少女の力
少女は怒っていた。
その、天地を揺るがす程の怒りは少女の持つ冥界の鎌が振るわれる威力に表れている。
ブンッ!
振り回した鎌が空間を裂く。裂かれた空間は漆黒の闇に染まり、その穴から放たれた気味の悪い赤い手や青い手、緑の手などが溢れかえる霊を掴んで、穴の中へと引きずり込んだ。
あれは『死者の手』。冥界の王・ハーデスが放った死者を冥界へ引き戻す手である。
近くで、共に霊の掃討に当たっていた同僚の死神達ですら、その光景に息を呑む。人間が見れば誰もが口を揃えてこう言うに違いない。『地獄が顔を覗かせた』と。
だが、その表現は勘違いだと少女は思う。この先に通ずるのは、あの骸骨爺・ハーデスが管理する『冥界』であり、地獄は管轄が違う。
少女は珍しく、この地に現れた霊を片っ端から薙ぎ払った。
普段は一撃を放って霊を一網打尽にした後、残りの残党は同僚の死神に任せるのが常だったのだ。にも関わらず、少女は自ら同僚の死神の残業を減らそうとしてくれているのである。
四方八方に冥界の鎌を振るい、あちこちに冥界への入り口を開く。
そこから現れる異形の手達によって冥界へと連れ去られる霊達は、思い思いの断末魔を上げながら穴に消えていく。
その光景を死神達は呆然と見ていた。
勿論、友人もその光景を見ていた。若干、見てる物は違うものの。
そして誰もが痛感した。
やはりこの少女は、『冥界最強』だと。
☆ ☆ ☆ ☆
冥界に帰ると、一目散にハーデスの部屋に殴り込みに行った。
それぐらい少女は怒っていたのだ。
どうしてあのタイミングで大量の霊が現れたのだ、と。
ハーデスに本気の冥界の鎌を振るいながら、少女は心で嘆いた。
ハーデスは骸骨の頭をこちらに向けると、突然音速を超える速度で飛んできた冥界の鎌の斬撃に驚き、慌てて強大な防衛魔法を組み立てて、なんとか一難を凌いだ。
少女は心で続ける。
あの場にいれば、『彼』に会えたのに。
会って、私の想いを伝えれたのに!
少女は続いて強大な光の閃光魔法を唱えた。
輝く閃光は、光の速度で骸骨に向かって放たれる。
それを見たハーデスは骨に汗を浮かべて、光の魔法を打ち消す闇の同系統の魔法を唱えて迎え撃った。
光と闇が衝突し、お互いがお互いを食いつぶす。
力は互角。そのまましばらく拮抗したかに見えた。
しかし、僅か10秒もせずに光の威力が弱まった。
食い合っていた光が、少しずつ闇に浸食されていく。
少女は少しずつ押し負けている自分の魔法をぼんやり見ながら、こんな事を考えていた。
『でも、いざあの場で彼に出会ってしまったら、緊張で動けなかったかもしれない』と。
なら、別にあれで良かったのかもしれない。
そう思った少女は光の魔法の詠唱を中止し、音速で迫る漆黒の闇よりも速く空間を渡った。
結果、闇は少女に当たる事が無かったのだが、その1秒後にハーデスの部屋がどうなったのか……それは想像するに難くない。
☆ ☆ ☆ ☆
というのも、突然現れた霊達の集団如きのせいで彼との出会う機会を潰されたのが少女の逆鱗に触れたのだ。
ここ最近、彼の住む町で霊の活動が活発になっているようだった。
ではなぜハーデスを襲ったのかというと、ただの八つ当たりである。
その八つ当たりと言っても、『冥界で最強』と呼ばれる少女が『本気で』八つ当たりをしようものなら地球の半分は少女の手によって吹き飛ぶ。では、冥界ではどうか? 答えは変わらない。
だからこそ、冥界のトップであるハーデスに八つ当たりしたのだ。
少女からすれば、これでも最大限の配慮をしているのだが、当のハーデスからすれば一瞬の気の緩みで命が危険に晒されるので、かなり迷惑な話である。
ひとまず『緊張して喋れなかっただろうから、結果的に良かったのかもしれない』という自己完結に至り、腹の虫は治まったのだが、それでもやはり勿体ないという気持ちを捨てきれない。
ハーデスへの八つ当たりで汗をかいたので服をいつものゴスロリに着替えて、狭間に買って貰った服を丁寧に洗濯した。
その感に、心はモヤモヤしっぱなしだった。『もしあの時に告白していれば……』『彼とお話したい』などなど。
少女の頭では、鐘の鳴る場所で純白のドレスを着た少女と純白の紳士服を着た彼が二人で笑い合っている所まで想像していた。
勿論その間、少女はニヤニヤしっぱなしだったのは言うまでもない。
そこでふと、時計を見た。
時刻は既に深夜0時を回っている。
少女は思いつきで体を動かし、人界に降り立った。
朧気な街頭が頼りなく光り、辺りは静寂に包まれている。
降り立ったのは暗い路地。次の曲がり角で幽霊にでも現れそうなほど不気味な景色だった。
そんな道を少女は躊躇いもなく、足を踏み出す。
姿に似合わず、幽霊などは信じない……なんてことはなく、むしろこの少女の前に霊が現れたらその霊はバカが過ぎる。むざむざ殺されにきたのと同意義だから。
少女は暗い道を迷う事無く歩く。ここらの道は目を瞑っていても行ける。
そして少女は死神化して、壁を通り抜ける。家の中は既に寝静まっていた。
少女は迷う事無く階段を音もなく上がり、ある部屋の前で立ち止まる。
そこは何度も少女が足を運んだ部屋。
いや、残念な事に一度も正式な招待があった訳ではないが。
部屋の扉をすり抜けて、中に入る。
そこには彼の可愛らしい寝顔が……。
「誰だッ!?」
無く、彼の上に馬乗りになっている人物がいた。
この文章だけでは、卑猥なイメージしか出てこないのだが、純粋な少女は気付かけないので一応断っておくと、彼もその人物もしっかり服を着ていた。もとより、その人物は男だった。
まさかそっち系……と疑われるかもしれないが、その手元には刃物が握られてるため彼の貞操に危機が迫っている訳では無いので、ご安心願いたい。
といっても、もっとも重要な危機が迫っているだから何を安心せよと言うのだが。
「あなたは……」
その顔に見覚えがあった。
取り巻き二号……もとい、前長髪だった。
彼を殺す動機など無いはずだが……と僅かな思考の末、ある事に気付く。
彼の纏っている『オーラ』だった。どうやら、前長髪は霊に体を乗っ取られているらしい。
ならば、前長髪が彼を殺そうとする理由も頷ける。
いや、決して前長髪では無いのだが。
「貴様……死神か!?」
獰猛に見開かれた目が少女を捉える。
少女は考える。
手っ取り早いのは殺す事だ。前長髪ごと。
だが、彼の大事な取り巻き二号が死ねば彼は悲しむかもしれない。
「……」
仕方がない、とでも言いたげに冥界の鎌を構えた。
刃物を持った前長髪は低く唸るような声を出して、少女に襲いかかる……よりも前に少女の一閃が前長髪の体を貫いていた。
切ったのは、前長髪の体に依存する霊のみ。
霊は悲鳴を上げることすら出来ずに消滅した。一時的に体の自由を委ねていた宿主が消滅したことにより、前長髪の体も崩れ落ちる。
少女はそれを抱えると、転移魔法を唱えた。
前長髪はその光に触れると、空間に溶けるように消えた。
少女は一息吐く。
そして、彼の寝顔を見るために体を反転させた。
「え、誰? 何してるの?」
直後、少女の顔が凍り付いた。
そして、少女は冥界の鎌に手を掛け……る前に思いとどまった。
これじゃ、今までの繰り返しと変わらない。
少女は出来るだけ、笑顔で言った。
「初めまして、死神です」
その言葉に彼は右手をこめかみに当てた。