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共感至上主義

☆登場人物☆

・鎌谷善水……かまやよしみず

　高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。

・沢渡惟花……さわたりゆいか

　謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。

・水沢透……みずさわとう

　高校二年生。男子。サッカー部員。善水と仲が良い。髪は茶色。

・岡村美菜……おかむらみな

　高校二年生。女子。優しい性格だが、人には言えない趣味があるらしい。セミロングな金髪。

・古井秀理……ふるいひでり

　高校三年生。女子。口数が少ない。仏頂面だが、体型が非常に幼いので可愛がられる。

・鎌谷善治……かまやよしはる

　善水の父。善水にとって反吐が出るほど嫌いな相手。ＮＧＯに所属している。

・鎌谷惟子……かまやゆいこ

　善水の母。故人。

・岡村桜一……おかむらおういち

　美菜の兄。大学を卒業後、定職につかずにずっと独自の研究に没頭する。妹と共に人当たりが良い。

・古井壮治……ふるいそうじ

　秀理の父。娘の秀理を可愛がりつつも、将来を見守っている。

・山田舞……やまだまい

　秀理の母。古井舞として壮治と結婚したが、のちに離婚し、姓を旧姓に戻した。

・和田霜……わだそう

　老婆。数十年前に、ある男性と不思議な出会いをする。

・長嶋悟……ながしまさとる

　ＮＧＯ所属の男性医師。とある研究グループを自主的に立ち上げた。

・ムンジャ……むんじゃ

　ナティを人一倍信仰する少女。

・星歩……ほしあゆむ

　深青色の髪を持つ、神秘的な少女。

　痣だらけの身体を、彼女に向けた。

「どこに、行ってたんだ……？」

　ふたりの運命を分かつように、陽光が差し込む。

「美菜ちゃんの家に、招かれていました……」

「それで、美菜は……？」

「お兄さんと一緒に……」

「……そうか」

　もう、知人はすべて消えてしまったように思えた。

　赤の他人を除けば、生き残っているのは、俺たちふたりだけ。

「……なんで」

　俺は地団駄を、一回だけ踏んだ。

　地面が、液体のようにぐにゃりと曲がった。

「なんでこんな状況になってしまったんだよ……」

「それは、私のせいで……。私の体質のようなものが災いして……」

「違う。そうじゃない。俺が言いたいのはそうじゃない……。なんで、こんな訳の分からない、理不尽なシステムに組み込まれてるんだよ、俺たちは……」

　ふたりは、何も言えなかった。

　嬉しさが幸を呼び、悲しみが破壊をもたらす、この表裏一体のシステム。

　それの起源は、果たしていつの時代なのだろうか。

　この問いは、「なぜ重力が存在するのか」などという問いに匹敵するほど、一般人にとってはナンセンスな問いであった。

　しかし、物理学者がその問いを追い求めるように、俺たちもこの世界そのものの起源を求めずにはいられなかった。

「……ご主人様……！」

　惟花が、俺の腕をひっつかむ。

「痣だらけ……いや、血だらけじゃないですか……！」

　瞳孔を失うほどに、動揺していた。

　自分の秘密を明かされて、ばつが悪かった。

「……別に、どうってことはないだろ……」

「どうってことありますよ！　い、痛くないんですか！」

「別に痛くは……い、いや、痛い」

　会話を通じて、放し飼いにしていた精神が戻ってきたのか、急に痛みを感じだした。

「い、いたい。本当に痛い……。血が混じって気持ち悪い……」

「なんでこんなことしたんですか……！」

「なんでって……」

　その理由は、確か昔話のかたちで、彼女に語ったことがあった。

「なんで、こんなこと……」

「惟花……」

　彼女は、泣いていた。

　あまりに久しぶりで、ノスタルジーを感じた。

　彼女は、声をあげることなく泣く。

　自然的にではない。能動的に、声を押し殺して泣いている。

　これほど、胸に突き刺さる泣き方も、そうはない。

　それに対して、俺はどうだろう。

　涙を流した記憶は、すぐに思い出せる範囲には見当たらなかった。

「……泣くなよ」

「……だったら、こんな、自分で自分を傷つけること、やめてください……」

「……それも、そうか」

　肯定も否定もできなかった。

　喜びも悲しみも持ちえなかった。

　俺は、彼女の目元にたまった涙を、できるだけ血のついていない指でぬぐった。

　俺の血のように、熱かった。

「ご主人様、こんなになるまで自分を傷つけていたなんて、とても辛かったんですね……。本当に、ごめんなさい……」

　彼女の涙が、俺の心を激しくゆすぶるように。

　俺の流した流血も、彼女の心を動揺させるのだ。

「……なにが、ごめんなさいだよ……」

「……それは」

「別に、これは俺の事情だろ……。お前は何も悪くないじゃないか……」

　自分の、事情。

　自分だけの事情は、他になんの影響も与えないのだとしたら。

　彼女の涙が、どうしてこんなにも影響力があるのだろうか。

　……共感だ。

　共感の作用とは、なるほどこのことだ。

　確かに、責任感やら人生の目的やら、そういったものは他に干渉されることなく、また他を干渉することなく、ひとつの閉じた系としてその価値を全うするのだとしたら。

　共感という系は、それ以外のものだといえる。

　共感はそれひとつではその価値を問うことはできず、必ず別の要素と有機的に結びつき、価値を生み出す。

　他に影響を及ぼし、他から影響を受け、その価値を連続的に変動させる。

　それが、共感なのだろう。

　そして、それこそが、俺の求めていた安寧……。俺の求めていた、概念そのものだ。

「……なあ」

「……なんですか？」

「今から俺が何か面白い技か芸でも披露したら、世界はもとに戻るのかな……」

「……変なことを言いますね」

「お前の持ってる感情が世界に影響を与えているんだったら、その心を晴らしてやればいいのかと思って」

「……それは」

「まあ、無理だよな」

　覆水盆に返らず。

　そう悟った。

「……そんなことより、病院に行きませんか？　その怪我を放っておくわけには……」

「別にいい。それより、ふたりでずっとここにいよう。どうせ、じきにすべて終わる」

　俺は、寮の中でするように、地面に尻もちをついた。

　そして、惟花の身体を引き寄せて、両の腕で抱いた。

「ご主人様……。道端で、そんな……」

「どうせ、誰も見ていないから、別にいいだろ」

　しばらくすると、惟花の細い手が、俺の腰にまわってきた。

「……ずっと疑問に思ってた」

「……なにがですか？」

「なんで惟花が、メイド姿であの公園にいたのかなって」

「……それは、確か、歩さんの入れ知恵で……いや、確か最初から……？」

「……まあ、どのみちあいつがお前を創り出したんだから、どのみち意味するところは同じだろうけど。それで、なんで図ったようにあの格好だったのか」

「……ご主人様って、確かゲームでそういう趣味があったんですよね」

「なんか懐かしいけど、そうだった……と口に出すのも恥ずかしいが。とにかく、俺たち、とてもマッチングしてたんだ、最初から。歩の目的は、未だによく分からないけれど……つまり、きっと最初からこの世界を壊すつもりじゃなかったんだろうと思う」

　あの日、初めて彼女を見たとき、俺はなんと思っただろう。

　まるで自分の中に眠っている理想像を映し出したようだと、思った。

「最初から、円滑にまわるように調整されてたんだ、俺たち……」

　相性のいい人たち。

　和田さんや、俺自身。誕生と別れのサイクルの、始めから終わりまでに関わってきた、過去の人間たち。

　相性がいいから、失敗の事例が今までなかったのだ。

　それが今や、こんな状況になってしまった。

「相性が、悪かったのでしょうか……」

「……俺も、それを思ったこともあった。でも、おそらく違う。相性が悪かったわけじゃない。きっと、歩が心変わりしたんだ。それで、裏でいろいろと画策して、この今の状況に持ち込んだ。それしか考えられない」

「……どうして、そう言えるんですか？」

　俺は、神経のキャップを少しだけ緩めて、力を腕に与える。

　惟花を、より近くに引き寄せた。

　それを回答とした。

　沈黙が、訪れた。

　いつの間にか、ふたりして眠っていた。

　今までの人生の中で、最も至福の時間を過ごしたように思える。

　情熱的な、共感。

　独立と孤立、傲慢と嫌悪に埋め尽くされていた俺にとって、それはいつの日も求めていたものだった。

　それが今、この手にある。

　でも、まだ、なにかが足りない。

　なにかが……。

　何年間も閉じられたかのように思えた瞼を、そっと開いた。

　一面、雪景色。

　いや、ただの白塗りの世界だった。

　家も、街も、国も。

　すべての物体や領域が、消えていた。

　俺たちふたりだけが、残っていた。

　……いや。

「……和田さん」

　見ないうちに、腰がずいぶんと曲がっていた。

　そうだ。

　彼女が、まだ残っていた。

「……すみません、和田さん。俺、あなたと出会って、色々な話を聞いたのに、なにも活かせませんでした……。合わせる顔もありません……」

　和田さんは、これ以上ないほどの柔和な笑みを浮かべて、俺の顔を持ち上げた。

　声は聞き取れなかったが、場を伝って、彼女の思惑が伝わってきた。

「……それも、そうですね」

　俺は、そう答えた。

　そうだ。

　和田さんは、最愛の人物に先立たれて、すべてのものを消失した。

　でも俺は、まだ惟花がいる。

「……きっと、やってみます」

　ふたりだけしか残らなかった世界でも、きっとまだ何か見つけ出せるものがある。

　まだやれることはある。

　和田さんの志を、俺は引き継ごうと思った。

　かつて俺と同じ場所に立っていた、先人の志を――