表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Passionate Sympathy  作者: 梅衣ノルン
第4章 Passionate Sympathy
35/44

粒子のようにざわめく心

☆登場人物☆


・鎌谷善水……かまやよしみず

 高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。


・沢渡惟花……さわたりゆいか

 謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。


・水沢透……みずさわとう

 高校二年生。男子。サッカー部員。善水と仲が良い。髪は茶色。


・岡村美菜……おかむらみな

 高校二年生。女子。優しい性格だが、人には言えない趣味があるらしい。セミロングな金髪。


・古井秀理……ふるいひでり

 高校三年生。女子。口数が少ない。仏頂面だが、体型が非常に幼いので可愛がられる。


・鎌谷善治……かまやよしはる

 善水の父。善水にとって反吐が出るほど嫌いな相手。NGOに所属している。


・鎌谷惟子……かまやゆいこ

 善水の母。故人。


・岡村桜一……おかむらおういち

 美菜の兄。大学を卒業後、定職につかずにずっと独自の研究に没頭する。妹と共に人当たりが良い。


・古井壮治……ふるいそうじ

 秀理の父。娘の秀理を可愛がりつつも、将来を見守っている。


・山田舞……やまだまい

 秀理の母。古井舞として壮治と結婚したが、のちに離婚し、姓を旧姓に戻した。


・和田霜……わだそう

 老婆。数十年前に、ある男性と不思議な出会いをする。


・長嶋悟……ながしまさとる

 NGO所属の男性医師。とある研究グループを自主的に立ち上げた。


・ムンジャ……むんじゃ

 ナティを人一倍信仰する少女。


・星歩……ほしあゆむ

 深青色の髪を持つ、神秘的な少女。

------------------------------

 私には、両親がいた。

 それはもちろん、少なくとも自分がこの世に生まれ落ちた瞬間は、誰もが両親を持っているはずだ。

 しかし、当時の私は、それに懐疑的だった。

 なぜ、私には両親がいるのか?


 小学生の頃。

 夕方は、淀んだ冷たい空気が私を迎える。

 いつも家にいて、家事をする父。

 外に出て、何やらよく分からない仕事をしている母。

 三人で食卓を囲っていた時代は、まだよかったかもしれない。

 しかし、そのうちその風習もなくなった。

 母が帰ってくる時間が、ひどくブレるようになった。

 できれば、母には帰ってきてほしくなかった。

 これは毎日のように思っていた。

 私が特別父を愛しているという訳ではない。ただ、この二人をあまり会わせたくはなかった。

 皿の持ち方とか、洗濯物のたたみ方とか、物を置くスペースだとか、両親は万事にわたって口喧嘩をしていた。

 それはもう、枚挙にいとまがない。

 多感なお年頃だった当時の私は、それについていちいち、今回は父の方が悪かっただろうとか、今回は母の方が我慢すべきだっただろうとか、いろいろと考えていた。

 それを、自分の意見として表明したこともあった。

 子供がかかわることでないと、二人から注意された。

 こんな時だけ、息がぴったりなのだ。

 乾いた笑いが出るほど、虚無的な痛快を感じた。

 ならば、私にはどうすることもできない。

 両親の確執を止められるのは、紛れもない本人たちだけだと悟った。

 それならば、あとは二人で勝手にどうぞ。

 九歳にして、そんな諦観が心を覆った。


 遊園地には、よく行った。

 ここでも両親はいつもの調子で。

 お前が秀理を見てやれよとか、お前だって目を話していただろうがとか、私を巡っての争いだった。

 私を巡っての争いであるほど、私が干渉することを両親は拒んだ。

 お前には関係がないだとかなんだかと。

 矛盾しかなかった。

 むしゃくしゃして、ジェットコースターに死ぬほど乗った。

 それ以外の記憶はあまりない。

 秀理はジェットコースターが好きなんだねと言われても、何も言い返す気力がなかった。


 一人だけ、友達がいた。

 彼女が私を引っ張っていく。そんなタイプの関係だった。

 定義できる世界があまりにも小さい少年時代だったから、家の事情のことも包み隠さず話した。

 話題に尽きることはなかった。

 毎日、両親が何かしら新しい話題で口喧嘩していたからだ。

 私の話すことを、余すことなく彼女は聞いてくれた。

 それが終わると、今度は決まって彼女の話になるのだった。

 小学生なのに、彼女は自分のパソコンを持っていた。

 パソコンは緊急の連絡や報道などもキャッチできる。親が、安全管理という観点から娘に持たせたらしかった。

 彼女の話は多岐にわたっていたが、それでも多くはそのパソコンの話題か、塾の話だった。

 私はそのどちらとも関わり合いがない。

 彼女の快楽や悲嘆を完全には理解できないことが、心苦しく思った。

 彼女は学校の成績も良いし、塾でも上位のクラスで先取り学習を行っていた。

 対して私は、成績が悪かった。

 いつからだったか、それがとてもコンプレックスになった時期があった。

 彼女はたくさん持っているのに、私は何も持っていない。

 漠然とした、そんな不完全燃焼のような状態だ。

 十歳になる、ほんの直前のことだった。


 そして十歳が訪れる。

 ある日の夕方。

 今日はやたらと静かに話をしているなあと、私は馬鹿みたいに呑気に構えていた。

 二人で書類に目を通している。

 どうせ近寄ったら煙たがられるのは分かり切っていたので、私は自室のベッドでひとり寝転がっていた。

 それから一週間後。

 父が、まるで上司に向けるようなおびえた顔をして、私に話しかけた。

 ……なるほど。

 なぜ、私には両親がいるのか?

 その問いは、未解決問題として、居直り強盗のように私の心をかきむしった。

 そもそも私は何も持っていなかったのに、ますます()()を失くした。

 これでは生きていけない。

 そう思った。

 相当だ。

 生きていけないだなんて。

 私がほとんど喋らなくなったのは、この頃からだろう。

 なにせ、なにかを喋れるほど話題がない。

 両親の離婚。

 家の中から口喧嘩が消えたおかげで、私に話題や居場所はなくなった。

 彼女に会っても、私は何もできない。何も喋れない。

 自分から、彼女に会うのを拒んでいった。

 四年間くらいにかけて少しずつ育まれた友情は、さっぱりと自然消滅した。

 そして中学生になった。


 このままではいけない。漠然とした焦りが、汗として背中を伝う。

 趣味もないし学もない。

 たとえひとりぼっちでも、自己の中身さえ空っぽではいけない。

 そう思った私が目につけたのが、そう、勉強だった。

 ひたすらに勉強した。

 将来を切り開くためだとか、親に恩を報いるためだとか、そんな高尚な辻褄は自分から喜んで切って捨てた。

 話題とは、自己が内包する自己形成のための素地であることを知る。

 そんなものを、ひとつでも多く掴み取りたいと思った。

 中学生が終わり、高校生がやってきた。

 やることは変わらなかった。

 いつの間にか、全国模試ではトップクラスだった。

 私は、学校ではいろいろと噂されているらしい。

 漠然とそれを認識したが、だからといって特に何かするわけでもなかった。

 三年生になると、まわりのクラスメイトたちも勉強を始めてきた。

 そうすると、ますます私は認知されるようになり、勉強について色々と質問しに来る人が多くなった。

 傍から見ればアイドルのよう。

 尤も、学校でも家でもほとんど何も喋らない生活を送り続けていた私は、そのたびにひどく狼狽した。

 あまり役に立たないと悟ったのか、夏には私のまわりには誰もいなくなった。


 冬になり、知らない女の子がいきなり抱きついてきた。

 パニックになって逃げだしたが、彼女の知り合いらしき男と出会った。

 私は下級生扱いされ、二人はさっさとどこかに行ってしまった。

 新鮮な体験をすることも、あるものだ。

 今度は人数が増えてやってきた。

 私をテスト対策のために利用しようとしてきたのだ。

 胸が温かくなった。

 初めて彼らに会ったとき、何故だか分からないが、私と似ているなと思ったのだ。

 私と似ていて、自分だけの話題を持てない人たち。

 とくに、最初に会った二人のカップルは。

 私は、勉強を教えるという形で、彼らに自分の話題、いや、自分が自分でいられる何かを、提供してやれるんだ。

 逡巡はあったが、抵抗はなかった。

 でも、よく考えれば私は上手に物を教えられない。

 できることといえば、背中を見せることぐらいだ。

 焦りと緊張で、ぐっしょりと熱く濡れた、その背中を。

 ……こんな変な考え方をする人間も、私くらいか。

 まあ、最終的に彼らは良い点を取れたみたいなので、結果オーライだ。

 遊園地にも行った。

 最後のほうは雨が降ったが、楽しめた。

 ジェットコースターに五回も乗ってしまったが。

 相変わらず、私には社交性がない。


 入試一週間前。

 どすんと、私にのしかかる重圧があった。

 手が、震える。

 足も。

 まさかここに来て、緊張してきたか?

 いや違う。

 これは……罪悪感?

 何も悪い事はしていないはずだ。

 でも、常に、自分に足りない何かへの欲求が先走って、現実の行動を置き去りにする。

 なにかしないと。なにか勉強しないと。

 勉強しないと、勉強しないと。

 自己を形作らないと。

 消えてしまう。

 自分が。

 分からなくなった。

 何をもって、勉強しているといえるのか。

 その定義は、そもそもどこから来たのか?

 自己の内部からだ。

 でも、私の当初の目標は、なんだった?

 話題を作るって、なんのため?

 彼女のためだ。

 いつも話題に富んだ彼女と、対等に話し合うためだ。

 さらに一般的にいえば、社会と対話するためだ。

 なのに。

 その定義を自己の内部から持ってきて、いったいどうするというのだ?

 社会から定義づけられなくて、それに何の価値がある?

 発狂する。

 自分が今まで、中学生から高校生まで、努力してきたすべてのことは、自己が完全に否定して、水泡に帰した。

 ストイックに、勉強だけで自分を高めた。

 でもそこに、社会性は欠片もない。

 ただの独善のみ。

 ああ、終わったなと思った。

 そう、今度こそ。昔思ったことが、よみがえった。

 これでは生きていけない。

 結局、自分には何もなかったのだ。

 空回りした。

 もうだめだ。

 親の目もあるから。なにより、彼ら、そう、新しくできた友達がいたから。とりあえず一週間だけ勉強した。

 入試の日が来た。

 ひとりずつが、私に期待してくれた。

 惨めだ。

 泣きそうになるのを、必死にこらえた。

 涙を見せたくなかったから、さっさと家を出てしまった。

 もう、会場に行きたくない。

 電車を使わずに、とぼとぼと歩いた。

 遅刻が確定したのを確認した。

 私は家に帰った。

 慟哭の気配が消えることはなかった。

 家で、父と友達の顔を見た。

 ああ、もう逃げられない。

 そう思うと、涙が出た。

 声も。

 どうせ逃げられないのならば。

 時代さえ遡るように、赤ん坊のように泣き叫んでやると決めた。

 すべてを、自分で壊したいと、その腐った理念で。


 一日置くと、自分の心も少しは落ち着いた。

 父が言った。

 何も気にしなくていいと。

 私に最大限の慈しみを与えていると、感じた。

 それを通じて、ああ、父はこんな人間だったんだなと思った。

 気づけば、見落としていたんだ。

 自分のことばかりにとらわれていた。

 なぜだか、心がすっと落ち着いた。

 昨日の今日で、心が真逆の方向を向いているだなんて。

 自分の心とは、まこと度し難い。

 でも、自分が()()な人間だとは思わなかった。

 すぐに自分の心が落ち着けたのは、父と、自分が積んできた経験のおかげなのだろう。

 その時、私は考えた。

 なぜ、私には両親がいるのか?

 これが、答えだ。

 経験のきっかけを与える者が、両親なのだ。

 口喧嘩の記憶ばかりだった。

 でもそれが、私を勉強に駆り立てたのだとしたら。

 私は、やはり両親に感謝しなければならない。

 多分、数年前は、これを自分でも分かっていたんだ。

 心の底では。


 自己と、社会。

 社会から認められることを望みすぎた結果、自己が崩壊してしまった。

 これからは、その修復をしなければ。

 私は勉強を続けた。

 勘は完全に失われていた。

 腕を噛むほど、涙を流すほど、自分に腹を立てた。

 ……いけない。

 これではいつまでも昔のままだ。

 父に、強迫観念に突き動かされているのではと、誤解されてしまう。

 自己を破壊してはならない。

 自己と社会の折衷。

 その二者を媒介する、親から授かった経験を、経験として蓄積すること。

 これを、忘れずに持ち続けなければ。


 いつか私が落ち着いてから。

 また会いたいと思った。

 あの彼らに。

 昔の友達に。

 そして、他でもない母に。

------------------------------

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ