悪酔強酒
ソフィーは自分の家に戻ってくるとハロルドをベッドの上に降ろし、身に着けているもの全てを取り除く。全裸にさせた後でベッドにゴミ袋を敷いて、酔っ払いの失禁に備える。ソフィーは自分のベッドに男を寝かせる事自体が嫌だったが、ションベンでマットレスまで駄目にされるよりは幾分か良かった。
介抱を終えた彼女は椅子に構えてハロルドの所持品を漁る。真っ先に見たのは布製の安そうな財布だった。パイルアンドフックを剥がすと酒屋のレシートが舞い落ちた。内容を読むとかなり悪い飲み方をした事が分かる。その他は現金が多いものの一般的な財布の中身だった。
次にソフィーは彼のコートを探り始めた。左の内ポケットからハロルドがSCCUに属している事を示す身分証明書を見付けた彼女は携帯電話のカメラで撮影をした。
最後に言ったことから彼女はハロルドがSCCUの人間だと考えたが、直ぐに酔っ払いの戯言だと思って単なる一般人と踏んでいた。だが彼女の悪い方の予感が当たってしまった。
彼女が居る地区は売春が禁止されていて、彼女は条例を破って売春行為で生計を立てている。なのにハロルドを家で介抱をしてしまった。これから面倒なことになるのは間違い無かった。
売春はお互いが罰せられるので、人間なら立場は平等だから身分証を写真撮影などでっち上げを行えば痛み分けができるだろうが、彼女は獣人だった。しかも獣の形質が強く出た方の獣人だ。抗弁した所でまともに取り合ってもらえないだろう。人外の権利が認められ始めているとは言え、認めるのは結局人間だった。
更に彼女は身分証の裏に記載されているパーソナルデータを読んで更に仰天した。ハロルドはここよりもっと内側の、良家の出身でなければ住めない場所に住んでいるようだった。身分証が嘘でなければこれはソフィーが思っていた以上に大問題だ。
溜息を吐いて財布を元に戻す。ソフィーは昼夜逆転生活をしているのでまだ眠くならなかった。法執行局に属する上流階級の人間を前にして彼女はどうしたら良いのか分からなくなった。どうしてあそこまで酔っていたのか分からないが、倒れる直前に逮捕するなどと言い掛けていた。
景気づけに彼女は冷蔵庫からビールを出して飲み始める。これが最後になるかも知れないので、彼女は良く味わって飲んだ。
だらだらと彼女がテレビの映画を観ながら酒を飲むうちに五時になってハロルドの携帯は鳴り響いた。寝坊防止の為にハロルドが掛けている目覚ましアラームの音で、それを聞くなり即座に上半身を起こす。瞬間、強烈な頭痛を感じて彼は呻いた。
意識が鮮明になるにつれて彼の中で混乱が増大していく。昨日、出張所を出てビールを飲んで電車に乗った所まではおぼろげに覚えていたが、そこから先の記憶が欠落していた。
今、ハロルドは見知らぬ手狭な部屋の見知らぬベッドの上で全裸だ。そして獣人の女性が彼を見つめている。記憶に無いだけでもしかすると致してしまったのかも知れないと、彼は焦り始めていた。
「な、なあ……」
ハロルドは情けない声でソフィーに声を掛ける。意外そうに彼女は答えた。
「ヤってないけど」
事故を起こさなかったようでハロルドは胸を撫で下ろす。SCCUの人間が法に反したとなると本末転倒だからだ。帰る途中で記憶を失うまで酒に酔ってしまうのも大問題だが、売春をしてしまうよりは救いがあると彼は考えていた。
彼はブランケットを払い除けて床に立ち上がるとハンガーに掛けられていた自分の服を取って着替える。局部を彼女に晒していたが、お互いに気にしていなかった。
「えっと、君は?」
「アタシはソフィー……アンタ本当にSCCUなの?」
「身分証は見ただろ」
ハロルドは財布がいつもと違うポケットに入っている事に気付いていた。ハロルドに行為を見透かされたソフィーはバツが悪そうだ。しかし彼にはそれを咎める気、咎める権利が無かった。
「ともかくありがとう。君が居なかったらどうなってた事だか」
感謝されるとは思っていなかったのか彼女は怪訝そうだった。ハロルドは時計を見て、まだ余裕がある事を確認した。自宅より格段に仕事場に近いのでいつもの時間に出る必要は無い。
「何であんなに酔ってたのさ」
「久し振りだった」
ハロルドは体質的に酒が飲めるし、酔っても理性を保てる人間の筈だ。しかし今回は久し振りでビールという慣れないものを飲んでしまった。それが理由だと彼は思う事にした。ただし二度とビールは飲まないだろう。
「大丈夫なの?」
「頭痛が酷い」
ソフィーは呆れて引き出しから市販の頭痛薬を彼に差し出す。躊躇わずに彼はコップに一杯の水を貰って薬を服用した。不思議と飲むだけで頭痛が和らいだ気がした。
気まずい沈黙が続いて彼はまた時計を確認した。まだ出るには早い時間だが荷物をまとめた。
「すまない、もう遅刻しそうだ。ありがとう。必ず礼をする」
再び礼を言うとハロルドは彼女の家を飛び出て感覚を頼りに最寄り駅に向かった。運良く彼が駅に辿り着くと同時に電車が来た。遅刻するどころかいつもよりずっと早く出勤できるだろう。
電車に揺られて仕事場に着いた彼はレイに驚かれた。逆にハロルドはレイが既に居る事に驚いた。マリーは相変わらずのメイド服でハロルドに挨拶する。ウォーレンの姿はその場に無かった。
「どうしたんですか?」
「早く起きすぎた」
嘘だった。いつもはアラームが鳴るよりも早く起きている。アラームに起こされた事自体が久し振りだ。
「いつもレイはこんな時間に来てるのか?」
「癖みたいなものです。仕事が捗りますよ」
やはりレイはこんな出張所にはもったいない人材だとハロルドは感じた。良い意味でもっと目立てば支局勤めは直ぐに決まる筈だ。その時はしっかりと送りだそうとハロルドは決めていた。
「ウォーレンは寝てるだろうな」
「みたいですね」
しかしハロルドは怒ろうにも怒れなかった。既に大失敗していて、他人を咎める権利は無いと思ってしまうからだ。
「あれ、起こさないんですか?」
「寝起きで気分が上がらないんだ。コーヒーを買ってくる」
いつものコーヒーを買ってきて、ハロルドは仕事を始めた。続々とマルコムやニコライがやって来て、ウォーレンは最後に来た。ウォーレンはしどろもどろとしていたが、ハロルドは軽く注意するだけに留めた。
上もハロルドを気遣ったのか珍しく今日は穏やかな日だった。事務作業だけで終業時間になると彼はさっさと荷物をまとめて出張所を出る。真っ直ぐに駅に向かうと電車に乗り、昨日酔った彼が間違った駅で降りる。途中で二人分の中華料理のテイクアウトを買うと、今朝来た道を逆走してソフィーの家に向かった。彼が到着すると丁度、ソフィーは家を出ようとしている時だった。
「仕事かい?」
彼は声を掛けて彼女を引き留める。驚いた彼女は手に持っていた鍵を地面に落としてしまった。
「アタシを捕まえに来たの?」
じっと彼女はハロルドを睨んだまま後退る。彼に逮捕するつもりは無いので、思わず彼は笑ってしまった。
「いや……一晩で120ドルだっけ?」
露骨に嫌そうな顔をしてソフィーは首を横に振った。
「やめときなよ。アンタSCCUでしょ?」
「いや、昨日は仕事に行けなかっただろうから、その補充だ」
そう言ってハロルドはポケットから200ドルを出してソフィーに差し出す。彼女は金を受け取ると、何も言わずに彼を凝視していた。
「それと君に中華を買った。口に合うと良いんだが。とにかく、昨日から本当にありがとう。それじゃあ」
中華の入った紙箱も彼女に渡すとハロルドはさっさと踵を返して路地を出ようとした。
「ちょっと待ちなよ! アンタ、本当にただお礼に来ただけなの!?」
ソフィーは彼の腕を掴んで強引に路地に引き込んで問い質す。少しハロルドは決まりが悪そうだった。
「他に何か有ると?」
「捕まえたりしないの?」
「しない」
ハロルドはソフィーに対して作った借りのせいで出来なかった。加えて彼の専門ではないし、人の商売の邪魔をする気にはなれない。本来なら、私情を挟まずに彼女を捕まえるべきだろう。しかし今回は目を瞑ることにした。
「助けたから?」
「恥ずかしいが当たりだ。そろそろ腕を放してくれると嬉しい」
言われてソフィーはやっと彼の腕を放す。再び別れの挨拶と感謝をしてやっとハロルドは帰路に就くことができた。彼は家に帰って早く昨日から着ている服を着替えたかった。これで借りが清算できたと彼は思っていた。
よろしくお願いします。