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Passionate Sympathy  作者: 梅衣ノルン
第3章 Practical Soloist
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灰色の雲の結末

☆登場人物☆


・鎌谷善水……かまやよしみず

 高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。


・沢渡惟花……さわたりゆいか

 謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。


・水沢透……みずさわとう

 高校二年生。男子。サッカー部員。善水と仲が良い。髪は茶色。


・岡村美菜……おかむらみな

 高校二年生。女子。優しい性格だが、人には言えない趣味があるらしい。セミロングな金髪。


・古井秀理……ふるいひでり

 高校三年生。女子。口数が少ない。仏頂面だが、体型が非常に幼いので可愛がられる。


・鎌谷善治……かまやよしはる

 善水の父。善水にとって反吐が出るほど嫌いな相手。NGOに所属している。


・鎌谷惟子……かまやゆいこ

 善水の母。故人。


・岡村桜一……おかむらおういち

 美菜の兄。大学を卒業後、定職につかずにずっと独自の研究に没頭する。妹と共に人当たりが良い。


・古井壮治……ふるいそうじ

 秀理の父。娘の秀理を可愛がりつつも、将来を見守っている。


・山田舞……やまだまい

 秀理の母。古井舞として壮治と結婚したが、のちに離婚し、姓を旧姓に戻した。


・和田霜……わだそう

 老婆。数十年前に、ある男性と不思議な出会いをする。


・長嶋悟……ながしまさとる

 NGO所属の男性医師。とある研究グループを自主的に立ち上げた。


・ムンジャ……むんじゃ

 ナティを人一倍信仰する少女。


・??


「僕は善治さんから資金援助をはじめ、さまざまな面でお世話になっている。善治さんは、この僕の研究を唯一認めてくれた人で、僕は感謝している」

 俺は、その発言の中身が、俺に向けられているものだとは、瞬時に判断できなかった。

 それほど、予想外のことだった。

「嘘ですよね……?」

「本当のことだ」

「……仮に本当のことだとして、それが俺になんの関係があるんです?」

 この返しは、彼を黙らせるに足るものだと思ったが。

「あるに決まっているだろう。親子なのだから」

「……それは答えになってないと思うんですけど」

「別に一度も顔を合わせたことがないわけでもあるまい」

「……別にそうだとして、それで俺の人生に何か変化があるようには思えないんですけど」

「人生でなく、君自身に関係があるかどうかの話じゃなかったのか?」

 価値の薄れた言葉の応酬が、絶え間なく続いてしまう。

 俺の声は縮んでいき、彼の声は膨らんでいった。

「なにかこの話題に不愉快なことでもあるのか?」

「……そういう訳では」

 あるのだが。

「そうか。それで、ようやく本題に入りたいのだが、その前にひとつ善治さんから伝言があってね。彼はこの研究に、ぜひうちの息子を協力させてほしいと……」

「お断りします!」

 無から大声を張り上げたせいで、俺は咳き込んでしまった。

「……そんな暇はありません。話はそれだけですか」

 俺は身を翻そうとする。

「待て。さっきから君は何にそんなに腹を立てている? ……なぜ、それほどまでに自分の父親を嫌っている?」

「……美菜からか、または父本人からかは知りませんが、俺の家庭の事情は聞いてるんですよね。どうしてもこうしても、あんな家庭環境で自分の父親を好きになれる子供が、いると思ってるんですか?」

 自分の声が、自分でも恐ろしいほどに殺気だっている。

「……子供は例外なく親からの施しを受けて生きる。いくら損害をそこから被ろうとも、少なくとも子は親の施しに感謝する義務がある……。これは、年長者に対して敬意を払うという行為の根本的な原理である。僕はそう教えられたし、自分自身でもそう思っている」

 およそ、平均的な二十代の発言とは思えなかった。

 言葉は平易だが、重い思慮と洞見に富んだ人物であることが、会話の端々からわかる。

 それを受け入れられるかどうかは、また別の話だが。

「自分の父親は嫌いか?」

「嫌いです」

「そうか。ならそれはそれとして、さっきの話はなかったことにしよう。それでは本当の本題に入りたい」

 桜一さんはそこで初めて部屋の電気をつけ、重そうな紙束と大きなパソコンのモニタがのった机の手前に置いてある椅子を引いてきて、部屋の中央でそれに座った。

「惟花ちゃんという娘が、僕の研究に大きな関わりがあるという話、詳しく聞かせてはくれないか?」

 今度は、俺が話すのか。

 長嶋さんの時は、俺は邪魔者扱いにされたのだが。

 そもそも年齢からして全く違うのだけれど、あえて比較するなら二人は対照的な人物だ。

 俺は、彼女の体質や世界との根源的かかわりについて、説明した。

 説明は面倒ではあったが、これも、なにか問題を解決するためのヒントを得るためだ。

「……そんなことが」

 美しい顔が、驚愕の色を見せた。

「……そうであるなら、おそらく過去の赤・青・黄の一連の現象のひとつひとつが彼女らのような体質の人間ひとりに対応していて、その長さはその人が生きていた期間に対応する……ということか」

 早口で喋りながら、桜一さんはせわしくパソコンを立ち上げた。

「……ということは、今までに失敗の事例……つまり、マイナスの感情過多のまま死んでいったケースは一度もなかったということか?」

「どういうことですか?」

「過去の一連の現象は全て、最後には世界に何かしらの貢献を与えてから消滅している」

「……なるほど」

『ところで、一応聞くけど、世界が崩壊するって具体的にどんな感じなの?』

『そんなことが分かってたら、今の私たちは存在しませんよ?』

 そういえば、あいつと会った日の夜に、こんな会話をしたような。

「……待てよ。善水君。最近、こんなニュースが流れているのを知っているか?」

 立ち上がったパソコンで、彼はあるネット記事を俺に見せる。

「ここ二日の世界の自然災害発生件数……六二三九件!?」

「地震、火事、豪雨、干ばつ、ヒート現象等々、本当に小規模なものも含めて観測された自然災害全ての記録とはいえ、たった二日でこれだけの件数とは……」

 そのネット記事には、折れ線グラフものっていた。

 一週間前からの、一日における世界の自然災害発生件数の推移を表すもので、当然、その傾きはここ二日で急激に増加していた。

 冷汗が止まらない。

 止めようとしても、身体が言うことを聞かなかった。

 遠い世界の出来事だと、所詮は他人ごとであると、軽く流せる問題ではない。

「……最近、彼女やそのまわりの変化などは?」

「……それは」

 もう逃げ場はないぞと言われた気がした。

 あの蒼髪の謎の少女に。

「……まあ、君が気に病む必要はない。ただ、君にしか解決できないことがきっとある。君は僕の研究には参加しないとしても、何か、そう、何かをしなければいけないはずだ」

「俺にしか、解決できないこと……」

 腐っている場合ではない。

 土石流の流れのように、もう事態は止まることはない。

 心の問題を解決することで、世界が元に戻るなら。

 俺は何かをやるしかなかった。


 帰り際。

「……ひとつ言いたいことがある」

「……なんでしょうか」

「これは僕の経験則から導き出したことに過ぎないが……君のお父さんは、何らかの形で、世界を巡り巡って、世界全体を媒介にして、君に幸福を届けている。僕はそう思っているよ」

 それだけの言葉を交わして、俺は土砂降りの中、帰路に就いた。


 俺たちは、また古井さんの家にいた。

 雨は、強くもなく弱くもなかったが、まだやんでいなかった。

 部屋の中は、無言そのもの。

 水の流れる音。水が何かを叩く音。水がはじける音。水がばらまかれる音……。

「……なあ。……やっぱりいいや……」

「なんだよ」

「いや、なんか、僕たちは受験しないっていうのに、変に緊張しちゃってさ」

「……そうだな」

 もう、受験当日まで五日しかない。

 彼女に悔いはないのだろうか。

 不安や、戸惑いは。

 ないか。

 これだけ勉強していたら、最難関だって通るさ。

 そんな励ましの言葉ひとつを、誰も言えないでいた。

 シャーペンを動かしては、大げさな動きでケシゴムをかける。

 憔悴しているのが見て取れた。

 試験まであと三日となった。

 俺たちは、また古井さんの家に集まった。

 その日も雨は止まなかった。

 邪魔にならないようにスマートフォンを取り出し、あの時のネット記事をもう一度見てみると、追記がなされてあった。

 ……規模の大きい災害が、いくつか起こっていた。

 死者も計上されるようになった。

 次の日は、惟花が一緒に行きたがらなかった。

 なぜかと問うても、何も答えは得られなかった。

 ひとりで留守番させるのは不安だったので、無理やり連れてきた。

 ずっと無表情で勉強を続けていた古井さんが、悪い意味で表情を崩すことが多くなった。

 そして試験前日。

 さすがに少し気が引けたが、壮治さんがどうしても来てくれというので、結局俺たちはまた集まった。

 別に何もできることはない。

 惟花の表情も暗くなっていた。

 理由は聞かなかった。

 地球の反対側でとある感染症媒介虫が大量発生し、一万人以上が死亡した。

 外に出ると、暗いニュースが、ひっきりなしに街から流れた。

 寮では、父がふらっと帰ってきた。

 一言も会話を交わさず、一時間も経たないうちに、またどこかへ去って行った。


 雨は、まだ降り続けていた。


 少女は、それでも勉強を続けた。


 最後の、最後まで。


「頑張ってくださいよ、古井先輩。応援してまっすから」

「……」

「あ、あの、市販の板チョコですが、どうぞ。脳の疲れが癒えるそうです……」

「…………」

「えっと、その……古井さん、頑張ってください。あ、あとは……、初めて会ったときは、タメ口で話してすみませんでした……」

「……」

「秀理。父さんは何もできないが、ここで応援している。何かあったら電話をよこしてほしい。……大丈夫だ。秀理ならやれる」

「……………………」

 皆が一言を贈るたびに、古井さんは斜め下を見つめた。

 照れ隠しか、あるいは。

 俺も何か言わなくてはならない。

「……頑張ってください」

 これしか言えなかった。

 頑張るって、何を頑張るのだろう。

 頑張るという言葉。啓蒙においてではなく、自覚においてでしか、その言葉は意味をなさない。

 そんなことも分からないのか。

「……」

 彼女は結局、最後まで喋らなかった。

 帰ってきたら、彼女の声が聴けるだろうか。

 小さな黄色い傘をさして、古井さんは歩く。

 曲がり角が近いから、その色はもう見えなくなった。

 俺たちは、誰ともいわず家の中に戻った。

 同じ部屋で、ただただ一心不乱に勉強していた存在が消えていても、俺たちは結局無言だった。

 今日の夜に、彼女は帰ってくる。

 透や美菜はそう思い始めたのか、雑談を交わすようになった。

 透はいつまで部活を続けるのだろう。

 長嶋さんはなぜ厳しい側面を見せるのだろう。

 壮治さんはなぜ昔の出来事から立ち直り、古井さんを懸命に育てられたのだろう。

 桜一さんはなぜ、帰り際に、あんなことを言ったんだろう。

 ……そして、古井さんはなぜ、あんなに勉強したのだろう。

 そんなことを考えていたら、緊張の糸が切れて、もうすっかり遠慮の壁が取り払われたこの床で、俺は寝そべって眠ってしまった。


 チャイムが鳴った。

 古井さんが帰ってきたのだろう。俺は飛び起きる。

 ということは、もう夜か。

 そう思って窓から空を見てみたが、厚い雲が依然として街を覆っていて、判断できなかった。

 そのおかげで、俺は()()()()()()()()

 初めにチャイムに応答したのは、壮治さんだった。


 古井さんが、玄関に現れた。


 とても、とても重い表情を引きずって。

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