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ビュ=レメンの舞踏会 ―星砂漠のスルタン―  作者: 滝沢美月
第2章 瑠璃の輝き 蒼穹の王女
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第7話  銀翼の乙女 1



「私の名前は……」


 口ごもってしまったティアナの肩を優しく叩いたレナーテは苦笑する。


「まっ、名前なんてどうでもいいさね。あんた海に落ちたんだ、きっとまだ頭が混乱してるんだろうさ。また何か聞きたいことがあったら、いつでも声かけてよ」


 気にしないでいいと慰めて、レナーテはティアナの側を離れて壁際の藁が敷かれた場所にいってしまった。



 ティアナはレナーテが座るのを見てから、額に手を当てて考える。動悸の激しい胸、混乱する頭を整理するように一つ一つ考えていく。

 私の名前は――分からない。

 どうして名前を思い出せないのかしら――分からない。

 私はどこから来たの――レナーテの話ではポラリスの人間ではなくて、海で遭難しているところをこの労働船アスワド号に拾われたという。

 自分の体を見下ろせば、セピア色のワンピースの裾は破れ、あちこちに泥や汚れがついている。袖から伸びる腕には切り傷があり、海に落ちたことを如実に物語っている。

 では、どうして海に落ちたの――

 その前の記憶は――?

 どこで何をしていた――?

 考えようとした瞬間、激しい頭痛にティアナは顔を顰める。

 分からない――なにも分からない……

 私はだれで、名前はなんと言って、どこから来たのか、なにをしていたのか――何一つ自分の記憶が思い出せなかった。

 国の名前や日常生活に使うものの名前などは普通に分かるのに、自分のことに関してだけが何も分からなくて、思い出そうとすると酷い頭痛に襲われてた。

 私、記憶喪失になっちゃったの――!?

 ティアナは愕然として部屋を見回すけれど、ティアナが探し求めた愛しい面影はどこにもなかった――

 そもそも、ティアナの想い描いた愛しい面影というのが誰の事かすらも分からなかった――



  ※



 その日、ティアナは何度も自分のことを思い出そうと考えた。そのたび頭痛に顔を顰めて手で頭を押さえて痛みが引くのを待って、また繰り返した。

 夜になって部屋が薄暗くなると、頭痛のする頭を抱えてうとうととしはじめた瞼に従って、藁の中にうずくまって眠りについた。

 翌朝、ざわめく部屋の中、ティアナは目覚めた。

 傷だらけの重たい体を藁から起こし、部屋を見回してレナーテを見つけて側に行く。


「レナーテさん……」

「ああ、あんたか。おはよう」

「おはようございます。あの、なんだか皆さんそわそわしてますけど、どうしたんですか?」

「ああ……」


 言ってレナーテは視線を室内に巡らせ、快活な笑顔を浮かべる。


「もうすぐ港につくんよ、シュチェン港に――」


 言われて納得する。数十日にも渡る公開が終わり、新生ギルド、希望に満ちた港に早く降りたくて落ち着かないのだ。

 ティアナは他の人と違って特に持ち物もなく、港に着くまでの数十分を邪魔にならない様な部屋の隅で座って待っていた。



 ガッシャン――という接岸の音が響き、しばらくして商人らしい風体の二人――三十後半の背が低く肥満体形の男とひょろりとした体形に顎髭を生やし目が座っている三十半ばの男――が部屋の鍵を開けて中に入ってきた。


「これからギルドに案内する。順番についてくるんだ」


 その場に緊張感が走り、誰かの唾を飲む音が聞こえる。

肥満体形の男が先導し、その後を部屋の女性達が二列になって続き、最後に顎髭の男がついてくる。

 船から港へと延びる桟橋を降りると、目の前に広がるのはオレンジを基調とした屋根や柱の華やかな街並み。

 港からいく筋もの水路が街を廻り、水上に浮かぶ楽園のような印象を受ける。

 ティアナ以外にもシュチェンの街並みに見とれたり、感嘆のため息を漏らす声が聞こえる。

 しかしティアナの胸には街の素晴らしさに感心する一方で、不安が押し寄せてくる。

 自分がだれで、どうしてここにいるのか分からないティアナは、ただ言われるままについて来てしまったが、このままこの人達について行き、労働者の一人とされていいのだろうか――

 なにかが違うと、頭に警鐘が響く。

 しなければならないことがあって、どこかに向かう途中だった――そのことは分かるのに、なにをして、どこに向かうのかが思い出せない。でも。

 ギルドではない――と、それだけははっきりと分かっていた。


「私は――」


 小さな声で呟いて立ち止まったティアナを、一緒に歩いていた労働娘たちはちらちらと横目で見ながら追い越して商人について歩き続ける。

 レナーテも心配そうにティアナを振り返りながらも、止まることはせずに歩いて行く。

 ティアナの後ろを歩いていた労働娘達がすべて通り過ぎ、最後尾を歩いていた顎髭の商人がティアナを追い越そうとして、「ん?」と顔を顰める。


「おい、お前! なんで止まってるんだ! 列を乱すな、さっさっと歩けっ!」


 語尾を荒く捲し立てる商人に、ティアナは決然とした態度で言う。


「私は労働娘じゃありません。ですから、あなた達に従う理由も、ギルドに向かう理由もないのです」


 すっと背筋を伸ばし、腹の前で両手を汲んだティアナはぼろぼろの服を着ていて見てくれが悪くても威厳のある口調と威圧的な瞳で商人に言い放つ。

 顎髭の商人は気圧されつつも、すぐに食ってかかる。


「でたらめを言うな! アスワドに乗ってたんだからお前は労働娘だ、違うとは言わせねーっ!!」


 叫んだ声に、先頭を歩いていた肥満体形の商人が騒ぎに気づき、ティアナ達のところまで戻って来る。


「おい、何やってんだ!?」

「それが、こいつが自分は労働娘じゃねーとかってぬかして……」

「あん?」


 片眉を顰め、首を斜めにしてティアナを見上げた肥満体形の商人は「ああ……」と適当な相づちを打つ。


「こいつは漂流もんだ。確かにお前はポラリスから連れてきた労働娘じゃない。だがな、アスワドがお前を拾った瞬間から、お前の所有者(・・・)はギルドだ。つまりお前さんはりっぱな労働娘ってことだ」


 くつくつと意地の悪い笑みを浮かべる商人に、ティアナはくっと唇をかみしめる。

 確かにアスワドに拾われ、一日分の食事を世話になった。その部分は否定は出来ない。しかし――

 者扱いされたことが癇に障る。

労働船とは名ばかりで実情は奴隷船と変わらないと言っていたレナーテの話を思い出し、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 同じ人間なのに、商人たちは自分や他の労働娘を物としか見ていない。こんなことがまかり通っていいはずがない――

 ティアナの中に言い知れない怒りが渦巻き、きっと商人たちを見据える。


「私は物ではありません。私にもし所有者がいるならば、私以外の何者でもありません。一宿の恩があるとしても、あなた達が蹂躙しようとしても、私は決して従わない――」


 怯えたりもせず決然と言い放つティアナに、肥満体形の商人が顔を真っ赤にして憤慨しる。


「お前は……口で言ってダメなら、体で分からせてやる――っ」


 言うなり商人は腰にさしていた鞭の柄を手にとり、身長の数倍の長さのある鞭を震わせて、ティアナめがけて振り下ろした――




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