ヤンデレと天然はどちらが強いのか。
この結婚は政略結婚でした。
貴族の家に生まれた女たるもの、覚悟はとうの昔にできていましたし、私自身そのつもりでした。
そこに男女の愛はないかもしれません、ですが我が子を産み母となり、旦那様の支えとなる、それだけで私は十分だと思っていました。
たとえ、旦那様が剥げていようが、デブでいようが、チビでいようが、大切なのは心根です。きっと私は素晴らしい妻になりますわ!
そう、思っていました。
あの顔合わせの日までは。
「私がアンソニー・エドワーズです。宜しくお願い致します。今日から貴方が私の家族になることを嬉しく思います。」
はい。ストライク。
フォーリンラブ。フォーリンラブ。
好印象を抱かせる黒い短髪。凛々しい眉に、切れ長の瞳。すっと通った鼻筋に薄い唇。世の乙女が嫉妬する肌のきめ細かさ。
黒い軍服、そして黒いマントに包まれていても分かる筋肉のついた体。
言葉に例えることが、バカらしくなるほどの美男子が私の旦那様だったのです。
誰ですか!
旦那がハゲでデブでチビだなんていった方は!!
あぁ、神様。
私の旦那様がこんな素敵な方で良かったのでしょうか??
「エイプリル・フローレンスですわ。私も貴方様のような方と縁を結べることは、至極光栄の極みでございます。これからはエイプリル・エドワーズとして宜しくお願い致します。旦那様。」
こうして、人生初めての恋と一目惚れを体験して浮かれていた私は気づかなかったのです。
アンソニー様が少しも笑みを浮かべてなかったことを。
あれから半年。
無事式を終え、アンソニー様との生活に慣れてきました。
そんな中、いくら鈍い私でも気づきます。アンソニー様が一度も笑ってくれないことを。
二人で出る茶会も。夜会も。庭の散策も。食事も。同じベットで寝る時も。
一度も、ほんの少しも、全くもって口の端すらあげないのです。
笑って欲しくて、色々なことを試せど全て敗れました。
いろんな方から聞いた面白い話も、私からのプレゼントも。好物だという食事を作って見ても。なに一つ、アンソニー様の心を動かすことはできませんでした。
やはり政略結婚。
私と縁を結ぶことが嫌だったのでしょうか?
私はこんなに幸せだというのに、アンソニー様は幸せじゃないのでしょうか??
悩めば悩むほど、暗い気持ちはぐるぐるとお腹の中で渦巻き、胸へと押し上げてきます。
しかもアンソニーさまは寡黙な方。
そんなとこもすごく恰好いいのだけれど、会話をしていてもYESかNOしか返ってこないのだもの。
アンソニー様はわかっていらっしゃるのかしら。会話はYES.NOゲームじゃないんですからね!大切なのはキャッチボール!!心と心で投げ合うのよ!!
あら?YES.NOゲーム?キャッチボール?ってなにかしら。
兎に角。それだけじゃ、アンソニー様が何を思っているのか分からないわ。
ここは第三者に話を聞くべきでしょう。
半年の妻より、使用人の方のほうが知っていることも多いはず。
そうと決まれば、まずは庭師のジョージ様からだわ!
「おはようございます。ジョージ様!」
早速、庭の手入れをしてくださってるジョージ様にリサーチに行きました。
「おや、奥様。おはようございます。」
ツバの広い帽子中に白髪混じりの髪をひっつめて、まだ朝だというのに泥で塗れてるジョージ様の笑顔はとても爽やかです。
「奥様、何度も申し上げておりますが、こんな老いぼれの使用人に様なんてつける必要なんかないのですよ。」
「ええ。でも貴方はいつもとっても素敵な花を咲かせてくださるわ!薔薇に、マーガレットに、異国の花まで。そんな貴方にどうして様をつけないということができるのかしら!」
「おやおや、困りましたな。」
そういいながらも、ジョージ様の顔には笑みが浮かんでいる。
私はきっと悪戯っ子の顔をしているのでしょう。
「さて。奥様、いかがされましたでしょうか?」
ジョージ様は持っていた鎌を置き、トレードマークのツバの広い帽子を外しました。
私も改めてジョージ様に向き合います。
「ジョージ様に相談したいことがございますの。私どうしたら、旦那様を笑顔にすることができるかしら。自分勝手な思いとはわかっているのですが、旦那様に笑って欲しくて。いろいろと試してみましたが、成果はこれっぽっちもありませんでしたわ。ジョージ様、なにかいい案はないかしら。」
「おやおや。旦那様を笑顔に。そうですか・・・。大変申し訳ございませんが、この老いぼれになにも名案が浮かびませぬ。コックのマイケルに聞いてみてはどうでしょう?あいつならなにか浮かぶかもしれません。」
いつものほんわりとした笑顔を少し曇らせながら、首を横に降るジョージ様に、私は肩を落としました。
「分かりましたわ。ジョージ様どうもありがとうございました。マイケル様のとこに行ってみますわ。」
「いえいえ、こちらこそお役に立てず申し訳ございませんでした。」
色々なことを知っているジョージ様も案が浮かばないなんて。
でも、いつもアンソニー様の食事を作ってくださるマイケル様ならなにかあるかも知れませんわ!
こうして、なにも収穫を得られずマイケル様のところに足を運ぼうとした時、ジョージ様に呼び止められました。
「あぁ!そういえば奥様、部屋に生けた今日の花はいかがでしたか?」
「花?ええ、とっても見事だったわ!私の好きなシロツメクサの花で冠を作ってくださって、朝目覚めた時幸せな気持ちになれたわ。いつもありがとうございますわ!」
「そうですか。何よりでございます。お引き止めを致しまして大変失礼致しました。どうぞいってらっしゃいませ。」
ジョージ様に見送られながら、私は急いでキッチンに足を運びました。
「マイケル様!」
私はキッチンにいる白いコック服に身を包んだ、背の高くがっしりとした体をもつ方に駆け寄りました。
「んあ?奥さんどうかしました?」
夕食の下準備中だったマイケル様は、作業を続けながら私に声だけ返してくれます。
あぁ!今日も素敵ないい香り!
お昼のご飯をいただいたばかりだというのに、なんだかお腹が空いてきてしまいそうですわ。
コックという身なのに、それに似合わない筋肉のついた身体から作り出される繊細な料理は、毎度頬が落ちてしまわないか心配になります。
「マイケル様にご相談がございますの!」
「おやつは3時にしか出しませんぜ!」
違います!違います!
今日は、おやつの催促に来たわけではありませんわ!!
「その話ではございませんわ!私、旦那様を笑顔にしたいの。マイケル様、なにかいい案はあるかしら。」
「ない。」
そもそも興味なんてないと、顔すら上げてもらえません。
綺麗な即答に、私の心は一刀両断されましたわ!
痛い。胸が痛いですわ!
「それではマイケル様から見て、旦那様は私をどう思っていると思います?」
「しらん。」
私に見向きもしないで、たんたんとじゃがいもの皮をむいていくマイケル様。
まぁ!今日はじゃがいも料理なのね!ってそうではありませんわ!
「もう!なんなんですの!そんな即答せずに、少しは考えてくださっても宜しいではありませんか!」
なんということでしょう。
マイケル様なら、なにかいい案が出てくるかと思いましたのに。とても残念ですわ。
他力本願で行くわけではないですが、誰かの意見も聞きたいお年頃ですのに!
「考えても出て来ませんでしたー。だいたい、俺に聞くことが間違ってますから。執事のトーマスさんにでも聞いたら分かるんでないですかね。」
そう言いながら、じゃがいもを剥く手は止まらないのですね。
マイケル様は、じゃがいもと夫婦のピンチどちらが大切んですの!
いじけて隣でぷくーっと頬を膨らませていると、マイケル様はようやくジャガイモから顔を上げてくださりました。
「おやつ美味しいですか?」
おやつ?何故いきなり、夫婦の話からおやつの話なのかしら?
「えぇ。とっても絶品よ。毎日なにが出てくるか楽しみで、一つ一つが食べるのがもったいないくらいの完璧な作品だわ!いつもありがとうございますわ。」
「そうですか。何よりですよ。それから、奥さん。俺に様はいらねーって何度言ったら分かるんです?貴方はここの奥様はなんだから、奥様らしく使用人はこき使っておけばいいんです。あとそれから、ちゃんと食事の前は手洗いうがいしてます?奥様、サボっていましたでしょう?ばれているんですからね。この前は食事の前だというのにつまみ食いをしていましたよね。そういえば、その前」
「私!急に用事を思い出しましたわ!ごきげんよう!」
危なく私の数々の悪行が暴かれてしまうところでしたわ。
それにしてもトーマス様はどちらにいらっしゃるのかしら。
いろんなことに長けているトーマス様。
ある時は、家事をこなす使用人の長。またある時は、アンソニー様のスケジュールを管理する秘書。庭の管理に、馬の世話。洗濯から、私のマナーレッスンまで。
仕事の内容が幅広すぎて、どこにいらっしゃるのかしら全く検討がつきませんわ。
お屋敷を何週しても、足取りを追えないトーマス様。カラスが鳴いて、日も暮れてきてしまいましたわー。
「もう、トーマス様はどちらで」
「こちらです。奥様。」
「ひゃあっ!?」
私、びびびびび、吃驚致しましたわ!きゅ、急に出てこられるから!
今にも飛んで行きそうな心臓をしっかりと抑え込みます。
燕尾服をぴしっと着ているトーマス様は、驚いて座り込んでいる私に手を差し出して来ました。
「大変失礼致しました。奥様、私を探されていたようでございますが、いかがされましたでしょうか?」
私はトーマス様の手を取り立ち上がらせてもらいまして、服に着いた埃を払いました。
そうです。そうです。私はトーマス様を探していたのですわ。
「私、トーマス様に相談したいことがございますの。」
「私に?何なりと。」
「私、旦那様に笑顔になっていただきたいのです。色々なことを自分なりにしてみましたが、ダメでした。ジョージ様にも、マイケル様にも相談したのですが、いい答えを得られませんでした。トーマス様なら、なにいい案が浮かぶかと思いまして。」
トーマス様は始めはキョトンとしていらっしゃいましたが、ふわりといつもの優しい笑みを浮かべてくださりました。
「旦那様を笑顔に。それは至極、簡単なことでございます。」
「えぇ!?」
何ということでしょう!
あれだけ悩んできた日々は何だったのかしら。さすがトーマス様ですわ!しかも、簡単だなんて。私はどれだけ空回りしていたというの。
「ど、どうすればよろしいので、ひゃ!?」
必死に聞き出そうとトーマス様に近づこうとした時、勢い余ってバランスを崩してしまったのです。
これだから、私はヒールが嫌いだと申してますのに!
運良くトーマス様の胸板に捕まることができ、九死に一生を得ましたわ。
でも、なんだかぐっとトーマス様のお顔が近くて
「それはですね。」
怪しく光るトーマス様の目から離せなくて
「奥様が」
「エイプリル!」
後ろからの声に、私は勢いよく振り返りました。
この声は私の大好きな方の声です。
私の愛しい愛しい旦那様!
「おかえりなさいませ、旦那様!」
助けて頂いたトーマス様から離れ、駆け寄れば、トーマス様も胸に手を当て礼をとりました。
「おかえりなさいませ、旦那様。今日は一段と随分と極めて、お早いお帰りでございますね。」
トーマス様のいうとおり、旦那様がお帰りになられるのは夜が深くなる頃です。夕暮れ時に、お帰りになられるなんてなにかあったのかしら?
「留守中変わりはないか。」
「ございません。」
「トーマス。」
「如何なる処罰も。旦那様。」
そういいながら深々と頭を下げるトーマス様。
処罰?トーマス様はなにか失敗をしてしまったのかしら?
でも、あのなんでもできるトーマス様が失敗だなんてとてもレアだわ。どんな失敗をしたのかしら。
私がお二人のやり取りを見ていたら、アンソニー様に手を引かれました。
「エイプリル、話があります。」
「わわわっ!」
そうアンソニー様がいい終わらないうちに、地に足がつかなくなって、私はアンソニー様の腕の中へ抱き上げられていました。
いつもより高い視線に、驚いてアンソニー様にしがみつきます。
あら?アンソニー様、なんだか怒っていらっしゃる??
トーマス様を見るといつも以上にふんわりとした極上の笑み。
アンソニー様を見ると、いつもよりも笑みのないお顔。
あら?
「いってらっしゃいませ。」
あらららら?
アンソニー様の自室に抱き上げられたまま連れていかれると、ふわりと優しく降ろされました。
アンソニー様の匂いで満たされてるこのお部屋は、私の一番好きなお部屋です。
さて、お話とはいったいなんでしょう?
「旦那様?」
いつもと違うアンソニー様に首を傾げ、見上げてみれば苦しそうなお顔。
どうしてそんなお顔なさるの?
なにを思っていらっしゃるの?
お帰りになられて間もないアンソニー様。
いつもの黒い軍服からは、外の冷気が伝わります。
黒いマントだけでも外せないかと、手を伸ばせば、その手を大きな掌に包み込まれました。
「貴方は・・・。」
そう口を開いたかと思えば、アンソニー様は軽く舌打ちをされました。
「貴方はいつも、私をそう呼ぶ。他の者は名で呼ぶくせに。とても苛々します。」
初めて見るアンソニー様の歪んだ顔に、驚いて目を開きました。
「縁を組んでも、この家に閉じ込めても、どうして他に目を向ける。貴方の外出を、自由を奪ったというのに、どうして私のことを見ない。」
「あの。」
逃がさないと、囚われて離せない怖いほど真っ直ぐな黒い瞳。
薄い唇が弧を描いて、落としていく言葉達。
手から伝わる熱い体温。
「貴方のために花を摘んでも、貴方のために菓子を作っても、貴方は他の者を笑顔にしたいという。私が一生懸命笑顔にしたいのは貴方だというのに、貴方が一生懸命笑顔にしたいのは他の者だという。」
「いたっ!」
包み込まれていた手は、握り締められて思わず声を上げてしまいました。
「この滑らかな手も、体も髪も瞳も唇も全て、貴方の全て私の物だ。他の物に触らせるなんて許さない。」
「あっ!」
一歩下がれば、一歩詰め寄られて、一歩下がれば、一歩詰め寄られて。
どんどんそれを繰り返しているうちに、何かに足を取られ後ろに倒れこんでしまいました。
ふんわりと優しい座り心地に、それがソファーだと安心しましたが、次の瞬間にはぎしりとソファーが音を立てて、私にアンソニー様は覆いかぶさってきました。
「答えなさい、エイプリル。貴方は誰を思っているのですか?私が殺して差し上げましょう。貴方を惑わす男がいるなんて、虫唾が走る。それから、貴方はこの家から出ることを禁じます。最初からそうしておけば良かったのです。貴方を愛してますよ、エイプリル。」
そういって、アンソニー様は熱い掌を私の首に添えました。
あいしている。
アイシテイル。
愛している。
ちょぉぉおっとお待ちくださいませ!!!!
アンソニー様、今なんて仰られまして!?
今私のことを、ああああ、愛しているっておっしゃいましたっ!?
アンソニー様が私に仰いましたっ!?
「アンソニー様!」
「なんですか?エイプリル。」
堪らず呼べずにいた名前を呼べば、この世で一番美しい笑顔が私の視界一杯に広がりました。
初めて見る笑顔に、どうしてでしょう?
悲しくないのに、胸がぎゅーっと痛みました。
「アンソニー様、アンソニー様、アンソニーさまぁ。」
嬉しくて、とても嬉しくて目から勝手にポロポロと涙がこぼれてきてしまいましたわ!
あぁ!私いまとっても幸せですわ!!
私達、最初から両思いでしたのね!
どうしましょう!どうすれば良いのかしら!
「アンソニー様。どうかその者に手をかけないでくださいませ。私、旦那様を失ってしまいますわ。やっと。やっと初めて笑ってくださいましたね。エイプリルは今とても幸せでございますわ!私も初めてお会いしたあの日からずっとアンソニー様をお慕いしておりますの!私達、両思いですのね!」
「は?」
「私、エイプリルはアンソニー様を、大変愛おしく思っております。私が笑顔にしたかったのは、アンソニー様。私の世界で一番素晴らしい旦那様でございますわ!」
ふふっ!
旦那様ったら、呆けた顔も素晴らしく恰好いいですわ。
私、旦那様のせいでとろとろにとろけてしまいそう。
「アンソニー様のお名前はずっと心の中で呼んでおりましたけど、その、いざ呼びかけようとしましたら、照れてしまって。でも、お名前を口にするだけで、こんなにも心が暖かいのなら、初めからお呼びすれば良かったのですね。アンソニー様。大好きで、ふぐっ!?」
首に添えられていた掌が、私の口を覆いました。
そのまま、私に体を預けるアンソニー様。
一人分増える重みに、ソファーがきしりと軋みました。
「捕まったのは俺か。」
「ふぁんんふぁあ?(アンソニー様?)」
いつもと違う、アンソニー様の雰囲気に目を丸くしていると、アンソニー様は喉を鳴らして笑いました。
「俺の負けです、エイプリル。貴方が愛おしすぎて、死にそうです。心臓が持たないので、少しお口を閉じて下さい。」
そして、私の背に腕を回してぎゅうっと抱きしめました。
ふんわりと鼻を擽るアンソニー様の匂いに、ふぅと力が抜けました。
大好きです、アンソニー様。
貴方様だけをお慕い申し上げておりますわ。
愛してます、これからもずっと。
暖かなアンソニー様の温もりと、抱きしめられてる安心感と、泣きつかれてしまったのか、私は気づけば眠ってしまいました。
「シロツメクサの花言葉を貴方は知っているのだろうか。」
そんな、アンソニー様の呟きも知らずに。
こうして、私達は恥ずかしながら両思いでして、アンソニー様の笑顔も見れまして、とってもとーっても幸せでございますわ。
私、旦那様のためにもっと良き妻を目指しますわ!!
ネバーギブアップですわ!
あら?ネバーギブアップって何かしら?
「トーマス。エイプリルを閉じ込める準備を早めなさい。」
「かしこまりました。旦那様。」