彼と車椅子の少女
死神との距離はそれほど遠くはない。青が特徴的な若い男の死神だ。
彼は慎重に一歩目を踏み出した。二歩目、三歩目と続く頃には遠慮も無くしっかりとした足取りになった。
死神は動かない。いや、動けない。時が止まったかのように彼を凝視していた。
フェンスの、その向こう側。本当なら乗り越えてやりたいものだが、触れないのは重々承知しているのでそんなバカな真似はしない。
「死神!」
もう一度声をかけた。その声で、青い死神は我に返ったように瞬きを繰り返した。彼はフェンスに指を絡め、少しでも近くで話そうと体を押し付ける。
何を言おうか、と迷った。
まずは自分の自己紹介からか? バカバカしい。
ならば、今までの経緯を悠長に説明するか? 一刻も争うのに、そんな暇など無い。
となると――、いや――、あるいは――。
咄嗟に色んな選択肢が思い浮かんだ。だが、違う。そうじゃない。
伝えたいことだけを、最低限をおさえて、出来るだけ短く。
「死神。力を貸して欲しいんだ!」
「…………」
出た言葉はそれだった。
対して青い死神は何も言わない。だが、立ち去ることも無かった。
「僕はある死神と知り合いなんだ。僕はそいつに会いたい!」
死神の少女。
輝くような金色の髪。透き通るような青い瞳。幼いながらも懸命で必死に頑張る妹のような存在。血は繋がってはいなかったが、それでも彼は家族の一員として愛していた。
故に。
故にあのような一方的な分かれ方など認めない。認められない。
「僕はあの死神にもう一度あって、話がしたい。話し合って答えを聞きたいんだ!」
それでも青い死神は何も言わない。ただそっと、耳を澄ましているのみだ。
「なぁ、俺をその――冥界って所へ連れて行ってくれ。頼む」
長い、いや、それはもしかしたらほんの数秒だったかもしれない。だが、いやに長く感じた時間の後、青い死神はこう言った。
「冥界へ生者が出入りすることは許されない。どうしてもというなら、貴様も死ぬが良い」
そういって、青い死神は鎌を大きく振りかぶった。咄嗟に目をきつく閉じて、身を竦ませる。
しかし、待っても一撃は来なかった。
ゆっくりと目を開けた先に、もう青い死神の姿は無かった。
「そう簡単には、いかないか……」
張り詰めていた緊張の糸が切れて、その場に崩れ落ちる。冷たい風が頬を凪いだ。
背後からキーキーという音が近付いて、近くで止まった。
「あのー、すみません」
顔を上げると、ピンクの髪留めを右につけた少女がいた。その両手は車椅子に掛けられていて、わざわざ近付くために押してきたのが分かる。
声をかけられた、という客観的な事実に今更彼は赤面した。
この少女にとって、彼は虚空へと声を掛けて、突然崩れ落ちたように見えたことだろう。
「あー、頭は大丈夫です」
なんとなく、普段の彼を装ってそう言っていみた。
「へっ!? あ、そうなんですか……」
どうやら、突っ込みのセンスは期待しない方が良かったみたいだった。彼は立ち上がり、服の汚れを払う。
「あの、こんな時間にどうしたんですか? 服装は見たところ、入院されてる人の格好じゃないみたいですし」
「あ、えっと……」
夕方から夜になり始める頃合い。言い訳を考えて外の景色を見るが、特にこれといって理由になりそうな眺めではなかった。
夕日を見るにしても、既に沈みきっている。
「お見舞いに来られたのですか?」
と思えば、相手から思わぬ助け舟が出た。適当に答えて、切り抜けるとしよう。
「えぇ、まぁ。そんな所で――」
「あ。でも、日が沈んだらお見舞いはダメじゃ無かったですか?」
「……っ」
どうしようか。今、まさに設置された地雷を踏み抜くわけにもいかない。
「うーん。もしかして、誰かを追ってたんですか? ほら、屋上で誰かと話していたっぽかったですし」
「そうです、それです!」
「でも、私以外は誰もいませんでしたよ?」
しまった。これも地雷だったか。どんどん少女の視線が怪しむ目になってくる。
「あああ、別に僕は君に何もしない。僕はこのまま帰る。だから君は、何事も無かったかのように病室に帰るんだ。いいね?」
あたふたと早口でまくしたてる彼に対して少女は顔を綻ばせた。
「でも、お見舞いの人でもナースルームを無言で突っ切ってきたわけですよね? ってことは、今。病院は大騒ぎなんじゃ無いですか?」
彼の表情が凍りつく。
そう言われてみれば、下の階から喧騒が少しずつ大きくなってる気がする。凍りついたまま、冷や汗が垂れた。
「……マズい」
少女を探すことに頭がいっぱいで、常識が抜け落ちていた。そういえば、一階で制止するような声が聞こえた気がする。
「マズいぞ」
大事だから二回言いました。
嫌な汗がぶわっと溢れ出て、心臓がバクバクしている。
というかこの少女。彼が焦る状況で顔を綻ばせたりする辺り、察しが良いと言うか、それなりに頭が回るんじゃないか? 地雷を設置していったのは、確信犯か?
そう思った時にちょうど。
屋上の扉が開かれた。