波のようにきらめく心
☆登場人物☆
・鎌谷善水……かまやよしみず
高校二年生。男子。言動にやや冷たい部分がある。身長が高い。
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謎の少女。長い銀色の髪を持つ。基本的に明るい。善水が大好き。身長が低い。
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仕切り直しパート3。
俺の持っていたパジャマの中で、最も女の子に似合いそうな黄色いものを着たメイドさん(しかし、既に形骸化している気もする)は、端正な身のこなしで俺の対面で正座した。
せっかくなので、みかんとジュースも用意した。
「結局、あのセリフは何だったの?」
「このみかんという食べ物、美味しいです~」
「そっか。それで、結局あのセリフは何だったの?」
「このジュースも冷たくて甘くて、美味しいです~」
「そりゃ良かったな。で、結局あのセリフはいったい何だったの?」
「それにしても、このこたつというアイテム、素晴らしいですね! あったかくて気持ちよくって、うっかりするとすぐに眠ってしまいそうです~」
「へー。で、結局あのセリフは何だったの?」
「あ、ご主人様! そこの本棚に当然のように収納されているおっきい箱は一体なんですか!?」
そろそろこの娘をぶん殴ってもいいですかねえ、と、そこらの聴衆にでも尋ねてみたくなったところで、唐突にこたつの上のパソコンが起動した。
ポロロンっという軽快な電子音が一つ。
立て続けにマイク越しの女声が流れ出した。
「ご主人様。これは何ですか?」
「しー。静かにしろ」
映像付きの、アナウンサーによる臨時ニュース。
災害関連なら由々しき事態になっていたものだが、幸いにも政治家の獲得票の推移という、比較的重要度の低い情報だった。
「なんだか賢そうな人たちが並んでいますねえ」
「夜遅くにご苦労なことだな」
「ここからじゃ画面が青っぽく見えて見づらいです……。よっと!」
少女はこたつの下を経由するルートで俺の隣に隙間なく滑り込んだ。
「お、おい、お前」
「えへへ~。ここからだとよく見えます!」
風呂上がりの女の子の匂いに翻弄される。
こ、これは、定性的に俺は心拍数を増加させざるを得ない……!
「……と思ったら、もう終わっちゃいました」
「そりゃ臨時ニュースだからな。心配しなくても、この街で過ごしていれば、そこらのビルに取り付けられたテレビからまた流れてくるぞ。頻繁にやってるからな」
「私はご主人様と一緒に、同じこたつと同じパソコンを介して見ていたいんです!」
「はいはい。そんなことは至極どうでもいいのでそろそろ本題に入らせてもらってもよろしいでしょうかねえ?」
「また敬語です!?」
仕切り直し……パート5だったっけ? もう覚えていない。
「4ですよご主人様。忘れたんですか?」
「どの口が言ってんだよ……。まあとにかく、俺が聞きたいことは二つ。結局何でお前は俺に話しかけてきたんだ、ということ。それと、私を興奮させてくださいだか何だかっていうセリフの意図は一体何なのか、ということ。以上二点だ」
「えーと、ですねえ……」
俺たち二人は元の位置へ戻り、俺は前かがみにこたつに体重を預けて、聞きの体勢に入る。
「端的に言いますと、私は常に興奮していないと、世界が崩壊してしまうんです!」
風邪を完治させた子供のように、ある意味開き直ったように自信満々に言い放った。
「……は?」
「聞こえませんでしたか? きちんと聞いていてくださいよ、ご主人様。まあもう一回言います。いいですか? 私は常に興奮していないと、世界が崩壊してしまうんです!」
なんか、外国語の素材文を無理やり和訳したしたいに聞こえるんだが……。それくらい呑み込みがたいセリフであった。
しかも無駄にドヤ顔で言ってのけるのが、この上なく腹立たしい。
「ファンタジーは歓迎していないのでお引き取りください」
「ファンタジーなんかじゃありませんよお! ご主人様あ! 実際にそう言えって言われたんですから……」
「誰かの入れ知恵かよ! やっぱりファンタジーじゃねえか! 純度百パーセントの!」
「で、でも、実際にそう言われたんです……」
何が「でも」なのかは分からないが……。
ちょっと語勢が弱り、目元も寂しげに映った。
本人はあくまで嘘を言っているつもりはないようだし、当然のように肯定されると思って発言したのだろう。
「それ、誰の情報なの」
「えっとですね、髪が長くて、とっても蒼くて、瞳もきれいなエメラルドグリーンで美しくて……。とにかくきれいな女の子です!」
「うーん……。俺の記憶の中にはそんな人はいないな……。ところで、一応聞くけど、世界が崩壊するって具体的にどんな感じなの?」
「そんなことが分かってたら、今の私たちは存在しませんよ?」
「お、おお、確かにそうだ。意外にお前は頭が回るんだな」
「ご主人様、『意外に』っていう言い回しに悪意を感じます。よって誠意ある謝罪を要求します」
「お前は民事裁判における原告かよ……。で、何で興奮してないといけないの?」
「それは私にもわかりません。ただ、過去にも私のような人間が何人かいて、当時の相性のいい人たちと一緒に過ごしてきたっていうことは聞きました」
聞けば聞くほど荒唐無稽な話にも聞こえてくるが……。とりあえず今のところは、彼女のセリフをすべて真実だと仮定して、自分なりの論理を頭の中で組み上げてみる。
歴史の中に彼女のような人種が存在して、かつ、世界は当たり前のように存続している。
これはつまり、過去の事例は全て「成功」だと処理されてきたということだ。
興奮というワードが引っかかる。その、当時の相性のいい人たちとやらによって、生きている間じゅうずっと興奮させられていたのだろうか。
「興奮させてください!」という、そこはかとなくエロさを感じさせるセリフも、こういう視点から見てみるとなんだかものすごくシュールなモノに思えた。
「興奮ってのは、有体に言ってどういう状態のことを指すんだ?」
「美味しいとか、楽しいとか、そういう気持ちになれば大丈夫だと思います」
結局そういうことか。
「いたずらに期待させやがって……! 釣りかよ……!」
思春期男子の器に注がれたどうしようもない心のわだかまりを取り除くために、俺は両のこぶしを握り締めずにはいられなかった。
「ご主人様、何か言いましたか?」
「いや、こっちの話だ。気にするな」
「鬼神のような相貌で言われても説得力がありませんが」
「体質だ」
「そうだといいんですけど……。あ、あ、で、出そうです……!」
少女は顔を持ち上げたり横に振ったり、身体を緊張させたり弛緩させたりした。
「いきなりどうした」
「あ、あ、も、もうすぐ出そうで……ああ! もうダメ、出ちゃいます……、ああ!」
「何がだよ! めちゃくちゃ気になるわ!」
「は、は、ハックチュン!」
彼女はかわいらしく両の手で鼻元を覆いながら、小さな身体を震わせるようにくしゃみをした。
なるほど、あれはくしゃみの前兆だったのだ。それ以外に何かある訳がない。俺は初めからきちんと分かっていた。
……分かっていた。
「悪い悪い。上半身はこたつにあたってないから、エアコンがあっても寒いよな。上着を持ってきてやるから、待ってろ」
俺はそそくさと立ち上がり、少女に背を向けて押し入れの中を探る。
くしゃみの仕方はかわいかった。
身の丈よりもだいぶ大きなパジャマを着ている少女は、手や足が袖からちょっとしか露出していなくて、愛らしさを感じた。
初対面の時に感じたメイドらしさは今や微塵も残っていないが、なんだか、普通の女の子を相手にするのとは違った感情が、俺の中に芽生えた気がした。
俺は少女にカーディガンを二枚、パスしてよこした。
「ありがとうございます! ご主人様!」
少女は、雪融け水に結びつけられた清い感情を喚起させるような、そんなまぶしい笑顔を俺に向けた。
いきおい俺の表情も溶けるようにほころんだ。
「よかった、ご主人様は、やっぱり優しいです」
「やっぱりとは?」
……ほころんでいたのに。
「『僕の息子は優しいから大丈夫ですよ』って言っていたのは、本当だということが証明されました」
……「僕の息子」?
「あ、そういえば言ってませんでした。蒼い髪の女の子と一緒に、大人の男の人がいたんです! ご主人様みたいに大きい……」
鏡を爪でひっかくように、現実世界にノイズが走った。
幼い日からこびりついた、硬い拳や酒の匂いや、悲鳴や、そういったものが覚醒した。
……やっぱりこれはただの冷やかしで、まやかしで、からかいで……。
「とても親切にしてくださって、ご主人様と一緒に過ごしていく許可まで与えてくださってですね……。も、もしかしてこれは、親公認の仲というヤツでしょうか!?」
……そして俺の父親は、いまだに人の裂傷を舐めることを生業としていて……。
感情が慟哭する……!
二年前まで毎日のように浴びていた悪夢が呼び覚まされ、コントロールを失っていく自身の身体と精神とが一体化して、髪の毛一本一本まで沸騰したような気がして……。
「……帰れ」
「そ、そんな、私には心の準備が……って、え?」
聞こえなかったらしい。
「うるせえんだよ! 帰れ!」
俺は、眼前の物体に、地震を起こすように両の掌を叩きつけて、眼前の小さな少女に向けて、殴り殺すようにありったけの声を吐き出した。
自分でも信じられなかった。
「え……?」
少女は手を胸に当てながら俺を見上げた。瞳孔の定まらない瞳と共に。
「いいから帰れよ! あんな奴とグルになって俺と接触するなんて卑怯者だ! 帰れえええええ!」
片脚を、腰を軸として半回転させ、見せつけるようにクッションを蹴り飛ばした。
「あ、あの、ご主人様……私……」
俺からにじみ出る殺気めいた憎悪にあてられたのか、少女はみるみるうちに、涙をその透き通るような瞳に浮かべた。
なぜこんなにもいら立つのか、その理由を一瞬忘れてしまった。
いや、そうだったそうだった。俺はもともとこんな人間だった。
ひっくり返された砂時計が、いやでもその仕事をこなすように。
少女は耳を真っ赤にして、静かに涙を落としてその着衣を湿らせると、やおら立ち上がり、整理のつかない心を友とするように、音を立てまいとしながら部屋の入り口から駆けて出て行った。
……俺は、押しつぶされた自責を霧散させるように、ただいるべき場所に立っていた。
くぐもったマイク越しの音声が、遠方からかすかに聞こえてきた。
それは、地球上のどこかで起きた地震について報じていた。