少女の日常・下
再び場所は空に戻る。
結局、少女はハンカチを渡せなかった。
背後まで近付く事が出来たのだが、ガチガチに体を固めて立ち尽くす。
男なら『ヘタレ』と言われるのだが、ゴスロリ少女なら皆『奥手』と言う事だろう。さり気なく世の中の不条理を感じる。
「………………見え……た」
まだ若干不満そうな顔。
余り、先程の件は追求しないのが懸命だと友人は結論付ける。なので、話を合わす事にした。
「ただの人間もいるわね。厄介だわ」
到着した場所は、寂れたとある建物。思ったよりもただの人間がいた。どうやら密教の信者のようなものらしい。
空中を浮遊しながら、身を潜めて様子を伺う。
中では中世ヨーロッパのどこぞの教会が行っていた物に類似している。
魔法陣を描き、炎を周囲に浮かべる。そして、信者達が祈るのだ。主(神)の降臨を。
「静かにぃ! アビス様がご降臨なさるぞ!」
「おぉ、アビス様!」「アビス様!」「アビスさまぁー!」
五十人近くいる信者が口々に『アビス』と叫ぶ。すると突然、死神の気配がした。どうやら具現化するらしい。
魔法陣の中央に空気から溶け出たように漆黒の服に身を包む青年が出てきた。
信者が口を揃えて「アビス様」と叫ぶ。熱狂に包まれて訳の分からない事を叫ぶ者もいれば、絶叫する者もいた。
青年が手を挙げると途端に辺りが静まりかえる。
「アビス様!」
そんな中、飛び出た一人の中年の男。
「アビス様! ありがとうございました! 俺を奴隷のように働かせて、自分は高級料理店で見知らぬ男と仲良さげに飯を食う。そんな最低な野郎……妻を殺して下さり、本当にありがとうございます!」
若干小太りな男は、そんな事を言ってアビスにひれ伏した。
アビスは何も語らず、満足げに微笑んだ。男は司祭……とおぼしき者に後ろに下がるように命じる。
「死神の力をこんな風に使うなんて!」
「ダメ……。でも、あの人…………嬉しそう………………だね」
相当辛い目にあっていた事が伺える、晴れ晴れとした顔の男。
少女は僅かに同情しながらも、『人間って怖いなぁ……』っと適当に感想を漏らす。
そんな二人の背後に誰かが舞い降りた。
「……!」
「だれ!?」
即座に振り向いた二人の目の前に現れたのは新たな死神。
「お前等こそ誰だ。コレは俺の仕事だろうが」
青い衣を見に纏う、アビスと同じくらいの歳の死神だった。
「味方だったのか、ビビらせるんじゃないわよ!」
「ビビったのはこっちだ! バカみたいにでかい魔力感じたから、アイツ側に強大な死神が下ったのかと思って、かなり焦ったんだぞ?」
「……ごめん、……なさい」
少女が謝る。乱暴な感じで返しかけたが、青い死神は喉を詰まらせる。
見間違えるはずもない。そこにいたのは、冥界最強の死神だったからだ。
「い、いえ……」
完全に毒牙を抜かれて青い死神は話題を変えるように言った。
「ハーデスの野郎、援軍を寄越しやがったか。まぁ、いい。今、アビスが具現化しているからな。幻想化される前に拘束するぞ」
「了解」
「下った死神……っていっても今は霊か、は数十にも及ぶ。既に体を乗っ取っている者もいるからな」
霊は、人間に乗り移る事が多い。人間が突然、人が変わったように感じるのは、それが原因である。
「だが、基本的には人間が多い。それも汚い奴の方がな。アビスは俺に任せてくれ」
「分かったわ」
「……」
ちょうど、人間は次の標的となる相手を殺して欲しいとアビスに懇願していた。
「ちっ……、行くぞ。電撃戦だ」
合図と共に、青い死神が飛び込む。続いて友人。最後に少女。
「な、なんだ貴様等は!?」
見張りをしていた者が立ちふさがる。
僅かな魔力を感じた。どうやら乗り移った死神のようだった。
同じ事を感じ取った友人が虚空から日本刀を具現化させる。そして、一閃。見張りの者を真横に裂く。
だが、見張りの者に外傷は無い。人間ではなく、それに依存する霊体の死神を切り裂いたのだ。
「ぐぇ!?」
もう一人いた見張りも無力化させる。
「このまま突破する」
青い死神の指示の下、特攻をかける。
少女も冥界の鎌を具現化させて、人間を峰打ちを加えて無力化してゆく。
「貴様等、死神か!?」
司祭が突然形相を変えて、姿を変える。司祭……は下った死神の一人のようだ。緑の服を着た死神は、虚空からサーベルを具現化させてこちらを迎え撃つ。
「……凪」
ソレをみた少女が鎌を真横に振り払うと、空間が裂けて緑の死神を一刀両断にする。
☆☆☆☆
殲滅は5分で終了した。結果は明白。反撃もする術もなく、ただ一方的に狩るだけである。最強の死神に対して、只の死神が何人いようと一薙ぎで消滅させられる。
生き残ったただの人間達は震えて隅に転がされるか、気絶するかのどちらかしかいない。
今までの様子を逃げも隠れも……そして攻撃すらもせず似成り行きを見守っていたアビスが初めて口を開いた。
「俺が何かしたか?」
そう、問うた。
「俺が、何か迷惑でもかけたか?」
「はぁ? ふざけんじゃないわよ! 死神の力をこんな風に使って許されるともで思ってるの!」
「こんな風、とは、どんな?」
「人間を殺し回ってるじゃない!」
声を荒げる友人に対し、アビスは酷く冷静だった。
「俺が殺したのは、いずれ殺される人間である者ばかりだ。悪事を働く者は冥界へ招かれる。それが、この世の理だろう」
「人間を殺して良い時は、ハーデスの手によって管理されているのよ。アンタみたいな奴がいるおかげで、冥界は仕事が絶えないんだからね!」
「ふっ……」
アビスはその言葉を鼻で笑う。
まるで『まだそこに立っているのか』と言わんばかりに。
「お前達は何も感じないのか? いずれ死ぬ悪人を生かしておいて、死ぬ機会まで放っておく間に殺される良人を冥界に招くのだぞ」
「…………それは……」
それは。
抱いてはならない禁忌。
主の絶対を、否定する禁忌。
「だからこそ、俺は人間の為の――本当の死神になる事を決意したんだ」
本当の死神。
それは、悪人を殺して良人を生かす。
「みてみろ、この組織を。不条理に苦しむ人間が、許しを請い、絶望を嘆き、願望を吐き出す。俺がいなければ、そこで震える人間共は、今と同じように、未だ震える日々を送ったのだろうな」
青い死神が、人間が固められた方を一瞥する。
いや、その中の一人を。
「アビス――とやら。お前は、ここにいる人間が不幸な人間だと思っているんだな?」
「あぁ、その通りだが」
青い死神がその一角に近付く。
人間は直ぐにその場を離れようと逃げ出すが、一人捕まってしまった。それは、少女が到着した時にアビスにお礼を言っていた男だった。
青い死神は悲鳴を上げる男を皆の前へと放り投げる。
「ひっ、アビス様! お助け――」
「コイツの妻は、コイツが言った事なんてしていねぇ。むしろしていたのは逆だ」
「なに!?」
「……ッ!」
「人界には『生命保険』なる制度があってだな。人間の命に金をかけるんだ。もし、その人間が死んだ場合、数千万から数億単位の金が手に入るわけだ」
男の顔はどんどん青ざめていく。
どうやら全て、図星のようだ。
「邪魔な女が消えて、しかも金も手に入る。そうすれば、今の女とも新しい生活が――」
「アビス様ッッッッッ!! この青い男が言う事は全て嘘です! 私は長年、妻に苦しめられていました! 本当です!! 信じて下さいッ!!」
惨めに身の潔白を嘆く男。だが、その態度がむしろ黒であることを物語っていた。
「いいか。アビス。お前のやっていたことは間違っていたんだ!」
「……そのようだな」
アビスは苦虫を噛み潰した顔で男を睨む。
その表情に、男は「ヒィッ」と身を強ばらせた。
「お前を冥界へ連行する。異論は無いな?」
「あ、あぁ……」
青い死神は、アビスの元へ近付き、『束縛の魔法』で身柄を拘束した。
だが、消える寸前。
「ハーデスは人間の事など考えてはいない。ただ、生死を司る化け物だ。死神は人間を救える力があるのに、ハーデスによって封じられている。お前はどうする?」
アビスはこう言い残した。
☆ ☆ ☆ ☆
死神が消えた教会で男は座り込んでいた。
「た、助かったのか!?」
何も、かも、バレてしまった。
だが、あの死神とやらはアビスに夢中で俺の事を忘れていたようだ。
「はは、はははっ!」
チャンスだ。金を持って、女と逃げよう。
男は立ち上がり、走り出そうとした瞬間。耳元で声がした。
「俺が近い内に迎えに来る。どんな死に様か楽しみにしてろ」
小さな。小さな囁き。
だが、その一言一句が頭の脳に縫いつけられたが如く、頭から離れない。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ――ッ!!!」
☆ ☆ ☆ ☆
秋の終わりに男は死んだ。
「アイツが来る。迎えに来る」と病院のベッドで何度も何度も呟きながら、発狂死した。
「佐久間 正真さん。ご臨終です」
医者が男の顔に布を被せる瞬間、魂が浮かび上がる。
それを狩る、青い死神。
死神は、その魂を……。