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旋毛虫症

 いつもの通りにハロルドが出勤してきて真っ先に感じたのは空気の清浄さだった。ゴミ箱にゴミは溢れず空のゴミ袋がちゃんと入れられている。書類棚もファイルを積み上げる方式から背表紙のアルファベット順に立てて並べられていた。

 マリーはエプロンを着て、羽はたきで高い所の埃を取っていた。下半身の蜘蛛の部分のお陰で彼らが手の届かない所の掃除もできた。

「おはよう」

「あ、おはようございます、ハロルドさん」

 にこやかにマリーが挨拶を返してきた。上半身だけを見れば可愛い女の子のそれだが、下半身を見てしまうと薄気味悪さを感じずにはいられなかった。

 朝の事務を済ませて手持ち無沙汰になったハロルドは買ったコーヒーをゆっくりと飲み始めた。今日のコーヒーはメープルシロップ入りのカフェラテというありきたりなものだが、近頃はハズレばかりの彼には有り難く感じられた。

「えっと、シュレッダーってどこに有りますか?」

「シュレッダーは壊れてるから給湯室で燃やしてくれ。頼まないとな」

 マリーに質問されてウォーレンがクリップごと書類を投入した為にシュレッダーが壊れた事を彼は思い出した。ハロルドはシュレッダーの事を思い出す度に注文を想起するが、事件に対応する度に抜けていった。ハロルドはメールクライアントを起動させ、最寄りの支局の物資部門に備品の注文を済ませた。

 入れ違いになるようにメールがやって来た。彼らにロスウェイ支局が対応している殺人事件の捜査に加わる事を指示された。

「仕事だ。レイとニコライとウォーレンは来い」

「おい! 待ってくれ! 俺だけが留守番は嫌だぞ!!」

 あぶれたマルコムが異論を唱えたが、まず誰も応じなかった。半笑いでハロルドが答えた。

「マリーが居るし、いつもそうだろ。何を今更」

「マリーが居るなら良いだろ! 連れてけよ!」

「まだマリーだけに任せるのは不安だからな」

 マルコムはまだ何か言っている様だったが、四人は無視して出張所を出た。いつものバンに乗り込むとウォーレンの運転でロスウェイ支局に急いだ。

 支局とはいえ出張所とは比べ物にならない程大きく、出入りする人間も多かった。真っ先に彼らはメールで指示された会議室に入り、特別捜査本部に加わる。

 四人は指示されたデスクに着くとラップトップを開き、イントラネットから事件資料をダウンロードする。真っ先に読み終えたハロルドが指示を出した。

「レイは資料から犯人像を掴め。ウォーレンは検視室で遺体を再検証しろ。ニコライは科学捜査室で証拠品の再検証をしてくれ」

 ロスウェイ支局の人間の手で捜査が進んでいたが、ハロルドは三人に最初からの捜査を命じた。既に有るものを鵜呑みにして上に積み重ねたのでは、ただ人員を増やしただけになる。新たな視線が必要なら別の人間が初めから捜査する必要があると彼は考えていた。

 読み途中だったウォーレンとニコライは端末を片手に会議室を出て行った。ハロルドはレイと同じように資料から推測を立てる仕事を始めた。

 被害者の名前はサマンサ=クルス、鳥の獣人で十四歳になったばかりの少女だ。今の所はゴミ箱から頭と胴体だけが見つかっている。俗に言うバラバラ殺人で、二人もニュースで聞いている事件だった。

 この時点で彼らは『聖食の会』と呼ばれる新興宗教の関与を疑っていた。聖食の会は魚系や鳥系の人外の少女を本当の意味で食べる人間の集まりである。彼らは人外の肉を食べる事で延命や若返りができると信じている。実際にその迷信を合法的に研究して科学的に有り得ないという旨の論文を発表した者が居たが、彼は聖食の会によって解体と同じ方法で殺害された。犯人は捕まって服役中だ。

 調査によると聖食の会はかなり大きい組織だ。しかも、上流階級の人間も会員であるという噂も有る。他の多くの理由も相まって組織そのものを取り締まる事はまだ不可能だ。しかし痕跡を辿って実行犯は捕まえられる。

 検視室ではウォーレンが似合わない青色の作業服を着て、冷蔵保存された遺体を調べていた。遺体に手足は無く、縦に開腹されて内臓を奪われていた。だから死後それなりに経っても腐臭は抑えられた。彼女の鮮やかな筈の髪色は何故か褪せて見える。

 手足の切断面から三センチメートルの所を一周する皮下出血は手足を切断する際に使った止血帯の痕に違いなかった。どうせ殺すのに態々止血帯を付けるのは死ぬまでの時間を長引かせる為だ。出血量を考えると初めに足を、次に腕を切断したようだ。切断面の挫滅と骨の破損から、凶器として斧や鉈のように重量のある刃物が使われた。

 腹を開いた所からも血が多く流れているので、これも生前に受けた傷と考えられた。腹にはメスのように鋭利で繊細な刃物を使ったらしい。斬首は息絶えてから程なくして行われたようで、出血量は少なかった。

 声帯に見られる微細な出血から、彼女が長く叫び声を上げていた事が分かった。歯茎の出血から、彼女が歯を食いしばって耐えたのも分かった。

 聖食の会の仕業だとウォーレンは直ぐに分かった。同じ方法で殺された人外の少女を彼は他にも知っている。

「ウォーレン、どうだ」

「聖食の会の仕業です。間違いなく」

 ウォーレンの語気の鋭さにハロルドは直ぐ気付いた。被害者が人外である事件だとウォーレンは人が変わったようになる。ただハロルドはウォーレンの毅然とした態度を嫌っていた。頭に血が上っている状態なので、柔軟な発想ができなかったり冷静さを欠いてミスを引き起こすからだった。

「血液サンプルはニコライに渡しました。精密検査をしているはずです」

「分かった」

 ハロルドは検視室を出るとそのままの足で科学捜査室に入った。他の科学技能官に混ざってニコライがデータを眺めていた。彼が見ても数値の羅列で、これらが何を指しているのかは分からなかった

「ニコライ、何か掴んだか?」

「血液から二つほど。先ずは吸入麻酔薬のハロタンが検出された。聖食の会が使うハロタンと不純物の比率が一致したよ。次に、特定の抗体価と好酸球数が多かった。何らかの病原体に感染していたのだろうね。今、ウォーレン君に筋肉の組織試料を頼んだ。思い当たる節がある」

「頼んだぞ」

 捜査結果を受け取ったハロルドは特別捜査本部に戻って再び書類に目を通す。そして一枚のコピー用紙とボールペンで思考をまとめ始めた。被害者の名前を中心に書き、隣に聖食の会と書く。他の可能性として強盗、私怨、通り魔などが彼女の名前の周りに書かれた。そして証拠を考察して可能性の低いものを外していく。

 先ず遺体を凝った方法で解体したのには理由がある。だが痛めつける為に体を切断するのは稀だ。切断という作業は労力が掛かるし、精神的負荷も大きいので避けられる傾向が有る。被害者に苦痛を与えて殺すなら手軽に行えて死ぬまでを長引かせる殴打が基本となる。しかし彼女の体にその痕跡は無い。

 遺体の解体の主な理由は単に隠蔽である事が多いが、今回は隠蔽の可能性が低い。隠蔽が目的なら、少なくとも身元が分からないようにする。しかし今回は頭と胴体が同時にゴミ箱から見つかっている。顔をCGで合成して聞き回ったら直ぐに身元が特定された。遺体の隠蔽を目的に解体する殺人者は概して一定の知能は有るから、あまりに杜撰すぎる。

 快楽殺人の可能性は高い。しかし遺体の解体方法が聖食の会関連の事件に特有だった。足から腕と順番に切り、内臓を取り除く。胴体から離れた部分を聖食の会の人間は顔を見ながら食べる。

 これらから導かれる結論はやはり聖食の会の人間が犯人であるという事だ。

「聖食の会だな」

「やっぱりそうですか」

 行動科学を専攻するレイは落胆したようだった。確信犯を相手にしたプロファイリングは通常考えられる人間の心理が適用されないからだ。ただ、逆に宗教的な思想がその人間を支配しているので単純だ。犯人の絞り込みも楽になる。

 午前中から働き続け、終業時間になった。夜勤をする人間や残業をして仕事を続ける人間以外は支局から続々と出て行く。ハロルド達は居残りをする人間だった。とは言っても、単に帰るのが面倒で泊まりをするだけだ。宿泊を察知していたレイは荷物の中に寝袋と下着の替えを持っていたが、他の三人はほぼ準備せずに来ている。何か足りなければ現場で揃えてしまえば良いと考えているからだった。

 日を跨ぎ、ハロルドとレイとウォーレンが捜査本部で仮眠を取っているとニコライが小走りで入ってきた。彼は徹夜で何らかの検査をしていたらしい。

「彼女の筋組織から旋毛虫が見つかったよ。旋毛虫症は寄生虫症の一種で、感染すると筋肉痛や浮腫といった症状が現れる」

 彼らの元に辿り着いたニコライは興奮気味に語った。徹夜とカフェインで興奮しているようだった。誰もそうしろとは言っていないのに、何か興味を引かれるものがあるとニコライはいつもそうだった。

「珍しいか?」

「ここら辺じゃ珍しいね。熊肉とか普段は食べない肉を食べた場合に多い寄生虫症だ。この寄生虫症は消化器ではなく筋肉を冒すから糞便では検査できなくて――」

「レイ、最近の医療記録から旋毛虫症と診断された人間を見付けてくれ」

「了解……四人見つかりました。その中に鳥を食べたと申告している患者が居ます」

 聖食の会の人間は彼女たちを単に食材として見ているので、そのような言い方も十分に考えられた。

「レイ、彼女に話を聞こう。死体損壊で逮捕状を取っておけ」

「死体損壊だけですか?」

「そうだ」

 朝になると荷物を持ってレイとハロルドは病院に向かった。ミサという女だが、少し前から筋肉痛を訴えていて、医者が原因を解明する為に検査入院させていた。

 病院の受付で身分証を提示するとミサの病室に急いだ。四人部屋の窓側のベッドに彼女が横たわっていた。筋肉痛が酷いようで、唸り声を上げていた。

「SCCUのハロルドだ。彼女に見覚えは?」

 身分証明の後に間髪入れずサマンサの遺体の写真を見せる。彼女は落ち着き払った様子で写真を見ていた。一般的にこの状況では驚きや困惑の感情が現れる。やはり彼女はクロだとハロルドは見込んでいた。

「さあ?」

「顔を見ながら食った肉ぐらい覚えてるだろ」

「食べる事は罪じゃ無いわ」

 ハロルドは黙って彼女の顔を見つめ、少し溜めてから尋ねる。

「サマンサを食べたのか?」

「……食べたわ。でも殺してない」

「殺した奴は? どこに居る?」

「ギャリー=デイモン、バーミントンの廃倉庫Bに居るらしいわ。彼を捕まえたってどうせ無駄よ」

「そうか。なら君を死体損壊の容疑で逮捕する。これが逮捕状だ」

 レイが彼女を立たせて手錠を掛ける。呆気に取られたまま彼女は二人に連行されてバンに押し込められた。筋肉痛が痛むようで文句を言いっ放しだが、彼らは構わなかった。

 ハロルドが携帯端末で捜査本部に連絡を入れ、犯人の居場所を報告する。彼らもそのまま廃工場に向かった。

 支局の人間よりも彼らが先に到着してしまった。遅れてきた支局の人間にミサを預けると彼らは逮捕状を貰って廃工場に入る。ライトで照らされた先に男が居た。彼は壁に背中を付けて座り、捩るように体を動かす。

 聖食の会において獲物の解体者には食人の積み重ねでクロイツフェルト・ヤコブ病を発症した人間が選ばれる。ギャリーも発症しているようで、彼らがやって来たにも関わらず動きに変化は見られなかった。 

「SCCUだ。ギャリー=デイモン、殺人と死体損壊の容疑で逮捕する」

 ハロルドはIDカードと逮捕状を提示して宣言した。ギャリーは何かを言おうと口を動かすが言葉にならなかった。取り調べは支局の人間が受け持つが、難航しそうだとハロルドは思った。クロイツフェルト・ヤコブ病の患者はまさに正気を失うからだ。だから聖食の会の情報を探ろうとしても難しい。

 レイとハロルドの介助でギャリーは立たされ、手錠が掛けられた。引きずるように廃屋から連れ出し、署名と共に身柄を外で待機していた支局員に渡す。これで彼らの仕事は終わりだった。

 支局に戻ってくると彼らは荷物をまとめて早急に出張所に急いだ。帰り際に犯人逮捕のお祝いと朝食を兼ねて彼らは適当なカフェに入ろうかと考えていたが、出張所に残したマルコムとマリーを思い出し、サンドイッチとコーヒーのテイクアウトをする事になった。

 出張所に戻った彼らを待ち構えたのはマルコムの恨み節だった。ただマリーと問題は起こさなかったようで、彼女は和やかに四人を迎えてくれた。

「サンドイッチを買ってきた。犯人逮捕のお祝いだ。マリーとマルコムの分もある」

 マリーは意外そうな表情で紙袋の中を覗き込む。中には紙に包まれたサンドイッチが行儀良く六個並んでいた。

「わ、ありがとうございます。具は何ですか?」

「普通のBLTだ」

 紙箱を開けるとコーヒーの匂いが強く部屋中に広がる。ハロルドだけカプチーノで、他は全員ブラックコーヒーだ。ニコライはコーヒーを大量に飲んでいたので、一口飲むだけに留めた。

「どうだった」

 サンドイッチを食べながらマルコムが尋ねる。どうやら彼も家に帰らなかったらしく、ネクタイが昨日と同じままだった。

「聖食の会だ。実行犯と食べた奴を捕まえた」

「食べた奴も捕まえたのか?」

 意外そうにマルコムは聞き返す。聖食の会に関連する事件で肉を食べた人間の逮捕は立件の難しさと証拠の不足で珍しかった。今回は被害者が寄生虫症を患っていた為にできた逮捕だった。

「死体損壊で捕まえた」

「なるほどな」

 支局の人間に任せてしまったが、DNA鑑定をしてミサの旋毛虫とサマンサの旋毛虫のDNAが一致したなら確定的だ。まだクロイツフェルト・ヤコブ病を発症していないので有益な情報を得られそうである。口を割ればの話ではあるが。

 横になって睡眠を取りたくなったハロルドは朝食を終えると出張所の仮眠室に移動した。しかし微睡んでいる最中、子機を持ったマリーが仮眠室に乱入してきて睡眠が中断された。

「電話です! 起きて下さい!」

 不機嫌そうにハロルドは電話に出ると、彼らに仕事が持ち込まれた。しかも起きたばかりの事件ではなく、緊急度の低い異状死体の捜査だ。四人の居る部屋に入るとハロルドは死刑宣告をするように言う。

「仕事だ。ウォーレンとニコライは来い」

「早速ですか!? 少し休憩しません?」

「運転は私がするから車内で寝ろ。行くぞ」

 大きく溜息を吐いてウォーレンは立ち上がる。コーヒーを飲み干したニコライは今にも爆発しそうだ。ハロルドは後で呼び出した人間に文句を言おうと心に決めつつアクセルを踏み込んだ。

よろしくお願いします

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