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疾風迅雷

 いつもハロルドは出張所の外で昼食を摂っている。今日はサンドイッチとコーヒーの美味そうな店で、実際に入ってみると彼の予想は的中した。彼は特徴の無いクラブサンドイッチを食べたが、それが大当たりだった。自家製ベーコンの強烈なうま味が感じられるサンドイッチだ。コーヒーは微妙な濃さで、不思議に思ったハロルドが店員に聞いてみると、エスプレッソとアメリカーノの中間ぐらいの濃さで淹れているらしい。豆が深煎りなので苦味が強かったが、彼の好みの味だった。適度に砂糖とミルクを入れると丁度良い。

 コーヒーのおかわりを飲んでいると、携帯に連絡が入った。予想通りに仕事に関係する連絡だ。電話先のレイは動揺していた。

「人質事件です! 支援要請が出ました! マルコム先輩が現場に向かってます!」

 従軍経験のあるマルコムが出張所で最も腕っ節の強い男だった。頭より体を使う事件の際にはマルコムが大活躍する。言ってしまうとそれだけだったが。

「分かった。現場は?」

 レイから場所を伝えられると電話を切り、食事代金をテーブルの上に置いてそのまま現場に向かった。支局の人間が現場となったコンビニエンスストアの周囲を部外者立ち入り禁止にしていたが、周りには危険性を良く理解しない野次馬が挙って現場を見ようとしている。ハロルドは人混みをどうにか掻き分けて中に入り、マルコムと合流した。既に彼は防弾チョッキを着込んで臨戦態勢だった。彼はさっきまで昼食を摂っていたのでかなりの軽装だ。

 要求は雇用機会均等法の撤廃、犯人は人間至上主義団体の構成員、人質は人外だ。コンビニに有る商品棚のせいで狙撃は難しそうだった。

 少し前なら人外が人質に取られた事件は問答無用に強行突破をして速やかに解決していたが、今回は事情が異なり、穏便な方法で人質を無傷で救出する事を上から求められていた。人外の権利を認め始めている手前、人外を軽視した作戦は実行できない事情が有る。

 相手は金銭の要求や支離滅裂な主張をしておらず、自らの信念に基づいた政治的な要求をしている。説得は危険かつ困難で、要求に応じるのも難しい。まだ人質が殺されていない事がハロルドには不思議に思える程だった。

 まだ犯人が人質を殺せていないのは始めてで若いからだからだとハロルドは考えていた。資料に拠れば犯人は大学生で、原因はいわゆる若気の至りだろう。彼らの作戦に抜けている箇所が所々有った。威圧して突入すれば相手は竦み上がり、無事に人質を救出できるだろう。下手に長引かせて覚悟を決められるよりは、短期決着させるべきだとハロルドは考えていた。

 しかしハロルドの意見は通らず、犯人と話し合いをする事になった。人質の一人と交換で局員を送り込む作戦が立てられた。協議の結果、その役目はハロルドに任された。実力が評価されての事らしいが、死の危険が有るので気乗りはしない。しかし仕事は仕事だった。今より危険な状況になら何度も遭っている。

 彼は両手を掲げてゆっくりコンビニに近付く。銃口が向けられて背筋に寒気が走るが、沼から足を引き抜くように力を込めて歩く。電話越しに交渉は成立したから問題は無い筈だった。

「ハロルド=ウィルソン、SCCUの交換要員だ」

「手を上げたまま、ゆっくりこっちに来い!!」

 コンビニの中から大声が聞こえてきた。彼と交換される予定の人質の姿は見えなかった。もしもこれで人質交換に失敗をしてハロルドが捕まるだけだと悲惨だ。

「人質は?」

「そっちが先だ! 早く来い!!」

「交換する人質をこっちに向かって歩かせてくれ。私もそれに合わせて歩く。どうだ?」

 しばし向こうは考えていたが、彼の提案を受け入れたようで、コンビニの出入り口に人質の人外が現れる。山羊の獣人のようで、たくましいツノを持っている女だった。目隠しと猿轡をされて後ろ手に拘束されていて、随分と不自由そうだった。

 山羊の獣人に歩くことが命令され、彼女は怖ず怖ずとハロルドを目がけて歩いてきた。彼もそれに合わせてコンビニに近付く。彼女に近付く程に、恐怖が伝わってきた。訓練を受けたり場数を踏んでいる局員とは違って、彼女は一般人だった。

「もう大丈夫だ。そのまま真っ直ぐ歩いてくれ。他の局員が君を保護する」

 すれ違い様に彼女に言って、ハロルドはコンビニに入った。銃口が更に近付き、彼は唾を飲み込んだ。一人が彼のボディーチェックを行った。その際にポケットのナイフとホルスターに収まるワイヤー射出型のスタンガンが彼らに押収された。

 銃口をピタリと付けられたまま彼らのリーダーの前に引き出された。目出し帽をせずにリーダーは素顔のままだった。人質事件を起こすような人相では無く、少し気弱そうで自信なさげな目をした青年だった。リーダーは周りの人間とは違って落ち着き払っていて、事態を冷静に正しく認識しているようだった。これはハロルドにも意外だった。

「実銃は持たないのか?」

 不思議そうにリーダーがハロルドに尋ねる。人質になるのに実銃を持って何の意味があるのだろうか。

「私が持たないだけだ。それはそうと、こちらの要求に応じてくれてありがとう。君達は正しいことをした」

 ハロルドは心にも無い事を言いながら、彼は周囲の状況を確認する。彼の胸ポケットのボールペンは何にも思われなかった様だが、実際にはカメラが仕込まれていてコンビニ内部の状況が本部に伝わるようになっていた。

 リーダーの後ろに人外の人質が二人、さっきすれ違った山羊の獣人と同じように拘束されて、地面に引き倒されていた。

「我々の要求は?」

「そう、いざ撤廃にする訳にもいかないだろう。段階を踏む必要がある」

「何を言って――!」

 声を荒げたのはリーダーではなく彼に銃を向ける男だった。そんな犯人の一人をリーダーが諫める。もしかすると、これならば交渉も有効では無いかとハロルドは薄々感じ始めていた。

「君の名前を教えてくれるか?」

「ヒロと呼んでくれ。貴方はハロルドでいいかな?」

 ハロルドは短く肯定した。来る前に読んだ資料でヒロという名前は知っていたが彼は尋ねた。素直に名前を言って聞き返す辺り、ハロルドを信頼しているようだった。

 ハロルドは目の前に居るヒロの人物像を考え始めた。少なくとも頭は良い方だろう。頭が良いから、こんな異常な状況でも落ち着いて物事を考えていられる。そうでもなければリーダーは務まらない。

 そしてヒロはこの先を読んでいる。ヒロは端から自分たちに勝算は無いと考えているだろう。過去の人質事件の例は調べて結末を知っているに違いない。ハロルドの話を素直に聞いたのは局員が来るのが異例だからだ。

「SCCUの人だって?」

「そうだ。この辺りの事件はSCCUの担当だ」

「人外を相手にする事も?」

「有る」

 ヒロはハロルドにいくつかに質問をぶつけた。彼は嘘偽り無く、誠実に答えた。下手に嘘を吐いて良い質問では無かった。案外、努力しても嘘という物は見抜かれる。余計なリスクは踏まない算段だ。

「人外に恨みは?」

「人によるさ。私の部下の一人は人外を嫌うが、もう一人は人外と同棲してる」

 興味深そうにヒロはハロルドの言葉を聞いている。やはり当たりだとハロルドは感じていた。このように話が出来る時点でかなり有望だ。

「私も質問をしても?」

「構わないけど」

「どうしてこんな事件を?」

「……僕らは大学生なんだ。そろそろ就職を控えた、ね。そんな時に雇用機会均等法が成立して不安になった。就職が難しくなるんじゃないかって。正直に言うと、僕は人間至上主義団体に属してるけど、彼らみたいな人外への恨みは無いんだ」

 つまりヒロは確信犯ではないという事だ。真摯に物事を考えて、自分たちの声を届ける最も良い方法が人質事件になっただけだ。取り締まる側としては全く感心の出来ない行いだが、ハロルドとしては一種の同情を感じていた。

「この後は分かるか?」

「知ってる」

「だが、より良い形にはできる。例えば報道と引き替えに人質を解放する事もできるだろう」

「そう、だね」

 ヒロは黙って考え始めた。彼は大丈夫そうだが、他の人間はそうでも無いらしい。ハロルドは敏感に関係の軋みを感じ取っていた。ヒロは自分の為にこの事件を起こしたが、他の人間は思想の為に事件を起こしたに違いなかった。

「俺は認めないぞ」

「死ぬよりは良い」

「俺達は死ぬ覚悟でここに居る! お前もその覚悟は有る筈だ!!」

「さっき言った。僕は就職を考えてここに居る」

 雲行きが怪しくなってきた。ヒロのような相手は容易に説き伏せられるが、思想を持つ相手は易々と説き伏せられない。ハロルドはリーダーとしてのヒロに期待する他に無いが、彼では無理そうだった。

 口論の末に銃口がヒロに向けられた瞬間、ハロルドは飛び跳ねるように動いた。引き金が引かれる前に彼はヒロ目掛けて体当たりをして突き飛ばす。慣性でヒロの体が人質に突っ込むが、それは些細な事だった。

 ハロルドは床に倒れ、全ての銃口が彼に向けられる。しかし、その瞬間にコンビニ内に閃光と大音響が走った。武装したSCCU局員が突入し、混乱の中で犯人が速やかに無効化して拘束する。何もかも遠い世界でハロルドはその一部始終を眺めていた。

「よう! 大変だったな!」

 大声でマルコムが彼の耳元に話し掛ける。スタングレネードの大音響で鼓膜が破れたようで、暫く聴覚は戻りそうに無かった。

 事件は誰一人として死なせずに幕が引かれた。特筆するなら、ハロルドがヒロを突き飛ばした際に何かに引っ掛けて負った右太ももの切り傷だった。しかし彼は怪我よりもズボンを駄目にした事に落胆していた。

「ったく、初めから突入しとけば良かったんだ。アイツら、スタンを食らって何も出来ないでやんの」

 マルコムが言っている事をハロルドは上手く聞き取れなかったが、大体の意味内容は捉えられた。

 傷の手当を受けてから、マルコムにエスコートされていつもの出張所に戻ると彼は全員から心配をされた。しかし彼に言葉は全く聞き取れなかった。これでは普段の仕事にも支障を来すだろう。

 彼は負傷をしていて、尚且つ有給を溜めている。こんな時こそ休む時だとハロルドは思う事にした。不安は多いが、彼が居なくともレイが代役を果たしてくれるに違いない。書類での手続きを終えて彼は明日から一週間の休みに入る事にした。

よろしくお願いします。

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