二者間連絡媒体
☆登場人物☆
・鎌谷善水……かまやよしみず
高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。
・沢渡惟花……さわたりゆいか
謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。
・水沢透……みずさわとう
高校二年生。男子。サッカー部員。善水と仲が良い。髪は茶色。
・岡村美菜……おかむらみな
高校二年生。女子。優しい性格だが、人には言えない趣味があるらしい。セミロングな金髪。
・古井秀理……ふるいひでり
高校三年生。女子。口数が少ない。仏頂面だが、体型が非常に幼いので可愛がられる。
・鎌谷善治……かまやよしはる
善水の父。善水にとって反吐が出るほど嫌いな相手。NGOに所属している。
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・和田霜……わだそう
老婆。数十年前に、ある男性と不思議な出会いをする。
・長嶋悟……ながしまさとる
NGO所属の男性医師。とある研究グループを自主的に立ち上げた。
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夜。
俺と惟花は寮の中にいた。
ここ最近、色々なことが起こりすぎている。
まさに奔流だ。
「あの医者から何か言われたか」
「いえ、基本的にこっちから話しただけです。けがをしたときは平日休日関係なく寄るようにとだけ」
「それ以外に、俺がするべきこととかは、何か?」
「いえ、何も……」
「そうか……」
具体的に、あれをしろこれをしろと、誰かに言われたかった。
この状況では、俺はそもそも何かをすべきかどうかすら分からなかった。
俺は乱暴に床に寝転がって、惟花のすり傷を覗き見る。
「痛むか」
「いえ、平気です。何が起こるか分からないから、安静にしろとだけ言われましたけど……」
「何が起こるか分からない、か……」
そうか、長嶋さんも、俺にあれをしろこれをしろと言えるほど、多くのことを分かっている訳ではないんだ。
「俺さ……あの診療所であいつに会ったんだけど」
「あいつ?」
「蒼い髪の女性……いや女の子」
そう言うと、惟花は表情を変えた。
「あいつ、何者だ? 見た目を変えたり、突然消えたり」
「ええと……」
惟花は、しどろもどろといった様子。
「知ってるのか? 知らないのか?」
「分かりません……」
「え?」
「えっと、多分知りません……」
目線は天井を向いていた。
「いや、知ってるか知ってないかの二択なら、はっきりしてると思うんだが……。実際のところはどっちだよ」
「だ、だから、多分何も知りません……。あ、それよりも、古井さんの勉強会はどうしましょう……」
俺はそれを聞き流して上半身を起こし、少女に身体を近づけて至近距離を作り出す。
「話を逸らすな」
間近で顔を直視する。
「本当に申し訳ない。和田さんや長嶋さんといった人がいたことを、俺は面倒で何も話さなかった。そして、俺は決めた。これからは二人の情報をできる限り共有していこうと。だから、知ってることがあったらちゃんと教えてほしい。知らなかったらそれでいい。とにかく、どっちなんだ」
惟花の表情が、風邪を引いた子供のように苦痛に歪んだ気がした。
「だ、だから……知ってるか知らないかも分からないんです……!」
心なしか、声も震えていた気がした。
正直言っている意味がよく分からないが、彼女のこんな様子を見て、これ以上追及する気も起きなかった。
距離をはなす。
二人とも、話すことがなくなった。
正確には、踏み込んで何かを話さなければという義務感に駆られる必要がない、ということなのかもしれない。
楽しいや悲しいといった言葉では言い表せないが、永遠に続いても違和感のない時間。そんな無言の神秘にしばしとらわれていた。
俺は、何の気なしに、また惟花のもとに身体を近づける。今度は寝ころんだままで。
すると、柔らかい膝と脚が俺の頭を包むように敷かれた。
「……これは?」
「メイドはこういうことをするみたいです。膝枕というらしいです」
「それはどこ情報?」
「何かの授業中に透君から教えてもらいました」
「そうか、ありがとう」
うっかり、「わざわざそんなことしなくていいのに」と言ってしまいそうになった。
惟花自身の主張や行動を、俺はもっと受け入れなければならない。
あと、透さんありがとう。まあ世界中のどんなメイドさんも膝枕なんて業務項目に含まれていないと思うのだが。
少し頭を動かすと、赤や黒に彩られたスカートやニーソックスが視界に入る。
ああ、そういえばこれも俺が選んだのか。
「その服はかわいいけど、本当はもっと服が必要なんだから、自分で勝手に買えばいいんだぞ」
「でも、気に入っていますから」
「そ、そうか」
即答で返されるとさすがに嬉し恥ずかし。
身体の一部が密着しているこの状況も重なって、なにか禁忌の領域に片足を突っ込んでいるように思えた。
しかし、それは興奮よりも安堵の方がよっぽど近かった。
「ご主人様、なんだかとても安らいだ顔をしています」
上を見上げると、惟花が微笑んでいた。
顔は陰に覆われているけれど、はっきりと見えた。
なぜこんなにも落ち着くのだろう。
そう言えば、昔、この格好で母に耳を掃除してもらった覚えがある。
その時の心の風景を思い出しているのだろうか、俺は。
「ご主人様。身体を横に倒してください」
「え? ああ、はい」
「今から耳を掃除してあげます!」
「何!?」
今自分の考えることを読み取られた!?
そう思ったが、まあ多分偶然だ。
早速、綿棒が俺の耳の中をくすぐる。
ひとつ惟花が動作をするたびに、俺は過去の情景を思い浮かべる。
母の耳かきの記憶に付随して、安らかな記憶から忌々しい記憶まで、一緒くたになって情報の海の表層に浮かび上がっていく。
今、俺は熱烈にそれを彼女に伝えたい。
なぜ俺がそう思うのか、そのこと自体はあまりに曖昧模糊すぎる問いで、分からない。
しかし、惟花に出会う前から、母が死ぬ前から、生まれたときから、俺は確かにそれを望んでいた。
情熱的な共感を。
「あのさ……」
透や美菜も、概略だけは知っている。
「俺はお前のことをもっと知りたい」
しかし、もっと深く深く、俺という名の核がはっきりと視野にとらえられるようなレベルまで、自分のことをさらけ出せる相手は、今まで見つからなかった。
「でもその前に、まずは、俺のことを知ってもらいたい」
俺の何段階にも分けられた自己閉鎖システムを、ひとつずつ解放していく。
そのたびに、俺はひとつずつ共感を欲していく。
システムは最後の一つを残して全滅する。
最後の一つは、気合いで捻じ曲げた。
それと同時に、俺の記憶が口をついて出た。
それは、十分に練り上げられたこの世のありとあらゆる昔話よりも、断片的な記憶しか読み取れないものだったけれど。
古びたテープを再生するように、ただ自己を表現するように、俺の過去を話した。
まだ一人称が僕だったころ。
そのころの自分は、今よりもっと殺伐としていた。
『だって善水ってさ、ただでさえ身長が高すぎて威圧感あるんだから、もっと柔和な態度で人と接するべきだと思うね。美菜もそう思うよなあ?』
透がこんなことを言っていたが、今はともかく昔はあまりに当てはまりすぎていた。
その原因はほとんど父親だった。
父親個人よりも、その地位に対して憎悪を膨らませていたのかもしれない。
何の仕事をしていたのかすらよく覚えていないが、彼は夜遅くに家に帰ってから、母親に向かって怒鳴り散らすのが日課だった。
俺……いや僕がすでに寝ている時でも、それは変わらない。おかげで寝不足の日々が続いた。
小学校のクラスメイトからも、常に寝不足で不機嫌なヤツだと見られていたに違いない。
母親は、何かを言い返すこともしなかった。
ただ無言を貫き通した。
理由を聞いてみると、無言でいることで、心の底に眠っている本当の感情を知ってもらえるから、だと返された。
意味が分からなかった。
今思うと、あまりの父親の剣幕におびえて、声が出なかっただけなのかもしれない。
母親、鎌谷惟子はこの世にもういない。今となっては、その発言の意図は永遠の闇の中に置き去りにされてしまった。
当時小学生、そして反抗期真っ盛りだった僕は、常に歯ぎしりを押さえられないほど父親を憎悪していた。
母親は父親から暴力を受け続けた。
それだけでも小学生の僕は辛かったが、自分がもしあんなに硬い拳で殴られたらと思うと、ますますぞっとした。
そのころから、一人称が俺の時代になった。
父親の一人称と被らないようにするためだ。
あとのことはあまり詳細には語りたくない。なんとなくで分かってほしい。
毎日頭が痛くなるほど父親の暗殺方法を模索したり、殴打の音と悲鳴が常に両耳から離れなかったり、めまいがしそうなほどの酒の匂いが部屋の中に充満していたり。
これだけの表現で、とにかくこのころは自分史の中で暗黒時代だったということを、理解してほしい。
そして何より、俺の記憶を埋めていたのは、自傷だった。
カッターナイフで静かに自傷するよりも、ただ壁を拳で殴りつけるような暴虐的な自傷の方が、性に合っていた。
自傷。
幼いころから、ずっとそれを繰り返して生きてきた。父親から塗りたくられた傷を、自分自身で塗り替えたいという、自尊心からそれを行ってきた。
ばれないように、両親が眠ってから、外でこっそりと。
うだるように暑い夏も、今みたいに凍えるくらい寒い冬も、俺は欠かさず自傷した。
身体が痛んでくると、何もする気が起きなくなる。
その方が、ある意味楽だったのだ。
そして、中学生になった。
スポーツが苦手だった俺は、あまり覚えていないが、何かの文化部に入った。この後話すが、実際はすぐに辞めることになる。
部活に入れば、憎しみが壁にしみついた家にいる時間が減る。
家というしがらみにとらえられることなく、学校で青春が謳歌できる。
しかし、家で一人残される母親のことが、どうしようもなく気がかりになった日があった。
その日、俺はすぐに家に帰った。
なんの偶然だろうか。
その予感は、あまりに遅すぎるタイミングで的中した。
漫画やアニメでたびたび見ることがあっても、実際に目の当たりにすると、理解するまで時間がかかった。
目線の高さに、母の腰があった。
真っ暗な部屋の中で、液体が少し、床にこぼれていた。
電気をつける気になれなかった。
視線を……斜めに向けた。
首のあたりに、縄のようなものが見えた。
母親の顔を見て最初に思ったことは、目が死んでいたということだった。
だって思いもよらないだろう。
本当にその人間そのものが死んでいただなんて。




