少女と彼のすれ違い
まだ日が差す時間は長くはなく、夜は少し冷え込む。学校が終わっても雲行きは怪しく、冬に逆戻りしたかのような寒さだった。
つい昨日までは少し暑苦しいぐらいだったので、制服の中にセーターを着ていなかった。それが災いしたのか想像以上の寒さに思わず口がガチガチと鳴る。
外の外気から逃げるように自宅の扉を開け放つ。
「ただい――少女?」
ほんのりと外より暖かい我が家に帰った彼の前には、俯く少女だった。その姿はさながら、テレビの中から出てくる某幽霊を彷彿させる。
ヨーロッパ版のさだ――。
「おーい」
過去のトラウマを思い出しかけたので、無理矢理頭から追いやる。玄関に立ち尽くす少女は明らかに元気がなく、呼びかけても反応がない。
とにかく。
「ごめん、上に上がらせて貰っていいかな?」
決して広いとは言えない我が家の玄関は、相応の広さを持つ。人が真ん中に立たれると上に上がれない。
彼は不用心に少女に近づいた。
「え?」
少しだけ押しのけて上がろうとした彼の手を、少女は無造作に掴んだ。
その行動に、とある映画の一部が明瞭にフラッシュバックして、そのままテレビへ引きずり込まれるイメージが流れた。
もちろん、少女はそんなことはしなかった。
ただ、彼の腕を強めに引っ張って背丈を少女に合わせる。そして、少女は彼の唇に自分の唇を押し当てた。
ただ、それだけ。
驚きの余りに白黒させる彼の目が少女の目を捉えた。
目が充血していた。頬には涙の跡がある。少し悲しそうな目をしていた。
彼の体は何かに縛られたかのように動けなくなる。ほんの一瞬のキスは終わりを告げ、次に少女はソッと彼を抱きしめた。一言、言葉を呟いた。
短いたった一言の言葉で、彼の動揺はより大きなものとなる。
言葉を伝えた事に満足したのか、少女は少しずつ半透明になった。
彼は、呆然とする頭の片隅で『あぁ、死神化しているんだ』と呟いた。
少女は彼の体を擦り抜けて玄関の扉を開けないまま、扉の中へと吸い込まれるように消えていった。
それから、彼の体が自由になったのはほんの少し後の事だった。
はっと我に返った彼は鞄を玄関に放り出すと、弾かれたように家を出た。
「ふざけやがって」
小さく呟いた。
また冷たい空気が体を襲う。頬を撫でる風がひどく冷たく感じるのは何故だろうか。
目を凝らして、真っ黒な空を見廻す。
しかし、そこに少女の姿は見えなかった。
「闇雲に走っても時間の無駄。となると……」
……少女は死神だ。死神は「死」を司る代理人。
何度か、彼は少女が死神の仕事をするのを見たことがある。
死んだ人間から現れる白い霧のようなもの。少女はそれを手に持つ鎌で刈り取るのだ。
「『病院』か」
不謹慎は承知しているが、路上で死体を探すよりは、病院の方が死ぬ人間も多いはず。
行くべき場所は決まった。
彼は鞄から財布を取り出し、家に鍵をかけて、自転車に跨がった。そして、足に力を入れて一歩目を漕ぎ出した。
☆ ☆ ☆ ☆
総合病院は、彼の家から10分程度の所にある。
駐輪所に自転車を止めて、あたりを見回した。
「あれは……」
いた。
屋上のフェンスにもたれ掛かかる誰か。不自然な程、透けて見えるのは目の錯覚ではないはずだ。
どこかへ移動される前にあの死神に会わなくてはいけない。
彼は病院に入り階段を駆け上がった。
流石に自転車での疲労が堪えたが、それでもペースを落とす事なく屋上まで登り切る。
バンッと屋上を開け放った。
そこには先ほどと全く同じ格好の死神と、車椅子に座る少女がいた。
「死神!」
彼はそう叫んだ。
呼ばれた死神は、驚いた風に振り返る。同時に少女も振り向いた。
何とか、少女への道をつなぎ止めた。
彼は笑みを浮かべて小さく言った。
「さよなら、なんて。理由も言わないままに、少し酷くないか?」
どこかにいる、少女に向けて。