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小皮紋理

 道すがらで買ったコーヒーを片手に、ネービーブルーのロングコートを着たハロルド=ウィルソンが出勤してきた。悠々と歩いているが、遅刻寸前の時間だ。しかし、彼は一度も遅刻をした事が無い。いつもギリギリの時間に必ずやって来る。

 もう既に彼の部下はコンピュータ画面と向き合って仕事をしていた。挨拶を交わしながら自分の机に辿り着いたハロルドはカバンを置いて、コートを椅子に引っ掛ける。そして席に着くと、彼はコーヒーを飲んで一息吐いた。今日のコーヒーはヘーゼルナッツのフレーバー付きで、砂糖が多めに入れられている。彼の味覚には合わない味だった。

 強引にコーヒーを胃に流し込むと、彼はコンピュータの電源を入れてメールチェックを済ませる。仕事用のアドレスなので、定期の業務連絡の他に受信しているメールは無い。次に彼はこの出張所で取っている新聞を読み始めた。

 今日の一面を飾ったのは最近成立した法律の名前だった。人間と獣人を代表とする人外の間には壁が長らく有るが、雇用機会均等法はその壁を取り払う第一歩だった。

 人間側の今までの謝罪も兼ねて、その手始めに行政機関に一定数の人外を雇う事になっている。その筆頭がハロルド達が所属している法執行局重大犯罪対策部だった。法執行局重大犯罪対策部主な活躍の場が下層なので人外も馴染みやすいというのが表立った理由だが、実際は殉職率が一番高い部署である事が関係しているに違いなかった。

「ここにも人外が来るのかね?」

 彼が言うと、彼の左前に座るレイが驚いたように答えた。

「その事なら業務連絡に有ったと思いますが」

「普通は読まないだろあんなもの」

 どうせ取るに足らない事ばかりが書いてあると考えているのでハロルドは一括送信される業務連絡を読まずにゴミ箱に送っていた。他の局員も同様で、レイの他には誰も読んでいない。直ぐに全員が作業を止めてメールを開いた。

 メールに拠れば、先ずは支局が人外の受け入れを始めるようだった。それで様子を見てから活動の幅を広げたり、受け入れ人数を増やすらしい。出張所にはまだ関係の無い話のようだ。

「まず良かった、人外が居ちゃ落ち着いて仕事もできやしねえからな」

 出張所では最も人外を嫌っているマルコムが言うと、向かいのウォーレンが素早く応えた。

「支局に集めるより出張所にも配置してデータを取った方が良いだろうに」

「おおこわいこわい。流石は人外と寝る男だわ」

「うるさいな! 可愛い子も居るんだ!」

「いや無理だろ!! よく考えてみろ? お前はトカゲと交尾してる訳だ!」

「んだとコラ! リズの事を――」

 暴力沙汰になるすんでの所でレイがウォーレンを羽交い締めにする。ウォーレンとマルコムは悲しいまでにウマが合わず、たまには血を流すような喧嘩に発展する。心底呆れるが、だからこそ良いコンビだった。

 二人を口頭注意して、ハロルドは自分の席からこの出張所の事務室を眺める。男が五人も集まって仕事をする為に職場環境は劣悪だった。レイがたまに掃除を行っているので辛うじて均衡を保っているが、他の四人の汚染に追い付いている様には見えない。雑用させるにレイは惜しい人材だった。

「これも良い機会だ。ここに新しく雇おうと思う」

 ハロルドは全員に宣言するように言った。全員がハロルドの顔を見て固まった。彼はそのまま続ける。

「ここが汚すぎる。我々が仕事に集中できるように事務員を雇うぞ」

「おいおいボス、まさか」

 マルコムが悲鳴に近い声を上げ、ウォーレンは新しいオモチャを買い与えられた子供のような表情を浮かべていた。

「恐らくマルコムが想定するまさかだ。決定は私だが、ウォーレンが連れてこい。今日のお前の仕事はそれだ」

「了解しました! 早速行ってきます!」

 そう言うと彼はコートとバッグを掴んで部屋を出て行った。黙ったままマルコムは目で訴え続けたが、鳴り響く電話機に退けられた。ハロルドが対応すると、メモを取り始めた。彼らに仕事を持ってくるいつもの電話だった。

「スミレ通りで死体が見つかった。レイとニコライは私と来い」

 荷物を持った三人は出張所を出て、裏に止めてある白いバンに乗り込む。レイの運転でいくつかの区画を抜けてスミレ通りに到着すると、もう既に騒ぎになっていた。

 先に到着していた支局の人間に身分証明をしてから立ち入り禁止領域に入り、調査を始めた。ブルーシートの目隠しの下に死体が転がっていた。白人の成人男性で、首を中心に広がる血が先ず目に付いた。

 レイが被害者の指を取って端末のセンサー部に当てると指紋が入力され、戸籍データベースから照合するものが表示される。

「被害者はフレッド=バーネット、ここより内側の人間ですね」

 レイが端末を片手に言う。登録されている顔写真と死体の人相は一致した。

「死因は首の切り傷だろうな。抵抗はしたみたいだが……運悪く頸動脈を切られたみたいだ」

 ハロルドが死体を観察しながら言う。彼は医師免許を持っていないので検視はできないが、法医学の知識は有った。腕に有る似たような傷は抵抗の際に付いたと思われる。コートに付いた泥からもみ合いになったことが推測できた。

「引っ掻き傷みたいだな。三つ四つずつ並行になってる。首の傷も三つ揃ってる。獣人か?」

 コートについている茶色の長めの毛を見付けたハロルドはチャック袋に入れる。毛の特徴から種族がある程度は判別可能で、運が良ければDNA鑑定で詳細に判別できる。ニコライが拡大鏡で毛を観察すると、直ぐに答えを出した。毛の持ち主はネコの獣人だと判定した。

 次にハロルドは被害者の所持品を探る。財布を見ると性交時の写真が何枚か見つかった。相手はネコの獣人でまだ幼げな様子だった。フレッドの身分を考えると彼女が妻だとは思えない。

 スミレ通りは風俗街である。内側の男がこの通りに来てする事と言えば売春の他に無い。フレッドは何度も来て慣れているようだった。初めて女を買う時は相場が分からず大金やクレジットカードを持ってくるが、慣れてくるとカードは置いて相場より少し多い現金だけを持つようになる。フレッドの財布の中身から既に行為を済ませた後だと分かった。

「写真の彼女に話を聞こう。レイ、聞いてきてくれ」

「了解しました」

 レイがその場を離れて、近くの風俗店に入ってゆく。現場調査が終わった後は支局の人間に引き継ぐと遺体は検死の為に搬送車に押し込まれた。

「ボス、写真の彼女はニナです。今朝は無断欠勤したようです」

 手帳を片手にレイが現場に戻ってきた。店で何か有ったようで、彼は不機嫌そうだった。

「家は?」

「ここから遠くないアパートです。住所は掴めました」

「行くぞ」

 荷物を纏めてバンに乗り、伝えられた住所に移動する。七階建てのアパートは非常に粗末で今にも崩落しそうな印象を受けた。娼館の運営が保有しているアパートには大勢の娼婦が住んでいた。

 ニナが居るのは三階の北向きの部屋だった。階段を駆け上って該当の部屋の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。答えは無かった。

 三回目の時点でハロルドは自らドアに手を掛けて中に入った。布団が乱雑に敷かれただけの部屋に四人の少女が居た。全員、純粋な人間では無く別の生物の特徴が見られる。その中にネコの特徴を持つ少女は居なかった。

「SCCUのハロルドだ。ニナはどこかな?」

 彼女たちは黙ったまま三人を睨み続ける。妙に濡れている彼女たちの服を見たハロルドは溜息を吐いた。

 娼館で働かされる少女には五人グループで連帯責任がある。ニナが居なくなった事で四人は懲戒を受けたに違いなかった。商品に傷は付けられないので水責めか陵辱の二択である。頭を下にして水を被るだけで簡単に溺れる感覚を味わえる。溺死の感覚では痛みとは異なる為に、拷問では無く強度の尋問扱いになる。たとえ罪に問われたとしても刑罰は軽くなる。そういった判例は多い。

「ダメだな。またの機会にでも」

 答えを得るのは諦めて、三人はアパートから去った。ハロルドとニコライはもう見慣れてしまった光景なので諦めに近い感情を抱いていたが、レイは動揺したらしい。レイは優秀だがまだ現場経験が不足していた。

 ハロルドは電話で支局にニナの情報を伝えて警戒を呼び掛けた。彼らが今できるのはそれだけだった。

 仕事を終わらせた三人が出張所に戻ってきた時、まだウォーレンは戻ってきていなかった。留守を任されていたマルコムは恨みを募らせて三人を見たが、誰一人として同情しなかった。

「どうだった?」

 マルコムの質問にハロルドは肩を竦めて見せた。

「犯人は捕まえられなかった。重要参考人の捜索中だ」

「どうせ男が娼婦に執着したんだろうよ」

「だろうな。ニコライ、毛のDNA鑑定を頼んだ」

 ウォーレンが戻ってきたのは終業時間近くだった。夜勤をするレイ以外が帰りの支度をしている頃に満面の笑みの彼が帰ってきた。

「遅れました。逸材を連れてきましたよ」

 上機嫌なウォーレンの後ろから候補の女性が現れた。案の定、ウォーレンが連れてきた彼女は人間では無かったが、種族は彼らの想像を遙かに超えていた。上半身は人間の女性と相違ないように見えるが、下半身は蜘蛛のそれだった。人間の腕が二本有って、虫の足六本でしっかりと立っている。

「マリー=ポワソンです。よろしくお願いします」

 そう言って彼女は礼儀正しく礼をする。ぎこちなく、釣られるように他の四人も頭を下げた。上ずった声でハロルドも自己紹介をする。

「所長のハロルド=ウィルソンだ。種族は?」

「アラクネです」

「要するに、蜘蛛だね?」

 彼女は俯いた。この場で笑顔を浮かべているのはウォーレンだけだった。人外嫌いのマルコムに至っては虚脱状態になっている。レイもニコライも蜘蛛には苦手意識が有るようだった。

「ウォーレン? 採用理由を」

「先ず第一に家事ができる。次に賃金は一定の生活だけ。そしてやっぱりモフれるしツルツルで――」

「もういい。取り敢えず採用はするが、使えなかったらクビする。仕事内容はここの家事だ。よろしく頼む。で、賃金は……何だ一定の生活って」

 ハロルドが困るとウォーレンが続きを話した。

「その事なら、ここに住まわせようかと。空き部屋も有るし」

「それを決めるのは私だが」

 ウォーレンは驚いたようだった。しかしハロルドは彼の提案の通り、 マリーを出張所に住まわせる事にした。マリーに留守を任せて全員が現場に向かう事や夜勤の負担も軽くなる事を期待しての事だ。

 話し合いの結果、彼女には生活費として一日に二十ドルが支給される事になった。

「今日の夜勤はウォーレンがやれ。色々と説明をしておくように。私は帰る」

「お任せ下さい」

 普段なら夜勤の押し付けを嫌がるウォーレンだが、今日だけは素直に引き受けた。多少薄気味悪く感じながらもハロルドは帰路についた。明日も変わらず仕事は待っている。

よろしくお願いします

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