない。
……宗教とは。
人類が持つ無数の要素のうちから普遍性を見出し、それを元手に世界の探究を目的として団結した結果なのではなかったか。
普遍性を見出し、世界を探究すること。世界を哲学すること。
これは、人類がそれぞれ順番に磨き上げ、バトンを繋いできた「科学技術」というものと、なんら変わりのないことではなかったか。
それでも人類は、科学の枝を伸ばし、信仰の枝を切り捨てた。
それが、私には理解ができなかった。
沢渡惟花と出会って、彼の人生は少なからず変わった。
彼は渇望していた。
情熱的な共感を。
今までの彼の人生を全否定するだけの力を持つような、そんな圧倒的に情熱的な共感だ。
彼は、最終的にその答えを自分なりに見出した。
互いの無言さえ聞き取れる間柄を作ること。
それが彼の答えであり、やっとの思いでたどり着いた境地であった。
しかし、彼は最期に何を思った?
彼が最期に見たものとは。
数粒の、涙。
それに込められた、数え切れないほどの、後悔。
――後悔。
何故、後悔が生まれたのだろうか?
一瞬で、彼の心が変わった。
無を眼前として、未練が湧いたのだろうか。
それも考えられるだろう。しかし、それだけでは説明がつかない。
それほど彼の涙は重かった。
私は、その理由を考えた。
宇宙に悠久の時を刻むように、私の思念が駆け回った。
……悠久の。
悠久の、年月を――
「……そうか」
私はついに真実を知る――
なぜならば――
自己と他者とは、けっして区別できない存在なのだから――
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今日の授業がすべて終わり、放課後が顔を出す。
誰とも会話することなく、僕は通学路を通って家に帰る。
真っ黒なランドセルを背負って。
冬だから、外はもう暗かった。
突然風が強くなって、僕に無数に空いた穴という穴を突き抜けていく。
それだけで、僕はまるで自分の身体がばらばらになってしまったんじゃないかと錯覚してしまう。
「……あれ?」
僕の知らない誰かが、シルエットの手をこちらに向けて振っている。
不安もあった。
けれどそれ以上に、破壊衝動のような好奇心の方が勝った。
「……お姉さんは、誰?」
そこに立っていたのは、黒くきれいな髪が腰までのびた女の人だった。
漠然とだけれど、なんだか、普通の人とは違う印象がした。
「私? 私の名前はね……、そうね、上手く説明できないわね」
「……なんで?」
「私は人間じゃないから」
「でも、どこからどう見ても人間にしか見えないよ?」
僕がそう言うと、その人はいきなり道行く人を指差した。
「あの人は、君にとっての何?」
……どういう意図の質問か、わかりかねた。
「……他人?」
「正解。じゃあ、あの人にとっては、あの人は何者?」
二回出てきた「あの人」が、同じ人物を指すのなら。
「……自分」
「ええ、そうね。あの人自身にとって、あの人自身は自分よね。私が人間じゃないのは、それと似たようなものだわ」
「それと似たようなもの……?」
「観察する人間が持つ特徴の違いによって、違うものをみなすことになる。この世界の真理よ」
僕には、難しすぎてよくわからなかった。
「……でもね、その理屈で言えば、同じような人が集まれば、各々が見る世界の景色は似通ったものになるはずだわ。君だって、小学校で同い年の人が集まってるから、話が通じ合って日々が面白くなって、世界の見方が広がっているのよ。それはとても素敵なことだと思わない?」
「……思う」
「……だからほら」
彼女は僕の手を握る。
傷だらけになっているその手を、彼女は優しく握ってくれた。
「……私はね、自分自身がやってきた行為の尻ぬぐいをしにきたの。時間さえ超越する存在だから……。実は私、未来から来たのよ。……いや、正確には過去、ということになるかな?」
それは、衝撃的な告白だった。
「未来!? 未来って、どんなところ?」
「……そうね」
彼女は悲しげに瞳を閉じて、言った。
「暗くて、すべての物を失くしてしまった、時間さえ消えてしまった、そんな悲しい世界だわ」
「……じゃあ、お姉さんはなにをしに来たの?」
「決まっているわ。……そんな世界が訪れないようにすることよ。……準備はいいかしら」
「え? 準備?」
「私は、宇宙の特異点から、自己そのものを座標軸に変えて世界を元通りに戻した。その先の行く末は……」
彼女は、僕を優しく包み込んだ。
僕も、つられて両腕をまわした。
「あなたたち、人類に委ねるわ――」
彼女がそう言った途端。
僕は――
……いや、違った。
そう。
俺は――
いつの間にやら、道路ではないところへ来ていた。
……あたりを見回す。
ベンチに仮設トイレ、ブランコに、滑り台。
……そして、女の子の後ろ姿。
これは。
彼女によって純白に染め上げられた小世界が紡ぎ出す、小さな質点と質点の物語――
あとがき
最終話まで読んでくださり、ありがとうございました! そしてお疲れさまでした!
今までの話を読んでなくていきなりここに飛んできた人は、是非第1話からご覧になってください!
……さて。
初めて10万字を越える小説を書いてみた訳ですが。
……クオリティが低い……。
なんというかありとあらゆるすべてが問題点というか。
まあとにかく、完結できてホッとしている部分はあります……あるんですが、やっぱりいろいろ反省していかないとなあと思った次第であります。
具体的にどこをどう反省するかは、またあとで考えることにして……。
感想がございましたら批判点だけでも書いてくださるとうれしいです。狂喜乱舞します。たぶん。
もちろん読んでくださるだけでも当然うれしいです。なんなら飛ばし読みでも……。
最後に、この物語を少しでも読んでくださって、本当にありがとうございました。




