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歴史と心の逢瀬

☆登場人物☆

・鎌谷善水……かまやよしみず

　高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。

・沢渡惟花……さわたりゆいか

　謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。

・水沢透……みずさわとう

　高校二年生。男子。サッカー部員。善水と仲が良い。髪は茶色。

・岡村美菜……おかむらみな

　高校二年生。女子。優しい性格だが、人には言えない趣味があるらしい。セミロングな金髪。

・古井秀理……ふるいひでり

　高校三年生。女子。口数が少ない。仏頂面だが、体型が非常に幼いので可愛がられる。

・鎌谷善治……かまやよしはる

　善水の父。善水にとって反吐が出るほど嫌いな相手。ＮＧＯに所属している。

・鎌谷惟子……かまやゆいこ

　善水の母。故人。

・岡村桜一……おかむらおういち

　美菜の兄。大学を卒業後、定職につかずにずっと独自の研究に没頭する。妹と共に人当たりが良い。

・古井壮治……ふるいそうじ

　秀理の父。娘の秀理を可愛がりつつも、将来を見守っている。

・山田舞……やまだまい

　秀理の母。古井舞として壮治と結婚したが、のちに離婚し、姓を旧姓に戻した。

・和田霜……わだそう

　老婆。数十年前に、ある男性と不思議な出会いをする。

・長嶋悟……ながしまさとる

　ＮＧＯ所属の男性医師。とある研究グループを自主的に立ち上げた。

・ムンジャ……むんじゃ

　ナティを人一倍信仰する少女。

・星歩……ほしあゆむ

　深青色の髪を持つ、神秘的な少女。

　あれは、誰だ……？

　逆光を帯びた三つのシルエットが、俺を無視して顔をあわせている。

　かろうじて、視界に入る範囲で。

　顔を埋め尽くすくらい目を見開いて、よく観察する。

　瞳孔のゆらぎに、身をゆだねた。

　俺よりも背の高そうな男が一人と、背の低い女の子が二人。

　有色を識別する能力に欠けていて、それ以上はよくわからなかった。

　一人の女の子が、群れから離れる。

　白い、どこまでも白いその道を、ゆっくりと、ただゆっくりと歩いていた。

　か弱さと、颯々とした天真爛漫さを描きながら。

　こちらに向かっている。

　その画像がアップになればなるほど、細かい粗が見えてきた。

　近づけば近づくほど、不明瞭になって、何もわからなくなる。

　顔のかたちも、からだつきも、髪型も。

　心の中も。

　いったい、これは何の暗喩なのだろうか。

「……善水」

　この声は……？

　歩いている女の子の声ではない。

　それとは別に、聞き覚えがある声だった。

　俺の短い人生において、そう何回も聞いたわけではない。

　でも、紛れもなくそれは、俺の記憶にもっとも貼りついてはがれない信号であった。

「……父さん」

　俺は、彼のことをどう呼んでいただろうか。

　うまく思い出せなかった。

　思い出すのは、ただ、あの真っ黒に染まった、忌まわしき記憶だけ。

　母さんが死んだ色。俺が負ったあざの色。血管が沸騰したあの父親の色。

　それらすべてが混ざり合ってできた、ただ俺たちの家族だけを表す、真っ黒な色……。

「……すまなかった」

「……なにがだよ」

「今になって気付いた。善水が、これまでどんなに苦しい思いを背負って生きてきたのかが……」

　なんて、なんてくさい模範解答だろうと思った。

　吐瀉物のように、耐えがたいにおい……。

「謝っても、謝っても、それですまされる問題ではない……。私は飛行機でこの国に戻ってくるつもりだった。実際は、時空がゆがんだ影響かなにかで、いつの間にかここに来れたわけだがね……」

　俺は、無視を決め込むことにした。

　でも、そんな俺の鋼の意思を透過して、あの忌まわしい周波数が四方八方から反響してくる。

「知っているか？　あの娘が善水のところへ来たその日、僕はある方とともに、あの公園にいたことを。……もう痕跡もなにも残っていないが、そう、この場所だ」

　……それがどうしたというのか。

「ああ……、もう時間がない……。最後に言いたいことがある。母さんは不幸にも死んでしまったが、その時の善水はとても強かった。耐えに耐え抜いて、今を生きてくれた。だから、僕がいなくなっても、強く生きてほしい……。最後は、自分の味方は自分だけだと、あの時のようにそう強く信じながら、生きてくれ……」

「うるせえよ！」

　俺は、ただ下を向いて叫んだ。

　シルエットの動きには、興味が持てなかったのだ。

　身を打ち滅ぼすように叫ぶ気力は、ああこんなにも残っているというのに。

「うぬぼれんな！　別にお前がいなくなろうと俺には関係ねえ！　……いつもいつもそうやって、俺を包囲しやがって！　何で気付かねえんだよ！　お前は親として失格なんだよ！　一回も真摯に息子と向き合おうとしないで、一回も母さんに感謝の一言もかけることもしないで、どうしてそんなに父親面できるんだよ！」

　息が切れてしまった。

　肉体なんてなくなってしまえばいいと思った。

　このまま、自分のこの枯れ腐った感情を吐露し続けるだけのロボットになってしまえれば、どんなにいいことかと。

「……ちくしょう……！」

　叫べば叫ぶだけ、こんなに悲しい気持ちになるなんて。

　こんな俺の小さい心を、世界は気付いてくれないだろう。

　たとえ、もう、こんなに縮んでしまったこの世界でも。

「……親は、親だ」

「なんだよ……！　まだなにか言いたいことがあるのかよ……！」

「善水。その考えは捨てなさい。いくら嫌いな人間相手でも、悪口を言ってはいけない。喧嘩を通り越した喧嘩は、お前のすることではない……。たとえ差し違えることになっても相手を倒してやるというその考えは、いつか自分の身を滅ぼしてしまう……」

「……もういいよ。わかったよ。お前が、俺の気持ちを何ひとつ理解してないってことが、改めてわかったよ」

　黒い。

　いくら世界が白いと規定しても、この父子にとっては黒い。

　この家族は、そうなのだ。

　街が、現れていく。

　死んだのだろうか？

　夕日に照らされたブロック塀が現れた。

　虫食い状態の街は、陽光を反射して、風前の灯火の命すべてを表現している。

　シルエットが消える直前、三人の顔が、ほんの一瞬だけ現れた。

　善治と、歩。

　そして、こちらに向かってきていた少女が、惟花だった。

　今は、もうその影はない。

　三人とも、消えてしまったのだろうか。

　古井さんや、透。そして、長嶋さんのように。

　だとしたら、雪解け水のように、快い気分になれるだろうな。

　虚心坦懐の、その領域に、もう俺は逃げ込みたい。

　俺は、ブロック塀を蹴り飛ばした。

　力を入れれば入れるだけ、抗力によって痛みも強まった。

　蹴る。

　右足だけで蹴り続けた。

　両腕が、物悲しそうにしているのがわかった。

　俺はいったんしゃがみ込んで、両の拳をつくって塀を打ち付けた。

　いくら強く殴っても、決して崩れることはない。

　だから、俺はブロック塀が好きだ。

　関節が切れて、青い血が流れ出た。

　陽光に照らされて、俺の醜い顔が映っているような気がした。

　それを振り払おうとして、何度も何度も肩を突き出した。

　痛みを得るために殴った。

　自分の身体から好かれるために殴った。

　心と肉体の両方を、自己として内包できるように。

　もうこの場には俺しかいない。

　少しずつ、思い出してきた。

　自分の記憶という海原の、冷たく深い底の方まで、わかってきた。

　過去の自分と、同化しているみたいだ。

　皆、的外れなのだ。

　勘違いで俺を糾弾して、思い違いで俺を励ます。そんな輩しかいない。

　父親はもちろん、透だって、結局はその一部だ。

　あの桜一さんも、長嶋さんも。

　古井さんは、憎みたくはないけれど。でも、俺の本当の気持ちは、彼女でもわかっていない。

　でも。

　実は、俺だって、自分自身のことがわからなかった。

　こうやって壁からしびれが走って全身を巡らせると、まるで自分のことがすべてわかったような、そんな中毒患者のようないい気分に浸れる。

　それが刹那的な享楽だとしても、俺は縋るほかなかった。

　世界よ。

　俺を知ってくれ。

　俺の身体が壊れてしまう前に、俺の中身を知ってほしい。

　でも、この世界はあと数十時間で消え去ってしまうらしい。

　もう、世界には期待できなかった。

　誰か。

　誰でもいい。

　誰でもいいから、俺に期待を持たせてくれ。

　お願いしますから。

　希望を。

　価値を。

　俺に、持たせてください――

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「美菜ちゃん。桜一さん……」

　広いリビングの中央に置かれたプロジェクターが、寂しげに佇んでいる。

　テレビには、ついに何も映らなくなった。

「どこに、行ってしまったと言うんですか……」

　最後まで、ふたりは笑顔だった。

　とても幸せそうな兄妹だったように思える。

　家族って、なんだろう。

　本来、私は家族というものを知らないはずだった。

　歩さんの身体から流れてきた、以(・)前(・)の私の記憶が流れてきたとき、私は家族というものを知った。

　母はすぐに死んでしまったし、父はひどい人だった。

　具体的にどうひどかったかはよく思い出せないけれど、少なくとも良い記憶はこれっぽっちも発見できなかった。

　去り際に、美菜ちゃんはこう言ってくれた。

「惟花ちゃんも、私たちの家族だよ」

　どうだろう。

　すぐに自分たちが消えてしまうことを分かったうえで、こう言っているのだ。

　美菜ちゃんのその発言の意図は、私にはわからなかった。

　桜一さんは、私に自分の研究を言って聞かせた。

　この世界の歴史について。

　それは、歩さんを中心とした歴史だった。

　確証はないけれど、それ以外の解釈が完全に無意味だということは、かろうじてわかった。

　消える前に、私の肩をそっと叩いた。

「自分の為に生きたらいいと思う。少なくとも僕は」

　その声は、なぜだか呪縛のように反響し続けた。

　私は、美菜ちゃんの家を出た。

　行く当てがなかった。

　私の心の行く当ても、なかった。

　でも、所在ないわけではないはずだった。

　私は、そっと目を閉じた。

　自分の歴史を振り返る。そんな壮大な旅に、自分の心ひとつだけで挑んだ。

　何度も受けた傷が淡い光を発しながら、温かく私を包み込んだ。

　涙が、枯れそうなくらい、とめどなく溢れた。

　旅が終わる。

　私は、目を開けた。

　陽光とともに、そこに立っていた人は――

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　ああ、いた。

　彼女なのかもしれない。

　俺に、期待を与えてくれる人物は――