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Passionate Sympathy  作者: 梅衣ノルン
第3章 Practical Soloist
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細分化された綱

☆登場人物☆


・鎌谷善水……かまやよしみず

 高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。


・沢渡惟花……さわたりゆいか

 謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。


・水沢透……みずさわとう

 高校二年生。男子。サッカー部員。善水と仲が良い。髪は茶色。


・岡村美菜……おかむらみな

 高校二年生。女子。優しい性格だが、人には言えない趣味があるらしい。セミロングな金髪。


・古井秀理……ふるいひでり

 高校三年生。女子。口数が少ない。仏頂面だが、体型が非常に幼いので可愛がられる。


・鎌谷善治……かまやよしはる

 善水の父。善水にとって反吐が出るほど嫌いな相手。NGOに所属している。


・鎌谷惟子……かまやゆいこ

 善水の母。故人。


・????


・古井壮治……ふるいそうじ

 秀理の父。娘の秀理を可愛がりつつも、将来を見守っている。


・???


・和田霜……わだそう

 老婆。数十年前に、ある男性と不思議な出会いをする。


・長嶋悟……ながしまさとる

 NGO所属の男性医師。とある研究グループを自主的に立ち上げた。


・????


・??


 狭くもシンプルにあしらわれた部屋の中で、三人はそれぞれ机へと向かう。

 古井さんも惟花も、物音一つ立てずに、ひたすらに勉強をしていた。

 俺はというと、この熱気の中でも半分うわの空だった。

 勉強に手がつかない。

『忠告しておくわ。これから先、あなたが何をどう頑張ろうと、この世界は彼女が原因で終わる』とは、あの少女の言葉だ。

 彼女はいったい何者なんだろう。

 惟花を創り出した存在と言われても、一も二もなく受け入れられる訳がなかった。

 世界が終わるという、一般人の言なら一笑に付されるであろうその言葉が、小骨のように喉に引っかかるのだった。

 説得力がある訳ではない。しかし、その言葉は、深遠な意味合いを含有しているように思えてならなかった。

 事実、惟花は気持ち一つで世界を滅ぼすことができると言っても、過言ではない。

 世界を滅ぼすのに、遠大な計画も禁欲的な邪悪も、何も必要としない。

 彼女の心が地の底に沈めば、世界は終わる。

 その事実を目の前にして、気にするなと言う方が不可能だ。

 どうすればいいのだろう? 俺は。

 自分自身のとるべき行動を自問する前に、まず前提として俺には大きく二つの選択肢が用意されている。

 ずばり、この問題に立ち向かうか、あるいは世迷言と称して無視するかだ。

 どうすればいいのだろう?

 そもそも、問題とは何か。

 世界が滅ぶことも問題だが、そもそも彼女はいったい何者なのか、なぜ心と世界のコンディションがリンクしているのか、惟花が生まれた意味は何か。これらすべてが問題だと言わざるを得ない。

 どれもこれも、想像はできても具体的な解は得られそうもない。眼前のテスト勉強と違って。

 それこそ、もう一度彼女と出会いでもしない限りは……。

 無視すればどうなるか。

 それもまた問題だ。

 彼女はただものではない。

 瞬時に見た目を変えたり、指先が黒く光ったと思ったら、次の瞬間には消えていたり。

 目に見える超常現象は今のところこれだけだが、それだけではなく、彼女の纏う雰囲気そのものが、一介の学生には到底理解できない領域・分野をにおわせるものであると感じた。

 俺の知らない、いや、どんな人間も、惟花でさえ知らない真実を、彼女は知っている。

 野放しにはしておけなかった。

 惟花と相談しようか、と思った。

 自分の過去を明かしたあの夜のことを、思い出す。

『だ、だから……知ってるか知らないかも分からないんです……!』

 余裕がない表情で言い放たれたその言葉の裏にある、本当の真実とは何か。

 知っているか知らないかが分からないとは、どういう意味だろう。

 知ってるかもしれなかったことが、今この場においては知らないということを知っている……ということを知らないのか?

 訳が分からなかったが、あの時はこれ以上深く追求しようとは思わなかった。

 何か、重い何かが、惟花の過去に眠っているのかもしれない。それを必死に思い出さないように努めているのかもしれない。

 それを無神経に根掘り葉掘り聞きだすのも、ためらわれた。

 それに、もし「お前が原因で世界が滅ぶと言われたんだが、これについてどう思うか」などとストレートに尋ねたら、相手はどう思うか。

 自分がその立場なら、少なくとも良い気はしない。

 ああなんだ、結局のところ、八方ふさがりだ。

 俺にできることは、もう何も残されていない。

 精々、テスト勉強にでも精を出すことぐらいか。

 そうと決まれば、早速真剣にとりかかろう。そう思えればよかったのだが。

 結局その日は、ほとんど勉強に身が入らなかった。


 壮治さんの誘いで、夕食をごちそうになった。

 惟花が幸せそうに興奮しながら食べていると、壮治さんも熱が入ってマシンガンのようにトークをし始めた。

「……」

 古井さんは始終無言で食べていた。

 味わって食べているのかどうかは、本人にしか分からない。

 四人の中で夕食のタイムレースの圧倒的勝者となった古井さんは、自分の皿を洗面台にさげた後に、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。

 家庭教師役、(おそらく)昨日と今日の二日間にわたって、発言数ゼロ。

「二人とも、今日は来てくれて本当にありがとう。それと申し訳ない。娘がもっと社交的であれば」

「いえいえ。それよりも、古井さん、言葉では言い表せないくらい猛勉強なさっていて、びっくりしました」

 壮治さんと惟花が、会話を続ける。

 俺はあまり気分が乗らなかった。

 しかし、惟花が他人と分け隔てなく会話しているのを傍から聞くというのは、よく考えるとこれが初めてなのかもしれない。

 惟花は、俺だけでなく、だんだん他人とコミュニケーションをとるようになってきたような気がする。

 間違いなく喜ばしいことだった。

「そうなんですよね。娘があんなに懸命に受験勉強しているところを見ると、自分も何も言えなくてね」

「どうしてそんなに勉強なさるのですか?」

「それは……」

 壮治さんは、少しだけ眉を下げた。傷口へ触れるときの表情に似ていた。

 惟花は黙ってその顔を見つめた。

「……そうですね、彼女自身の意思かもしれません。しかし、私のためなのかもしれません」

「私の、ため?」

「答えの出ない、少し長い話になりますが、それでもよろしければお話しますよ」

 惟花は、恐る恐るこちらを窺った。

 俺は疲れた表情筋を手動で動かすようにして、笑顔を形作って応えた。

 壮治さんは一度立ち上がり、高級そうなチョコレート菓子を持ってきた。

 そして、別段表情も変えずに、むしろ饒舌とも思えるような口調で話し出した。

「ある程度察しがついているかもしれませんが、妻と私は離婚しました。いつだか分りますでしょうか。秀理が十歳の時です」

 俺たちを待たせないようにか、それとも自分の過去という生ぬるい冷却水に、あまり長い間漬かっていたくないからか。

「意見が合わなくなった……そう、互いに思いやりの心が欠けていたのかもしれません。目に見える激しい喧嘩も、浮気も、陰口の叩き合いもありませんでしたが、それでも日ごとに私たちの関係は侵食されていったのです。少し言葉で表すことが難しいのですが、互いの根本的なところが目について、気になりだしてどうしようもなくなったという感じでしょうか」

 それとも、十年以上抱いていた感情が、その過程であまりに端正な母国語の表現で洗練されてきたのか。

「例えば、一緒に暮らしていても、ご飯を食べている時の咀嚼音とか、洗面所の使い方ひとつであったりとか、貯蓄に対する考え方の違いであったりとか、そういったものは自分の感覚に合わなかったらとことん気になるものでしょう。今のはただの例ですが、自分と妻も、互いが互いのことを生理的に嫌悪していた、というのが正しいのでしょう」

 壮治さんの口からは、テープレコーダーのようにどんどんと言葉が流れ出していった。

「それでもいざ離婚して別居してみると、やっぱり寂しいんですよね。互いが互いから独立しようと躍起になった結果、依存の渇望に帰着するとは、考えもつきませんでした。まあ、向こう……ああ、言い忘れていました、山田(まい)さんが同じことを思っているかどうかは分かりませんが」

 そこまで話した後、壮治さんは少しだけ悲しい表情を作った。

「まあ自分のことはどうでも良くて、娘には申し訳ないことをしたという思いが今もあります。娘は舞さんに似たのか、昔から口数は少なかったのですが、それでも人並みには話せたし、友達もいました。しかし、離婚の出来事を機に、娘のおしゃべりは極端に減り、友達も作らなくなって……」

 極端という言葉が誇張でないことを、俺は知っている。

 今まで、古井さんが喋ったところを俺は聞いたことがない。

「しかし、学校には毎日通ってくれました。その時から、勉強に精を出すようになりました。学校では勤勉で寡黙な、一目置かれる存在だと、中学の時に娘の担任から言われたこともあります。決して、自分からけしかけた訳ではありません。娘自らの意思であると思われます」

 壮治さんは、自分が持ってきた一口サイズのチョコレートをひとつ口にした。それを見送ってからようやく、惟花と俺も一つずつほおばった。

「父親としては、当然それは喜ばしいことではあります。……しかし、ほとんど休憩も入れずにひたすらに勉強に打ち込む姿を八年間ほど見続けて、不安に思うこともあります」

 これ以上壮治さんは食べなかった。惟花と俺も食べるのをやめた。

「……お二人に、お願いがあります」

 壮治さんは、両方の目をどっしりと構えて、そう言った。

「お願い……ですか?」

「はい。テストが終わった後の休みの日に、ここに秀理を連れて行ってほしいのです」

 壮治さんはカラフルなチラシを取り出して、俺たちに見せた。

「遊園地?」

「娘と外で遊んだ思い出のほとんどは、もっぱらこの遊園地です。娘の方から、ここがいいといつも提案してきたのです。もうだいぶ昔の話ですが……。昔から一つのことに自分の神経を百パーセント注ぎ込む傾向にあった娘は、毎回同じアトラクションに何回も乗ったりしていました。自分の主観ですが、最近の娘はあまりに勉強しすぎています。私ももっと強く言えばいいのですが、なかなか受験生に『勉強するな』とは言い出せませんでしてね……。つまり、娘に気分転換の機会を与えてやってほしいということです。どうでしょうか。もちろん、お金はこちらが用意します」

「ええと……」

 惟花はまたこっちを見た。

「俺は構わないぞ。お前の好きにしたらいいだろ」

「ええと……」

「お前、遊園地なんて一度も行ったことないだろ。大人になったら縁がなくなるかもしれないんだから、行っといた方が良い」

「ご主人様は行ったことがあるんですか?」

「それはもちろん……なかった」

 十七年間も生きていたら一回くらい行ったことがあるだろうと他人ごとのように思っていたが、よく考えたら行った記憶がなかった。

「じゃあ、決まりですね! 一緒に行きましょう!」

 惟花はそう快諾した。

 俺のために言ってくれたのだろう。少し嬉しく思った。

「……ありがとうございます、お二人とも」

 壮治さんは、ただそれだけを、丁寧に丁寧に言った。

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